102 / 276
第六章 地上調査
7(5)
しおりを挟む
✳︎✳︎✳︎
肌寒さに目を覚まし、渥美は自分が寛人を抱えている状況にぎくりとした。
(そうだ――俺は水を探しに行こうとして……)
いつの間にか眠ってしまったのだ。
毛玉の親子はすでにいなかった。渥美は寛人をそっと洞の底に横たえ、ビニールシートで包み直した。
冷え切った腕をさすりながら身を起こすと、外はぼんやりと明るかった。明け方のようだった。
渥美は寛人を見下ろした。汚れた顔はひどく青白く、目はかたく瞑られている。身体の震えは止まっていたが、かえってそれがひどく恐ろしいことに思えてならなかった。
「……待ってろよ。今、水を探してきてやるからな」
渥美はナビゲーション端末と水筒を持って、洞から這い出した。
清廉な空気に身震いする。
昨夜は真っ暗でわからなかったが、辺りは杉の巨木が多く生えていた。その中でも、渥美たちが宿にした杉はひときわ大きい。
「立派な木だな……。柚木を守ってやってくれよ」
渥美はねじくれた幹に触れ、さてと顔を上げた。
できれば全身を浸して洗えるほどの水場が望ましかった。
蜻蛉の湖が脳裏をよぎり――打ち消すように頭を振る。あそこには住血吸虫がいるのだ。
(そう言えば、河野さんが蛇滝水行道場とかいう所があると言ってたな……)
渥美はナビゲーション端末を起動した。
蛇滝水行道場までは片道三キロ程度だった。結構な距離がある。衰弱した寛人を背負って行けるだろうか。
(それに――もうそこに水場がなかったら……?)
この地図の最終アップデートがいつかはわからないが、おそらく地下都市移住前のデータであろう。
水脈というのは地震等によって干上がることもある。危険を冒して三キロの山道を行き、それが無駄足だったらと思うとぞっとする思いだった。
一度、自分だけで確認に行くべきか。往復六キロの道程を。
どれくらいかかるだろうか。その間、寛人をここに一人で置いていくことになる。地上で一度離れたら二度と会えなくなる覚悟をすべき――斎藤の言葉が脳裏をよぎった。
その時だった。ザァっと風が周囲の下草を二分した。はっとして顔をあげると、眼前に巨大な蜻蛉が低空飛行で迫ってきていた。
渥美はとっさに身を伏せた。蜻蛉は頭をかすめ、杉の木の合間を縫って上空へ舞い上がった。続いて何匹もの巨大蜻蛉が、後を追うように渥美の頭上を飛び去っていった。絶え間なく襲う風圧に、渥美は歯を食いしばって耐えた。
最後の風が過ぎ去り、渥美はようやく顔をあげた。列を成した巨大蜻蛉が、蒼穹に硬質の身体を銀色に煌めかせながら、南の空に去っていった。
渥美は大きく安堵の息を吐く。
「ヘリを襲ったやつよりずいぶん小型だな……」
体長は一メートルないくらいだろう。青み掛かった光沢のある体色をしていた。湖にいた黄と黒のツートンカラーの蜻蛉が鬼蜻蜓だったら、あれは銀蜻蜓というところだろうか。
渥美は――ふいに我に返ったように空を見上げた。
(あいつらを追ってゆけば、水辺があるかもしれない)
蜻蛉は水辺で出産をする。あの巨大鬼蜻蜓が湖を巣にしていたのもそのためだ。
しかし、蜻蛉が集まる場所にわざわざ出向くなんて。――命を捨てに行くようなものではないだろうか。
恐怖が足元から込み上げ、渥美は固く目を瞑った。
蜻蛉は心底恐ろしい。震えるほどに――でも。
(また後悔したいのかよ……)
渥美は唇を噛んだ。
(蜻蛉がなんだ。柚木を助ける。――今度こそ、俺の方が助けてみせる)
渥美は顔を上げ、蜻蛉の集団が消えた先――鬱蒼と繁る森の深部を見据えた。
