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Fragrance 6-キオクノカオリ-
第5話『記憶』
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須藤さんに連れられてきた喫茶店は、彼女の言うとおり落ち着いた雰囲気。ここならゆっくりと話すことができそうだ。
何でも好きなものを頼んでいいと言われたので、俺は遠慮なくパンケーキとアイスコーヒーを頼んだ。ちなみに奈央はアイスクリームで、須藤さんはアイスティー。
「甘いもの好きなのもヒロくんと変わらないわね。まあ、隼人君の方が更にスイーツ男子って感じだけど」
「甘いものは別腹ですからね。本当にありがとうございます」
やっぱり、外で食べるパンケーキはいいな。自分で作るよりも断然美味しい。生地の甘さと膨らみ加減が絶妙で、ハチミツやとろけたバターが生地の旨みを引き出している。あぁ、たまらない。このシンプルさもいいけれど、粉砂糖がかけてあったり、生クリームが塗ってあったりしたら更に良くなると思う。
須藤さんは俺のことを微笑ましそうに見ている。パンケーキを食べる俺に父さんの姿を重ねているのだろうか。
「隼人君、幸せそうな顔をして食べるね。甘い物好きな彼氏だから、奈央ちゃんは結構いいんじゃない?」
「そうですね。私も甘いものは好きですし。まあ、隼人は私よりもスイーツが大好きなんですけどね。時々、引いちゃうときもあるんですけど」
そう言いながらも、奈央は声に出して笑っている。というか、時々引くのか。
「でも、甘いものを食べるとき、ヒロくんも嬉しそうだったなぁ」
感慨深そうに須藤さんは呟く。
父さんは普通に甘いものを食べてはいたけれど、まさかスイーツ好きだったとは。それが遺伝したのかな。俺の方が好きの度合いが強いらしいけど。
「一息ついたところで、そろそろ話そうか」
須藤さんはアイスティーをストローでちゅー、っと飲む。こういう姿も可愛らしい女子大生にしか見えないんだけど。両親と同い年だとは思えない。
父さんも母さんも須藤さんのことは一切語らなかった。
「私、トモちゃんと同じ文学部の国文学科だったの。トモちゃんとは入学して間もない頃に出会って、ヒロくん以外とは一緒にいた時間は一番長いと思うわ」
じゃあ、大学時代の両親と一番関わりの深い人ってことか。
「隼人のお父さんとはどうやって出会ったんですか? 学部が一緒ってことはもちろん、同じキャンパスだったんですよね?」
「うん。女子の間では、心理学科の坂井広樹が超イケメンだって評判になっていたわね。私も気になって、昼休みにトモちゃんと一緒に食堂に行ったら、友達と楽しそうに喋っているヒロくんがいて。トモちゃんと一緒に一目惚れしたなぁ」
「へえ、素敵ですね」
奈央はうっとりとした表情をしながら須藤さんの話を聞いている。
大学時代に父さんに一目惚れをした。このことについては母さんから聞いたことがあったな。それが母さんと父さんの出会いであったことも。
「トモちゃんも私も積極的じゃない方だから、遠くから眺めているくらいで十分だったの。好きっていう気持ちもあったけれど、憧れという気持ちの方が強かった」
「最初は憧れだった、というのは母さんから聞いたことがありますね」
でも、その話を聞いたときには須藤さんの存在はなかった。
「けれど、そんな状態はすぐに変わった。初めてヒロくんを見てから何日も経たないうちに、ヒロくんが私のところにやってきてね。トモちゃんの前で付き合ってくださいって告白されたの」
「もしかして、隼人のお父さんも須藤さんに一目惚れしていたとか?」
「……その通り。男の人に好きだって告白されたのは初めてだったし、とまどいもあったけれど、好きっていう気持ちが強かったからヒロくんと付き合うことに決めたの。付き合い始めてからも、トモちゃんとはもちろん一緒にいた時間もあったし、ヒロくんと3人で過ごしたことも結構あったかな」
ここで俺の聞いている話と食い違っている。父さんも母さんも、お互いのことが初恋の相手だと言っていた。母さんは合っているけど、父さんの初恋の相手は母さんではなかった。しかも、須藤さんと付き合っていた。
「隼人のお母さん、どんな気持ちだったんだろう。好きな人が自分の友達と付き合っていて、そんな2人と一緒に過ごしていたときは」
