座敷童、嫁に行く。

法花鳥屋銭丸

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授かりもの顛末

御新造と御新造 其の三

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 ひょんなことから甘味処で相席になった御新造は、健啖けんたん家であるらしい。
 きれいに塗られた赤いくちびるが開き、あれよあれよといううちに、ぽこぽこ白玉が放り込まれる。女のひとで、こんなに食べっぷりのいいひとはなかなかいない。くるみはほれぼれした。
 すぐに椀の蜜白玉を食べ終えたお久美は、自分を眺めるくるみに気付き、にっと笑って見せる。

「行儀が悪くてすまないね。いいよ、あんたはゆっくり食べな」

 うながされて、くるみは手元に目を落とす。

 冷やしあめがかけられた白玉が、器の中でつやつや光っている。上から散らされた黄色い粒は小花のようで可愛い。これは小さな金平糖に見えるが、砂糖蜜をまとった柚子味のあられだ。匙で白玉を口に含めば、冷たい甘さに爽やかな柚子の香り。
 美味しい。
 くるみは顔をほころばせ、もちもちした白玉の弾力を楽しみながら口を動かす。

 もっく、もっく、もっく、もっく。

 お久美は頬杖をついて、胡桃堂の御新造の様子を眺めた。

「うん、いい顔するねえ。あいつにゃもったいない、あたしが嫁に貰いたいくらいだよ」

 えっ。
 匙を片手に固まったくるみを見て、お久美は冗談だと笑う。
 成鐘屋のお久美も今は人妻。たりとの話が壊れてからすぐの見合いで、会った男を婿に迎えたらしい。

「あの騒動でゴタゴタしたし、しばらく面倒くさいのはいいと思ってたんだけどね。縁談なんかこりごりだってさ。……ああ、あんたを責めてるわけじゃない、その顔はおよしよ」

 顔を曇らせたくるみの頬を、長い指がつつく。それでも表情が冴えないと見るや。

「!?」

 目にもとまらぬ速さで鼻を摘まんできた。驚いたくるみは、次いでくすくす笑い出す。

「そうさ、べっぴんさんは笑ってなんぼだよ」

 成鐘屋の御新造は、くるみの鼻を摘まんでいた指をぱっと離し、手をひらひらさせた。口の片端をあげる笑みが、ずいぶんと男前である。
 からりと晴れた空のようなひとだ、と思う。

「……親が『もういっぺんだけ見合いをしてくれ、これが駄目ならもうお久美の好きにしていい』って言うから、会ってみたのさ。まさか相手が年下とは思わなかったけどねぇ」

 こちらも商家出身の次男坊は、自分が商売できる場所に飢えていたらしい。ぜひ自分を選んでほしいと詰め寄ってきたそうだ。

「婿だといっても、店の舵取りをするのはあたしだから、それが嫌ならやめておけ、と伝えても聞かないんだよ。まずは使ってくれとうるさいんで、見習いにしてこき使ってみたのさ」

 成鐘屋が、奉公人の人使いが荒いだの、娘がわがまま放題だから注意しろだの言われてるのは知ってるかい? ときかれ、くるみは首を横に振る。

「知らない、そうかい。まぁ嘘じゃないんだ。よそよりみんな、いろんなことをやらされてると思うよ。あたしもこんなでうるさいしさ。でもあいつは、へこたれなかったねえ」

 なかなか根性があるんだよ、というお久美の顔が、優しげなものにかわる。

『お久美さん、あんたはすごいなあ。お前さんの仕事ぶりを側で見られただけでも、俺ぁ、ここで働けてよかったよ』

 なかなかの働きぶりを見せた見合い相手は、見習いの最後の日にこう言って帰って行ったという。

「親も番頭も認めてたし、あたしもねえ、情がわいちまって。そのままトントン拍子に話が進んで、婿にもらったんだよ」

 今じゃあたしもあんたに負けないくらいの幸せもんさ、とお久美は胸を張る。

「だから、あんたみたいないい女が、申し訳なさそうに頭下げるのはお門違いだよ。あんたもあたしも御新造同士、収まるところに収まってうまく暮らしてる。ねぇ?」

 白玉をもぐもぐと咀嚼しながら聞いていたくるみは、はにかみながら頷いた。お久美から、まるで仲間のように言ってもらえて嬉しかったのだ。

 子ができて、なんだか鈍くなったといっても座敷童だ、くるみにはわかる。
 このお久美は、おのれの商才にあぐらをかかない働き者だ。働き者を嫌いな座敷童はいない。さらには伝法なようでいて、こちらをちゃんと気遣ってくれている。
 短い間にこのひとを、くるみはとても好きになっていた。

 お久美は、ふふ、と笑って、白玉で膨らんだくるみの頬をつつく。

「うん、だってさ。素直だねえ。人妻がこんなに可愛くていいもんかね。こりゃあ、旦那は気が気じゃないだろ」
「?」

 何やらよくわからない。

「ああ、あんたは気にしなくていい。ま、旦那になれた男の、幸せな悩みだろうよ。あいつにゃ贅沢なことだね」
「……?」
「ふふふ」


 ◇


「そうかぁ……。『お久美さんと楽しく』かぁ」

 たりは弱々しい声を出すと、くるみの肩口へ顔をうずめてしまった。後ろから夫の両腕に抱きしめられているくるみは、帳面を持つ夫の手へ触れてみる。
 いつものように髪を解いてもらい、彼の腕の中に収まりながら、ふたりで帳面を見る宵の時間。けれどたりは、なんだかしょんぼりしているのだ。
 どうしてだろう。元気を出してほしくて、触れている手をさする。

