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第1章
90.フレイムとフルード③
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琥珀色の線は、乱れることはなかった。滴の一つも跳ねさせず、静かにグラスに注ぎ込まれている。
『狼神は肝心な時に愛し子を助けに来ない腰抜けですか!?』
『あんたも狼神もどこまで役立たずなんだ!』
シュードンの罵倒を聞いた時、フレイムは内心、コイツは終わったと思った。おそらくラミルファも、ラミルファの従神たちも同じだっただろう。
聖威師と寵を与えた神――もちろん悪神以外だ――の絆は双方向に結ばれる。神が聖威師を愛し子と呼んで慈しむように、聖威師も己の主神を心から慕い抜く。両者の想いは同じくらい強い。
「愚劣な言い分にいちいち逆上していては、返って狼神様の格を貶めることになります」
フルードが柔和な眼差しで告げた。
「どうぞ」
そつのない所作で差し出された紅茶の水面には、一切の波立ちがない。まるで、彼が浮かべる鉄壁の笑顔のごとく。
だが――温厚を装った双眸の奥に、稲妻のごとき激昂が閃いていることは、神相手には隠せない。
「いや、死ぬほどキレてるだろ……。バカ婚約者が大バカを言った時は、あのラミルファでさえ一瞬ビビってたぜ」
ブチ切れたフルードが力を大爆発させ、シュードンごと地上世界を粉砕するのではないかと思ったほどだ。ラミルファとてあの場を制圧していたといっても、全力を出しての完全支配までしていたわけではない。本性が高位神であるフルードが本気で激怒すれば、制圧を弾き飛ばせる可能性は高かった。
もちろん、そんなことをすれば確実に神格が露出するため、フルードは強制昇天になるだろう。だが、その前に地上が壊滅する方が早い。まさかの聖威師を宥めに天威師が出動する事態になるのかと、アマーリエとシュードン以外の皆が身構えていた。聖威師の前で主神を愚弄するというのは、それほどのことだ。
だがフルードは、一貫して冷静さを失わずに対応した。多少の毒舌が混じる場面もあったとはいえ。その胆力には、フレイムも密かに舌を巻いていた。おそらくラミルファもだ。
「正直、あの場でラミルファにバカ婚約者を引き渡すかと思ったんだが」
「それはどうにか自重しました。悪神の生き餌にまでするのは憐れですので」
「だがそれ以外にも、本人に自省する機会を与えたり、調教神を頼んだり、色々と救済の手回しをしてるじゃねえか」
「――グランズ家が嘆願書を提出して来ました」
一呼吸置いてから、フルードが言った。シュードンの両親と兄も神官だが、後祭の日はグランズ家の葬祀が重なっており、参加していなかったのだ。
「爵位を返上し、私財を含めた財産を全て返還した上で、どうかこれをもってシュードンの罪一等だけは減じて欲しいと直訴して来たのです」
霊威が低いことに劣等感を持っていたシュードンだが、家族から大事に思われていないわけではなかったのだ。
「彼には愛してくれる親兄弟がいるのです。それを自覚しているかどうかは怪しいものですが」
「……だから矛を収めたのか」
「自分を心から想ってくれる家族がいるのは、幸福なことです。いつか彼がそのことに気が付けば――変われるのではないかと思いました」
「……そうか。難しい判断も多かっただろう。天威師、高位神、聖威師、人間が全員動いてたからな」
「これも大神官の務めです」
「だが、冷徹な判断を下すのは辛いだろ」
気遣いを帯びた台詞に、フルードが苦笑いした。
「私のことより愛し子を心配なさって下さい。アマーリエは順当にいけば、次代の神官府の長となります。優しく思いやりのある彼女もまた、己の職責をこなすために、非情という強さを習得する道を歩むでしょう。彼女自身より、あなたの方が先に限界を迎えてしまわれるのでは?」
「それは……そうだな。無理にでも天に連れ帰るかもしれねえ」
「そうでしょう。ですが、主神を宥めすかして譲歩を引き出すのも、聖威師の腕の見せ所です。その点は、私からアマーリエによく説明させていただきますよ」
澄まし顔で告げるフルードを、本来の彼を知っているフレイムは痛ましげな顔で見つめる。
(ユフィーが同じ道を進んだとして……俺は我慢できるのか?)
