薩摩の一男少年

ノアとルゥ

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薩摩の一男少年

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 令和を生きる人々には想像もできない世界があった。魔法や魔物の存在しない異世界とも思える。しかし間違いなく存在した、近代の鹿児島でのお話である。

幕末や戦国時代の様に、歴史の教科書に載るほどでも無く、しかし間違い無く体験談として筆者が聞かされた、悲惨でもあり、摩訶不思議でもあり、現代人には理解し難いお話である。

 少年が生きた世界は、家族や友人が戦場に連れ去られ、まるで消耗品の様に消えて行く。

本土にも爆撃機が襲来し、人々が一度に大量に死んで行く。子供達はそれが当たり前の人生と思って生きていた。

人が簡単に死ぬ事、食べ物が不足し、年がら年中空腹である事。資源のない日本では、金属製の日用品は軍需品製造の為全て供出となる。 

それが当たり前であり、それ以外の世界を知らない。

 今を生きる人々は衣食住が満たされ、安全で平和な世界しか知らず、フードロスや食料自給率が半分にも満たない状況に背を向け、大食いや早食い、その他食べ物をおもちゃにして楽しんでいる。 

人生が第二次世界大戦と重なったご先祖達は、さぞ子孫の繁栄を喜び、さぞ羨ましく涙を流しているのではないだろうか。

この物語は少年期を戦時下で過ごし、無事終戦を迎える事ができた、決して悲惨ばかりではない、平凡な少年の物語である。

・鹿児島に生まれた

 桜島は今日も噴煙をあげ、時折「ドン」と腹に響く爆音も、地元の人々には日常茶飯事である。驚きも慌てる事もない。あー又灰が降る。掃除が大変だ。洗濯物を仕舞わなきゃ。酸で金属の腐食が進む…。

 錦江湾を挟んだ向こう側が桜島、そんな家長制度と男尊女卑が当たり前に存在し、関ヶ原の合戦以降徳川の間者を警戒し発達した、薩摩独自の難解な言語を操る、少々特殊な土地に一男は生まれた。

 一男は昭和七年師走の繁忙期、長子として産声を上げた。繁忙ゆえに届出が遅れ、八年一月三日が誕生日となった。

 これは第二次世界大戦の真っ只中に、少年時代を過ごす事となった一男と、その周りの人々が語った物語である。

 一男少年は弟二人、妹二人、五人兄弟の長男としての立場を強要された。弟妹の不始末は全て長男の不始末として一身に責任を背負わされた。

好んで長子として生まれた訳では無い。そんな事なら二番目以降に生まれたかった。長子としての特権も何も無い。

貴族として英才教育を受けるでもなく、一般の家庭に生まれた少年には、長じて振り返れば、さぞかし理不尽な少年期だったと思った事であろう。
しかし後日談であるが、父となった一男少年は、不思議なことに同じ様な家庭を築き、子供らに同じ様な教育をするのだった。一男の辞書に反面教師の文字は無いのであった。

 鹿児島ではなく仕事を求めて出て来た東京で家庭を持った為、その子達は他の家庭と比べ、父一男を鬼の様に感じ恐れていた。更にはその友人達からも恐れられていた。

・小川に落ちた幸運

 鹿児島は有名な知覧基地を始め、米軍の攻撃目標として戦闘機が度々飛来していた。

 ある日一男は小学校からの下校時、友達数人と小川と畑に挟まれた小道を、じゃれ合いながらふざけながら歩いていた。
天気の良い清々しい日和であり、いつもと変わらぬ帰り道。 

 そこへ一機の戦闘機が飛来した。ジェットエンジンなど無い当時の、単発のプロペラ戦闘機であり、音が先に届く。

少年達はエンジン音を聞き空を見上げた。今も昔も音がすると、ついつい音源を確認てしまうのが人の性である。

そして空を飛ぶ事に憧れる無邪気な子供達である。敵機などとは微塵も考えていない。
地上を揶揄うつもりか、子供達へのサービスなのか、自分達のいる小道へと降下して来る。当たり前に日本軍の訓練と信じ、手や帽子を振り回した。