奈央の指摘に須藤さんの笑みが陰り始める。
「トモちゃんは私の恋を応援してくれていたし、一緒にいるときも優しい笑顔を見せてくれていたけれど、本当は辛かったかもしれないわね。でも、今から思えば私と付き合っていても、ヒロくんのことが本当に好きだったから、一緒にいたのかもね。実際に私と別れて少し時間が経ってから、トモちゃんはヒロくんと付き合い始めたから」
今からすれば、そう考えるのが自然か。ただ、どんな理由にせよ、母さんの気持ちが強かったことには間違いないだろう。
「ヒロくんとは色々と遊んで、色々なところにも行った。彼の家にも行ったわね。もちろん、こういうところで甘いものを食べながらゆっくりもしたっけ」
「隼人のお父さんとはどこまで進展したんですか? そ、その……キスとかはしたんですか?」
気にならないと言ったら嘘になるが、それはさすがに俺では訊けないことだ。息子として知ってしまっていいのか微妙な気分になる。
昔のことでも、須藤さんもさすがにこの質問は恥ずかしいようで、
「……く、キスまではしたかな」
「きゃーっ!」
顔を赤くして小さめの声でそう言った。それに対して奈央は黄色い声を上げる。店中に響き渡ってしまうけれど、幸いなことに俺達の他にお客さんはおらず、店主の男性もこっちを見て微笑んでいた。
何だろうな、この違和感。話を聞く限り、父さんと須藤さんが別れるような雰囲気が微塵にも感じられない。父さんとの話をする須藤さんの表情も、父さんと何か問題があったようには思えない。それとも、問題があったけど、時間が解決してくれたのか。
「それでも、実際には父さんはあなたと別れ、母さんと結婚している。父さんとあなたの間には何があったんですか」
俺がずっと気になっていたのは、どうして父さんは須藤さんと別れることになったのかというところだけ。
「……やっと、本気の目つきになったね、隼人君。今の表情、私に告白したときのヒロくんとそっくりだよ。気になるのは私と別れるエピソードだけかな」
「その通りです。遥香にあんなことを言った父さんを見た俺にとって、知りたいのは父さんがあなたと別れた経緯です。それに、あなたは今日の父さんのことを聞いて、父さんや母さんが一度も話さなかったことを話す気になった。俺には、父さんが遥香に強く当たった理由があなたと別れたことにあると考えているんです」
「……さすがはヒロくんの息子だけあるね。周りの人のことを第一に考えて行動している」
可愛い妹を傷つけられたら、例え父親が相手でも怒ると思うけれど。
須藤さんの反応を見る限り、今日の父さんに結びつくことが須藤さんとの間で起こったんだな。
さすがに今の俺と須藤さんの会話で、奈央の表情も真剣なものに変わっていった。
「……付き合い始めて3ヶ月くらい経ってから、かな。ある日、サークルで夜遅くなったから、ヒロくんが私の家に泊まることになったの。それで……」
「どうなったんですか?」
「……え、えっちなことをする直前で、別れることになったの。別れた方がいいってヒロくんは言って、その日は帰っていったわ」
「……なるほど」
普通なら、2人の関係性をより確実にするはずなのに、父さんと須藤さんの場合は別れることになってしまった。
「どうして、隼人のお父さんは別れてしまったんですか! こんなに可愛い彼女さんとえ、えっちなことをする直前になって……」
物凄く恥ずかしそうに奈央は言う。恥ずかしいならわざわざ言わなくてもいい気がするけれど。
でも、奈央の言うことには同感だ。
「確かに須藤さんは女性として魅力的ですし、当時の父さんの気持ちを考えれば……そのような行為に及ぶのが普通だと思うのですが」
何があったんだ。その日の夜、須藤さんの部屋で何があって、父さんは須藤さんと別れることになったんだ。
すると、須藤さんはクスクスと笑い始めた。
「ど、どうして笑うんですか?」
「ごめんね。真剣なことを話しているときに笑っちゃって。でも、やっぱり二人にも私のことがそう見えるんだ。ヒロくんもそうだったんだよ。えっちなことをする直前まではね」
「どういうことですか?」
須藤さんが笑う理由が全く分からないんだけど。しかも、俺や奈央が父さんと同じように須藤さんのことを見ていた、だって?
「どういうことなの? 隼人……」
「……俺にも全く分からない」
俺と奈央の目の前にいる須藤歩という女性に何があるのか?
