ハナノカオリ

桜庭かなめ

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Fragrance 1-コイノカオリ-

第17話『隼人の憂鬱』

 俺と奈央は今、潮浜シャンサインランドに来ている。
 遥香が出かけた後、奈央に遥香が例の原田さんと一緒にここに行くと電話で話したら、奈央が行きたいと駄々をこねたことがきっかけ。俺は行きたくないと言い続けたけれど、瞬時に俺の部屋まで駆けつけ、実力行使で無理矢理にでも連れて行こうとするので、こっちが根負けして平和な形で行くことになった。
 行く条件として俺の行きたいものから行くことにはしたけれど、特別に行きたいアトラクションがなく、結局、俺から希望したのはコーヒーカップだけだった。
 奈央は行きたいアトラクションがたくさんあるのか、俺の希望を一つ叶えるとすぐに自分の希望を言ってきた。
 そして、その最初の希望としてやってきたのが、潮浜シャンサインランドの一番人気として有名なシオハマシーサイドコースターだ。俺の大嫌いな絶叫マシンの一つ。

「何でよりによってここなんだよ……」
「隼人も大学生になったんだし、大丈夫になったんじゃないの?」
「そんなわけあるか!」
「でも、乗れないわけじゃないよね?」
「まあ、そうだけど……」

 前に何度か遥香に付き合わされて乗った経験があるから、決して乗れないわけではない。ただ、乗ると物凄い吐き気に見舞われて、1時間は健康な状態に戻らないというだけで。ていうか、嫌いな理由としてこれは正当じゃないだろうか。

「……どうかしたの?」
「いや、別に……」

 思わず奈央の服装に注目してしまう。
 下は明るいブラウンのキュロットスカート。これはいい。大学に行くときによく見かけるからな。
 でも、上半身に着ているのが黒く英文がプリントされている白い長袖のTシャツ1枚だけっていうのはなぁ。俺の家に乗り込んで直接この遊園地に来たから仕方のないことかもしれないが。やけに子供っぽく見えるのは気のせいか? それに、

「奈央、Tシャツ1枚で寒くはないのか? ジャケットでも貸すけど」
「別に平気だよ。逆に暑いくらいだって。隼人が全身黒い服ばっかり来てくるのが不思議なくらい」

 よく見れば奈央の着るTシャツの袖が肘のあたりまで捲られていた。日差しがあるから暖かいけど、風が吹くと意外と寒い。
 確かに俺の服装は奈央と違ってかなり重装備と言えよう。ジャケット、ワイシャツ、ズボン全てが黒系統の色で統一している。ついでに靴も。周りから見れば、奈央の服装は涼しそうで、俺の服装は暖かそうに見られるだろう。

「そういえば、遥香ちゃん達はもう乗ったのかな」
「さあな。でも、あいつは絶叫マシンを普通に乗れるし、一番人気のアトラクションならもう乗ったかもしれないな……」
「そうかもね」

 遥香も原田さんと一緒にどこかで楽しんでいることだろう。
 正午前に待機列に並んでから、既に1時間以上が経過している。最後尾に並んだときに90分待ちだったから仕方ないか。

「遥香ちゃん……どこにもいないね」
「そう簡単に見つからないだろ」
「せっかく原田さんっていう子に見られるって思っていたのに」
「まさか、遥香の意中の相手を見たいがためにここに来たのか?」
「うん。だって、彼女になってから紹介するんじゃ待ちきれなくて」
「……そ、そんな約束をしていたのか?」
「木曜日の夜に電話でね。隼人には?」
「そんなことは一切言ってこなかったぞ。色々と相談してきたのに……」

 奈央に先を越されたと思うとちょっと切ないんだけど。遥香、奈央よりも紹介すべき相手がすぐ側にいることを忘れてはいないだろうか。
 こうなると、原田さんがどんな感じの人か気になってくるな。俺も遥香がいるかどうか注意しておくか。

「それにしてもずっと気になっていたけど……どうして、奈央はずっと腕を絡ませているんだ? ちょっと暑苦しいんだけど」

 普段は手を繋ぐことさえしない奴が、今日に限って何故腕を絡ませるのか。家を出たときからずっと気になっていた。デート気分でも味わいたいのか?
 奈央は少し頬を膨らませる。

「へえ、私に対してそういうこと言っちゃうわけ」
「何だよ、急に強気な口調になって」
「私は隼人のためにこうしているんだよ」
「お、俺のため?」

 それなら、さっさと腕を離してもらいたいんだけれど。

「だって、隼人は……女性恐怖症じゃない。私がこうして腕を絡ませれば、きっと私達のことを恋人同士だと思って、他の女子が隼人に色目を使うこともないだろうし」
「ああ……なるほど」

 俺は相手が女性でも対等な立場であれば普通に接することができる。
 けれど、少しでも俺に対して男性という意味で興味があると分かった瞬間、女性恐怖症により極度に緊張してしまいほとんど話せなくなってしまう。
 どんな状況でもまともに話せるのは家族を除けば、同年代の女性だと奈央などごくわずかに限られる。あとは小学生以下か親以上の年代だけだ。
 それらのことを知る奈央は俺とくっつくことで、周りの女性からの視線を自然と俺の方に向けさせないようにしていたのか。俺が奈央の恋人だと思えば、大抵の女性なら俺のことを諦めると踏んで。