しかし突然機銃が唸り、前方の道が弾けだした。それがこちらに向かって来る。軍事基地も関連施設も無い、非武装の民間に向けて襲い掛かって来たのである。

最初何が起こったのかボッーと眺めてしまったが、次の瞬間少年達は脱兎の如く走り出した。 

パニックになり、何も考えられず只々走った。 一男も無我夢中に走ったが、躓いてしまい、物凄い勢いで小川に転がり落ちてしまった。

 ここは何処?今何をしているの?音が消え、世界の動きが緩慢になり、何が何だか分からない不思議な感覚のまま、操られる様に小川から這いずる様に出た。

幸い米軍機は反復攻撃はせずに去って行ったようだ。

徐々に感覚が戻って来る。
しかし驚いた、銃で殺しに来た。こんな事初めてだ。飛び去る敵機を確認し、ホッとして小道に視線を戻すと、友達の一人がうつ伏せのままぴくりとも動かない。

転けて頭でも打ったか?
起こしてとっとと家に帰ろう。

しかし彼は全く反応しない。
地面が徐々に赤黒く染まっていく。一男と友人達は無言で震えながら、彼を囲む様に集まった。

皆呼吸が早まり出し、過呼吸で喋る事もできない。怯えながら繰り返し名を呼ぶが、矢張り反応は無い。恐る恐る揺り起こそうとするが、体温は残っているが生気が全く感じられない。

戦時中と言えど、襲われた事も、犠牲者を目の当たりにしたのも、死体を見るのも、友達が死んだのも初めての出来事である。

そうか、戦争ってこういう事か。徐々に思考が安定してくる。しばらくして誰ともなく「連れて帰ろう」と呟いた。

少年たちは無言で、まるで訓練でもしていたかの様に彼の手足を持ち、感情の抜けた無表情な幽霊の様に歩き出した。

誰も何もしゃべらない。徐々に冷たくなっていく友人。怖いが絶対に手は放さない。死体を運ぶのも初めて。届けてどうするかも分からない。思考は停止しているが、体は自動的に動いている。
しかし彼の家へ迷う事なく向かう。

そしてとうとう彼の家に着いてしまった。

何も考えられずに只々無言で歩いて来た。子供達はそれからどうしたら良いのか、再び思考が停止してしまった。

ほんの僅かな時間だろうが、一生このままなのではと思えるほど硬直してしまった刹那、「おばちゃーん、〇〇君死んじゃったー」。誰かが叫んだ。一男だった。 

母親が出て来たが、当然何が起こったのか理解する事が出来ず、少年達を見つめていた。

そして少年達の持つ物体が我が子であり、その首がガクンと力無く垂れ下がっているのに気付いた。

母はふらふらとゆっくり近付き、震えながら我が子を抱きしめた。すっかり冷たくなった我が子に触れ、母親は「わっーー」と泣き叫んだ。

思わず耳を塞ぎたくなる、今まで聴いた事のない絶叫である。 が、薩摩おごじょは流石である。まるで現代の時代劇で見る武士の妻の様だった。 直ぐに歯を食い縛り、「連れて来てくれて有難う」と気丈に礼を言うのである。

もうこの場から直ぐに離れたい。少年達は逃げる様にそれぞれの家へと歩き出した。もう辛抱たまらんとばかりに泣き叫ぶ母親の声が、少年達の背中に容赦なく襲いかかった。彼らは逃れる様に走り出した。


 帰宅すると慌てた様子で母親が飛び出て来た。
「一男、怪我はないか!」。

薩摩おごじょは滅多に取り乱すことはない。どうしたおっかさん?と、先程の友人の死のショックも冷めぬまま、新たな不安と動揺が襲い掛かる。 

落ち着いて話を聞くと、自宅近辺にも米軍機の攻撃が有り、庭の石に当たり跳弾した弾が、「ばちん」と音を立てて箪笥に穴を開け、中の衣類を焦がしたらしい。 

見ると弾は石に当たりくるくると回転したのか、箪笥には指の様な焦げた穴が開いていた。 

恐怖が去り、二人とも落ち着きを取り戻した時、母は一男の髪も服も生乾きの、異様な出立ちである事に気付いた。

一男は友人の死を話した。その母の慟哭を話した。今更涙が込み上げ、改めて戦争が身近に存在する事を知った。

母も子を亡くした母の悲しみを思い、目を潤ませ、涙がこぼれ落ちぬ様に上を向いた。悲しみと恐怖の一日となったが、二人には弾が届かなかった奇跡を、家族全員が揃った食卓で静かに感謝した。