肌寒さに目を覚まし、渥美は自分が寛人を抱えている状況にぎくりとした。
(そうだ――俺は水を探しに行こうとして……)
いつの間にか眠ってしまったのだ。
毛玉の親子はすでにいなかった。渥美は寛人をそっと洞の底に横たえ、ビニールシートで包み直した。
冷え切った腕をさすりながら身を起こすと、外はぼんやりと明るかった。明け方のようだった。
渥美は寛人を見下ろした。汚れた顔はひどく青白く、目はかたく瞑られている。身体の震えは止まっていたが、かえってそれがひどく恐ろしいことに思えてならなかった。
「……待ってろよ。今、水を探してきてやるからな」
渥美はナビゲーション端末と水筒を持って、洞から這い出した。
清廉な空気に身震いする。
昨夜は真っ暗でわからなかったが、辺りは杉の巨木が多く生えていた。その中でも、渥美たちが宿にした杉はひときわ大きい。
「立派な木だな……。柚木を守ってやってくれよ」
渥美はねじくれた幹に触れ、さてと顔を上げた。
できれば全身を浸して洗えるほどの水場が望ましかった。
蜻蛉の湖が脳裏をよぎり――打ち消すように頭を振る。あそこには住血吸虫がいるのだ。
(そう言えば、河野さんが蛇滝水行道場とかいう所があると言ってたな……)
渥美はナビゲーション端末を起動した。
蛇滝水行道場までは片道三キロ程度だった。結構な距離がある。衰弱した寛人を背負って行けるだろうか。
(それに――もうそこに水場がなかったら……?)
この地図の最終アップデートがいつかはわからないが、おそらく地下都市移住前のデータであろう。
水脈というのは地震等によって干上がることもある。危険を冒して三キロの山道を行き、それが無駄足だったらと思うとぞっとする思いだった。
一度、自分だけで確認に行くべきか。往復六キロの道程を。
どれくらいかかるだろうか。その間、寛人をここに一人で置いていくことになる。地上で一度離れたら二度と会えなくなる覚悟をすべき――斎藤の言葉が脳裏をよぎった。
その時だった。ザァっと風が周囲の下草を二分した。はっとして顔をあげると、眼前に巨大な蜻蛉が低空飛行で迫ってきていた。
渥美はとっさに身を伏せた。蜻蛉は頭をかすめ、杉の木の合間を縫って上空へ舞い上がった。続いて何匹もの巨大蜻蛉が、後を追うように渥美の頭上を飛び去っていった。絶え間なく襲う風圧に、渥美は歯を食いしばって耐えた。
最後の風が過ぎ去り、渥美はようやく顔をあげた。列を成した巨大蜻蛉が、蒼穹に硬質の身体を銀色に煌めかせながら、南の空に去っていった。
渥美は大きく安堵の息を吐く。
「ヘリを襲ったやつよりずいぶん小型だな……」
体長は一メートルないくらいだろう。青み掛かった光沢のある体色をしていた。湖にいた黄と黒のツートンカラーの蜻蛉が鬼蜻蜓だったら、あれは銀蜻蜓というところだろうか。
渥美は――ふいに我に返ったように空を見上げた。
(あいつらを追ってゆけば、水辺があるかもしれない)
蜻蛉は水辺で出産をする。あの巨大鬼蜻蜓が湖を巣にしていたのもそのためだ。
しかし、蜻蛉が集まる場所にわざわざ出向くなんて。――命を捨てに行くようなものではないだろうか。
恐怖が足元から込み上げ、渥美は固く目を瞑った。
蜻蛉は心底恐ろしい。震えるほどに――でも。
(また後悔したいのかよ……)
渥美は唇を噛んだ。
(蜻蛉がなんだ。柚木を助ける。――今度こそ、俺の方が助けてみせる)
渥美は顔を上げ、蜻蛉の集団が消えた先――鬱蒼と繁る森の深部を見据えた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる