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女たち

失望

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 麗との待ち合わせ場所が変更になり、バイト先ではなくマンションに変更。

 仁恵が元気ならいいが。

 アルコールを三人分、簡単なバラエティーツマミを車から降ろし、麗に着信を入れる。

 時刻は十八時。
 出歩いて人目につくのは危険だ。
 麗の部屋で話をすることになった。

「あら、早かったわね。今日は休み?」

「うん。夜勤明けの1日目」

「お疲れ様」

 麗とエレベーターに乗る。

「何?その荷物」

「酒!!」

「………少し多過ぎるわ」

 麗はあまり飲まないのだろうか?
 エレベーターが三階に到着すると、麗は無言で廊下を歩き玄関のドアの前で足を止めた。

「言い難いんだけど……私一人よ。
 霜山さんはもう居ないわ」

「居ない?出掛けたの?」

 それとも新しい住まいが見つかったのか…?
 いや、敷金も礼金もない状態だ。
 新しい住み込み先か?

 となると、辞表の件はどうなったんだ?

「まぁ、ゆっくり話しましょう…」

 麗に促され中に入る。

「引越しはいつなの?」

「来週の水曜日」

「すぐだね…」

 とりあえずテーブルにつき、買い込んできた物を広げる。

「麗は何が好き?ビール?カクテル?日本酒はないけどハイボールはあるよ」

「その前にこれね」

 麗が何かトレイの様なものを手に乗せている。

「二十歳、おめでとう…」

 なんというかこんな顔つきなのだろう。
 麗は真顔でテーブルの上にトレイを置く。

 フルーツタルトのケーキだった。

「え……?」

「うちの店に来た時、あの日が誕生日だったんでしょ?」

「うん。そうだった…ありがとう!」

 小さなナイフで皿に切り分けられる。
 キラキラと光るフルーツに思わず頬が緩む。

「私はビールがいいわ」

「じゃあ、私レモンハイを…」

「ふふふ!レモンハイばっかりね!」

「うるさいなー!もう」

 二人缶を開け、何も言わずして向き合う。

「乾杯」

「カンパーイ」

 正直、寝起きな訳だが爽やかな柑橘類の香りがスッと染み込む。

「苺、桃、ブルーベリー……うわぁどれから食べよう!」

 ニヤける私をよそに、麗は心ここに在らず……と言う感じだった。

 何か言い出しにくいことか?

「桃!ん、甘い!ねぇ食べなよ!アーモンドクリーム凄いんだけど!」

「そうね」

 麗がスラリと長い指でフォークを持ち、苺を刺す。
 だが、口に運ばずそっと手を離し頭を抱え、話し出した。

「霜山さん、私が追い出したの」

「え………?」

 追い出した?
 彼女は行く宛が無いのに。
 社員寮はまだ引き払って居ない状態だ。冬野達に見つかれば連れ戻されるかもしれないのに。

「何があったの?」

「………私こそ、理解出来ないわ…」

 麗の話では、ここに来て一晩休み、すぐに仁恵から打ち明けられたというのだ。

『幸田さんが今でも忘れられないの』

「そんな……脅迫されてたんだよ!?」

「聞いたわよ。それでもいいんですって。
 幸田とまた同じ部屋で暮らしたいって」

「そんなことしたら、そのアパートが溜まり場になるだけだよ…」

 麗も心底参ったように額を擦る。

「普通はそうよね…。DV紛いの男から離れて寮に入ったって……春からも聞いてたし、霜山さんからも聞いたのよ?
 自分がDVされていた記憶はあるのに、何故戻るのか……分からないわ」

「例えば…気を使って出ていったとか…」

「………最初はね。私もそう思って止めたのよ。
 でも話せば話すほど、もう彼女は戻れないって確信に変わったの」

『幸田さんは元々はそんな人じゃなかった』

「何も止めようがなかったわ。
 ならば、ここに居られると不味いのよ。
 次の私のアパートの場所とか、知られたくないのよ」

 確かに。
 麗は無機質な面持ちだが、いかにも冬野が絡みそうな綺麗めの美女だ。
 仁恵から情報が漏れて、何か被害を受けたりしたら取り返しがつかなくなる。
 まぁ、まさか社長の長女にそんな真似はしないと思うが。