・河童

 ある夏の暑い日、一男は不思議な体験をした。

 桜島の火山灰は夏には市内に向かって降り注ぐ事が多い。そんな日はなるべく室内で過ごす。

現代の様なマスクやメガネ等はそう多くない。目や口や鼻を始め、体内に侵入されると、それはそれは苦しむ事になる。野山を駆け回る子供達は、知らぬ間に肺に吸い込んでしまう。

火山灰は酸性で、また濡れると粘着質で乾くと固まる。とても厄介である。

しかしこの日の降灰は少なかった。ならば河原へ行けば必ず友達の何人かに会える。思った通り友人数人と出会い、しばらく遊んでいた。

 すると見知らぬ子が近寄って来た。どうやら誰も知らない子のようだ。彼は「一緒に遊ぼう」と笑顔で話しかけて来た。

勿論子供達には、新しい何かの始まりの様な興味しか湧かず、喜んで彼を受け入れた。

しかしそう思いながらも一男は何かが気になった。理由は分からなかったが、体が勝手に警戒している。

 しばらくすると彼は「相撲をしよう」と言い出した。その刹那、一男ははっとした。かつて父から聞いた話を思い出したのである。

「いいか。川の近くで遊ぶ時、見知らぬ子が相撲をしようと近寄って来たら、絶対に相撲はするな。必ず負ける。負ければ肛門から腹わたを抜き取られるぞ」。

唐突にとんでもない話を聞かされ、一男は怖気を震ったのを思い出した。父が言うにはその正体は河童であるとの事。

もし万が一その様な事があれば、その少年の頭をよーく見てみろ。何となく水を湛えた様な、不思議な頭に見える筈だ」。

まさに今その時なのではと、少年の頭をまじまじと覗き込んだ。しかしもうその時には河童としか思えなくなっている。

慌てて「いや、相撲はしない。相撲をするなら野原だ。こんな砂利の上ではしない」と尤もらしい事を言い、夕暮時も味方し、仲間達と帰宅する事にした。 

それ以降その少年は二度と現れなかった。真実は分からないが、父には子供を脅かす様な茶目っ気は無い。あの厳格な父である。そんな父親像が、石碑の如く心に刻まれている。一男少年は河童だったと信じて疑わなかった。

・雪隠

 当時の便所は汲み取り式である。悪臭対策で家から離れた場所に造られる。昼は兎も角、夜は勿論街灯など無く漆黒に近い。

月夜の晩は「月とはこんなに明るいのか」と再認識する程である。不思議な青白い世界が浮世離れしている。 

しかし子供達にとっては、夜のトイレはとても恐ろしい。大人たちは面白がり、盛りに盛ったお化けや幽霊の話を恐ろしい形相で、そして腹の中では大笑いしながら真剣に話す。

昼に話すので最後まで聞いてしまったが、夜に思い出し大層後悔する。

大を催した。朝まで我慢は出来そうにない。寝糞などしようものなら、娯楽に飢えた人々の格好の餌食となってしまう。

意を決して厠へ行きしゃがみ込む。少しすると何かの息遣いが近づいて来る。
そんな!まさか!嘘でしょ!

怖い。とても怖い。今振り返る事はとても出来ない。ジッとして去る事を祈ろう。

しかし願いは届かず、尻に何か生暖かい物が触れ、更に突いて来る。堪らずにワッーっと叫び、反射的に立ち上がり振り向く。

恐慌状態ではあったが、狐狸妖怪の類いでない事は直ぐに判明した。豚である。腹を空かせた豚が、早く出せと鼻と舌を使い催促してきたのだ。

はーはー言いながらも落ち着きを取り戻したが、便意はきれいさっぱり消えてしまった。 
しかし人間の慣れとは大した物で、それ以降は同じ事に「又か」と思うだけであった。一男は夜の恐怖の厠にほんの少し免疫ができた。
 
・祟り

 一男は留守番を言い付けられた。当時の子供達は家事や家業の手伝いをするのは当たり前であり、勿論駄賃なども貰える筈もない。

親の言い付けは絶対である。そんな訳で一男は天気の良い素晴らしい休日に、呪文に掛かる様に外出を封じられてしまった。

父母は慌ただしく出掛けて行った。残ったのは一男の兄弟全員と、熱にうなされ、床に伏している叔母である。 

弟達の面倒を言い付けられ、叔母の様子も時々確認するようにと。

叔母は数日前から奇病にうなされ、感染を恐れて赤子を実家に残し、当家で預り看病していたのである。

しかしどうやら感染せず、叔母のみなので奇病であり、部屋の空いてる我が家で預かるらしい。

両親はこの叔母の病の件で、偉い御坊様に会いに行ったのだ。

叔母の身体中には子供の拳程のできものが発症し、高熱にうなされ意識もない。

何故お医者様でなく御坊様なのか、子供ながらに不思議に思った。

昼過ぎに帰宅した両親は、今度は塩壺を持ち出し再び出掛けた。一体大人達は何をしているのか、一男は不思議で仕方なかった。

それから二時間ほど経ったであろうか、叔母の様子を見に行った一男は、叔母のできものが目の前でみるみると小さくなり、遂には跡形も無くなり、熱も下がったのか、すやすやと寝息を立てるようになっているのを確認した。
とても不思議だったが、子供にはこんなふうに治るのものなのかと思うばかりであった。

 暫くして帰宅した両親は叔母を見て安堵し、御坊様の不思議な力と的確な指示に感謝するのだった。

両親が話すには、叔母の症状は御医者も頭を捻るばかりで、薬も治療法も無いまま数日苦しみ続けていた。

色々と相談したところ、ある御坊様が神懸かっていると聞き、それこそ藁をも掴む思いで出掛けたのだ。 

御坊様は色々と話しを聞いた後、暫く沈思黙考し、まるで見ていたかの様に語り出したそうだ。 

 日本は有史以来、様々な神の存在を伝えている。山には山の神。海には海の神。川には川の神と言った具合だ。しかも川の数だけ、山の数だけ存在する。八百万の神の話である。

「川の神が怒っている」と仰る。

彼女は赤子のおしめを川で洗い、その川の神の怒りを買ったらしい。

神はこまごまと天罰を下すわけでは無い。人々の心に神の存在が薄れた時、思い出させる様に軽い神罰を下す。

叔母も神の存在を認識し、感謝を伝え許しを乞うていれば、神の怒りは買わなかった事であろう。そしてこの話は徐々に広まり、神の存在が再び人の心に植え付けられる筈である。

つまり御坊様に「先ずはその場へ赴き塩で清め、彼女の罪と謝罪を伝え、罪滅ぼしの清掃をする様に」と言われ、早速実行したとの事だった。

結果は目の前で見ていたので、信じるの一択である。

一男はこの話から以降、山で小便をする時、たまには野糞もあるが、必ず神様に許しを乞い、山の養分になる事を祈り、神の怒りを買わぬ様に心掛けた。この行いは生涯続くのである。

・父と母

 一男は殺されるのかと恐怖した。

つまらぬ事で母と言い合いをし、つい勢いで馬鹿と言ってしまったのだ。本当に何故そんな事を言ってしまったのか、自分でも訳が分からない。人生にはそんな事もある。

そしてこれは非常に不味い、と言う事はハッキリと理解できた。

見る見るうちに母の顔は、間違いなく般若としか思えない面に変化し、一男は謝るより恐怖が先に立ち、条件反射で逃げ出した。

しかし般若は逃がしてなるものか!とばかりに物凄い形相で追いかけて来た。追われると恐怖は数倍に膨れ上がり、思考が停止し、気が付けば木の上で必死に幹にしがみ付いて居た。

どうやって登ったのか記憶に無いほど、般若への恐怖が結構な高さに一男を押し上げていた。

般若の恐怖と高さの恐怖が拮抗した時、眼下に自分を見上げ、恐ろしい形相で睨みつける般若が立ち去る姿を確認できた。

ほっと安堵し、後は高さの恐怖から逃れようとした時、再び般若が姿を現した。一男はその姿に、危うく発狂しそうになる程恐怖した。

襷で袖を縛り上げ、長い竹竿を持った般若がそこに居た。

間違い無く殺気を感じた。落ちたら死ぬ。無事着地したとしてもそこは地獄である。そう。薩摩の大人は、薩摩の気風にそぐわぬ子供は、徹底的に教育的指導を施す。 

痛みを伴うトラウマ級の指導である。

一男はそれを知っていたし、それ以外の世界を知らない。般若は容赦なく竹竿で突いてきた。色んな意味で見事な突きだ。

一男に恐怖だけを与え、決して落とそうとはしない、それはそれは見事な突きだった。

一男はたまらず「ごめんなさい、ごめんなさい」と連呼した。母はようやく手を止め、般若面を解く事なく立ち去った。 

一難去ったと安堵するも、しかし恐怖は続くのである。

この顛末は必ず家長である父に報告される。父は威厳を保つ為なのか、笑顔を見た記憶がない。

男尊女卑や家長制度の色濃い薩摩では、母親さえ父に怒鳴られる事しばしばである。

よって般若より怖い存在が父であった。しかしその日は事件が起こった。

「それで、お前はどう思ったんだ」と、反省の弁を聞こうとした父だが、一男は真剣な顔で「殺されると思った」と、見当違いな返答をした。

すると奇跡が起こった。
刹那父が「ふっ」と笑ったのだ。それでこの件は終わった。父も笑うのだと初めて知った。
今日は何だかとっても疲れたと、大きく息を吸いゆっくりと吐いた。
 
・手榴弾
 
 とうとう戦争が終わった。家族は全員無事に終戦を迎える事ができた。しかし敗戦である。食料や物資の不足は暫く続いた。

それでも手伝いのない日は、元気に遊びまわるのが子供の本能である。その日は友達と山中を駆け巡って探検した。

すると何かに躓き豪快にすっ転んだ。頭にきて躓いた原因に八つ当たりをしようと確認すると、土中から一部突き出した木箱だった。

何だろうと掘り起こし開けてみると、缶詰がわんさと入っていた。正に探検の醍醐味、宝箱発見である。

食い物だと狂喜し持ち帰ろうとしたが、何と無くまずは大人に知らせようと考えた。探検の成果を持ち帰り、讃えられる妄想と欲望を抑えた自分を、後ろ髪を引かれながらも讃えた一男だった。

家に帰って父に話し、翌日その場所へと案内した。それを見た父はひどく真剣な顔になり、小さく呟く様に言った。「よく触らずにいた・・・」と。

自分の判断が正しかったのか?家庭では神の様な存在の父に褒められた? 一男は何だかへんてこな感情に戸惑った。 

「これは手榴弾だ」と、思いもしない言葉が飛び出した。 

映画でよく見るアメリカの手榴弾は、パイナップルと呼ばれる様に、掌に収まり投げやすい、正に小型パイナップルである。ドイツ製はリレーのバトンの様な形状。日本製は一男が缶詰と思うのも無理もない、正にその形状であった。

