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第8話 何故に僕の成績はスカイダイブを決行したのか

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 食欲を満たそうとして死にかけ、
 愛を得ようとすれば拒絶され、
 友情を求めた結果、追われる羽目になった。

 これまでの僕の『極悪への道』は、はっきり言って途方もなく不憫で、救いがたき地獄だったと評するしかない。

 なんと言うことだろう。僕はただ単に幸福になりたいだけなのに。欲望のままに生きたいだけなのに。なのに何故に神は、こうも僕を虐げるのだろうか。僕の頭上にはまさか、不幸の星もしくは死兆星でもギラギラと輝いているのだろうか? だとしたら迷惑な話である。すぐさま撤去願いたい。

 神は不公平だ。世の中には僕なんかよりもよっぽど不幸になるべき人間がいるというのに、なぜ僕にばかりこのような嫌がらせをするのか。
 神は居ないのか。神は死んだとでも言うのか。いや、もし仮に生きているとしたら、今すぐソイツの元へと全力疾走して、チェリーパイを投げつけ、腐った生卵を投擲し、ヌンチャクで全身を殴りつけてやりたい気分だ。

 しかし、実在するかもわからない神に怒りを募らせてばかり居ても意味が無いのもまた事実。行き場のない怒りはとりあえず胸の奥にそっとしまい込み、このくすぶる僕の心を癒やしてくれる何某なにがしかを求めるのが賢明というものだろう。

 そういうわけで、食欲に殺されかけ、愛に見捨てられ、友情に追われる羽目になった僕は、次なる『幸福になる手段』として、『怠惰に暮らす』という手段を選んだ。

 怠惰。辞書的に言えば『すべきことを怠ける様子』を表す言葉である。七つの大罪の一つにも数えられる、由緒正しき人類の原罪だ。
 ようするに僕は、今度は『怠ける』事によって、幸福を得ようと考えたわけである。

 人間誰しも”やるべき事”という物がある。多くの人間にとってそれは仕事だったり、勉学だったりするわけだが、僕にとってのそれは、まさに勉学だった。大学での講義、それを受けることこそが、僕に課せられた使命、すべきことだったのである。

 が、しかし。人間誰しも、そんな『やるべき事』をするのが嫌いな生き物で、僕もまた同様に、勉学に励むというのが嫌いだった。

 かつての僕ならば、そんな『したくもない義務』をその“勤勉さ”故に我慢してこなしていただろう。がしかし。今の僕はすでに、勤勉さをかなぐり捨てて、悪の道を究めんと志している。

 なので僕は、怠惰に暮らすことにした。

 怠惰とはとてもすばらしいものだ。多くの人間は、土日の休みが大好物であるけれど、常に怠惰に暮らすというのは、そんな好物が毎日訪れるような、そうまるで学校の給食が毎日カレーであるような、そんな幸せなものだった。
 他人が毎日忙しなく、疲れた仏頂面で義務を遂行しているのを傍目に見ながら、自分は家で寝っ転がり、惰眠を謳歌する。その優越感たるや、言葉に尽くしがたいものがあった。

 朝起きて、時計を見ればもう昼過ぎ。
 なんだ、まだ昼過ぎか。それならもう一眠りするとしよう。
 二度目の起床、時計を見ればもうすでに夜7時。
 うん、丁度いいな。街に繰り出そう。
 そうして街に繰り出した僕は何をするでもなく、ただぼうっとその辺を練り歩き、気が向けば漫画喫茶に足を踏み入れ、時にはカラオケボックスで音痴な歌声を披露した。
 そんなこんなで時計の針は進み、気がつけば家に帰り着いたのは朝の4時。
 丁度いい時間じゃないか。一眠りするとしよう。

 とまあそんな生活を、僕は二回生の後期になってからと言うもの、半年にわたって続けた。無論、平日休日問わずである。
 気が向けばテレビを鑑賞し、なにか興味のある映画が公開されれば映画館に足を運び、街の喧騒を離れたいと思った時は、京都各地の寺社仏閣に足を運んで歴史の重みに心震わせた。

