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女たち

煙と情報

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 皆より早い時間に出勤。
 日勤者はまだ作業中。夜勤者はまだ来ない、そんな時間だ。

 喫煙室に行くと、今日に限って山口がいた。

「おやまぁ、春子ちゃん吸うの?」

「………たまに。それに二十歳になってるから問題ないですよ」

「二十歳になって、よーし吸うぞーって始める奴ぁ居ないわな!
 いいよいいよ、ここに来な」

 山口はここに来て少し腹が引っ込んだ。
 緑派遣からしたら、この現場の状況にさぞ驚いただろう。
 よくここまで持ち直してくれたものだ。

「俺の監督不行届で………悪いね。
 まさかそんなことになってたなんてな…」

 山口は電子煙草をテーブルに置き、眼鏡を拭きながら顔を顰める。

「秋沢さんは部下の扱いも上手くてね…何故俺に連絡して来たのか、察するよ」

「秋沢さんはフルムーン社で次長でしたよね?
 何故この会社に来たのか…知ってます?」

「うーん……これはまぁ。噂の噂だからねぇ。
 あのフルムーン社の支社、閉鎖になるらしいんだよね」

「閉鎖?フルムーン社は今年も黒字だったって聞いてますけれど」

「そう。業績は問題ないんだよ。
 ただ、あそこに工場が建ってから不運続きらしくてね。
 幽霊が出るんだよ」

「……………は?」

「いやいや、俺をそんな目で見ないでよ!
 始めは夜勤者が目撃してたんだけれどね…そのうち昼まで出るようになったって」

 おちょくっているのか?
 それとも本当にそんな話があるとでも言うのか。全く情けない話だ。

「霊を信じない人で回せばいいじゃないですか」

「それをやってたのが秋沢さんなんだよ。
 例えば、そんなものでマシンにトラブルがあるなら問題だけど、実際作業に問題は無かったんだ」

 それなら尚更、なぜ今閉鎖なんて話が?
 川田や矢野は知っていのだろうか?

「でもねぇ、半年前に工場長が副社長の視察に対応した時、出ちゃったらしいんだとさ」

「何がです?」

「だから、幽霊!」

「はぁ………」

「しかもその帰りに副社長を乗せた車が事故起こしちゃってね…」

 そう言えば、ニュースで見たな。
 重体のち、助からなかったはずだ。

「でも、一度だけですよね?偶然かもしれないじゃないですか」

「問題は幽霊じゃないんだよ。
 顧客が気味悪がって商品を買わなくなったりしたらまずい」

「フルムーン社のあそこの支部は今、何が主力なんです?」

「確か、子供用電子玩具の類だよ。
 タブレットに簡単なAI機能が付いてて会話が出来るやつなぁ」

「あはは、なんかいかにも噂に尾ひれはひれが付きそうな!」

「そうなんだよ。あの工場で作ってるから故障したとか、AIが勝手に何か喋ったとか……普通ならただの不具合が、恐怖の玩具になっちまう。
 当然、売上も下がる」

「そんな奇妙な事もあるもんですね…」

「そうだねぇ…」

 山口はまた煙草を咥えると、ふと真顔で私に向き直った。

「仁恵ちゃんは無事かい?」

「はい」

 なんと答えたらいい。
 山口は仁恵が受けていた問題をどれだけ知っているんだ?

「しばらく有給休暇を取るようになると思いますけれど」

「怪我はないかい?
 俺は自分が不細工な事を学生時代は悩んだもんだが、美人は美人なりに、恐ろしい目に遭うものだなぁ…。なんとも、全く…」

 そういい、山口は項垂れた。

 そこへ出田が現れた。

「えぇ!?外から見えなかったよ…こんな早い時間にどうしたんだお前ら」

「いやぁ、眠れなくて」

「俺もなんだか早く目が覚めてなぁ…」

 出田も喫煙室に入る。
 極度のヘビースモーカーなのだ。

 空気清浄機のある小さな空間で三人、顔を突き合わせる。

「春子ちゃん、仁恵ちゃんは?」

 出田は全て把握している。
 何を言えばいいか…今一番大事な事ってなんだ?