終戦当時の混乱期は、武器弾薬が結構無造作に投棄されていたらしい。

父はこっそりと箱ごと持ち帰り、一男を連れて海へと小舟を漕ぎ出した。釣りにしてはバケツしか持って来なかった。それと例の缶詰である。

ある程度沖に漕ぎ出すと、父は缶詰を持ち出し、レバーを握り安全ピンを抜き、握ったまま静かに腕ごと海に浸け手を離した。

数秒後小舟はふわりと持ち上がった。鯨が海中で屁をこいたのかと思わせる。

暫くすると、腹や口から内臓を飛び出させた魚がぷかぷかと浮かんで来た。

場所を変えて同じ事を繰り返す。グロテスクな状態だが大漁である。一男はこんな使い方があるのかと、大人の発想に目をキラキラと輝かせた。今晩は久々に満腹を味わえると。

・知っちょいどん

 手榴弾は何の工夫も無く放棄されたらしく、発見したのは一男だけではなかった。

 少年達の多くは裸足や草履、下駄を使用している。比較的裕福な少年は身なりも良く革靴を履き、親の成功を自分の手柄の様に自慢する。

そんな典型的な「知っちょいドン」と呼ばれるお調子者がいた。因みに「知っちょいドン」とは、知ったかぶりで鼻を高くするお調子者の事である。 

一男の近所の浜は砂利浜が多く、それも比較的大きな掌サイズの、波に削られた角の無い石の浜である。

一男は友人数名と浜で遊んでいた。そこへまだ何もしていないのにドヤ顔を貼り付けた、先述の知ちょいドンが現れた。

知っちょいドンは徐ろに手榴弾を取り出し、「これの使い方を知っているか」と、まるで兵学校の教官の様な薄っぺらい威厳を演出し、「俺はこいつの使い方を知っている。見ていろ!」とレバーを握り安全ピンを抜いた。

彼は最高のドヤ顔をしていたが、使用法などは皆知っていた。彼の動作は海に向かって放り投げ、音も爆発も海中で済ませる算段であった。

その筈であった。 

しかし角の削られたつるつるの石を敷き詰めた浜の上で、革靴を履いた足で踏ん張った為、つるんっと滑り、俄教官はコテンと子供らしく可愛いらしい尻餅をついた。

しかし手榴弾は彼の手から離れ、スローモーションで弧を描いて行く。

少年達は反射的に「海へ飛び込め!」と叫び、野生児の素早さで海中へと逃れた。

しかし革靴を履いた知っちょいドンには無理な話である。

炸裂音の後に石が飛び散り、一男は海中以外での手榴弾の威力を目の当たりにした。

少年達は海にぷかぷかと浮かびながら浜の様子を伺って居た。どうやら知っちょいドンは無事の様だ。

自慢げなドヤ顔はすっかり青ざめ、その後の自分に迫り来る最悪な運命に怯えている様だった。 

案の定炸裂音を聞き、何事かとおっとり刀の大人達が彼の周りに集結した。 

繰り返しになるがここは鹿児島である。教育的指導は苛烈を極める。しかも子供が手榴弾を持ち出したのである。

一男達は海に浮かびながら、彼の運命に少しばかりの同情をし、連類とされなかった事に胸を撫で下ろすのであった。

そして彼は今後どの様な顔で現れるのか、少なからず興味を沸かせた。

・兄と慕う青年と理不尽な先輩

 鹿児島は当時、何度も言うが男尊女卑や、家長制度や長子の責務が、当たり前の世界であったと述べたが、先輩後輩の関係にも天と地、神と虫けら程の格差が蔓延っていた。

たった一年の差で、神になり虫けらになるのだった。 

部活動で先輩にある日突然、「一年生は横一列に並べ」と言われ、軍隊の様に速やかに整列する。

すると神は虫けらの顔面を端から順に殴り出した。そして最後に「分かったか!」と怒鳴って去って行く。

勿論全員何の事かさっぱり分からない。筆者でさえ、自分は一体何を書いているのか不安になる。

しかしそれが鹿児島なのである。鹿児島の人から誤解を生む様な作文しよってと、お叱りを賜るかも知れないが、戦前、戦中、戦後を生きた鹿児島県人に直接聞いた話である。
現在には当てはまらないので、くれぐれもご理解頂きたい。 

そんな中でも一男には、兄とも慕う尊敬する存在が居た。絶対に神にならず、一男を一男として接してくれる。長子の一男には本当に大切な存在であった。 

ある日二人で山中を歩いた時、一男はズボンの中に違和感を感じた。「あんさん、ズボンの中で何か蠢いちょる」。 

「どの辺だ」、この辺と一男は右の脹脛を指差した。すると素早く両手でズボンの脹脛部分を、足に注意しながらグシャグシャグシャと、容赦なく握り擦り絞り上げた。

一男がそっとズボンを脱ぐと、中から粉々になった大百足が出てきた。あんさんのお陰で噛む暇もなく、無惨なバラバラ遺体となった。

噛まれていたら足は腫れ上がり、万が一毒が血管を巡り脳に届いていれば、どんな末路を迎えた事か分からない。

一男は山を歩く時、ズボンの裾を必ず紐で縛る事を覚えた。
 
又ある日、下駄の使用法を教わった。

「いいか一男、もし喧嘩を売られたら、直ぐに下駄をこう持つんだ」と言い、下駄を逆さまにし、踵の歯を4本の指で抱え込み、親指は台側の踵部分を握る様に持つ。そして突く! 子供はよく叩くが、それでは大した威力にならない。突くんだ!