「いまだにあちらと事を納められずにいるんだから……。身から出た錆だねえ、情けない。くるみ、楽しかったとあるけれど、嫌な思いはしなかったかい?」

 くるみは首を横に振る。
 嫌な思いなんてしていない。
 初めは確かに驚いた。でも、お久美とのひとときは、とても楽しいものだったのだ。ひとの言葉を持たないくるみは、ただお久美の前へ座っていただけなのに、たくさん話したような満足感が残っている。

「くるみ、くるみ。いとしいくるみ。可愛い可愛い、大事なくるみ。俺はね、お久美さんに謝れないままなんだよ。もうあのひとは、そんな役に立たないもの要らないって、言うかもしれないけどねぇ」

 しょんぼりと言われて、つい笑ってしまう。確かにお久美は言いそうだ。「そんなこと言いに、ひとの仕事の邪魔しに来たのかい」とかなんとか。
 お久美は今、夫婦で幸せに暮らしていると言っていた。たりの謝罪は、もう意味がない。たりも判っているのだろう。どうにもならない、これは愚痴だ。
 肩に顔をうずめた夫の頭へ、頬をよせる。

 くるみの夫は優しくて、辛いこと苦しいことを口にしない。大事にされているのだとわかる反面、くるみはもどかしくもある。
 愚痴だってなんだって、言ってくれればいいのだ。くるみはたりへ寄り添うために、お山から降りてきたのだから。
 ため息をひとつついて、くるみの大事な旦那様は顔をあげた。こちらへ、ちょっと情けない笑みを向けてから、開いた帳面を指でなぞる。

「……それにしても、くるみ。お前さんはあのひとに、随分と気にいられたね?」

 彼がなぞった部分には、お久美が言っていた『胡桃堂の建具はあと一年の辛抱』という言葉が記されている。
 どういうことか判らずにいたくるみへ、成鐘屋の御新造は「あんたの旦那が判るだろうさ、よろしく伝えておくれ」と笑っていたけれど。

「お久美さんは、他人へ商売の助言なんてする質じゃないのになあ。あのひとは仕事に厳しいんだよ。とっても仕事ができて、たくさん働いて、回りにもそうあれと振る舞うひとだ。そのせいか、成鐘屋さんには新しいひとが居つきにくいし、口入れ屋さんとも仲が悪いようでね……」

 奉公人についてお久美が語っていたのは、そういうことなのか。くるみは頷くと、助言の文を自分もなぞってから、たりを見上げる。

「ああ、そうそう、建具の話だった。ごめんよ、くるみ」

 たりはくるみの額へくちづけしてから、どういうことか話してくれた。

 障子戸や襖に欄間。
 木工の胡桃堂がどんなに立派な建具を作っても、大工はそれを取り付けようとしない。成鐘屋は、端材を売り歩いていたお久美の父がその才覚で作り上げた店。彼らにとって身近な仲間なのだ。
 成鐘屋に仇をなした胡桃堂の品を、大工小路の大工達は触りたがらない。もう何年も前のことでありながら、当人達以外のところで確執が残っている。
 それでも、あと一年ほど辛抱すればなんとかなりそうだ、とお久美は請け合ってくれた。だからそろそろ、職人へ仕事を頼める。建具だって、すぐにできあがりはしないのだから――――。

 そう話してからたりは、独り言のように付け加える。

「あと一年か。大工さんたちの入れ替わりがあるのかなぁ。お久美さんが請け負うならそうなんだろう。お久美さんは仕事に関しちゃ、間違いのないひと、だか、ら……?」

 たりはくるみの顔を見て口をつぐんだ。

「くるみ、くるみ、大事な大事な天女様。どうしたんだい。俺はなにか、お前さんに嫌なことでもしてしまったのかい? 可愛い口がへの字になってるよ」

 違うのだ。
 たりはなんにも悪くない。
 ただ、たりがお久美の名前を呼びすぎだし、お久美のことを褒めすぎだなぁと思ったら、面白くないような気がしてきたのだ。
 お久美はとっても素敵なひとで、くるみだって一度で好きになってしまったけれど、あんまり、たりの口からそういうことは聞きたくない気がする。
 ひとときは、許婚同士だったというし……。

 考えても、思っても、よくないことだろうに止められない。自分が悪いものに変わったようで、悲しくなってくる。
 くるみは、たりの胸元へ顔をうずめていやいやをした。
 たりは、くるみの背中を優しくなでながら、おろおろ訊いてくる。

「どうしたんだい、どこか苦しいのかい」

 ううん。

「お腹が気になるかい? あんまりぎゅっと抱きしめすぎたかなぁ」

 ううん。

「やっぱり俺が何か、くるみの嫌なことをしちまったのかなぁ」

 ……ううん。

 他より弱々しく振られたかぶり。たりはしばらくくるみをすっぽり抱えたまま、うなって考え込んだ。

「ええと、もしかして」

 そうして、おずおすと言う。

「お久美さんを、褒めすぎたから、とか……。まさかねえ、そんな、こと、は」

 くるみは、さらにぎゅうっとたりへ抱きついた。
 それが答えになった。


 お山を降りた座敷童は、生まれて初めて焼きもちを焼いた。
 『嫉妬』というその感情の名前を、くるみはまだ知らない。

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