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第26-5項 交錯する歯車2

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「ここにいらっしゃるのは初めてですねアイリさん。いかがでしょうか」
 屋敷内を見回すアイリ。
「そうね、悪くはないわ。ただ、私にはいささか眩しすぎるわ」
 石像や絵画など、様々な装飾品で埋め尽くされた通路。屋敷は名のある権力者を招き入れることも多くあるため、贅を尽くした内装が多い。のだが、通路の左右に隙間がないほどに置かれていたそれらは、まるで保管庫に詰め込まれ息苦しそうにも見えた。
 階段を上り、晩餐室に招かれる。
「どうぞ、こちらに」
 長いテーブルをよそにテラスの方に誘導される。
 さっきまでいたディネール湾が小さく見える。丘の上に建った領主邸は街だけではなく、港、灯台すら全てが一望できた。
 街と一線を置いたこの場所はどこか、別世界にも見えた。
 しばし目を奪われるアイリ。
「街が一望できますでしょう。私はここからの景色が気に入っていましてね。さぁ、どうぞ。冷めるとよくない」
 白いテーブルの上に埋め尽くされんばかりの料理。アイリが要望した暖かいスープも用意されていた。
 相対して座る二人。アーデルの席には料理は用意されていなかった。あくまで、アイリを迎え入れたと意味だろう。
 一口、スープをスプーンで運ぶ。
「うん。おいしいわ」
 その一言に笑みを浮かべるアーデル。
 しばらくアイリの様子を見ていた。
「それにしても、色々物騒になりましたね」
 唐突に海の方を眺めながらそう切り出した。
 スプーンを運ぶ手を止める。
「最近、酒場の方に見慣れない方がよく出入りしているようですが……ゼクスさん、でしたか?」
「回りくどいわ。言いたいの?」
 テーブルに肘をつき、顔の下半分を両手で隠すように
「私の周りを嗅ぎ回らないで頂きたい」
 目つきを鋭くし、トーンを一段と低くして言った。
 そんなことだろう、と内心アイリは予想できていた。
 また一口、スープを口に運ぶアイリ。
「リリィさんに釘を刺したのですが……まあ、それはもういいです。これからの事をお話しましょう」
「そうね。ところでこのスープの豆。どこから仕入れたの? よかったらうちでも出したいなって」
 スープを絶賛するアイリ。
「? 豆、ですか。クアーロ村でしたかね。あそこは農耕が盛んで、良質な豆が入ってくるのですよ」
「へえ、そうなの。それにしても、この鳥も、肉も、魚も、どこから仕入れてきたのかしら。どこも仕入で困っているというのに」
 直接的ではないが、アイリはアーデルの行動を知っているぞ、と警告をしたのだ。
 釣りをしているときに感じた魔力。あれは魔族のものだった。錯乱の呪符の効力――人が変わったかのようになる。
 推測と先の現象をかけあわせた結果、アイリは一つの結論に達していた。
 錯乱の呪符をばら撒いて、住民を洗脳する。
 それが彼の目的だろう。だが、肝心の動機やその先になにがあるのかは分からなかった。
 そして、今回。自らが出てきてアイリを招いた。
 不条理な交渉――
 そうアイリの脳裏をよぎった。
 唐突に、もうひとりの気配。
 いつの間にか現れた黒いフードの人物――ヌル。警戒をしていたアイリにこんな近くまで気配を感じさせなかったコイツは何者だ。
「ああ、気にしないでください。私の護衛――ですよ。今は危害を加えません」
 今は、か。今後の話次第では実力行使に出るって脅しか。
 彼らはアイリたちの情報をほぼ網羅しているのだろう。しかし、こちらは情報が圧倒的に足りない。
 そして、敵の本陣に単騎で潜入してしまったこと自体が囲い込みにかかっている。
(一人できたのは失敗だった……)
 心のどこかでアーデルを甘く見ていたのがアダとなってしまった。
 額に汗を浮かべるアイリ。
 アーデルは席から立ち上がり、テラスの先――街を見下ろした。
「私はこの街が好きでしてね。自由、というのでしょうか。彼らは何者にも縛られず、各々の目的を果たそうとしている」
「じゃあなんで住民たちを苦しめるような事をしたの?」
「…………それを語るにはここでは少し……」
 否定しないところを見ると、もうバラしても問題がない段階まできているのだろう。ヌルがいることで抑止力になっていることもある。
「ついてきて、いただけますか?」


