神様に嫌われた神官でしたが、高位神に愛されました

土広真丘

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第5章

63.フルードの遺言

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 ◆◆◆

 透き通った滴が零れ落ち、光を反射しながら輝いた。
 降り続いていた雨で濡れそぼつ神殿。その屋根を伝い落ちる雨粒が、陽光に照らされながら池上に降り注ぐ様は、さながら透明な水晶が煌めいているようだ。


『私は間もなく逝きます。生まれ落ちてより32年近くの生涯を過ごしたこの地を離れることに、寂寥と感慨を覚えています』


 この達筆な字はどうやって身に付けたのだろうか。大神官補佐室にて、上質な紙に綴られた流麗な筆跡を見ながら、アマーリエはぼんやりと考えた。
 胸に去来するのは、今わの際の姿。全身が目も当てられぬほど無惨な状態に損傷していたにも関わらず、彼は美しかった。今まで見たどの天の神よりも艶やかだと思うほどに。鮮血に染まった中、奇跡的に綺麗なまま残っていた顔の左側だけは透き通るように白く、万物全てをひれ伏せさせるまでに神々しかった。

(律儀にこういう物を遺しているなんて、何というか、フルード様らしいわ)

 フルードは秘奥の神器を鎮めに行く前、身支度の際に遺言状をアシュトンに渡していたらしい。自らの死期が迫っていると悟った時、あらかじめしたためておいた物だという。今、それを読ませてもらっている。

(どことなくフレイムの字に似ているわね。フルード様の方がずっと優しくて繊細だけれど。フレイムはもっと力強いわ)

 だが、何というのか、筆跡というより書き方そのものがどこか似通っている気がする。そういえば、読み書きもフレイムに教えてもらったと言っていた。基本的な部分は神官府でも指導されたそうだが、流麗な字を乱さず迅速に書くことを教えてくれたのはフレイムだったという。


『私が去った後も、世界は変わらず回り続け、月が輝いては太陽が昇り、人々はそれぞれの暮らしを送ることでしょう』


 聖威師だろうが大神官だろうが、自分一人がいなくなった程度で人の世が揺らぐことはないと、暗に告げている。地上も人間もそんなに脆くない、自分たちの力で先へ進んで行ける。
 フルードは常々から言っていた。神である聖威師が、力にせよ身体能力にせよ人間を超越しているのは当然であり、何も凄いことではないと。むしろ、神のような存在ではなくとも精一杯に日々を営む人間こそが、真の意味で偉いのだ。それは聖威師と天威師の共通認識でもあった。


『一生の中では、様々なことがあります。良くないことも苦しいことも、たくさん起こるでしょう。腹が立つこともあると思います。
 ですが、これは覚えておいて下さい。誰かに何かを言う時、する時、その言動は、相手の瞳に映り込んでいる自分に対しても向けられていると』


 人を指差して攻撃すれば、それは自分に対しての指弾にもなり得る。誰かに対して両腕を広げれば、自分を抱擁することに繋がる。相手の向こうには自分自身がいる。


『許せないことをした相手に対し、抗議や反論、注意をするのは当然のことです。適正範囲内でならば、報復を行うことも有り得るでしょう。自分や自分の大切な者の尊厳を守るため、世の規律を乱さないためには必要なことです。
 しかし、賞賛も罵倒も、肯定も否定も、労わる愛撫も振り上げた拳も、いつか何かの形で自分や自分の周囲に返って来るかもしれない、そのことは心に留めておいた方が良いと思います』


 人の世では因果応報、自業自得などと呼ばれるそれは、一種の真理でもあるのかもしれない。


『世の中は不公平で理不尽です。生まれた時から全てに不自由しない人もいれば、いくら努力しても報われない人、酷い目に遭わされるばかりの人もいます。表面上は恵まれていても陰で泣いている人や、誰にも気付かれない所で辛い目に遭っていて、助けを求めても届かない人もいます。
 同じ事象であっても、当人の心の持ち様で幸か不幸かは変わります。しかし、心身が千切れるほどの痛みに耐えて涙をこぼす人に、現状を不幸だと思うのはあなたの考え方が原因だと言うことは、私にはできません』


 フルード自身、かつては壮絶な生き地獄の中で泣いていた。彼はどのような思いでこれを書いたのだろうか。


『痛みを抱えている人々に対して、私が取れる手段はとても少ないですが、私財の一部を公共の福祉活動のために遺します。
 頑張りすぎて心と体を磨り減らしている人、叩き潰しかけている人。進むべき道が分からない人、足の調子が悪くて望む道に進めない人。艱難辛苦の中で耐え忍ぶ人。誰も知らない場所で不当な扱いを受けている人。
 そういった人々を発見して救えることを、また、そういった人々を支えたいという志を持つ人の一助になれることを、心から願っています』


 自分は地獄の底から救われた。高位神に愛されたから。だが、そんな大当たりを引き当てられる確率など、落ちて来た星の欠片に当たるより低い。特定の家柄に生まれた子女ならともかく、市井に住む一般人であればなおさらだ。救われない者たちが大勢いることを、フルードは常に気にしていた。


『散々に傷付いた人々が、大きな苦しみの中で疲れ果て、自信を失っていたなら、優しく抱きしめてこう言ってあげて下さい。
 それほどしんどい思いをしても生き続けた、それだけであなたは十分に頑張った。あなたは今こうして生きているだけで、世界の誰よりも立派なのだと』


 仮に、途中で耐えられず、命の幕を引いてしまった者がいたとしても、その人も最後の最後まで精一杯生き抜いただろう。
 ボロボロにされる側の痛みを実体験で知る者が記した遺言状は、こう締めくくられていた。


『どうか一人でも多くの人が、自分は幸せだと心から思える世の中になりますように』
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