「仁恵さんは、もしかしたら辞表を出すかも…ですね…」

 出田は眉を寄せ、煙を吐き出す。

「まぁ。それがいいわな…。皆に噂が広まった中では働きにくいだろう…」

 それもそうだ。
 話を知ってしまえば、社員は皆そんな目で仁恵を見るだろう。

「居候先なんですけど、近々家主が引っ越すんですよね……お金も取られてたらしくて、行くアテも無いらしくて不安そうにしてます」

「ふん………行くあてか…………」

 出田はそのまま考え込むように、口を閉ざした。

 そこへ山口が頭を抱えて別の問題を引き出してきた。

「春子ちゃん、明日会議だけど…大丈夫かい?
 代わりに秋沢さんとは俺が出ようか?」

 会議………そうだ。明日は冬野と顔を合わせるのだ。
 むしろ、冬野がどんな面を下げてのこのこと出てくるのかと思うが、それがまかり通っている世界があの会議だ。

「春子ちゃん、山口さんにお願いしてみたらどうだい?
 今の『彼』は自分のオモチャを取り上げられた子供だよ。新しいオモチャを欲しがる可能性もある」

「それだけどねぇ、この会社は何故労基に頼らないのかねぇ…残業代だってサービスだし、交代勤務手当も出ない」

 禁句だ。
 それをやろうとして出田は飛び降りたのだから。

 だが、出田は何も気にしていないようだった。

「それは前から度々問題には上がるんだが…素振りを見せた途端に潰されるのさ」

「なら、外部の組織は?
 対ブラック企業の特殊な請け負いをしている企業があるようだけども」

「あれはな…。辞める意志があって初めて足が向くかどうか…。
 マスコミで騒がれ上層部が変わり企業が改善しても、次はその企業のイメージ改革に取り掛からなきゃならん。
 それをやれるだけの面子が自分たちに揃っているか…。そうでないなら、イタズラに引っ掻き回すのは得策じゃない」

 警察。医者。
 大きな分岐になるこれらがまず敵である事。
 労災にもならず、事件も揉み消され………。
 そうだ。
 そうなると物証はいずれ役立つ。
 それこそ、佐伯次長が金を積んででも慎也から買い取るほど。

「山口くん、俺の車椅子はそれだよ。
 まぁ、やっちまったもんは仕方ねぇ!自分が負けたから逃げようとしたんだ。
 でも発端がそれだ。
 たった数人でこの『色』を変えようとすると、痛い目見る」

「……!そうでしたか…。

 全く………ガラの悪い連中め………」

 山口を会議に……いや、山口が欠けたらいよいよ現場の士気が下がる。
 それにあの会議で女性が嬲られた事例は今の所ない。
 佐伯次長もいる。
 大丈夫だ。出席しよう。

 何より冬野に弱気になる自分を見せては駄目だ。

「大丈夫です。明日は出席します。
 秋沢さんも佐伯さんも居ますし」

「何かあったら俺に着信を入れるんだ。
 留守電にしておくから、最悪録音できる!」

「そうだな…ボイレコか……手があいたら作るか」

 そんな鶴を折るくらいの気軽さで……。

「そう言えば、出田さん」

 言うか言わぬか迷った。
 しかし、確認しておきたかったのだ。
 出田の嫁だ。
 未遂に終わった出田は今の所まだ給与も、A棟にいた時と同じ決められた支払いのままだという。

「A棟に来た奥さんは今は無事ですか?」

 その身の安全もだが、何より冬野に飼われてしまったら厄介だ。

「あぁ、あいつか!話しそびれていたが、俺と一緒にF棟には来れなくてな…。
 思い切って、辞めさせたよ!」

「そうですか!少し……ほっとしました…」

「うん、うん。それでまぁ、今の所手当てなんかも出るからな。子供ももう巣立ってくと思うし…そんな生活に余裕が無いわけじゃないんだが、どうしても就職したいところがあるっつってな」

「お元気そうで良かったです!」

 出田はにやりと私の顔を覗き込む。
 なんだ?

「まぁ、お楽しみよ!」

「なんですかそれ」

「今は弾倉を磨いてる段階って事だ」

 姫ちゃんと言い、なんといい………。
 諦めの悪さはピカイチだ。

『辞めてしまえばいい』

 本来近くにある簡単な事が、ファンタジーのようだ。

 戦うしかない。
 戦うしか、道がないんだ。
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