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B棟 見学

B棟 御自宅で

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「ふ……くくっ!」

 階段を降り切った辺りで栗本が、私の乱れた髪を見ながら笑いだした。
 何笑ってんだよ!
 笑い事じゃないよ本当に。

「あん時の!お前の顔!!」

「当たり前じゃん!そうなるよ!」

 まさかあんな人が居るとは聞いてないし、話が通じないなんて……!

「俺ので良ければ?」

 栗本がクシを差し出してきた。
 いつも使ってる感じじゃない。ポケットの屑が絡まっているが、ないよりマシか。

「すまん、借りる。
 ……酷い目にあった……」

「ぷぷぷ…ま、どんまい!
 それにしても、あんな人……よく雇ってるよな。大丈夫なのかな」

 そうだ。彼は三階で何をしているのだろう?

「おい、お前ら。こっちだ。休んでいけ」

 佐伯次長が一階のフロアの鍵を開ける。
 壁のおびただしい数のスイッチを全て上げていく。
 明かりがついてようやく中に入れる。
 まず目の前に現れたのは下駄箱だ。
 普通なら玄関口にあるはずの、スチール製の物だ。高さは私の目線よりずっと高い。
 これが原因だ。廊下の窓からフロアが見えないのは。
 それらが左右に並び何台も連なっている。

 人一人がやっと通れる程の幅に置かれていて通路が出来ている。
 突き当たりまで来ると更に横に下駄箱が繋がり、中心部まで螺旋状に続いた。

「その辺に座ってくれ」

 フロアの中心十二畳程のスペースが開いていた。
 椅子やらファイルやらが散乱し、生活感が見受けられる。

(御自宅!)

(しーっ!聞こえるって!)

 佐伯次長がB棟に住んでいるとは聞いていたが、まさかの一階とは。
 足の畳まれた二つの長机の上に梱包材と煎餅布団が乗っている。
 ここで寝泊まりしているのか……。

「バレないですか?これ」

「名目上は仮眠室だし……誰もこの棟には寄り付かねぇし」

 その上やる事はやってるからな………。月原さんの現場はもう一度、今度は中も見学してみたい気はする。

 それよりもだ。

「三階は………何を製造してるんですか?」

 火守さんは果たして普段は大丈夫なんだろうか?

「あいつの娘がなぁ…うちの会社にいたんだ」

 佐伯次長は私たちに紙コップとスティックコーヒーを差し出し、なんとも参った様子で話し始める。

「一人娘だったんだが…よりによって配属先がC棟のカウンターでな」

 総合案内所。
 望まぬ身売りか。

「亡くなったのは…………それで?」

「遺書はなかった。だが、恐らくな。
 薬で。場所は元のグランドホテルの客室だよ。あそこは昔旅館だったろ?」

「そうなの?」

 栗本が私を見る。

「確か、なんとか庵っていう……」

「改装したんだ。噂が酷くて」

 噂…………自殺した霊が出る旅館とか?

「自殺した女性の父親が、毎夜刃物を持って彷徨くってんで。
 何度も警察沙汰になってるんだよ火守のやつ」

 そっちかよ!

「大丈夫だったんですか?」

「うちは総合案内所の事を出されたくない。
 一方火守は精神的に、な。
 だから毎回、そのまま搬送されて措置入院って感じだった。

 最近は滅多に取り乱すことは無かったんだが…………ふむ………確かに、言われてみれば…お前、背格好が似てるかもしれないな」

 故人と似てると言われるのは…なんとも心地のいいのもでは無いが。
 火守には同情する。私なんかが簡単にそんな感情で片付けるのは失礼と承知だが、それ以外に何があるだろう。

「そう言えば…疑問なんですけど…」

 栗本はコーヒーに三本目のシュガーを入れながら佐伯次長へ顔を上げる。

「今、総合案内所にいる女の子達は…何も問題ないんですか?」

 確かに。
 私が入社してからまだ二年だが、彼女達の顔ぶれに変化は無かった。

「いや、だから。その焔華さんが亡くなってから、大丈夫な女を入れるようになったんだよ」

「元………風俗嬢とか……?」

「それもいる。彼女達は半分以上は現役で、夜には繁華街の店の中だ」

「現役?風俗って儲からないんですか?よくわかんないんですけど。
 栗本、あんた行く?」

「ノーコメント。
 そんなの慎也に聞けよ。詳しいだろあいつ」

「おー」

 栗本が四本目のシュガーを手に取ったところで、佐伯次長が気まずそうに目をそらした。こいつ甘党なんだな。

「彼女達の目的は職歴だ。堂々と風俗店に籍を置きながら、履歴書には『株式会社 エンゼル』と書けるのだから…」

「なるほど!
 じゃあ、望んであそこにいるのか」

 そう聞くと、ちょっとホッとする。
 しかし、そのシステムになるまでには犠牲があった訳だ。

「火守はロボット工学は強い奴でな。常に開発者側に転々と引き抜きされ続けていたのを、俺がここに呼んだんだよ。
 ところが、その後焔華さんが入社して………」

「B棟で匿ってるんですね…?」

 あの状態だ。仕事になるはずがない。
 俯いてコーヒーを啜る私と栗本を、佐伯次長はポカンと見下ろした。
 やばい。失言だったか?