「ねえ、気付いてた? 私、自分のことをヒロくんの元恋人だって言ってきたんだよ。決して元カノだとは言っていないの」
そういえば、須藤さんは自分のことを元カノとは……確かに言っていない。そこから考えられることは――。
「ま、まさか!」
「嘘でしょ!」
どうやら、俺と奈央は同じ答えに行き着いたようで、驚きのあまり思わずお互いの顔を一度見てしまう。そして、須藤歩という人間の方に視線を向ける。
「私、男だったんだよ」
何でも好きなものを頼んでいいと言われたので、俺は遠慮なくパンケーキとアイスコーヒーを頼んだ。ちなみに奈央はアイスクリームで、須藤さんはアイスティー。
「甘いもの好きなのもヒロくんと変わらないわね。まあ、隼人君の方が更にスイーツ男子って感じだけど」
「甘いものは別腹ですからね。本当にありがとうございます」
やっぱり、外で食べるパンケーキはいいな。自分で作るよりも断然美味しい。生地の甘さと膨らみ加減が絶妙で、ハチミツやとろけたバターが生地の旨みを引き出している。あぁ、たまらない。このシンプルさもいいけれど、粉砂糖がかけてあったり、生クリームが塗ってあったりしたら更に良くなると思う。
須藤さんは俺のことを微笑ましそうに見ている。パンケーキを食べる俺に父さんの姿を重ねているのだろうか。
「隼人君、幸せそうな顔をして食べるね。甘い物好きな彼氏だから、奈央ちゃんは結構いいんじゃない?」
「そうですね。私も甘いものは好きですし。まあ、隼人は私よりもスイーツが大好きなんですけどね。時々、引いちゃうときもあるんですけど」
そう言いながらも、奈央は声に出して笑っている。というか、時々引くのか。
「でも、甘いものを食べるとき、ヒロくんも嬉しそうだったなぁ」
感慨深そうに須藤さんは呟く。
父さんは普通に甘いものを食べてはいたけれど、まさかスイーツ好きだったとは。それが遺伝したのかな。俺の方が好きの度合いが強いらしいけど。
「一息ついたところで、そろそろ話そうか」
須藤さんはアイスティーをストローでちゅー、っと飲む。こういう姿も可愛らしい女子大生にしか見えないんだけど。両親と同い年だとは思えない。
父さんも母さんも須藤さんのことは一切語らなかった。
「私、トモちゃんと同じ文学部の国文学科だったの。トモちゃんとは入学して間もない頃に出会って、ヒロくん以外とは一緒にいた時間は一番長いと思うわ」
じゃあ、大学時代の両親と一番関わりの深い人ってことか。
「隼人のお父さんとはどうやって出会ったんですか? 学部が一緒ってことはもちろん、同じキャンパスだったんですよね?」
「うん。女子の間では、心理学科の坂井広樹が超イケメンだって評判になっていたわね。私も気になって、昼休みにトモちゃんと一緒に食堂に行ったら、友達と楽しそうに喋っているヒロくんがいて。トモちゃんと一緒に一目惚れしたなぁ」
「へえ、素敵ですね」
奈央はうっとりとした表情をしながら須藤さんの話を聞いている。
大学時代に父さんに一目惚れをした。このことについては母さんから聞いたことがあったな。それが母さんと父さんの出会いであったことも。
「トモちゃんも私も積極的じゃない方だから、遠くから眺めているくらいで十分だったの。好きっていう気持ちもあったけれど、憧れという気持ちの方が強かった」
「最初は憧れだった、というのは母さんから聞いたことがありますね」
でも、その話を聞いたときには須藤さんの存在はなかった。
「けれど、そんな状態はすぐに変わった。初めてヒロくんを見てから何日も経たないうちに、ヒロくんが私のところにやってきてね。トモちゃんの前で付き合ってくださいって告白されたの」
「もしかして、隼人のお父さんも須藤さんに一目惚れしていたとか?」
「……その通り。男の人に好きだって告白されたのは初めてだったし、とまどいもあったけれど、好きっていう気持ちが強かったからヒロくんと付き合うことに決めたの。付き合い始めてからも、トモちゃんとはもちろん一緒にいた時間もあったし、ヒロくんと3人で過ごしたことも結構あったかな」
ここで俺の聞いている話と食い違っている。父さんも母さんも、お互いのことが初恋の相手だと言っていた。母さんは合っているけど、父さんの初恋の相手は母さんではなかった。しかも、須藤さんと付き合っていた。
「隼人のお母さん、どんな気持ちだったんだろう。好きな人が自分の友達と付き合っていて、そんな2人と一緒に過ごしていたときは」
奈央の指摘に須藤さんの笑みが陰り始める。
「トモちゃんは私の恋を応援してくれていたし、一緒にいるときも優しい笑顔を見せてくれていたけれど、本当は辛かったかもしれないわね。でも、今から思えば私と付き合っていても、ヒロくんのことが本当に好きだったから、一緒にいたのかもね。実際に私と別れて少し時間が経ってから、トモちゃんはヒロくんと付き合い始めたから」
