試情のΩは番えない

metta

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 リオルドは軽い錯乱状態のフィアルカから無理矢理聞き出すようなことはせず、数日の間、ばたばたと早朝のうちに出ていき、夜遅くに戻るを繰り返していた。きっとフィアルカのあれこれの対応だろう。
 それを申し訳なく思いながら、テオリアの世話をしていると、食事のあと少しでも気分転換をしようとディリエが誘ってくれた。何とかそれに乗ってフィアルカはようやく久しぶりに部屋を出たのだが。
 気のせいか、建物内の空気が何となく悪い気がする。いつもなら軽く挨拶を交わしたり世間話をする使用人たちが、目配せし合ったり、心なしか気まずそうな会釈をするのみだ。

「――フィアルカ様、私ひとつ仕事を思い出して。申し訳ありませんが、先に中庭に向かっていただいてもかまいませんか?」
「? はい」
 
 いつもきっちりしているディリエにしては珍しい。しかし仕事なら仕方がないので、フィアルカはテオリアと2人で中庭へと向かった。

「……気持ちがいいね」

 朝から昼に変わる青々とした空に、草木の匂いがする穏やかな風、テオリアの温もりと重み。何かが解決するわけではないが、混乱や鬱々とした気持ちは幾分治まってきて、何とかリオルドに話をしなければいけないなとほんの少しだけ冷静になった。ここ数日フィアルカの不安を感じ取って、ぐずぐずしがちだったテオリアも、今はご機嫌そうだ。「うー」とか「だっ」と言いながら手をぱたぱたさせている。
 喃語を言うようになったことと、縦抱きが基本になったことで垂れやすくなったよだれを拭きながら2人で中庭を散歩していると、庭師が切った枝を集めている。いつものとおり挨拶をしたが、なぜだか変な顔をしている。

「……あんた、番になりたくないオメガを無理やりアルファと番にさせるようなことをしたんだって?」
「……え?」
「オメガって一度番になったら嫌でもその相手としかいられないんだろう。それで呑気に子をこさえて、なかなかの神経してるな」

 唐突な言葉が鋭い棘となってフィアルカの胸を刺す。せめてそれがテオリアに刺さらないよう庇うようににぎゅっと抱きしめた。
 これはきっと、リオルドから離れるようにと言う公爵の仕業だろう。ディリエ以外の使用人達はみな通いだから、噂なんて流そうと思えばいくらでも流せる。ディリエはフィアルカより敏い。別の使用人達の空気を感じ取って何か対応に向かったのだとようやく思い至った。
 
「フィアルカ様! お待たせしました」
「ディリエさん……すみません。部屋に、戻ります」
「えっ、あ――!」

 ディリエは二の句を告げる前に庭師を見つけ、きっと睨みつけた。美人に睨まれた庭師はバツが悪そうにそそくさと仕事に戻っていく。そのやり取りで他の者にも話が広まっていることが見て取れた。

「せっかく誘っていただいたのに、申し訳ありません」
「いえ……あの。差し出がましいことを申し上げますが、リオルド様にご相談された方がよろしいのでは……」
「相談……」
「一時的にでも、テオリア様と、どこかに隠れるなどした方が。あの方と対峙するのはフィアルカ様の精神衛生上よくないと思うのです」
「ありがとうございます。リオルド様には、相談します」
「一応使用人達には注意をしておきましたので、あまり気になさいませんよう」
 
 脅される弱みがなければそれが一番いいのかもしれない。しかしフィアルカがやってしまったことは消えないし、自分のしたことから逃げるのが正しいとも思えない。それに、公爵はフィアルカが消えることを望んでいるので、逃げればさらに追い詰めてくるだろう。罪を大広に知られてしまったら、フィアルカの味方はリオルド以外に誰もいなくなる。それだけならまだいいが、リオルドやテオリアにどんな不利益が降りかかるかと考えると、本当にそれでいいとは思えない。寄り添ってくれると言ったあの言葉は嬉しかった。けれど悪いことになる可能性が高いのを分かっていながら、巻き込みたくはない。
 大事なのは、自分ではない。リオルドとテオリアだ。
 
「フィアルカ、体調は大丈夫か」
「はい。ご心配をおかけして申し訳ありません」

 今日も夜遅くに帰ってきたリオルド。
 どこまで言っていいものかは分からない。しかしここの部分はもう、言ってしまってもいいだろう。

「私のせいで身を投げたという方……その方が、あの方の娘さんだということで……」
「そのようだな。ディリエの方から使用人に噂が回っていることも聞いたし、一時的にどこかへ避難させられないかとも言われた。急ぎ場所を手配したから、一旦そこへ」
「でも、逃げてしまったら……」
「逃げるわけではなく、まず私が話をする。落ち着いたら話し合いの席も設けるつもりだ。だから逃げるなどと思わず、私とテオリアのために避難をしてほしい」

 リオルドは自ら降りかかるかもしれない不利益より、フィアルカとテオリアの心配をしている。そんな姿を見せられてしまえば、嫌だなどと言えるはずもない。

「……はい、分かりました。申し訳ありませんが、お話し合いができるよう、お取り計らいのほどよろしくお願いします。あと……使用人のみなさんのことは、叱ったりしないでいただけると」
「……分かった」

 リオルドは嫌そうな顔をしていたが、彼らに罪はない。フィアルカが念押しをすれば渋々了承をしてくれた。
 最低限のものは揃えてあるので、まずディリエとテオリアとともに移動し、足りないものを揃えていく形になるそうだ。
 離れがたいと全身で表しているリオルドに見送られ、乗り込んですぐに馬車は出発する。敢えて安いものにしたのだろう。馬車はがたがたと音を立てて車輪の軋む音がする。うるさく揺れる車内は落ち着くとは程遠い。
 テオリアはずっとぐずっていて、外があまり見えないのもあって、馬車の中は少し空気が澱んでいた。

「ディリエさんも、すみません……」
「いえいえ。疲れたでしょう。抱くのを代わりますよ」
「あ、はい。ありがとうございます」

 脇の下に手を入れて、ディリエの方に差し出せば、テオリアはいやいやと手足をばたばたさせたが、ディリエに抱かれてすぐに大人しくなる。
 程なくして止まった馬車を降りれば、緑豊かな広い庭にこじんまりとした屋敷が見えた。庭が広いので周囲の建物は見えない。少しの散歩くらいは出来るかもしれないが、まずは身の回りを整えなければと荷物を持って屋敷へ足を進めていると、先を行くディリエの足がぴたりと止まる。
 そういえばディリエは馬車の中でも言葉少なだった。疲れているのかもしれないと急いで近づこうとした時――

「ディリエさん」
「――こちらに近づかないで。そのまま去ってください」
「…………え?」
「許せるわけがない」

 それはディリエが発したものとは思えない、温度のない声だった。

「幸せになるなんて、許せない。だって、私は……貴方のせいで望まない番になってしまったのですから」
 
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