「いや、匿ってなんかないぞ?
 だから、あいつは仕事は優秀なんだよ」

「え………?」

 それは……今、バリバリ働いてるってことか?
 なんだ?なにか話が噛み合ってない気がする。

「えと、
 焔華さんの一件以来、かつてのような作業が出来なくなった、と言う話ですよね?」

 佐伯次長は私の言葉に、一瞬遅れて「わははは」と笑いだした。

「お前はさっき酷い目に合ったからな!
 ははは、最近はいつもしっかりしてるよ」

 いやいや、嘘でしょ?
 そうには思えないんだけれど…。

「まぁ、以前とは違った物に走ってるがな。
 廊下に人形が居たろ?」

「ぶ、不気味でした…。あんな、まるで本物みたいな………」

 今思い出してもゾッとする。
 ところが栗本がとんでもない事を言い出した。

「不気味?えっ!?不気味っ???
 エロい、じゃなくて?!」

「はっ!?」

「だって、あれ。そーゆー人形だろ?」

 何言ってんだ?

「あんた何言ってんの?」

「あ、あのな。琴乃…………」

 佐伯次長が言いにくそうに顎を撫でながら目を泳がせる。

「三階に女性が入らない理由は火守じゃないんだよ。月原を見てもあいつは毎日普通にしてるからな…。
 お前はたまたまだろう。うーん、思い出せば思い出すほど似てるな…お前」

「あ、俺わかった。
 男性向けのエログッズですか?」

「うむ。そうだな。手っ取り早く言うとそうだ」

「……………」

 え…………?

「おい、大丈夫か?
 刺激が強すぎたか?」

 いやいやいや。
 そうじゃなくて。

「月原さんの現場は分かります。木ノ下さんの現場も…………でも、アダルト用品の製造って…なんでそんな物を…?
 いや、別に駄目とか良いとかじゃないですけれど!」

 き、気になる。
 あの人形は他の会社の既製品だよね?さすがに。
 何作ってんだろ?ひとくちに言っても、色々あるじゃん。アレ?なんかちょっとワクワク?

 だが空気は重苦しいまま話は進んだ。

「技術者の不幸な末路なのかもな…。
 火守はな。そういう物が多く普及すれば、焔華さんが犠牲になるようなことは無かった、と壊れた精神状態でようやく辿り着いた答えがソレなんだと。
 下手に技術はあるもんだから、泣いて終わり……じゃあ済まなかった」

「こんなこと言うのもアレですけれど、多分それらが普及しても、生身の女の需要が減ることは無いんじゃないですか?」

「俺もそう思いますけど…。
 実際、開発?……の方はどうなんです?
 三階に篭もりっきりでは、仕方ないんじゃないですか?」

「…………それな…………」

 佐伯次長は両手で顔面を激しく擦り、頭を抱えた。

「………馬鹿みたいに、売れてんだよ……」

 やはりか。
 いくら良いものを作っても、売り込まなければ意味は無い。多くの人や店に営業を…………んん?

「売れてんだよ…これが……」

 ………………???

「う、売れてる?」

「ああ。もう、俺もな…さすがに三階の廊下がどんどんどピンクになってくもんだから、目立たないようにやってくれって言ったんだよ。
 そしたら何を思ったのか、照明絞りやがった…。薄暗いから余計にやましい場所に見える…………」

 知らんよ。

「俺、見学したかったなぁ」

 栗本、こいつ素で言ってる。

「このスケベめ」

「だってロボット工学からのエログッズだろ?最先端技術ありそうじゃん?あの人形が動き出すのも時間の問題、いや。もう出来てるのかも!」

 楽しそうだなこいつ。

「ちなみにどの客層に売れてるんです?」

「それは俺も聞いてないな。
 ただ、値が張る物なのは確かでな。元々、生産し始めた動機と逆の事をしている気もするな。万人に惜しみなく行き渡ると言う可能性は低いようにも思えるよ」

「でも売れてる…と?」

 佐伯次長はコーヒーを飲み干すと、ソファに深く沈んだ。

「全く、分からんよなぁ…物を作るってのは…」

 この場合、購入する客がお好きね…と言うだけの気もするが。

「三階もしっかり五人いる。火守は大丈夫だろう。
 このまま大成してくれれば、それがどんな生産物でもな…………」

 大丈夫………?
 大丈夫ではないだろう。
 割り切れない。恨めしい、でも焔華さんは戻らない。
 最早、彼は前に進むしかなかったんだろう。

「上手く行くといいですね」

 見守るしかないのだ。
 そう、言うしかないのだ。
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