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うろこ道

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第六章 地上調査

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✳︎✳︎✳︎

 社殿の切目縁に座った乾は、うわ――とあからさまに頬を引き攣らせた。
「気持ちわりぃもん獲ってきたなぁ。どうしたんだよそれ」
 河野と斎藤と共にビニールシートを引きずってきた渥美は、疲労ですさんだ顔を乾に向けた。
「乾さん、寝てなくて大丈夫なのかよ」
「薬のおかげかすげえ身体が楽なんだ。ちょっと寝たしな」
 明日にゃすっかり治ってるかもなぁ――乾は軽い口調で言った。
「解熱鎮痛剤は症状を抑えるだけで治しはしないんですから。横になっていてください」
 寛人が乾を上目遣いに見据え、珍しく強い口調で言った。渥美たちが不在の間、散々いさめていたのだろう。
「暇なんだよ。それに中は暗えし仏像も怖ええし」
 寛人は溜め息をついた。
「乾、そこで構わないから横になっていろ。柚木はこっちを手伝ってくれ」
 見かねたように河野が声をかけ、寛人は「はい」ときざはしをおりた。
 河野は手際よく薪をテントの形に組むと、間に松葉や枯葉を詰め込み、チャッカマンで火をつけた。
 高欄に肘をついてじっと眺めていた乾は――信じらんねえなぁと眉根を寄せた。
「本気で地上生物を食う気かぁ? しかもそんな気持ち悪ぃのをよ」
「上から野次飛ばすなよな。手伝わねえんなら寝てろよ乾さんは」
 渥美はナイフを握った手の甲で額の汗を拭うと、乾を睨みつけた。ナイフの刃は蛙のあぶらでてらてらと濡れ光っている。
 焚火の横では、寛人と渥美がビニールシートの上で蛙を解体していた。四肢を外し、骨から肉を削いでゆく。大きさが大きさなものだから、切っても切っても終わりが見えない。
「斎藤さんも手伝ってくれよ、あんたナイフ使い慣れてるだろ」
「解体はあなた方のほうが慣れているでしょう」
 斎藤は池でゆすいだ衣類や靴下を枝に引っ掛け、火に当てながら言った。
「それに私は――死体には興味を持てなくて」
 食いもんを死体って呼ぶなよな――渥美は眉根を寄せた。
「なんだかこの蛙、生臭さが全然ないね。肉の部分も多いし……」
 寛人が呟いた。
 確かに――解体を進めながら渥美も同じことを思っていた。
 今まで地上生物を何体も解剖してきたが、こんなに瑞々しく綺麗なピンク色の肉は初めてだった。皮も、切り込みを入れるだけでするすると簡単に引き剥がせた。まるで食用に育てられたような肉質なのである。
 渥美は、額に汗しながら蛙肉と格闘する寛人をちらと見やった。
 それにしても、柚木寛人と額を突き合わせて共同作業をするなんて、前までは考えられなかったことだ。そう言えば――あれだけこの男を憎みながら、地下都市では会話すら交わしたことはなかったのだ。
 皆の衣類を干し終わった斎藤は、こんどは枝をナイフで削って串を作りはじめた。ものすごく器用である。握りこぶし大に切った肉を串に刺して、火の回りに並べてゆく。
 乾はその手際よい所作をじっと見据えながら「俺はぜってえ食わねえからな」と誰ともなしに言った。


