瞑走の終点

綾野つばさ

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二章

価値の無い誘拐

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自分を殺すはずだったのに
無言で女の後をゆっくり付いて行った。
女は時々、軽く振り返って悪戯な笑みを浮かべる。情けない魂の抜け殻の様な俺を嘲笑っているのだろうか。
今はどうでも良かった。女から薄っすら香るホワイトムスクの匂い。大好きな匂いだ。
匂いの首輪で繋がれているかの様に。

何分歩いただろう

女は大きく新しめなアパートに入っていった。
「どうぞ、早く入って」

「お邪魔します」
背中を項垂れ微かな声しか出なかった

流石に他人の部屋をジロジロ見るのは失礼だと思い、ずっとうつむいていた。

リビングに入った瞬間、目の前が真っ暗になり倒れてしまった。
女の足元だけが目に入ったが意識が遠のいていく。

洗濯機が回る音が聞こえる。まだこのまま眠っていたい。ボヤけまなこに白いレースのカーテンがヒラッとした。
心地良い風が部屋に入る。額に腕を置いてまた一眠りしたい。意識が遠のいていく。

「ねー....ねぇーーー!」

女の声で目覚めた。どのぐらい眠っていたのだろう。
俺は真っ裸にタオルケットを掛けられた姿でフカフカのソファに横になっていた。

って服を脱がせたのは女か?
手枷足枷が付いていないか確かめた。
何も付いてない。
「服、土埃付いてたし汗臭かったから洗濯して置いた。ついでに下着も。体は軽く拭いて置いたから」
えっ?
俺の縮み上がった陰茎も見られたと思うと何だか恥ずかしい。
一回目覚めた時の洗濯機が回る音は俺の服を洗った音だったのだろうか。
「ソファに寝かせてくれたのはあなたですか?洗濯して貰ったのは有難いけど、パンツ脱がすとか....。」
感謝を伝えたつもりだが、女が何を考えているか分からないから戸惑いは隠せない。

もしかして、田舎の殺人鬼だったら

そんな事まで頭を過る
頭を軽く傾げながら女は言った。
「突然倒れたからビックリしたよ。揺すっても起きないから。呼吸はしてたからソファに寝かせたけど、流石に汚過ぎ!」
「パンツだって汗でビショビショだったから、洗ってあげたけど問題ある?」

大問題だろ!俺が未成年だったら犯罪だよ!?いや、気を失ってる男の下着を脱がす事も犯罪なのか?

微妙な気持ちなのを知ってかどうか分からないが女は
「シャワー浴びてきて。食事にしましょうよ」

このままここに居たく無いからタオルケットを身体に巻き付け、女が指刺す方へ歩いて行った。普通に小綺麗な洗面所の横にバスルームがあったのでサッと扉を閉めてシャワーを浴びる事にした。

このシャンプー特定のサロンでしか売っていないヤツじゃないか。
俺みたいな寮暮らしは皆同じ、一般的に購入出来るシャンプーで早々に洗い、香水で匂いづけをするのが定番だった。
このシャンプー、その他一式を見るとまあまあ良い物を使っている様だ。
ホストという職業柄、女の備品の値段や香りを軽くチェックしてしまう。
俺はもう、ホストじゃ無い。こんな事は止めて頭からつま先まで綺麗にする事に心がけよう。

この匂い、俺も好きだ

汚れを落とすと言うより匂いを纏わせる様に全身を撫でる。
「着替え置いておくから」
女のシルエットが何かをカゴの上に置いて行った。
一瞬、バスルームに入って来るのかと思い手でアソコを隠したのが恥ずかしかった。

洗面所に出たら、先程女が準備してくれたハーフパンツ、Tシャツ、トランクスが置いてあった。全て男物だ。

男が居たのか...。

そう言えば、女の顔を良く見ていなかった事き気付いた。
知らない男を連れ込むのだからスレた感じなのかな。と少し小馬鹿にしてみる。
後姿は、それ程年増に見えなかったのだか。
そそくさ着替えて、リビングへ向かう。

室内は関節照明になっていて、2人用ダイニングテーブルの上には紫陽花の押し花が散りばめられたお洒落なキャンドルが1本灯っている。
白い皿に煮込みハンバーグと綺麗にカッティングされソテーしたニンジンとブロッコリー。クロワッサンとミニフランスパン。グラスに水を注いで「食事にするよ」と声をかけてきた。

ちょい待て!これは全て俺の為に作ったのか?何故もてなされているのか?
ボーッと突っ立ってしまう。
女は奥の椅子に腰掛けたので、向かい側の椅子を引いて座るった。
「頂きます」
女はナイフとフォークを持つ。
時間差で「頂きます」と言いフォークでザクッと適当にハンバーグを切り大口を開け、舌の上へ運ぶ。
旨い!自分の腹の虫の事なんて考えていなかったから思いの外五臓六腑に染み渡る。
思わず「旨い」とニコニコ顔で女の顔を見上げてしまった。

