ハナノカオリ

桜庭かなめ

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Fragrance 8-タビノカオリ-

第13話『君の名は。-後編-』

 もうすぐ、遥香と藍沢さんがここにやってくる。どんな顔をして遥香と会えばいいんだろう。緊張してきた。

「直人先輩……」

 落ち着いている彩花さんも、さすがに藍沢さんが来るとなると色々と思うところがあるようで。入れ替わっているんだから、私よりも……藍沢さんと会うことに緊張しているんだ。彩花さんがいる以上、私がしっかりしていないと。

「大丈夫ですよ、彩花さん」
「……はい」

 遥香……じゃなくて、彩花さんは優しい笑みを浮かべる。姿や声が遥香そのものだからか、とても可愛らしく思える。
 ――ピーンポーン。
 インターホンが鳴る。遥香と藍沢さんが来たのかな。

「俺が出ましょう」

 そう言って、坂井さんが部屋の扉を開ける。そこには藍沢さんと彩花さんの姿が。この彩花さんの体の中に遥香の魂が入っているとの話。

「藍沢さんですか。それと……遥香でいいのかな」
「……うん、お兄ちゃん」

 彩花さんの声でそう言った。

「本当に入れ替わっているとはなぁ。さあ、入ってください」
「はい。失礼します」

 遥香と藍沢さんが部屋の中に入る。どことなく、2人の距離が近い気が。遥香は遥香なりに不安なんだろう。

「直人、先輩……」

 彩花さんはそう口にすると藍沢さんのことを見つめ、

「絢、ちゃん……」

 遥香は私のことを見つめてくる。姿や声は彩花さんだけれど、私に向けてくる視線は……遥香のもののように思える。

「まずは遥香と彩花さん。お互いの姿を見て、相手が元の自分の体であることを確認してくれるかな」

 お兄さんがそう言うと、遥香と彩花さんは向かい合うように立ち、お互いに見つめ合う。

「うん。目の前にいる女の子が元々の自分の体だよ、お兄ちゃん」

 と、彩花さんの声で話す遥香。

「私も目の前にいる女の子が、元の自分の体です」

 と、遥香の声で話す彩花さん。
 これで……遥香と彩花さんが入れ替わったことも確認できた。本当に……入れ替わっちゃったんだなぁ。まさか、現実に起こるなんて。
 沈黙が続いてしまっているので、空気を変えるために彩花さんに何か訊いてみようかな。

「彩花さん。この男の方が?」
「はい! 彼が私の彼氏の藍沢直人先輩です!」

 彩花さんは嬉しそうな口調で私の質問に答えた。彩花さんは入れ替わってしまっても元気だなぁ。藍沢さんと再会することができたからかな。

「そうなんだ。私、原田絢といいます。遥香と付き合っています」
「そうですか。藍沢直人といいます」

 こうして、藍沢さんと面と向かって話すのは初めてか。

「いやぁ、お互いに付き合っている彼女が入れ替わってしまうと、何とも言えませんね」
「まあ、そうですね。入れ替わるなんて漫画にしかないと思っていたので、こうして現実に起こってしまうと……」

 本当に入れ替わりが現実に起こると何とも言えない。ただ、入れ替わった彩花さんと付き合っている藍沢さんがいい人であることが、今分かる唯一の安心材料だった。

「とにかく、現状を整理しよう。遥香と彩花さんは今朝、お手洗いの入り口でぶつかったことで体が入れ替わってしまったと」
「そうですね」
「……どうすれば戻れるんでしょうね、藍沢さん」
「そこで詰まっちゃいますよね……」

 落ち着いているお兄さんと藍沢さんでも、入れ替わりなんていうのは初体験だから、打開策はすぐに思いつかないよね。
 よく漫画やアニメで入れ替わりが起こると、元に戻るために試してみることは――。

「頭をぶつければすれば戻るんじゃないでしょうか、お兄さん」

 遥香と彩花さんは出会い頭に頭をぶつけたことで入れ替わったんだ。だから、同じことをすれば2人の体が元に戻るかもしれない。

「……手っ取り早そうなのはそれだね、絢さん」

 お兄さんも同意してくれた。よし、そうと決まれば、

「じゃあ、遥香と宮原さん、思いっきり頭をぶつけてみよう!」

 2人にそう言ってみる。さあ、2人が頭をぶつけたらどうなるのか。元の体に戻ることができるかな?

