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エピローグ
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「ふぅ、終わった……」
「どう? 初出勤は?」
「大変でした……」
机に突っ伏しそうになりながら、横にいた十は年上の先輩に言う。
「そうだよねー」
「でもやりがいはあります!」
「まあ、お給料は安いけどね」
先輩が苦笑した。
「どうする? 歓迎会は週末だけど、どこか食べに行く?」
「ああ、ええっと、すみません、ちょっと先約があって」
「え、それって彼氏?」
「そんなんじゃないですよー」
私がひらひらと手を振る。
「それじゃ、今日はもういいから」
先輩が手を出す。
「はい! お疲れ様です!」
「じゃあ、明日からも頑張ろうね」
なるべく元気よく立ち上がって初めての日報を先輩に渡した。
ロッカーで着替えて、園を出る。
電車に乗り、最寄り駅で降りる。
電車は当然のように混んでいて、これが毎日続くのか、と仕事とは別に心配をしてしまう。
街はもうだいぶ夕暮れが深まり、そろそろ夜が蓋をしそうになっていた。
あれから数年が経ち、家から通える大学を卒業した私は、そのまま家から通える保育園に保育士として就職をした。
途中でコンビニに寄る。
今日はサイダーではなく、度数が低めのチューハイを買った。ビニール袋を下げながら、軽い足取りで歩く。
スマホを開いて、父からラインが来ていたので返信をする。今日は父は編集との打ち合わせで家を空けている。
別に来ていたラインにも返信をした。
繁華街の抜けた先にあるマンションのエントランスに入り、インターホンを押す。返答があり、オートロックのドアが開いた。
エレベーターに乗って、目的の階で降りる。部屋の前で一呼吸だけして、ドアノブを回す。鍵はかかっていない。
「おかえり」
部屋の奥から低い声がした。
靴を脱ぎながら、それに返す。
「ただいま、じゃないけど」
廊下を通って、リビングへのドアを開ける。リビングではテレビがつけっぱなしで、ソファで転がって旅行雑誌を読む女性、ヨルがいた。旅行雑誌にはたくさんの付箋がつけられていた。前に行きたいと思うところをピックアップしていると言っていたので、ヨルには行きたいところがたくさんあるということだ。
「何か食べた?」
冷蔵庫にチューハイを入れて私が聞く。
「いやこれから作ろうと……」
もごもごと語尾をごまかすようにヨルが言った。
肩よりも短くばっさりと切られた黒髪をヨルが掻く。
「そういって作ったことないじゃん」
「……そうだけど、ピザでも取る?」
「うん、じゃあそうしよう」
ヨルが伸ばしていた足を折り曲げて、ソファにスペースを作ったのでそこに腰を下ろした。
二人でスマホを見ながらピザを注文する。
ピザを待つ間、ヨルは雑誌を読み続け、私は私で流れているテレビのバラエティを眺めていた。
ヨルの事件は世間的にはあまり目立たないまま終わった。
結局何が変わったのだろうか、と面会したときヨルが言っていた。
遺産は相続できなかったものの、そもそも名義がヨルになっていたものがかなりの額になっていたので、出所したあともこうして一人でマンション暮らしができる程度には残っていた。働かなくても生きていける、という身分は変わらなかったわけで、そのことを時々自嘲気味に言うことがある。羨ましいと思う気持ちがないわけでもないけど、彼女自身の本心はわからない。親から引き継いだものを使っている、という点では昔と同じだと思っているのかもしれない。
ピザが届いてリビングのテーブルに載せられる。冷蔵庫から少しだけ冷えたチューハイを取り出す。ソファで横並びのまま座って、二人で乾杯をした。
「就職おめでとう」
「ありがとう、大変だった」
「そうか、いいなあ」
「ヨルも仕事探さないと」
「そうだな、前科者だし、雇ってくれるかな」
ぼんやりとヨルが言う。
「まあ、そこはゆっくり考えれば」
「そうだな」
ヨルが横を向き、じっと私の顔を見る。かつて、あの海で話していたときと変わらない、芯の強そうな瞳で目を背けてしまいそうになるけど、それでも私も真っ直ぐに見つめかえす。
「ハルはきれいな瞳をしているね」
「え、そう?」
「きれいな茶色だ」
「ありがとう、家族にしか言われたことなかった」
「ハルは大人になったよ」
「年を取っただけだよ」
「お酒も飲める」
「ヨルもじゃん」
「私は何も変わらなかった」
「これからだよ、籠から出たんだから、飛ぶ準備をしないと」
「そうだな、何もかもこれからだ」
「それじゃあ」
もう一度、チューハイをお互いに向ける。