女は美人だった。ワイングラスが似合う色気の妖気湧き立つ大人な女性。

ドキっとした。

女は
「気に入ってくれた様で良かった」
「これ、私が作った訳じゃ無いんだけどね」

とワイングラスで水を飲む。

「そうなんですか?」
料理の事は詳しく無いがてっきり女の手作りだと思っっていた。近くで顔を見てから敬語になってしまう。

「私、料理するのあまり好きじゃ無いの。たまに作るけど....本当気紛れ。」
女はパンを摘む。
アレ?パイ包み?薩摩芋か南瓜であるのは分かる。
「あ~甘いって最高だよね」
紙パックのミルクコーヒーをグラスに注いで
「この組み合わせ最高」
女は偏食化なのだと気づいた。高級志向かと思いきや何か変なのだが、指摘するのも憚られた。
死にに来た稀人の男に、五臓六腑をも再生させてくれた。恩人美女である。
「何でこんなに良くしてくれるんですか?」
「俺は金も無いし、これから返す当ても無いですよ?」
女は目を細め、もうひとちぎりパンを頬張りながら
「お金なんて要らないよ。君はここに居てくれたらいいの」
と食べながら話す感じがだらし無い。続けてミルクコーヒーでパンを流し込み、
「行く所無いなら好きなだけ居ていいよ」
俺は
「素性も分からない男をいきなり家に入れて、俺が変な気を起こして何か貴方に起こしたらどうするんですか」

「そんな事する勇気ある?知らない男を引き入れる女だよ?今夜あんたの寝首をかっ斬って頭を鍋で煮込むかも知れないのに」
と女は薄ら笑いながら言った。
もしかして、このハンバーグは人肉?
一瞬にして恐ろしい事が頭を過ぎると同時に吐き気がした。

女は高笑いをして
「今、殺されて食べられるとでも思ったんでしょ?」
「安心して。そんな事する訳無いでしょ」

心を読まれていた。
結構本気で安堵した。

「あんたは私のペットになればいいの」
「Club since の流星君」

「俺の名前をどうして知っているんですか!」

女はハンバーグをパクリ食べ、
「洗濯した時ジャケットの胸ポケットから名刺出て来たから」と。
「ホストClub?それにしては顔可愛い過ぎ。もう少しギラついてくれてたら騙されてみたくなるかもね」


なる程。洗濯の時名刺が出て来たのか。可愛い顔過ぎって、顔が可愛い事はホストとして1つの武器じゃ無いか!少しイラっとしたが、自分は人気ホストでは無かったから何も返す言葉が出ない。

源氏名だか名前はバレた。俺もこの人の名前が知りたい。

「あの、名前教えて下さい。これからなんて呼べば良いですか?」
素っ気ない感じで声を出したが、実はめちゃめちゃ興味あった。

「私の名前はレイ」
「宜しくね!」

と勢い良く右手を差し出して来た。
握手という意味だろう。
「宜しくです」
と言いながら手を握った。
この時のレイと名乗る女の笑顔が可愛いらしかったからキュンとしてしまった。

「よし、平らげちゃおうよ」
とレイが言った。

「うん」

2人で黙々と食事をするのであった。

ふぅ~、お腹いっぱい。レイは皿を食洗機に入れて

「お風呂行ってくるわ」
とスリッパをパタパタ音を立てている。
女がお風呂に行くと言う言葉は男に取って甘い毒である。本能が刺激されて、部分的に熱くなる。
俺が悶々と考えている間に、バスルームの方からパタンと閉まる音が聞こえた。

ソファに座り、TVを観ているのだが何故か落ち着かない。レイはどんな風呂上りの装いで戻って来るのだろう。ネグリジェ?普通のパジャマ?それともバスタオルを巻いて...
俺の男的妄想は加速する。

30分経過した頃、レイが戻ってきた。

何も気にしていないフリをして背を向けているのに風呂上りの匂いが鼻をくすぐった。
見たい!
「風呂気持ち良かったですか?」
言葉を掛けるフリをして振り返ると

レイは大きめのTシャツにリラコを履いていた。リラコとはステテコみたいな薄手のハーフパンツである。
ガッカリしてしまった。
レイが冷蔵庫へ向かい麦茶を取り出して、グラスに注ぎ一気に飲み干した。

ゲフォ....!

!?

ゲップ?

「お風呂上がりの麦茶は染みるーー」
と言う。が...
オッサン並みのゲップの方が頭から離れない。だが、よく良く考えたらレイは変わった女。だからそろそろ理解して行かなければいけないだろう。

「流星も飲む?」

「俺も貰おうかな」

レイが麦茶を持ってきて隣に座る。

風呂上りの良い匂いがする。変に動揺してしまう。何故ならレイはノーブラで大きめのTシャツから2つの胸の膨らみからポッチがツンと浮いていた。俺は思わず目を逸らした。

間も無く

「これから毎日仲良ししよーね」

とレイは抱きついてきた。
仲良く?俺は毎日レイに夜の玩具にされるのであろか!

胸が俺にムニュっと当たっているのが分かる。レイの目的はこういう事か?

俺はレイに抱き付いて、キスをしようとした。

「勘違いすんなって!」
思いっきり突き飛ばされた。
どういう事?俺を誘ったんじゃ無いのか?

「抱きつかれたら普通勘違いしますよ!」
俺は鼻息荒く反論した。

俺はソファに居るレイに飛び付いた。
レイの首筋に顔を埋め一瞬レイの体の力が抜けるのを感じ、押さえ付けていたレイの手首から離れ、胸を揉もうとした瞬間

ガチャ!

手首に金属の感覚がした。と同時にもう片方の手首にも輪っかが。
手錠だった。

「そのままで寝なよ!馬鹿野郎!」

レイはそのまま寝室へ行き、帰って来なかった。

このまま今夜過ごすのかよ...
しかも後ろに手首を回されている。自分がした事を悔んだがもう遅い。

ソファにへたり込む様に座り
頭を項垂れ、寝る事にした。

TVからは最近売れ始めた芸人が出ていたが全く面白く無い。
やっぱり、俺は監禁されたのだろうか。

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