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Ep.4 出発 前編

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 ゼクスにしては朝起きるのが早かった。
 いつもは太陽が空高く昇ってもまだ眠気が抜けないくらいなのに。まだ海に靄がかかっている時間から活動を始めていた。
 酒場の裏庭で気持ちいいほど体を伸ばすと、布鞘に入った愛剣の白刃を朝日に煌めかせた。日にさらすと刃こぼれの具合がよく見える。
 ——シュン、ヒュッ、シュッ——
 剣の重さを確かめつつ、剣先で風を切り同時に自らも凝り固まった体をほぐし始める。
 額にうっすらと汗が滲み息が少しはずみ始めると剣舞を一度止めた。
「いつもそんな事してるの?」
 外に積んであった木箱の上でサラが物珍しそうにゼクスの剣舞を見ていたのだ。
「いや、久しぶりだ。アイリに毎日やれって言われてたんだがなぁ」
 と、苦笑いを浮かべつつ、ガーデンテーブルに置いておいたタバコに火をつける。
「タバコ、やめればいいのに」
 紫煙をくもらせるゼクスに小言を突きつける。
「気が向いたらな」
 タバコを咥えなおして剣を腰に収める。
「朝早くから悪いな。リリィさんにはもう許可は取ってある。そっちで話そう」
 ゼクスがサラを呼び出していたのだ。大切なことを話したいと昨日伝えてあり、リリィにVIPルームを使わせてもらう許可もすでに取ってあったのだ。
 サラは何となく話の内容は予想ついていた。ドラゴンの出現の件だろう。でもVIPを使うほどのことだろうか、と訝しんでいた。
「まあ、適当に」
 フカフカのソファにゼクスが腰を下ろし、サラも対面に座る。
「昨日の事?」
「何だ分かってたのか」
 短くなったタバコを灰皿に押し付ける。サラがそれを目で追いながら「いつになく真剣な顔してた」と返す。
「それなら話が早い、俺はノーザンラークに行こうと思う。ドラゴンが出現したって話はどうも見逃せない」
 ゼクスは考えた末、噂のノーザンラーク山脈に行くことにしたのだ。情報源は信頼できる筋とは言えないが、そんな噂が出たということはそこに何かしらある。それに違いないことは確かだからだ。
 それにゼクスはいつまでもこの街に住み着くつもりは無かった。もともと根無し草、放浪としているのが常。酒場のみんなやゼクスによくしてくれる人たちに甘えてしまうことを懸念していた。
 だがそんなゼクスの自分勝手にサラを連れて行っていいものなのか。ノーザンラーク山脈は危険な魔物が生息している。人がほとんど立ち入らない土地だ、足場も安定しないだろう。そんな場所にサラを連れて行くのは——
「それこそゼクスの自分勝手じゃない?」
「——っ!!」
 危険だ。そう思った矢先にサラが口を挟んだ。思わずゼクスは顔を上げる。
 彼女の目は瞳孔がキュッと収縮して未熟ながらもビーストリーディングを発現させていたのだ。
「ゼクスが何を思うのかは勝手。でも私たちの関係を忘れたなんて言わせない」
 二人の関係——
「俺がサラを育て、サラが一人で生きていけるようになったら……俺を殺す」
 そんな他人が聞いたら笑っちゃうような関係。でもサラはしっかりと力強く頷く。
「分かった、なら一緒に来てくれ。今日出るつもりだ」
 ゼクスは焦っているようにも見えた。だが心のどこかで嫌な予感がしているのをぬぐいきれなかったから。
「俺は装備を整えて準備をする。サラはリリィにこの事を伝えて助言をもらってくれ。俺だけじゃ頼りないからな」
 と言い残すと早足に部屋から出て行ってしまう。

 入れ替わるようにリリィが入ってくる。
「やっぱりこうなるのね」
「聞いてたの?」
「いえ、あの子の様子を見たら分かるわよ。ノーザンラークに行くんでしょ?」
 サラは黙って頷く。
「ああ見えて責任感は強いからね、ゼクスは」
「頼りになるんだかならないんだか。どっちが子供なんだか、分からないね」
 サラは少し微笑んでみせた。普段の生活だと子供なのに、こういう事になると急に大人に見えたりして何だかおかしかった。
「あなたのことで悩んでるみたいよ? あの事でまだ恨んで話してくれないんじゃないかって」
「恨んでないって言ったら嘘になる。……けど、どう接したらいいのか、分からなくて——」
 サラの答えにリリィはクスリと笑みをこぼす。
「ほんと、あなたたち、不器用ね」


 酒場を出て剣の調子を見てもらうためゼクスは鍛冶屋——バルバの店に来ていた。バカでかい看板と比べると小さく見える木製扉を開く。
 ショーケースに入った武具たち。端で乱雑にまとめ売りされている失敗作などが置かれていた。
 低い位置に設置されたカウンターには店主バルバとその娘シェリーが何やら話し込んでいた。
「おう。今立て込んでるか?」
 声をかけると二人が気づく。
「いや、今終わったところでい。どうしたボウズ」
 バルバは腕を組んでゼクスに向き直る。シェリーは帽子を深くかぶり直して聞こえるか聞こえないかの声量で「いらっしゃい」と挨拶をする。
「またコイツを見てもらいたくってな」
 腰から鞘のまま剣をカウンターに置く。バルバは黙ってその刃先を観ると深いため息をついた。
「おいおい、随分と派手に使ってくれてやがるじゃねえか。手入れもしてねぇみたいだし」
 光をあてる角度を何回か変えて表面をじっくりと観察し、指先で刀身を何度か叩く。耳を当ててその反響音に耳をすませると急に顔つきが変わる。
「……こりゃどうしようもねぇな」
 バルバはそう言うと剣を鞘にしまう。
「何でだ!?」
「そう声を荒げるな。ただの刃毀れのように見えるが、実のところもっと深刻だ。中の芯材が度重なる戦闘でボロボロになってやがるんだぜ。詳しくはガワを外してみねぇと分かんねぇが……お前さんコレに、未練はあるのか? 直すことはできなくもないが時間と費用とかかるぞ?」
「……今日、ディネールを出る」
 そう言って剣を腰に収めなおす。
「今日だ? 随分と急だな」
「色々やる事があってな」
 バルバはモジャモジャの髭をそっと撫でてからシェリーに目配せをした。
「おい、応急処置だがコイツの刃先研いでやれ」
「うん。数時間でやれるよ」
 シェリーは帽子の下から目をのぞかせた。
「おい、いいのか?」
「いいもクソもねえよ、そいつは俺が一回見てんだ。もう息子同然なんだよ。そいつの面倒ぐれえ最後まで見せろや」
 素直じゃねえな。ゼクスはそう思いつつ感謝しながら愛剣をシェリーの手に渡した。
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