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3 蜘蛛の糸
しおりを挟む「――売られるだって……!?」
「はい。なので、もう先生ともお会いすることはないかもしれません。今まで本当にありがとうございました」
もう何度目かの怪我の治療をしながら、トラヴィスが顔を顰める。
父が、また別のアルファと何とかして無理矢理にでも番にさせようとしたが、結果はまた同じ。フィアルカは何度目かの大怪我を負っていた。
それでもオメガとして花開いている以上、発情期は起こる。発情が強すぎるからか否か、因果は不明だが、フィアルカには発情を抑えるための抑制薬というものが効かず、アルファと番になるのを試さない時は、強い発情にもがき苦しんでいた。番契約を試す時は、大体は怪我をしてそちらで苦しむか、意識のないうちに発情は終わっている。
フィアルカは怪我で苦しむか発情で苦しむかしかない。
ただただ疼く胎を抱えるフィアルカを、なるべく使用人の目にも触れないように部屋に押し込め、最低限の世話をしていたのは父と母だ。言葉でも当然言われてはいるが、言外にも役立たずだと、家の恥だと言わんばかり。
そうしたことを何度か繰り返し、ようやく父は諦めた。
父は、フィアルカに見切りをつけ、今はせめてと、掛けた金を少しでも回収しようと躍起になっている。
だからこうして会えるのも最後かもしれないと礼を言えば、トラヴィスは開いた口が塞がらないといった様子で、目に見えて呆れていた。
「問題児でも何でもない実子を売る? 貴族が?」
「問題を起こしている事実はあるので……」
「それは君の体質が原因であって、君自身が何かしたわけではないだろう。しかし外聞もあるのに、貴族が子を売るなんて一体どうするつもりなんだ」
「その辺りは、私が淫蕩にふけっていたから、相応しい場所に送ったなど、どうとでもするのでしょう。私の体質では、修道院などに行かせるわけにもまいりませんでしょうから」
「だから縁談が継続されなかったのだ」など、理由はいくらでもでっち上げることができる。そして声上げてそれを覆すこともできはしない。箱入りで育てられたフィアルカには、そんな手段も人脈もない。
「しかし、花街に行ったところで、私は結局オメガとしては何の役にも立てないと思うのですが。胸に傷跡もありますし」
「いや……男娼は単にオメガが人気あるってだけで、ベータの男娼もいるから、そこはアレだけどさ……」
いつもはきっぱりはっきり物を言うトラヴィスにしては、歯に物が挟まったような言い方をする。フィアルカは首を傾げた。
「番になって家を出られるんだったらまあ、いいかと思って黙っていたけれど、処分しようとするなんて……」
処分。他人の口からその言葉が出てどきりするが、実際そのとおりである。
自分の末については、嫌ではあるが、仕方がない。
ただ、幼少のフィアルカの病弱の原因を見抜き、難しい手術を成功――方法自体はさほど難しくはなかったらしいが、場所が場所だけに死なせてしまう危険性が高い手術を引き受けてくれた。
命を助けてくれたトラヴィスには、こんな結末で申し訳がないとは思っている。
しかしそんな大恩ある当の本人は、フィアルカの目の前ですっかり黙り込んでしまい、何かを真剣に考え込んでいた。
「せんせ、「フィアルカ」
日頃はよく喋るトラヴィスのその雰囲気に少し焦ったフィアルカは口を開こうとした。しかしそれはトラヴィスの真剣な声で打ち消されてしまう。
「――花街に二束三文で売られるくらいなら……うちに来るかい?」
「……え?」
「君のその体質を生かして手伝ってもらえそうなことがあるんだよね」
「……私に?でもそれは、先生ご迷惑がかかってしまうのでは……」
「うん。うちもそんなに儲かってるとかじゃないからさ。それ以外でも働いてはもらわなきゃいけないけど」
そもそもトラヴィスは優秀とはいえ町医者だ。フィアルカの診察に関してはそれなりに貰っているらしいが、それでも貴族の医者に頼むよりは安い。父がちらりとそんなことを言っていたのでフィアルカも知っているし、世話になるのなら、働くのは当然のことである。
「診療所で雑用をしてもらうのと、アルファとオメガが上手く番になる手伝いをしてもらえないかな」
「……番になる手伝い?」
「番契約に至る条件は、当然知っているよね」
「はい」
番契約は、アルファとオメガが互いに発情状態で性行為を行い、アルファがオメガの項を噛むことで、成立する。アルファがオメガの匂いの元となる場所である項を噛むことで、項に体内に胎内に。永久的な所有印を刻み、オメガを変質させるのだ。
「君も一番最初に上手くいかなかったときは、さすがに何も言われなかったでしょ? 特に定期的に発情期がくるオメガより、アルファは強い発情状態になりづらいから、失敗ってそんなに珍しいことでもないんだよ。君の場合は原因がはっきりしているからアレだけど」
トラヴィス曰く、事故で番になってしまうことばかりが取り沙汰されることが多いせいで目立たないが、番契約が上手くいかないというのは、そんなに珍しいことでもないらしい。
特に近年バース性がオメガであっても、発情期が来なかったり、周期が安定しない発情不順が多く、それと同様にアルファの側も、オメガの発情を呼ぶような強い発情を起こせる者が少なくなっている。
これについては大昔行われていた不同意での番契約を禁止する法ができて、アルファ側が発情を使わなくなり、退化しているという説もあるらしいが、定かではない。
「ただ、アルファさえ強い発情状態になれば、薬を飲んでいない限り、オメガ側は大体誘発されて発情する。オメガにはアルファの庇護下で子を産むという本能があるからね」
「ということは、私に手伝えることというのは」
「アルファを強い発情状態にすることだね。オメガの発情不順の治療と、番契約の補助。それが君の仕事になる」
それを聞いたフィアルカは、今まで起こったことが頭を過ぎり、不安になった。
「試情馬のような役割と言えばいいかな」
「試情馬?」
「分かりやすくいうと『当て馬』か。馬の繁殖の際に、雌の馬をその気にさせるためだけの馬がいる。その馬は自身が発情しても、雌馬になにもすることができない」
「なら、私もアルファとは何も?」
「そう。君自身はアルファに触れることも、当然番になることもできない。薬も効かないから、辛さを軽減してあげられないけど……」
「やります」
この体質が変わらない以上はどこにいても同じだ。
もう家にはいられないし、花街に売られたとしても役に立てる気はしない。それに客としてどこかのアルファが相手になってしまえば、恐らく今までと同じようなことが起こる。暴力に晒される可能性が少ないというのもある。
――それに。
どうせもがき苦しむなら、トラヴィスの迷惑にならない限り、人の役に立てる場所の方がいい。
そう考えたフィアルカは、トラヴィスの差し伸べた手を迷うことなく取った。
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