 ああ、本当に素晴らしい。やりたいことだけをやる。やりたくないことはやらない。怠惰を謳歌する。なんと素晴らしいことか。かつては仕事もせず放蕩する大人達を見て『それで人生は楽しいのか?』と疑問を覚えたものであるが、しかし今わかった。
 楽しい。義務の縛りを抜け出して、やりたいことだけやるのは、こんなにも幸せなことなのである。この幸せは麻薬のようなものだ。一度それを知ってしまえば、二度と抜け出せない。元の生活にはもう戻れない。そんな錯覚に囚われる。
 道理で昨今、ニートが社会問題になるわけだ。怠惰というのは、人を掴んで離さない劇薬なのだから。中毒者が続出するのも頷ける。

 しかしながら当然、義務をおろそかにするという行為には、それ相応の対価がついて回るものである。ニートを続ければそのうち貯金残高が底をつき、生活に窮するようになるように、義務を無視し続ければいずれ、手痛いしっぺ返しを食らうことになる。

 僕の場合、実家からの仕送りを受け取っていたので、当面は金の心配はいらなかった。なので、金銭的問題よりも先に“ある別の問題”にぶち当たった。
 大学における学業成績の急転直下の大暴落である。

 僕は一回生の間は、まだ京都大学にある程度の希望を持っていたので、人並み以上に真面目に、大学の講義を受講した。それによって、平均的な学生が一回生の間に取得するよりも遙かに多い単位数を手にしていた。

 しかしながら2回生となり、絶望したあげくに極悪への道を進み始めた僕の成績は、この『怠惰に暮らす』という行為によって、恐るべきスカイダイビングを決行するに至ったのである。無論、パラシュート無しだ。

 二回生後期の期間中における大学への登校回数、狂気の3回。
 名前だけを記したレポート課題の連続投函。
 試験では採点してくださる方が僕の名前を確認する手間を省けるように、名前すら書かずに白紙の答案用紙の提出を敢行。
 挙げ句の果てには、教員が単位を落とした生徒達のために慈悲で行った一度きりの追試験をバッくれた。

 これらの蛮行の結果、当然僕の大学における成績は一回生で稼いだ分も含めて一瞬で地に落ち、成績表に何十個もの“0”の風穴を開けた。その転落の早さたるや、早撃ちガンマンさながらであった。そして、そんな”0”だらけの成績表を見て、僕の担当教師は「まるで月面のクレーターを観測しているようだ」と評した。余計なお世話である。

 斯くして、見るのも憚られるような成績表をこの世に錬金してしまった僕は、まあ当然のことながら、教師に二回生のやり直しを宣告された。すなわち留年だ。

 ちなみに、京都大学において留年は『勇気ある行動』と呼ばれ、留年した当人は自身を“勇者”と自称する。なにが勇ましいというのだろう。

 しかし、留年など今の僕にとって、どうと言うことは無い。屁でも無いのだ。なにせ現在僕は怠惰な生活を送り、極悪で不健全な幸福への道を絶賛邁進中。この程度のことなど、毛ほども問題ないのである。痛くもかゆくもない。少々、大学で同期の者達と顔を合わせづらくなっただけだ。
 故に僕は、僕の将来を心配する担当教師の説教も馬耳東風の知らんぷり。恐るべき成績表を突きつけられた後も相も変わらず、怠惰で気楽な生活を謳歌していた。

 将来? そんなものはどうでも良い。重要なのは今である。今この瞬間が幸福であるか否か。それだけが問題であり、そして今が幸せならばそれで良いのだ。

 確かに、このままの生活を続けていれば僕はきっと、社会復帰もままならないような救いがたき阿呆になってしまうだろうし、居るだけで煙たがられる厄介者になってしまうだろうし、生きていること自体が無為な社会不適合者となってしまうだろう。
 しかし、それがどうしたというのだ。

 こうなったらもはや、後戻りするつもりはない。する必要もない。落ちるところまで落ちるのみ。親のすねをかじり、貯金を食い潰し、他人にたかり、善意につけ込み、情けにすがり、短絡的幸福に埋没する。ただそれのみである。
 見ていろ世界。僕はこれから、太くて短い、極めて刹那的快楽に満ちた人生を謳歌してやるぞ。
 自伝を書くなら題名はこうだ『人間失格~大根足の如き我が半生~』。
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