片道15分の恋人

桜庭かなめ

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恋人編

4月25日(金)-前編-

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恋人編



 今日も僕はいつもの午前7時30分発、各駅停車の八神行きの電車を待っている。

 だけど、今日は昨日までと違うことがある。いつもの電車には僕の恋人が乗っているのだ。先頭車両の一番後ろの扉が開くと栞が僕を待っていてくれる。

 今までもいつもの電車が来ることにドキドキしていたし、今だってドキドキしている。
 けれど、今のドキドキは昨日までのとは違う。不安とかは全然なくて、どんどんと温かい気持ちになる。

『まもなく、1番線に各駅停車、八神行きが参ります』

 来る。栞の乗っている電車が来る。
 その瞬間、ドキドキが昨日までのように不安なものになる。昨日、栞と恋人同士になったことが夢のように思えて、本当に夢だったというオチな気がしてしまうから。
 いつも乗る電車が到着する。

「悠介君。おはよう」

 いた。電車の中に栞がいた。
 その瞬間、ドキドキが再び温かなものになる。恋人同士になっても栞のことを見るとドキドキが膨らんでいく。
 栞は嬉しそうな表情をして僕のことを見てくる。

「おはよう、栞」

 僕は電車に乗り、栞の隣に立って彼女の手をそっと握った。
 電車は八神に向かって走り出す。その際、栞が僕の方に寄りかかってくる。僕達の触れる部分が手から腕へと広がっていく。

「ごめんね」
「気にしなくて大丈夫だよ」
「……うん」

 そう言う栞の手は汗ばんでいた。栞もまた緊張しているのだろう。
 栞の知らないことがあるから色々なことを知りたいのだ。僕のことも栞に知ってほしい。だから、栞と話したいことは本当にたくさんあって。それなのに、栞を目の前にすると緊張してしまって何も言葉が出ない。
 だけど、こうして手を繋いで隣に立っているだけで心が和らぐ自分もいる。きっと、今の僕は栞の側にいたい気持ちが一番強いんだ。

「……何を話せばいいのか分からなくなっちゃうね」

 栞は照れ笑いをしながらそう呟いた。それがとても可愛く思える。

「出会った頃は何気ないことをちょっとでも話せるのに。恋人同士になると、何だか緊張しちゃうの。高津田駅を出発して鳴瀬駅に到着するまでの3分間、とてもドキドキした。今日も悠介君はいるのかな。何を話そうかな。手を繋げるかな。朝の15分以外にももっと会えないかな……って」

 そう言うと、栞は今までそっと握っていた手を一度離し、恋人繋ぎをする。

「昨日のことが夢なのかもしれないとも思った」

 まさか、僕と同じことを考えていたなんて。思わず笑い声が漏れてしまう。

「わ、私……何か変なことを言っちゃった?」
「そんなことないよ。ただ、僕とここまで同じことを考えていたから面白くて」
「そうだったんだ……」

 栞はほっと胸を撫で下ろした。僕と同じような気持ちだったことに安心したのだろう。
 栞にも僕と話したいことややりたいことが頭の中に思い浮かべているんだ。でも、実際に僕の前になると、緊張してしまってどうすればいいのか分からなくなる。

「でも、僕は栞とこうやって一緒にいることが何よりも嬉しいんだ。それが僕達の中で一番大切な気持ちじゃないかな……」

 って、何を僕は朝の満員電車の中で言っているんだ。栞のことを見ているとどうも僕達だけしかいないように思ってしまう。周りの人に聞かれたと思うと恥ずかしい。

「恥ずかしそうにしている悠介君、かわいい」

 栞は僕のことを見てクスクスと楽しげに笑う。

「でも、悠介君の言う通りだと思う。私も悠介君と一緒にいられることが本当に嬉しいし、こうしているともっともっと一緒にいたくなるんだ」
「そうか」
「……そういえば、ここって電車の中だったね。悠介君が恥ずかしそうにしていた理由が分かったよ」

 恥ずかしそうにしている栞はとても可愛らしかった。
 満員電車の中では恥ずかしくて話せないことがいっぱいあるはずだ。できれば、まずは一度、2人でゆっくりと話せる機会を設けたいところ。
 その後、電車の中であることを意識しすぎたせいか、僕達は何も話せなくなってしまった。そんな中で視線が合うと互いにはにかんで。
 まだまだぎこちないけれど、それでも栞と一緒にいられることがとても嬉しいことに変わりはない。むしろ、その気持ちは大きくなっていくばかり。

『まもなく、鏡原駅です』

 もうすぐ栞が降りてしまうのか。寂しいな。

「悠介君」
「えっ?」

 少し大きな声で名前を言われたので驚いた。
 栞は心を落ち着かせるためか、一度大きく呼吸をして、

「帰りも悠介君と一緒にいたい」

 行きだけではなく帰りもか。
 帰りも栞と一緒にいられたらいいなと一目惚れしたときからずっと思っていた。栞と一緒にいられる時間がこれまでの倍になる。それがとても嬉しい。

「もちろん。そうしよう」

 僕は栞の頭を優しく撫でた。そのことで彼女の髪から甘い匂いがしてくる。

「あうぅ……」

 栞はそう声を漏らすと、とろんとした表情になっていく。こんなに可愛い反応をしたにも関わらず、彼女は恥ずかしがることもなく僕をずっと見つめてくる。

「そうだ、連絡先を交換しよう。何かあったときのためにも」
「うん。そういえば、今まで連絡先を交換してなかったね」

 出会ってから、平日のほぼ毎朝、栞と会っていたからな。僕は栞と連絡先を交換した。
 やがて、電車は鏡原駅に到着する。

「栞、鏡原駅だよ」
「えっ、もう?」

 ようやく栞は我に帰ったようで、きょとんした表情をして僕のことを見る。

「ああ、そうだ。また帰りに。いってらっしゃい」
「悠介君もいってらっしゃい」

 栞はそう言って小さく手を振ると、急いで電車から降りた。それもあってか、栞の姿が見えている間に扉が閉まり、電車は鏡原駅を出発する。
 今もなお、僕の手や制服に栞の温もりや匂いの余韻がある。でも、それはすぐに消えてゆく。ついさっきまであったものがなくなるのはこんなに寂しい気持ちを抱かせるのか。

 それだけ、僕は栞のことが好きなのだろう。
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