「考えれば今日はやけに女性からの視線が少ないと思った」
「私のおかげだよ。感謝してもいいんじゃない?」
「……そうだな。きっと、ここから奈央が離れると、その瞬間に誰か女性に連れ去らされそうな気がする」

 決して、自分が凄くかっこいいとか、滅茶苦茶モテるとかそういうナルシストのような思想は抱いていない。
 奈央のおかげで大学でもそれなりにやれているんだよな。まだ1年だから、文学部と合同の科目も半分くらいあるし。奈央と離れていても、事情を知る男友達と行動しているから今のところは何とかなっている。

「でも、そろそろこの体質も何とかしないといけないな。今はまだいいけど、いずれは就職して色々な女性と接することもあるだろうから」

 仕事に支障が出てきてはまずい。大学生の間にどうにかしないとなぁ。

「別にいいんじゃない? ここまでやってこられたんだし」
「ダメだって。このままだとお前に迷惑をかけ続けることになる。大学でも俺ばかり構ってなくて、もっと他の奴との関わりを作ってほしいんだよ」
「別に文学部の子とは隼人と別の授業で結構話してるから気にしないで」
「それでも、空き時間とかはいつも俺と一緒にいるじゃないか。だから、そういう時間にもう少し――」
「私は隼人と一緒にいたいの。ただ、それだけだよ」

 微笑みを浮かべながら話す奈央の一言に、俺は何も言い返すことができなかった。
 ただ、一緒にいたいだけ、か。
 何だか奈央らしいな。でも、幼なじみだから一緒にいると思っていたので、今の一言は正直とても嬉しい。

「それに、隼人は隼人なんだからその体質を無理して治さなくてもいいんじゃない? 私は別に治ってくれなくてもいいし……」
「どうしてそう思うんだよ?」

 俺がそう言うと、奈央は露骨にため息をつく。

「……何で気づかないのかなぁ。幼なじみなら分かってもいいと思うんだけど……」

 奈央は何故か頬を赤くし、小さな声で呟いた。
 というか、今の言葉はむしろ俺が言いたいことなんだけどな。絶叫マシンが嫌いなのを分かっているのに、どうして無理矢理にでも乗せようとするのか。俺の嫌な気持ちを何で気づかないのかなぁ。まあ、それを言ったところで身体的な害を被ることになるのでここは黙っておこう。
 そんなこんなで話しているうちに、ジェットコースターの順番が回ってきた。

「やっと乗れるね」
「嬉しそうに言えるお前がうらやましいよ。俺は恐怖でいっぱいだ」
「別に隼人は昔から乗れたじゃない」
「お前に強制されたからだろ! 確かに物理的には乗れるが……」
「さっ、行こうよ」

 奈央に手を引かれてジェットコースターへと連れて行かされる。
 もう逃げられないし、覚悟を決めるときが来たか。大学受験の時よりも気を張っている状況である。
 俺と奈央はマシンに隣同士で乗り、係員により安全バーが下ろされる。これで完全に逃げられなくなった。こうなったら死なないように神頼みだ。

「もう、スピードがそこまで速くないと願うしかないな」
「それじゃ絶叫マシンにならないでしょ……」
「いや、全然早くなかったら1回転するところで落ちるのか……」
「隼人、大丈夫だって。暴れなければ」

 経験上、それは正しいけれど世の中、何が起こるか分からないからなあ。というか、暴れるほど元気なんてない。

『それでは、発車します。シオハマシーサイドコースターをお楽しみください!』

 楽しめないって。俺にとっては恐怖の時間が始まったんだ。
 マシンはゆっくり前へと動き出す。
 発車してすぐに上へと上っていくコースになっていく。ゆっくりと上ることで恐怖心を沸き立たせる。
 上りきったところでマシンは一旦止まる。これもまた、乗っている人をより怖がらせる演出なのだろう。俺は既に恐怖を通り越して放心寸前なんだけど。

「隼人、海を見ようよ! 少しは落ち着くと思うから!」
「そうだな……」

 奈央の言う通り、顔を正面に向けて海を観ようとした。
 しかし、ジェットコースターに裏切られることになる。
 海が視界の中に入った瞬間、マシンは突然全速力で下りのコースを走り始めた。俺が見たのはジェットコースターのコースと生い茂る芝生だった。
 そこからはもう意識が曖昧になってきて、暴れるどころか絶叫することさえもできなくなっていた。もちろん、気分も悪くなる。

「きゃあああっ!」

 唯一の救いは俺の隣で奈央が楽しそうに叫んでいることだけだ。この笑顔を見ると、一緒に乗って良かったなと思えるほど。
 しかし、そんな風に思える余裕もすぐに消え、1回転の部分や海上の部分でさらに気分が悪くなり、果てには意識を失ってしまったのであった。
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