 アーデルに先導されて、螺旋階段を下りてゆく。
 アイリの後ろにヌルがついているのだが、彼の存在がわからない。
 大体の力というのは、相対したときにわかるものなのだがヌルについてはその名のとおり、『無』。
 意識をしないとそこに居ることさえ忘れてしまいそうだった。
「着きました」
 ヌルに警戒をしていると、地下の広い空間に出た。
 下は水――潮の匂いがする――海に、足場が作られた近代的な空間だった。
 天井から海面の下まで数メートルはあろうかという筒状の魔道具が唸りを上げている。
「おそらく初めて見るものだとおもいます。こちらは『海流操作装置』です」
「――! ……やっぱりアンタの仕業だったわけね。アーデル」
「はい。いやはや、大変でしたよ。ここまで来るのは」
 両手を後ろに組んで、ゆっくりと装置のまわりを歩き出す。
「これを手に入れてから、海流を操作しようとしましたが、なにせ魔力が足りない。そこで、周辺に住むとされた――半人のある方の魔力をいただいて、稼働。物流が混乱したのは良かったのですが、魔物が周辺に出るようになってしまい、傭兵が増えたのは誤算でしたが、治安が安定化しなくなったおかげで騎士団の目をすり抜けることは容易になったので結果オーライですかね」
「それで、あなたはこれからなにをしようというの?」
「この装置の仕入先は――『嗤う闇』」
 その名前でアイリは動揺する。
 闇ギルド嗤う闇。世界規模のギルド。裏の世界ではほぼ彼らが牛耳っているのだが、実態が掴めない。まるで闇を掴むように。
 王族特務にいた頃もその名は耳にしていた。ここでもう一度、その名を聞くとは……
 そこでアイリはハッと気づく。
「そうです。ご察しのとおり、彼も嗤う闇の一員。名前を『ヌル』」
 第一級指名手配犯ヌル。名前だけがどこからか分かった唯一嗤う闇に通ずる人物。
 それがコイツ。ならこの異常なほどの気配のなさも説明がつく。
「嗤う闇とはビジネスパートナーでしてね。物流を混乱させ、物価を上げる。そうすれば、みな不安になる。そこでこちら。錯乱の呪符をばらまくこの呪符は便利なのですが、少々使い勝手が悪くて。心の隙間に入り込むものなのです」
 懐から一枚、錯乱の呪符を取り出して、まじまじとみつめる。
「あとは簡単。操った人物を使って、誘拐をするのですよ。人は金になる。子供から大人まで。働き手から……ハハッ」
 この街で起きていた事件全てが彼の策謀。
 だがしかし、アイリは一つ疑問を持っていた。
「なんで、そんな事をしたの?」
 そう、彼の目的。この街を好きだ、と言ったのは間違いではないだろう。しかし、この街を陥れるような事をなぜ彼はしたのかが分からなかった。
「なんで、ですか……」
 アーデルは装置をみつめる。
「この街の住民は自由だ。だが、自由すぎる。私が赴任してきたとき、ディネールの民は私には興味もくれなかった。好きなように行い、困ったら領主の責任にする。そんな民に疲れたのですよ」
「思い通りにならなければ操ってしまえって事ね。愚かね」
「貴様になにが分かる!!」
 アーデルは声を荒げる。
「私がどれだけ、この街を愛し、尽くそうとも、お前たちはなにも答えはしない! 俺を知りえないのに知ったような事を言うな!!」
 アーデルの事をしらない。いままでどんな人生を歩んできたのか。どんな事を思っていたのか。
 アイリはアーデルの事をしらない。
「本題に戻ろう。ここまで言ったんだ。お前にはもう選択の余地はない」
 本性を顕にしたアーデルが刻一刻と近づき、アイリを見下すように
「俺の配下になれ」
 そう、言い放った。



「作戦はすでに第二段階に達した。錯乱の呪符はほぼ全ての住民に行きわたり、次は有権者――支部局長のスアド。そして顔役であるリリィを操ることだ」
「それと私があなたの配下になるのがどう関係あるの?」
「目障りなやつは手元に置いておいたほうが監視しやすいだろう? それと、俺はお前が気に入ってるからな」
 にやりと口角を上げて、アイリの顎をクイ、と上げる。
 アイリはアーデルの腕をはたく。
 卑劣。自分の思い通りにならないからって、操ろうだなんて滑稽も甚だしい。
 だけど、アーデルも言ったとおり、選択の余地はない。
 断れば、すぐさま呪符を使って街を混乱に陥れるだろう。
 そうなれば、酒場だって……
「約束して。配下になればこれ以上手を出さないって」
「ああ。約束しよう」
 いけ好かない男だが、今はこうするしかない。
 自分ひとりの犠牲で街が救われるのなら――
「それで、何をしたらいいの?」
「そうだな。庭園の警備に行って欲しい。あそこにある場所に通じる通路があって、そこからだれかがやってくるのを検知した。そいつらの撃退を頼みたい」
 アイリは踵を返し、螺旋階段を登ってゆく。

「クク……どうなるか。楽しみだ」
 薄笑いを浮かべ去りゆくアイリの背中を見つめたアーデル。




「……だれだ」
 地下からやってきたのはゼクス。
 ああ、やっぱりこうなるのね。
 アーデルの企みを察するアイリ。
 私に課せられたのは敵の排除じゃない。弟子の抹殺。
 滑稽ね。私に似た人を殺そうなんて。
 まるでドッペルゲンガー。
 ゼクスが守るものは彼ら。私が守るものは街の民。
 
「剣をとって、ゼクス――――」
  アイリは槍先をゼクスに向ける。
「弟子は師匠を超えるものよ」


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