エンプセル

うろこ道

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第九章 地上ドーム

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 皆を引き連れ十和田が向かった先は、地下一階の菜園フロアだった。
 菜園と言っても土は敷かれておらず、つるりとした床がべられただけの広々とした空間に戻っていた。
 こんなところで一体何をする気だろう。
 何をされるのだろう。
(……怖い)
 美月みつきは隣に立つ谷崎を見上げた。
 こんな状況だというのにまったく動じた様子はみえない。
 怖くはないのだろうか。怖ろしさをも押し潰す怒りが、彼の中でくすぶっているのだろうか。
 その時、美月はふと自分に注がれる視線に気づいた。
(――辰見川さん)
 地上に来ていたのか。今の今まで彼の存在に気づかなかったとは。
 長身の辰見川は、男達の中で頭一つ抜けていた。しかも落ち着かない様子の職員たちと対照的に、身動ぎひとつせずにじっとこっちを見つめている。
 目立たないわけないのに――。
 知り合いにも気づかないほど、自分は追い詰められているのだろうか。
「彼らはね。通常の採用ではなく、私が直接声をかけて集めた職員なんだよ」
 唐突に十和田に声をかけられ、美月はびくりと振り返った。
「皆、親元から私が買い取ったような者たちばかりだ。上流階級のお坊ちゃんたちを地上に連れてくるわけにはいかないからね。美月くんに二人も病院送りにされて、彼らの親御さんにもずいぶん叱られてしまったし」
 うつむいた美月を一瞥し、十和田は職員の一人に声をかけた。
「君、谷崎から手錠を借りてくれないか」
 言われた職員はぎょっと顔を上げた。
「いやでも」
「谷崎はもう警察官じゃないんだよ。むしろ人間ですらないんだから、遠慮は無用だ」
 職員は逡巡したように足元に視線を泳がせたが、やがておずおずと谷崎の背後に回った。
「失礼しま――」
「触るな」
 まだ年若い職員はびくっと手を引っ込めた。あからさまに動揺している。
 谷崎は帯革から手錠と鍵を外すと、職員の眼前にぶらさげた。職員は緊張した面持ちで両手を差し出し、それを押し頂く。
 十和田はその様子を不服そうに見やりながら、「それで谷崎を壁につなぎたまえ」と言った。
「け、警視をですか」
「二度と逃げられないようだよ。ほら、さっさとしなさい」
 職員は額に汗を浮かばせながら、「し、失礼します」と頭を下げた。谷崎の右手を取って手錠を嵌めると、壁に縦横無尽に走る配管の支持金具につなぐ。
 十和田は勝ち誇ったように腕を組んだ。
「いやぁ、警察官に手錠とは。これはいい絵面えづらだなあ」
 美月は絶句する。
 十和田はつかつかと谷崎の前に立つと、その長身を見上げた。
「谷崎。君がエンプセルで私は嬉しいんですよ。ずっと想像の中で楽しんできたことが、こうやって実現できるのだから」
「……加虐嗜好の変態め。俺をそんな目で見てたとは気づかなかったな」
「私だけじゃないですよ、きっと」
 十和田は谷崎からすっと離れた。
「美月くんを勝手に持ち出したあなたには楽な実験はさせません」
「た……谷崎さんをどうするの」
 怯えたように問うた美月に、十和田は何でもないように言った。
「エンプセルの再生能力の実験だよ」
 美月は弾かれたように悲鳴を上げた。谷崎に駆け寄ろうとし、腕をつかまれた。
「……辰見川さん」
 振り仰いだ美月を、辰見川は硬い表情で見下ろした。
「エンプセルの殺処分のために、殺すための研究は過去に散々なされてきた。その過程で再生実験も行われてきたが――本当に再生能力に限界はないのか、本気で調べた研究者は今までいなかったんじゃないかな?」
「十和田先生、やめてください。お願い……何でもしますから」
 美月は請うように十和田を見つめた。その黒い瞳に、十和田は思わず意識が吸い込まれそうになる。
「美月。何でもするなんて軽々しく使うな。まして人間なぞに」
 谷崎が鋭く咎めた。――十和田は我に返り、はっと短く息を吐いた。
「……そんな顔をしても無駄だ。私は抑制剤を飲んでいるからね。エンプセル効果は効かないよ」
 美月は泣き出しそうな顔で俯いた。髪が前にさらさらと落ち、もろそうな首がさらけ出される。
 そのうなじの白さを見つめながら、十和田は言った。
「なら君が代わるかい?」
 美月は顔を上げた。
「美月くん。私はね、柚木博士の技術力のすいである君に敬意を払い、ずいぶん寛容であったつもりだ。非人道的な実験だって避けてきた。――だが、逃亡したとなれば話は違ってくる。私の信頼を裏切ったのだから。わかるかな?」
「……よせ!」
 入り口の大扉の前で立ち尽くしていた渥美が、声を振り絞るように叫んだ。
「なぜ止めるんだい? 君はエンプセルが憎いんじゃなかったのか?」
 ぐっと黙り込んだ渥美を十和田はふんと一瞥した。谷崎に目を向ける。
「……で、あなたはなぜ黙って見ているんです? 彼女がなますりになっても構わないのですか? それともどうせ死ぬことはないとたかをくくっているのか?」
 いいや――谷崎は薄っすらと笑った。
「お前は美月にそんなことはできない」
 十和田はむっとしたように睨んだ。
「どうゆう意味です」
「それができるなら既にセンターでやっていたはずだ。なにが敬意だ。そんなものお前が持ち合わせているわけがない。もし仮にエンプセルに核が存在したならば、それを傷つけて美月を失うことが恐ろしいのだろう」
 十和田は唇を引き結び、谷崎を見据えた。 
「ええ、そのとおりですよ。彼女にはできません。だが谷崎、あなたにならできる」
「……人間が人間を切り刻むのには度胸がいるぞ」
「私はやりませんよ。汚れるのはごめんですからね。無論、うちの職員にもさせられません。心的外傷を負いかねない。ですから、あなたがたのお仲間に任せようと思いましてね」
「仲間だと……?」
 谷崎は訝しむように眉を顰めた。
 十和田は別の職員に声をかけた。その職員は頷くと、フロアの隅から長さ一メートルほどの台車を引いてきた。
 上にかけられたブルーシートが剥がされる。台車の上に乗っていたのは、たっぷりとした透き通る緑のかたまりだった。
「ご覧の通り、あなたの仲間ですよ。エンプセルの原形です」
(……これが……元のわたし……?)
 美月は、ぞわっと全身の毛が逆立ったように感じた。
 とても生物には見えない。まして、だなんて――。
「犬の他にもエンプセルを持っていたのか?」
「いいえ、これはあの凍らせた柴の仔犬ですよ。あるじが亡くなって原型に戻ったんです。新たな所有者は私だ」
 谷崎は十和田を見据えた。
「……持ち主を殺したのか」
「念願のエンプセルのあるじになるためには、しかたないでしょう。なにせ新たに手に入れることができないんですから」
 十和田は原型に目を向け、嫌悪感に顔を歪ませた。
「念願の割には顔が強張っているぞ。触れることができるのか?」
 十和田はむっと谷崎を睨みつけた。
「まあ、見ていてください……」
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