できるとは言い切れなかった。だが、可能な限りアマーリエが望む方向に行かせてやりたいとも思う。
(……ま、それはその時になったら考えればいいことだ)
今は答えの出せない問いを横に置き、熱い紅茶を口に含んだ。
(未来がどうなろうとも、俺はユフィーと一緒だ。どんな選択をしようとも、ずっと一緒に歩いて行く)
それだけは、今の段階でも言い切れる確実な回答だった。琥珀色の液体が、ほろ苦さを醸しながら喉を滑り落ちていった。
一方のフルードは紅茶に手を付けない。無言でカップに視線を落としていたが、おもむろに顔を上げ、フレイムを見る。
そして――その眼差しが、口調が、変わる。
『狼神は肝心な時に愛し子を助けに来ない腰抜けですか!?』
『あんたも狼神もどこまで役立たずなんだ!』
シュードンの罵倒を聞いた時、フレイムは内心、コイツは終わったと思った。おそらくラミルファも、ラミルファの従神たちも同じだっただろう。
聖威師と寵を与えた神――もちろん悪神以外だ――の絆は双方向に結ばれる。神が聖威師を愛し子と呼んで慈しむように、聖威師も己の主神を心から慕い抜く。両者の想いは同じくらい強い。
「愚劣な言い分にいちいち逆上していては、返って狼神様の格を貶めることになります」
フルードが柔和な眼差しで告げた。
「どうぞ」
そつのない所作で差し出された紅茶の水面には、一切の波立ちがない。まるで、彼が浮かべる鉄壁の笑顔のごとく。
だが――温厚を装った双眸の奥に、稲妻のごとき激昂が閃いていることは、神相手には隠せない。
「いや、死ぬほどキレてるだろ……。バカ婚約者が大バカを言った時は、あのラミルファでさえ一瞬ビビってたぜ」
ブチ切れたフルードが力を大爆発させ、シュードンごと地上世界を粉砕するのではないかと思ったほどだ。ラミルファとてあの場を制圧していたといっても、全力を出しての完全支配までしていたわけではない。本性が高位神であるフルードが本気で激怒すれば、制圧を弾き飛ばせる可能性は高かった。
もちろん、そんなことをすれば確実に神格が露出するため、フルードは強制昇天になるだろう。だが、その前に地上が壊滅する方が早い。まさかの聖威師を宥めに天威師が出動する事態になるのかと、アマーリエとシュードン以外の皆が身構えていた。聖威師の前で主神を愚弄するというのは、それほどのことだ。
だがフルードは、一貫して冷静さを失わずに対応した。多少の毒舌が混じる場面もあったとはいえ。その胆力には、フレイムも密かに舌を巻いていた。おそらくラミルファもだ。
「正直、あの場でラミルファにバカ婚約者を引き渡すかと思ったんだが」
「それはどうにか自重しました。悪神の生き餌にまでするのは憐れですので」
「だがそれ以外にも、本人に自省する機会を与えたり、調教神を頼んだり、色々と救済の手回しをしてるじゃねえか」
「――グランズ家が嘆願書を提出して来ました」
一呼吸置いてから、フルードが言った。シュードンの両親と兄も神官だが、後祭の日はグランズ家の葬祀が重なっており、参加していなかったのだ。
「爵位を返上し、私財を含めた財産を全て返還した上で、どうかこれをもってシュードンの罪一等だけは減じて欲しいと直訴して来たのです」
霊威が低いことに劣等感を持っていたシュードンだが、家族から大事に思われていないわけではなかったのだ。
「彼には愛してくれる親兄弟がいるのです。それを自覚しているかどうかは怪しいものですが」
「……だから矛を収めたのか」
「自分を心から想ってくれる家族がいるのは、幸福なことです。いつか彼がそのことに気が付けば――変われるのではないかと思いました」
「……そうか。難しい判断も多かっただろう。天威師、高位神、聖威師、人間が全員動いてたからな」
「これも大神官の務めです」
「だが、冷徹な判断を下すのは辛いだろ」
気遣いを帯びた台詞に、フルードが苦笑いした。
「私のことより愛し子を心配なさって下さい。アマーリエは順当にいけば、次代の神官府の長となります。優しく思いやりのある彼女もまた、己の職責をこなすために、非情という強さを習得する道を歩むでしょう。彼女自身より、あなたの方が先に限界を迎えてしまわれるのでは?」
「それは……そうだな。無理にでも天に連れ帰るかもしれねえ」
「そうでしょう。ですが、主神を宥めすかして譲歩を引き出すのも、聖威師の腕の見せ所です。その点は、私からアマーリエによく説明させていただきますよ」
澄まし顔で告げるフルードを、本来の彼を知っているフレイムは痛ましげな顔で見つめる。
(ユフィーが同じ道を進んだとして……俺は我慢できるのか?)
できるとは言い切れなかった。だが、可能な限りアマーリエが望む方向に行かせてやりたいとも思う。
(……ま、それはその時になったら考えればいいことだ)
今は答えの出せない問いを横に置き、熱い紅茶を口に含んだ。
(未来がどうなろうとも、俺はユフィーと一緒だ。どんな選択をしようとも、ずっと一緒に歩いて行く)
それだけは、今の段階でも言い切れる確実な回答だった。琥珀色の液体が、ほろ苦さを醸しながら喉を滑り落ちていった。
一方のフルードは紅茶に手を付けない。無言でカップに視線を落としていたが、おもむろに顔を上げ、フレイムを見る。
そして――その眼差しが、口調が、変わる。
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