「春、許してとは言わないけど…私は彼女を匿い続けるのは危険だと判断したのよ…」

 麗がそう思ったのなら、そうなんだろう。
 仁恵…………。
 新入社員の頃、よく気配りしてくれた美しい記憶が歪んで行く。

「幸田ってのは何者?
 人事課にいるって聞いたけど」

 麗は空になったビール缶を握り凹ませながら、忌々しそうに考え込む。

「何者………?ケダモノ……」

「そうじゃなくて」

「新年会や接待、ことある事にあのホテルを利用するのが幸田。
 そう、あの男、人事課なのね…。私の母がいた頃は営業だったはずよ…」

 だから接待か……。
 他の社員より利用回数が多いわけだ。

「そんな狡い男なら営業にいた方が自由だったんじゃないのかな?」

「さあね。
 ホテルに客人を呼ぶのはいいけれど、コンパニオンの類は一切使用しなくて有名だったのよ…」

「……?」

「あてがう女性も社員を使うのよ」

「うちの?」

「ええ。誰かセクハラ行為受けてる人居ない?見目のいい女性だと思うわ。人数は…………そうね、多くて七人程度よ」

「うーん、現場の人間は穴が開けばすぐ分かるから…………。
 派遣さんやパートさん以外はほぼ男性だし、仁恵さんのように現場に残ってる人は把握してるけど、人数はそんなに纏まった数じゃないよ?」

「本社は?例えば、異様に美男美女が多い課とか……」

 本社………。
 いたな。言われてみれば。

「本社のフロントレディだ………数は分からないけど、常勤五人は居たと思う」

 フロントは社員は特に声をかける機会が無い。
 出入りは自由だし、皆現場の人間が本社に行く時は会議の際だ。
 美人など目もくれず、頭がパンクしそうな状態で赴く。

「気の毒ね」

「うん」

 コンパニオン代わりって事は………どこまでなのだろう…?
 彼女達は客人のアポがない日はフロントの奥でサボっている。
 サボっている………?
 隠れている…………?

「わ、私ブスでよかった……のかな?」

 私の自虐に麗は冷静に考える。

「いえ、見た感じの女性の傾向は黒髪で細身で、モデル系の人が多かったわね…。多分、あんたみたいな童顔な女性は好みじゃないんだろうと思うわ。

 …………そうね。だから人事課なんだわ。フロントに人員を移動させるのは幸田……」

 前に冬野に倉庫で『移動願いを受理してやる』と脅されたな。
 人事課も冬野と繋がってる。

「そう言えば、先日殴られたって言ってたブレーカー君は?」

 土井か。

「出血の割に傷は浅かった見たい。その日の夜勤に顔だしたよ。
 頭は凄い出血するから、動転しちゃった」

「良かったわね」

「吃りがある人なんだけど、凄く優しいしすっごいセンスいいの!」

「へぇ」

「あと、その人。隠れてブログやってるんだよね」

 スマホから麗に送る。
 麗は無言でしばらくサイトを見続けた。

「………………なるほどね…」

 そしてスマホを伏せる。

「今の所、影響力はあるの?」

 どうだろう?慎也に聞いたものだから、派遣のような転職をする者の間では閲覧があるようだが、社員たちは噂にもなっていない。
 知っていても、言い出せないのか…。特に冬野は主犯な訳だから。

「でも、情報操作ならこれじゃ足りないわよ?

 そうね、別の場所で荒れた物を『姫ちゃん』に取り扱ってもらうのがベストかしらね」

「別の場所?」

「例えばだけれど、あのホテルの従業員がこの会社の悪事を録音、撮影してTwitterにあげる。
 勿論、モザイクもしてね…。

 そこからこの『姫ちゃん』に実名報道させるのよ」

「それってヤバくない?」

「ものと状況によるわ。
 今回の霜山さんの動画。私は見てないけど状況を聴く限り、そんな使い方も出来たわね。
 最も、霜山さんがここに居続ければそんな事は考えなかったけれど。今となっては惜しいわね…」

 考えなかったも何も、その動画はもう手元には無い。

「何か………ネット住民にだけ広がる悪い噂が欲しいわね…」

 噂…………。
 フルムーン支社のような、オカルト的なものがいいだろうか?
 それとも、もっと法に触れるような悪事の方がいいのだろうか?

「Twitterの次は証言者よ」

「噂の?」

「そう。居酒屋や食堂。人が集まる場所で、尚且つ昔から町内にあるような飲食店がいいわね。

 つまり、社内の情報を発信する生身の人間よ。ネットを裏付ける。
 それも、したたかで頭のいい人がいいわね」

「そんな上手くいくかな…今の所、現実的じゃない気がするな…」

「いずれの話よ」

 いずれ………か。

 その頃、私は何歳なんだろう?

 そうだな。
 麗には掘り下げて聞けることは聞いておこうか…。

 大丈夫だ。
 彼女は頭脳明晰で状況分析も申し分ない。冷静に判断できる。

 そう、仁恵を情に振り回されず退去を命じたように。
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