僕と松姫ちゃんの妖怪日記

智春

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七夕の夜に

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7月7日日没後


「大希!今夜は晴れると言うたではないか!妾をたばかったか」

今夜のお姫様はご機嫌斜めだ。

「謀るって大げさな。晴れとは言ってないよ。雨は降らない予報だって言ったんだよ。曇ってたって七夕には変わりないでしょ?」

「ダメじゃ、ダメじゃ!晴れねば織り姫と彦星に災いが降りかかり、過酷な試練に挑むこちになるのじゃ。罪を犯した二人のいこいの宵が奪われてしまうのじゃ」

「え?何それ、どういうこと?」

確かに、雨が降れば天の川が渡れず会えないなんていうパターンもあったと思うけど、過酷な試練なんてあった?

「知らぬのか?織り姫と彦星は、身分違いの恋に嘆き駆け落ちした者たちなのじゃ。しかし姫の父に捕らえられ、罰としてそれぞれ独房で畜生のごとき苛烈きわまる肉体労働を命じられておるのじゃ」

え?そんな出だしだっけ?
嘘は嫌いな松姫ちゃんが作り話をするとは思えないけど・・・

「彼らの余暇は七夕の夜のみ、しかも晴天の日に限られるとな。もし晴れねば、天の川が氾濫するため遙か遠方の牢獄へ移され、帰るためにはさらに過酷な労役を課せられるのじゃ」

松姫ちゃんは「憐れじゃ、怖ろしや」と騒ぎたて、書きかけの短冊を握りしめている。

「松姫ちゃん、その話って誰から聞いたの?」

「久志じゃ」

やっぱり父さんか。

「あの人は、たまに意地悪なイタズラして面白がるから、話を全部信じちゃダメだよ。ちょっと待ってて。今、七夕のオーソドックスな物語を検索して話してあげるから」

僕はスマホで調べた七夕伝説の子供向けの話をチョイスして、松姫ちゃんに聞かせてあげた。膝に抱かれておとなしく聞いていた彼女は、厳しい顔つきが和らいだ。

「久志の話と全くちごうておるな。二人は馬車馬のように働いてはおらぬと知って安心したぞ」

「今度から父さんの話は鵜呑みにしちゃダメだよ。僕に聞いてくれれば、正しい物語教えてあげるから。これでも元書店員だからね」

胸を張る僕に松姫ちゃんはちょとんとした顔で「しょてんいん?」とオウム返しした。

「本を売ってる人だよ。もう辞めちゃったけどね」

「本売りか!妾は本がたいそう好きじゃ。よく文代に読んでもらったぞ」

「そっか。祖母ちゃんの読書家だしね」

「なぜ辞めてしもうたのじゃ?あんなに面白き生業、他にはないと思うぞ。何か深い事情でもあるのか?」

「深い事情・・・」

書店を辞める前にあった出来事が脳裏によぎった。けれど、すぐ違うことを考えてもそれ以上思い出さないようにした。
まだ冷静に向き合いたくない。もう少し、もう少しだけ気持ちを整理する時間が欲しい。

考え込む僕をじっと待っていた松姫ちゃんは、持っていた短冊を破り、新しい短冊を書き始めた。
やっぱり子供だな。飽きるのが早い。

「大希も願い事を書くのじゃ。雨ではないのなら、笹を流しにゆくぞ」

「はいはい」

この田舎では、七夕飾りは川に流す事になっているそうだ。
僕も小さい頃に父さんとやったことがあるみたいだけど覚えてないや。

松姫ちゃんは書き直した短冊を見せようとしない。

さっき書いてたものは『また水戸黄門がテレビで放送して欲しい』だったけど書き直した?自分は隠してるくせに僕の短冊はチェックして、都合の良いときだけ主人の命令とか言ってさ。ズルい。

「大希!もたもたするな。早う支度せい」

「ちょっと待ってよ。外に行くなら一応戸締まりしなきゃ」

「なぜじゃ?昭夫たちはいつも鍵など閉めぬぞ」

うわ!田舎ってホント無用心。

ヤイヤイと急かしながら後ろをついてくる松姫ちゃんの声にかぶさって、今、何か聞こえた気がした。

あれ、人の声?

「松姫ちゃん、ちょっと静かにして」

「無礼者!何をす、うぐっ」

抱きかかえ口をふさいでから耳を澄ませた。

たのもう!家人は誰もおらぬのか!」

は!?今頃、誰?この感じって、絶対近所の人じゃないよね?

「何なの?もう!」

僕は子供のように甲高い声の訪問者を出迎えに、暴れる松姫ちゃんを抱えたまま玄関へ向かった。

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