 肉の焼ける香ばしい匂いが、あたりに漂った。
 乾はきざはしに座りこみ、串がじりじりと焼けるさまをじっと見据えていた。
「一見うまそうだよな……」
 切目縁から高欄、そして階と徐々に近づいている乾に、渥美は目を向けた。
「実を言うと、俺は地上生物を何回も食ったことがある。肉はかなりうまい」
「――本気か?」
「同じ寮の連中と共謀してさ、破棄予定の実験動物の検体をこっそり寮に持ち帰るんだ。それで研究室から持ち出した三脚台に網を敷いて、ガスバーナーで炙って食うんだよ」
「渥美そんなことしてたの」
 寛人がぽかんと渥美の顔を見つめた。
「ああ。月に一回は鍋か焼肉だった」
「……毒があったらどうすんだよ」
「人間の胃は強い酸性だから、多少危ないもん食ったって大丈夫なようにできてんだよ。まあ、腹壊したり肌にぶつぶつが出たりはあったけどな」
 当たってんじゃねえかよ――乾は顔をこわばらせた。
「でもリスクを犯す価値はあるぜ。……そろそろいい頃合いだな」
 渥美は香ばしく焼けた串を引き抜くと、河野に差し出した。
「第八寮では持参したやつが毒見するルールなんだ」
 河野は息を飲んだ。
「と――当然だ。俺が獲ったんだからな」
「まずは軽く噛んで吐き出すんだ。苦味や痺れがあったら毒だから」
 河野は肉から滴り落ちるあぶらを鋭く見据え――固く目を瞑った。
 ――オン、チラチラヤ、ソワカ。
「オイ、今なんつった?」
「真言だ。……おまじないのようなものだ」
「そのつらでお呪いかよ!」
 からかうように言った乾を、河野はむっと見返した。
「子供の頃に祖父に教えてもらったんだ。勝負事の前や、厄災を避けたい時に唱えると良いとな。……そう言えば、子供の頃は何かあるたびに唱えていたものだった。どうして今まで忘れていたんだろうな……」
 ふと遠い目になった河野に、渥美は言った。
「孫の河野さんに伝えたということは、それは祖父じいさんにとって大事なもので、残したいと思っていたんだろうな」
「僧籍を捨てたことを、祖父は悔いていたのかもしれんな……」
 視線を落としたまま、河野は呟いた。
「祖父が還俗しなければ地下都市に入ることができなかったんだ。その家族も。だから、俺たちのために……」
「そんなの――家族のためなら当たり前のことです」
 唐突に声を上げた寛人に、河野は驚いたように顔を上げた。
 寛人は焚火の火焔を見つめながら、呟くように言った。
「自分のエゴのために家族を犠牲にするなんてありえない。河野さんのお祖父さんが――そんな人のわけがない」
「そんな人って誰のことだよ」
 階にだらしなく座っていた乾が言った。寛人は我に返ったように顔を上げた。
「お前、その家族ってえのに厄介人でも抱えてんのか?」
「いや……僕は……」
 寛人は言葉を失う。渥美はそれを見やった。
 家族のために、自分の根幹となる信仰さえ捨て去る河野の祖父と、自分の曽祖父である柚木竹流を比べているのだろう。
 気持ちはわかる。だが――余計なことを言うなよと渥美は寛人を見据えた。
 河野はじっと寛人を見つめていたが、不意に――柚木、と声をかけた。
「不動明王の真言を教えてやろう」
「え?」
 寛人は驚いたように河野を見た。
「不動明王の真言は煩悩を焼き尽くしてくれるという。その瞋恚しんにもな」
瞋恚しんに……?」
「怒り、憎むことだ」
 寛人は黙した。
「ノウマク、サンマンダバザラダン、センダ、マカロシャダ、ソワタヤ、ウンタラタ、カンマン――慈救咒とも呼ばれる真言だ」
「必要ありません。憎しみだって、僕には必要なものだから」
 寛人は頑なに言った。
 そんなことよりよぉ――黙って一連を眺めて乾が、階から声を張り上げた。
「毒見はどうしたよ、河野さん。抹香臭え話なんかより、その肉が食えるのか食えねえのか――それが問題だろ」
 シェイクスピアかよ、と渥美が顔を上げた。
「乾さん、あんた食わねえんだろ。社で寝てろよな」
「……そうだな。今、解決すべき問題はそれだ」
 河野は意を決したように一度串を地面に差し戻すと、両手を丁寧に合わせた。
「頂きます」
 再び串を取り――恐る恐る肉片を口に含んだ。幾度か噛んでそのままごくりと飲み込む。
 渥美がぎょっと腰を浮かせた。
「飲むなよ!! まずは吐き出せって」
「いや――旨い」
「問題は味じゃねえんだよ!」
 河野はそのまま串を一本平らげた。
「だ――大丈夫かよ……?」
 おずおずと顔を覗き込んできた渥美に、河野は頷いてみせた。
 おい――と乾がきざはしから降りてきて、輪に加わった。
「俺にも味見させろよ」
「乾さん腹の調子悪いんだろ。完全食バーでも食っとけよ」
「この匂いで食わずにいられるかよ。もとから下してるんだから怖いものねえよ」
 乾は串を一本引き抜くと、脂のしたたる肉にかじりついた。
「なんだこれ、すげえうまいな!」
 塩、塩はねえのか――速攻で二本目の串を確保する乾を、渥美は呆れたように見た。
「そんな気の利いたもんあるわけないだろ」
 寛人も串に手を伸ばし、おずおずとかじった。
「美味しい……。僕、ちゃんとした肉を食べたの初めてです」
「我々庶民の口に入るのは大豆の人工肉ばっかりですしね」
 斎藤が蛙肉をもくもくと咀嚼しながら呟いた。
「一度知ってしまえば後戻りできない――それが肉の醍醐味ってやつだ」
 得意げに言った渥美に、斎藤は「河野さんのお手柄ですけどね」と言った。
「調査隊には何回か参加してきたけどよ、まさか地上の生き物を口にする日が来るとはなぁ。餓死しようともご免だって思ってたぜ俺は」
 がつがつと蛙肉を食らう乾を、渥美は呆れたように見やった。その一方で、食欲があることに安堵してもいた。
「乾さん、もしあんたが死んだら焼いて食っちまうからな。俺に食われたくなきゃ、しっかり食って元気になれよ」
 乾はぴたりと食べるのをやめ、渥美に目を向けた。
「こんな寄生虫にやられた俺でも食ってくれんのかよ?」
「しっかり炙って食うから心配ねえよ」
「――たしかに人間は中毒がないってわかってる貴重な蛋白源ですよねえ。リスクを負って地上生物を食べるより人肉を食べた方がよほど安全性が高い」
 斎藤が串に手を伸ばしながら言った。
「斎藤さんまで何言ってんだ」乾が眉根を寄せた。
「いや――人間は動物の中でも大きいほうで食いでもあるし、鋭い爪や牙も瞬発力もないのでいい獲物ですよ」
 斎藤はじっと乾を見つめた。乾は「こっち見んなよ」と斎藤を横目で睨む。
「俺と斎藤さんに食われたくなかったら元気になれよな」
 渥美が真顔で乾に言った。


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