恐らくリーチが長くなり、硬いストレートパンチの様な理屈なのだろう。

一男は下駄の新たな使い方を覚えた。
スキル「下駄パンチ」獲得である。

しかし一男は決して好戦的な性格では無い。どちらかと言うと平和主義である。後輩に対し、自分は神であると思った事は一度もない。

 ある日顔に神と書いた様な典型的な先輩が二柱、一男の前に現れた。一柱は年上の剣道部員である。

入部しろと詰め寄ったが、一男は虫けららしく低姿勢で丁重に断り、その場をそそくさと立ち去った。

が、直後背後から「このヤロー」と怒号が聞こえた。振り返ると剣道部員の神が、慈悲の欠片も見受けられない形相でタックルをかまして来た。

一男はとても驚き反射的にしゃがんだ。すると神は自分の上を勢いよく通り過ぎ、勢いよく地面に転がった。

ただしゃがんだだけであるが、周りには真空投げでもしたかの様に写ったらしい。虫けらが神を投げたのである。多くはえらいこっちゃと震え上がり、一男の末路を憐れんだ。

しかしそこに二柱目の神が現れ、思った以上の騒ぎにはならなかった。

柔道部員の神である。「お前やるな!柔道部に来い。もっと強くなれるぞ」。一男にしてみれば大きなお世話である。そして大きな勘違いである。

周りからもジッと行末を注視されているこの現場から、一刻も早く立ち去りたい一男である。再び低姿勢で丁重にお断りした。

すると再び「このヤロー」と神に襲われた。デジャヴ⁈。何かこんな場面過去に体験したなぁ。いつだっけ?今さっきである。

一男も周りも何これ?と混乱した。矢張り反射的に頭をガードしながらしゃがんだ。

そして再び自動的に真空投げが成立する。

二度ある事は三度あるのか?堪らなくなり一男はその場から逃げ出した。

因みにこの出来事は、神と虫けら双方の立場を鑑みたのか、誰も話題にはしなかった。


 一男の話も終わりとなる。もう少年ではない。

父から「長男であるおまえだけは、大学に行かせてやる」。と言われたが、生涯弟達に羨みの愚痴を言われるのも堪らん。

一男はやっと見付けた長男の特権を放棄した。

そして彼は将来大卒の嫁を娶り、過去の自分の決断をしつこく後悔し、繰り返し劣等感を家族に匂わすのであった。

卒業後、吉野の山に籠り農業を始めた。娯楽としてギターを持って行った。ほんの遊び程度の腕前である。

しかし程なくし、これでは生計を立てるのは困難。貯金も仕送りも出来ない。一男は生まれて初めて鹿児島から出る事を決意し、東京へと向かった。



あとがき

 この物語は一男少年のものであり、成人した一男は登場しない。
又、筆者が一男やその親戚、友人から聞いた実際の話で構成されており、もうネタが無いのである。 

彼らは過去を懐かしみ、特殊な薩摩の風習の中にあり、どうだ、理不尽だろ。あんたらには信じられんだろう。お前達はわしらに比べ、とても幸せな人生なんだぞ。

と、日本において一番過酷な環境の中で生きた事を、どこか自慢げに、楽しそうに語ったのであった。彼らの殆どは鬼籍に入った。

何と無く私の聞いた話が、この世の片隅にでも残ればと、突然執筆を思い立った次第である。私には子はないので、私が死ねばこの物語も消えて無くなってしまう。

それで良いのか?突然この思いに取り憑かれてしまった。気付けば鹿児島は、私にとっても特別になっていた。

高校野球も鹿児島が気になるし、桜島のご機嫌も気になる。飛行機やカーフェリー、鹿児島本線で祖父母の元を訪ねた記憶も懐かしい。

皆様がどう思おうと、間違いなく存在した物語です。せめて暇潰しにでもなれば幸いと思うばかりです。


















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(性的描写あり) 残業で会社に残っていた佐藤に、同じように残っていた田中が声をかける。 それは二人の秘密の合図だった。 誰にも話せない夜が始まる。

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