今からすれば、そう考えるのが自然か。ただ、どんな理由にせよ、母さんの気持ちが強かったことには間違いないだろう。
「ヒロくんとは色々と遊んで、色々なところにも行った。彼の家にも行ったわね。もちろん、こういうところで甘いものを食べながらゆっくりもしたっけ」
「隼人のお父さんとはどこまで進展したんですか? そ、その……キスとかはしたんですか?」
気にならないと言ったら嘘になるが、それはさすがに俺では訊けないことだ。息子として知ってしまっていいのか微妙な気分になる。
昔のことでも、須藤さんもさすがにこの質問は恥ずかしいようで、
「……く、キスまではしたかな」
「きゃーっ!」
顔を赤くして小さめの声でそう言った。それに対して奈央は黄色い声を上げる。店中に響き渡ってしまうけれど、幸いなことに俺達の他にお客さんはおらず、店主の男性もこっちを見て微笑んでいた。
何だろうな、この違和感。話を聞く限り、父さんと須藤さんが別れるような雰囲気が微塵にも感じられない。父さんとの話をする須藤さんの表情も、父さんと何か問題があったようには思えない。それとも、問題があったけど、時間が解決してくれたのか。
「それでも、実際には父さんはあなたと別れ、母さんと結婚している。父さんとあなたの間には何があったんですか」
俺がずっと気になっていたのは、どうして父さんは須藤さんと別れることになったのかというところだけ。
「……やっと、本気の目つきになったね、隼人君。今の表情、私に告白したときのヒロくんとそっくりだよ。気になるのは私と別れるエピソードだけかな」
「その通りです。遥香にあんなことを言った父さんを見た俺にとって、知りたいのは父さんがあなたと別れた経緯です。それに、あなたは今日の父さんのことを聞いて、父さんや母さんが一度も話さなかったことを話す気になった。俺には、父さんが遥香に強く当たった理由があなたと別れたことにあると考えているんです」
「……さすがはヒロくんの息子だけあるね。周りの人のことを第一に考えて行動している」
可愛い妹を傷つけられたら、例え父親が相手でも怒ると思うけれど。
須藤さんの反応を見る限り、今日の父さんに結びつくことが須藤さんとの間で起こったんだな。
さすがに今の俺と須藤さんの会話で、奈央の表情も真剣なものに変わっていった。
「……付き合い始めて3ヶ月くらい経ってから、かな。ある日、サークルで夜遅くなったから、ヒロくんが私の家に泊まることになったの。それで……」
「どうなったんですか?」
「……え、えっちなことをする直前で、別れることになったの。別れた方がいいってヒロくんは言って、その日は帰っていったわ」
「……なるほど」
普通なら、2人の関係性をより確実にするはずなのに、父さんと須藤さんの場合は別れることになってしまった。
「どうして、隼人のお父さんは別れてしまったんですか! こんなに可愛い彼女さんとえ、えっちなことをする直前になって……」
物凄く恥ずかしそうに奈央は言う。恥ずかしいならわざわざ言わなくてもいい気がするけれど。
でも、奈央の言うことには同感だ。
「確かに須藤さんは女性として魅力的ですし、当時の父さんの気持ちを考えれば……そのような行為に及ぶのが普通だと思うのですが」
何があったんだ。その日の夜、須藤さんの部屋で何があって、父さんは須藤さんと別れることになったんだ。
すると、須藤さんはクスクスと笑い始めた。
「ど、どうして笑うんですか?」
「ごめんね。真剣なことを話しているときに笑っちゃって。でも、やっぱり二人にも私のことがそう見えるんだ。ヒロくんもそうだったんだよ。えっちなことをする直前まではね」
「どういうことですか?」
須藤さんが笑う理由が全く分からないんだけど。しかも、俺や奈央が父さんと同じように須藤さんのことを見ていた、だって?
「どういうことなの? 隼人……」
「……俺にも全く分からない」
俺と奈央の目の前にいる須藤歩という女性に何があるのか?
「ねえ、気付いてた? 私、自分のことをヒロくんの元恋人だって言ってきたんだよ。決して元カノだとは言っていないの」
そういえば、須藤さんは自分のことを元カノとは……確かに言っていない。そこから考えられることは――。
「ま、まさか!」
「嘘でしょ!」
どうやら、俺と奈央は同じ答えに行き着いたようで、驚きのあまり思わずお互いの顔を一度見てしまう。そして、須藤歩という人間の方に視線を向ける。
「私、男だったんだよ」
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