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黒い竜

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 俺、ルカリオは一芝居を打った。
 イーロン様は俺が予想した通り、あの地に残ってくれというと突っぱねて怒った。
 長い付き合いだ。それくらいは読めるし、イーロン様をここに残そうなんて考えは本当はなかった。俺たち騎士と貴族は戦って死ぬのも仕事だ。可能な限り避けたいが、必要ならば俺もイーロン様も民を守るために死ぬ。それは俺たちの義務だ。それがわかってるイーロン様はやはり見所がある。
 そして俺の計算通り、ヒースリールって王女様も参戦してくれることになった。王や貴族の責務。若い子はコロッと行くんだよな。ついでにイーロン様に惚れたら完璧だが……まあいい。あんなか細い女の子を狡猾な芝居で唆すのは気が引けたが、こっちも命がかかってる。悪いな。
 しかし竜の首に細工をしただと?魔術や魔法具にそんなものがあるのか?正直、こっちの首都に首を運んで同じことが起きてたらと思うとぞっとするな。あいつらが首を持って行ったのは僥倖だったか。犯人についてはいくつか心当たりがあるが、今はそれを考えてる場合じゃない。

「ううっ!」

 一瞬で景色が変わってあの眩暈と吐き気。
 あの女め。いきなり転移させやがった。だが、首都のど真ん中じゃなくて外部だ。配慮してくれたからよしとするか。俺が現在地を報告すると夜の空を部下たちがすぐに飛んできた。

「団長!イーロン様!ご無事ですか!?そちらの女性は!?」
「こちらはロザリア王国王女、ヒースリール様だ。今は我々と協力して魔物を討伐することに同意してくださった。敬意を払え。無礼な真似をした者は俺が斬る」

 俺はきっちり殺意を出して部下を脅しておいた。
 いきなり敵国と仲直りして一緒に魔物を倒そうぜ。こんな事言われても混乱するよな。
 だが、そういう流れに持って行ったのは俺だ。ここはユス王国ないじゃないが、俺たちのザーランド領は目と鼻の先。黒い魔物ってやつが俺たちの領地に来る可能性はある。
 ついでにいえば、これで両国の憎悪が少しでも緩和できればって狙いもある。すでに数千人は殺してるんだ。レーテル領とはしばらく絶交状態だろうが、この王女様だけは絶対に敵に回すべきじゃないと直感が囁いてる。エーレインって女もそうなんだが、あいつはなぜか唆す自信がない。

「うぅ……」

 王女様はまだ酔ってるよ。
 大丈夫か?悪いがすぐに戦闘だ。

「ヒースリール殿下、本当ならしばし休んで頂きたいですが、すぐに戦闘です。我々は飛行馬に乗って戦いますが、殿下はどう戦われるおつもりか聞いてもよろしいですか?」

 王族秘伝の魔術があるなら心強い。
 だが教えてくれるのか?

「は、はい!私も飛べます!」

 そう言って彼女の両足は地面から離れた。
 おいおい、飛べるのか。上級魔術だ。落馬の心配をしなくていいのは羨ましいな。

「本当はもっと練習したかったんですけど……」
「私たちの馬に乗っても構いませんが?」
「え?いいんですか?」
「構いません」

 お姫様を乗せるなんて夢みたいだぜ。
 っていうのは嘘だ。騎兵は地面でも空でも2人乗ると機動力が激減する。
 男の騎士界隈じゃ不吉なジンクスもあって女を乗せたがる奴はいない。
 だが、この王女様は規格外だから乗せてもいいと思った。

「……いいえ、障壁を張るのが難しくなるのでやめておきます」
「わかりました。武具はどうされます?剣槍盾なら用意できますが、甲冑は難しいかと」

 鎧甲冑は大きさが合うことを前提にしても慣れないものを着ると逆に危険が増す。
 動きを制約されるくらいなら肌着一枚の方がマシって考えもある。
 そういう意味で伝えると彼女は首を振った。

「結構です。どうせ使えませんし、邪魔になります」

 そう言いながら彼女は右や左へふらふらと飛び回ってる。
 こりゃ本当に初心者だな。上級魔術なのに初心者?わけがわからん。
 俺とイーロン様の飛行馬が到着したので俺たちは馴染んだ鞍に跨った。やはり相棒の背中は心強い。

「では、まずは敵を確認しましょうか、イーロン様?」
「うむ!王女殿下!我らの傍から離れるでないぞ!」
「は、はい!」

 王女様は空を飛んで俺たちの後をついてくる。
 だが、俺は小さな声を聞いた。

「うわ、高い」

 王女様、「うわ、高い」って言ったか?
 すごく不安になってきたが、それを抑えて暗闇の夜空を駆けるとすぐに敵が見つかった。

「オオオオオオッ!!」

 雄たけびを上げてるのは触手を何本も伸ばした巨大粘液。
 どのくらい大きいかと言えばあの竜の胴体くらいだ。人を取り込んでここまで大きくなったのか?どことなく竜の顔に見えなくもない。竜の頭に誰かが細工したってエーレインの話に信憑性が出てきたな。

「放てぇぇっ!」

 掛け声のする方を見るとレーテル領の弓隊が矢を放っていた。
 黒粘液にずぶずぶと刺さってる。おそらく毒入りだろうが効くのか?

「ああっ!」

 王女様が悲鳴をあげた。
 弓兵たちがどんどん触手で取り込まれてゆく。素早いな。近づくのは自殺行為だと俺は勉強にさせてもらった。イーロン様にも忠告しておくか。

「イーロン様、魔法剣を使うのはまだお待ちください!」
「わかっている!」
「あの……私が魔法を使ってみていいですか?」
「ヒースリール様、近づくのは危険です」
「そんなに近づきません。皆さんは私に近づかないでください。巻き込みますから」

 彼女は不吉な事を言って巨大粘液の真上に移動する。
 単独で飛んでいるだけのせいか攻撃してこないな。
 おっ、彼女の周りにきらきらした光の粒が出てきたぞ。綺麗だな。
 上下に広がって空と地面を繋ぐ道のようなものが出来た。
 おおっ、王女様の髪の毛が逆立っていくぞ。何が起きてるんだ?
 パリパリって変わった音も聞こえてきた。その次は……。

「皆、目を閉じてください!馬も!」
「全員、馬を反転させろ!」

 俺は部下たちに命じた。
 敵に背中を向けるのは自殺行為だが、これに逆らったらやばいと直感が言った。
 それから一呼吸しない間に首都が真っ白に染まった。
 バリバリバリと空を引きちぎるような、あるいは数億匹の鳥の囀りのような轟音。
 振り向いたら目が潰れると確信できる明るさだ。飛行馬たちは大きな音に耐えないよう訓練を受けているが、それでも何頭かが暴れてる。
 暗闇と音が元に戻ると黒粘液の怪物は周囲の地面と一緒に焼け焦げ、煙を上げていた。

「バケモンだ」

 部下の誰かが言った。
 俺が叱るべきなんだが、一瞬、心の底から同意しちまった。
 王女様はふらふらと飛びながら戻ってくる。さっきまで可愛い少女だった何かに俺は怯えを見せないように虚勢を張る。その時だった。

「ヴオオオオオオオッ!!」

 黒焦げになった粘液が雄叫びを上げ、グネグネと形を変え始める。
 嫌な予感がした。

「距離を取れ!」

 俺は指示を出しながら自分も後退する。
 王女様もその声に従って加速し、上空に離れてゆく。
 バサッと音がしたのはその時だ。
 黒粘液が翼を生やし、空へと舞い上がった。まるで竜みたいに。
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