僕と松姫ちゃんの妖怪日記

智春

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井戸の大蛇

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7月6日午後


僕は今、アナコンダに睨まれている。

正確には、アナコンダ級に度肝を抜く長さの大蛇が井戸のふたの上にとぐろを巻いていて、舌をチロチロさせてるんだうよね。隻眼なのが無駄に迫力あって怖い。

どうしよう、今日は御神酒お休みの日にしてもいいかな?

「待ちなさい」

「!?」

知らん顔で立ち去ろうとした僕を大蛇が呼び止めた。って、しゃべったの?蛇が。嘘でしょ?

ビビりながらふり返ったら、傷つき閉じたままの左目とは反対の、鋭い眼差しをしている右目でじっと見てる。そして嬉しそうに頷いた。

「お前が昭夫と文代の孫か。父親に面差しがよく似ておる。久志は息災か?」

大蛇は想像とは違う、低く穏やかな声で言った。

「えっと・・・元気です」

僕の質問に「良きかな、良きかな」と笑った。

「私は昭夫が生まれる前よりこの井戸に棲む青大将で、名は蟒蛇うわばみと申す。久志とは縁があってな、この一族の内でも特に気にかけている子だ。なので、そう恐れなくとも良い」

「父さんの知り合いなの?」

「知り合いには相違ないが、もっと絆の強い仲だな」

そう言った蟒蛇は、懐かしそうに遠い目をした。

彼が言うには、父さんが生まれて間もない頃、左目が原因不明の眼病に罹ったんだって。
真っ赤に腫れた瞼と充血した目玉は医者に診せても回復しなくて、途方にくれた祖母ちゃんが井戸に棲んでいる蟒蛇に相談したって。

祖母ちゃんの実家では、井戸の神様にお願いして目の病気を治すっておまじないがあったみたいでね、同じ願掛けをこの井戸でもできるかどうか訊いたらしいんだ。

「しかし、私は長く生きているだけのただの蛇、神のように病を癒せる力はない。悲しむ文代を助けてやることもできず、心底歯がゆく思ったのだ」

大きな体をうねらせて、当時の悔しさを思い出しているように見えた。

「でも、今は父さんの目に異常ないよ。左目の視力が極端に悪いからから眼鏡は必要だけど」

「左様か。やはり私の目では・・・」

寂しそうに呟いた蟒蛇が、続きを話してくれた。

なんとか赤ん坊の目を治してやりたいと思った彼は、祖母ちゃんの実家のある集落まで旅に出たんだって。
僕らにとっては車でサッと行ける距離でも、蛇の蟒蛇には大変な道中だったらしい。事故に遭うかもしれないし、人や獣に捕まるかも知れない。
そんな危険を冒してでも、彼は毎日大好きな日本酒をくれる祖母ちゃんたちの力になりたかったんだって。

やっとの思いで祖母ちゃんの井戸の神様に願掛けすることができたって。でも、彼には足りないものがあったんだ。

「神への供物を捧げられなかったのだ。願いを叶えるための対価をな」

「え、まさかそれって」

そこで僕は気づいた。

何で蟒蛇は隻眼なのか、何で父さんは片目だけ視力が弱いのか。確か、蛇は目が良くないって父さんから聞いたことがある。

「井戸の神は、私のこの目を引き替えに、赤子の目を治してやろうと言った。その願い通り、久志の腫れた瞼は翌日には嘘のように引いたのだ」

父さんの左目はちょっとだけ変わった色をしている。その理由が分かった気がした。

「そっか。じゃ、毎日御神酒を供えるのは、蟒蛇に対するお礼も兼ねてたんだね」

「あまり役に立っておらぬようだがな」

僕はこの大蛇が一気に好きになった。父さんのためにそこまでしてくれたなんて、親近感わきまくりだよ。

「怖がってゴメンね。父さんの恩人なら、お猪口一杯とは言わず、浴びるように日本酒ご馳走したいよ」

「ありがたい・・・だが、一つだけ、お前に伝えたいことがあってな、今日はこうして姿を現したのだよ」

「え、伝えたいことって何?今の感動話じゃなくて?」

蟒蛇は、チロチロと舌で一升瓶を舐めてから遠慮がちにこう言った。

「大希、これは日本酒ではない。みりんだ」


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