二人で声を揃える。
「今日も一日に感謝を」
-了-
「どう? 初出勤は?」
「大変でした……」
机に突っ伏しそうになりながら、横にいた十は年上の先輩に言う。
「そうだよねー」
「でもやりがいはあります!」
「まあ、お給料は安いけどね」
先輩が苦笑した。
「どうする? 歓迎会は週末だけど、どこか食べに行く?」
「ああ、ええっと、すみません、ちょっと先約があって」
「え、それって彼氏?」
「そんなんじゃないですよー」
私がひらひらと手を振る。
「それじゃ、今日はもういいから」
先輩が手を出す。
「はい! お疲れ様です!」
「じゃあ、明日からも頑張ろうね」
なるべく元気よく立ち上がって初めての日報を先輩に渡した。
ロッカーで着替えて、園を出る。
電車に乗り、最寄り駅で降りる。
電車は当然のように混んでいて、これが毎日続くのか、と仕事とは別に心配をしてしまう。
街はもうだいぶ夕暮れが深まり、そろそろ夜が蓋をしそうになっていた。
あれから数年が経ち、家から通える大学を卒業した私は、そのまま家から通える保育園に保育士として就職をした。
途中でコンビニに寄る。
今日はサイダーではなく、度数が低めのチューハイを買った。ビニール袋を下げながら、軽い足取りで歩く。
スマホを開いて、父からラインが来ていたので返信をする。今日は父は編集との打ち合わせで家を空けている。
別に来ていたラインにも返信をした。
繁華街の抜けた先にあるマンションのエントランスに入り、インターホンを押す。返答があり、オートロックのドアが開いた。
エレベーターに乗って、目的の階で降りる。部屋の前で一呼吸だけして、ドアノブを回す。鍵はかかっていない。
「おかえり」
部屋の奥から低い声がした。
靴を脱ぎながら、それに返す。
「ただいま、じゃないけど」
廊下を通って、リビングへのドアを開ける。リビングではテレビがつけっぱなしで、ソファで転がって旅行雑誌を読む女性、ヨルがいた。旅行雑誌にはたくさんの付箋がつけられていた。前に行きたいと思うところをピックアップしていると言っていたので、ヨルには行きたいところがたくさんあるということだ。
「何か食べた?」
冷蔵庫にチューハイを入れて私が聞く。
「いやこれから作ろうと……」
もごもごと語尾をごまかすようにヨルが言った。
肩よりも短くばっさりと切られた黒髪をヨルが掻く。
「そういって作ったことないじゃん」
「……そうだけど、ピザでも取る?」
「うん、じゃあそうしよう」
ヨルが伸ばしていた足を折り曲げて、ソファにスペースを作ったのでそこに腰を下ろした。
二人でスマホを見ながらピザを注文する。
ピザを待つ間、ヨルは雑誌を読み続け、私は私で流れているテレビのバラエティを眺めていた。
ヨルの事件は世間的にはあまり目立たないまま終わった。
結局何が変わったのだろうか、と面会したときヨルが言っていた。
遺産は相続できなかったものの、そもそも名義がヨルになっていたものがかなりの額になっていたので、出所したあともこうして一人でマンション暮らしができる程度には残っていた。働かなくても生きていける、という身分は変わらなかったわけで、そのことを時々自嘲気味に言うことがある。羨ましいと思う気持ちがないわけでもないけど、彼女自身の本心はわからない。親から引き継いだものを使っている、という点では昔と同じだと思っているのかもしれない。
ピザが届いてリビングのテーブルに載せられる。冷蔵庫から少しだけ冷えたチューハイを取り出す。ソファで横並びのまま座って、二人で乾杯をした。
「就職おめでとう」
「ありがとう、大変だった」
「そうか、いいなあ」
「ヨルも仕事探さないと」
「そうだな、前科者だし、雇ってくれるかな」
ぼんやりとヨルが言う。
「まあ、そこはゆっくり考えれば」
「そうだな」
ヨルが横を向き、じっと私の顔を見る。かつて、あの海で話していたときと変わらない、芯の強そうな瞳で目を背けてしまいそうになるけど、それでも私も真っ直ぐに見つめかえす。
「ハルはきれいな瞳をしているね」
「え、そう?」
「きれいな茶色だ」
「ありがとう、家族にしか言われたことなかった」
「ハルは大人になったよ」
「年を取っただけだよ」
「お酒も飲める」
「ヨルもじゃん」
「私は何も変わらなかった」
「これからだよ、籠から出たんだから、飛ぶ準備をしないと」
「そうだな、何もかもこれからだ」
「それじゃあ」
もう一度、チューハイをお互いに向ける。
二人で声を揃える。
「今日も一日に感謝を」
-了-
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