「えぇ……」
「いきなり言われましても……」

 当の2人は怪訝そうな表情を浮かべて、頭をぶつけようとしない。やっぱり、痛い目には遭いたくないか。でも、やってみないと分からないよね。

「ええと、思いっきりじゃなくてもいいから、頭を当てる感じでやってみよう」
「先輩がそう言うのであれば……」
「……やってみましょうか」

 ど、どうして藍沢さんの言うことだと2人とも言うことを聞くのかな。「ぶつける」と「当てる」の差なのかな。

「じゃあ、私が遥香さんの肩を押さえますね」

 そう言って、彩花さんは遥香の両肩を添える。

「行きますよ、遥香さん」
「……はい」
「せーの!」

 彩花さんの掛け声で、2人は思いっきり頭をぶつけた。
 ――ドンッ!
 という鈍い音がした後、2人とも後ろに倒れそうになったので、彩花さんのことは藍沢さんが、遥香のことは私が支える。

「ううっ……」
「戻りませんよ、直人先輩……」

 結構思い切りぶつけたと思うんだけどな。これで戻らないのなら、何度も痛い想いをさせてはいけないか。

「ごめんね、彩花と遥香さん。痛い目に遭わせちゃって。頭をぶつけるっていう方法はひとまず置いておいた方がいいと思います」
「そうですね」
「隼人も絢ちゃんも藍沢さんも、入れ替わった原因を考えた方がいいんじゃない? 大学の友達から聞いた話を思い出したけれど、このホテルってお化けが出るらしいよ」
「お化けが原因で入れ替わりは起こらないと思うけどな、奈央」

 お化けなんていなくていいよ。何てことを言うんですか、奈央さん。良かった、ダブルルームの部屋にしておいて。1人で寝られないよ。

「これからどうしましょうか。特に寝るときとか。お互いに昨日から3泊4日なので、あと2日間泊まることになりますけれど。2人の体が早く元に戻れればいいですけど、戻れないことも想定して一応考えておいた方がいいと思って」

 藍沢さんの言うとおりだ。もし、今日中に元の体に戻らなかったら、遥香と彩花さんはどこで寝ればいいのかな。心を優先すれば今まで通りに。体を優先すれば、遥香が藍沢さんと寝て、彩花さんが私と寝るのか。う~ん。

「藍沢さんの言うとおりですね。ただ、こればかりは遥香と彩花さんの2人で決めるべきだと思います。遥香、彩花さん……どうだろう? もちろん、夜のことだから今すぐに決めなくてもいいよ」

 そうだ、お兄さんの言うように、ここは入れ替わってしまった2人が決めるべきか。私の予想では心の方を重視して、今まで通りの部屋割りになると思うけれど。
 少しの間、沈黙の時間が過ぎた後、

「私、藍沢さんと2人きりがいい……」

 遥香がそう言ったんだ。
 私はその言葉に耳を疑ってしまうけれど、藍沢さんのことをちらちらと見る遥香の姿を見て、遥香が藍沢さんと2人きりがいいと言ったのは本心なんだ。

「どうしてなの? 遥香……」

 当然、いい気持ちにはなれない。私よりも藍沢さんの方がいいという理由を知りたかった。

「……藍沢さんと一緒にいる方が落ち着くから。彩花さんの体だからかもしれないけれど」
「そんな……」

 彩花さんの体の影響があるかもしれないとはいえ、とても悔しくて、悲しかった。藍沢さんはいい人であることは分かっているけれど、彼に遥香を取られたような気がして。

「彩花はどうかな」

 藍沢さんが彩花さんにそう問いかける。
 そうだ、遥香の意見だけでは決まらないはずだ。彩花さんも藍沢さんと一緒にいたいと言えば、この状況が変わるかもしれない。

「直人先輩の側にいたい気持ちもありますが、私も遥香さんと同じで……この体の影響なのか絢さんの側にいる方が落ち着くんです。いたいっていう気持ちもあって……」

 彩花さんは優しげな笑顔を浮かべてそう言った。心は彩花さんだけれど、遥香の姿で、遥香の声で……私と一緒にいたいと気持ちを示してくれたことは嬉しく思ってしまう。

「そう、か……」

 自分よりも私という決断に、藍沢さんもさすがになかなか返事ができないようだ。

「遥香さんのことは責任を持って預かります。体は彩花でも心は遥香さんですから、気をつけて行動したいと思います。絢さん、坂井さん、香川さん……彩花のことを宜しくお願いします」

 藍沢さんは私達に向かって頭を深く下げた。彼は一緒にいるのが遥香だと思って側にいてくれるようだ。今は……藍沢さんのことを信頼しよう。

「……分かりました。彩花さんのことは俺達が責任を持って預かります」
「ありがとうございます。宜しくお願いします。そうだ、彩花のスマートフォンを持ってきていたんだ。メールとかLIMEなら、自然と話せるだろう」
「ありがとうございます」

 藍沢さんは彩花さんにスマートフォンを渡した。そっか、入れ替わっても文字なら今までと変わらずにコミュニケーションを取ることができる。

「遥香も持っておいて。いつでも連絡してきていいからね」
「ありがとう、絢ちゃん」

 遥香にスマートフォンを渡すと、遥香は優しい笑みを見せた。体は入れ替わってしまったけれど、心は繋がっているような気がして嬉しい。

「じゃあ、俺と遥香さんはこれで」
「何かあったら誰でもいいので連絡をください。もちろん、一緒に行動したくなったときでもいいので」
「分かりました。では、失礼します。彩花、またな」
「はい」

 彩花さんは藍沢さんにしっかりと返事をした。2人は互いのことを信頼し合っているように見えるな。

「遥香さん、行きましょう」
「……はい」

 遥香は私に小さく手を振って、藍沢さんと一緒に自分が泊まっていた部屋を後にするのであった。
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