11 / 14
第一部 祈りなき業
十一話
しおりを挟む
小休憩を終えた三人は、目的地へとたどり着いた。
森奥の小さな広場。
苔むした地面にミレーヌが膝をつき、白い指先をそっと地へ当てる。
魔力を流し込むと、土の奥に隠されていた紋様が淡い光を帯びて浮かび上がった。
絡み合う線は円を形作り、魔法陣が現れる。
「博士、私の手を握ってください」
「い、いいんですか」
「はい。触れておかないと、術の対象外となってしまいます」
差し出された手は雪のように白く、細い指が揺れていた。マイはためらいながらも、その手に自分の手を重ねる。ユウもミレーヌの左肩に手を添えた。
準備が整うと、ミレーヌは再び魔力を注ぎ込む。魔法陣が唸るように輝きを増し、回転を始めた。
光の輪が立ち上がり、三人の身体を包み込んでいく。
「では、参ります」
声を合図に、眩い光が一気に広がった。
瞬く間に、三人の姿は掻き消える。地面に刻まれた魔法陣もまた痕跡を残さず消滅した。
◇
光が収まると、そこは山の麓だった。
背後に切り立つ峰が影のようにそびえ、前方には街道が西へと伸びている。
空はすでに朱から群青へと変わりつつあり、山の稜線に沈みかけた陽が最後の光を放っていた。
ひんやりとした風が頬を撫で、遠くからは夜鳥の声がかすかに響いてくる。
「ご気分はいかがですか」
マイは握っている彼女の手を軽く握り返した。
「お茶の効果もあって問題ありません!」
ミレーヌの表情が和らぐ。彼女は西の空を指差した。
「ここから一つ町を越えれば、セントラルに到着します。今日はその町で宿を探しましょう」
山の斜面を下る道はすでに薄闇に沈みかけていた。
街道沿いの木々は黒い影となり、風に揺れる枝葉がかさりと音を立てる。
足元を照らすのは、消え残った夕焼けの赤と、徐々に輝きを増す星明かり。
三人は足並みをそろえ、暮れゆく道を急ぐ。
山道を抜けてしばらく歩くと、暗がりの向こうに灯りが見え、次第に町が見えてきた。
門をくぐると、夜の賑わいは活気に満ちている。
通りの両脇には酒場や居酒屋が並び、軒先の提灯が赤や橙に揺れていた。
焼いた肉や揚げ物の匂いが風に乗り、杯を掲げる声や笑い声が途切れなく響く。労働を終えた男たちが豪快に笑えば、女たちも肩を寄せ合い、軽やかに盃を交わしていた。
「労働後の一杯は格別ですよねー」
「はい。さすがに賑わっていますね」
マイは周囲を見渡した。
ミレーヌも視線を巡らせる。
ユウは人波の中を歩きながら、思案するように口を開いた。
「宿なら、この通りを少し奥へ進んだところにあったはずです。以前、立ち寄った記憶がありますので、探してみましょう」
「ええ。お願いします」
三人は宿屋へ向けて歩き出す。
すると、通りの脇から、酔いの回った若い娘たちの笑い声が近づいてきた。
手に盃を持ったままの娘が、ユウを見つけて目を丸くする。
「ちょっと、見て! あの人、かっこいい!」
「ほんとだ。素敵!」
「ねえ、ちょっとお話ししません?」
娘たちは左右からユウに寄ってくる。
提灯の明かりに照らされた彼女たちの頬は赤く染まり、陽気な酒の勢いも手伝って声はやけに大きい。酔いの回った娘たちが、笑いながらユウの前に立ちふさがった。
「お兄さん一杯どう?」
「旅の人 ?」
袖を引かれても、ユウの表情は変わらない。
提灯の灯りに照らされた横顔は冷ややかで、静かな声音が落ちた。
「……他を当たってくれ」
突き放すような言葉に、娘たちは一瞬ぽかんとし、かえって面白がったように顔を寄せ合った。
「せめて一杯だけでも! ほら、ほら!」
杯が勢いよく目の前に突き出された。
ユウが返答に迷うよりも早く、マイが横から手を伸ばして杯を受け取った。
驚いた娘たちの視線の中、迷いもなく口をつけ、一息で飲み干す。喉を鳴らす音がはっきりと響き、杯の底が空を向いた。
「ぷはっ……おいしい!」
屈託のない笑顔に、娘たちからどっと笑いが起こった。
「やるじゃない!」
「いい飲みっぷり!」
マイは杯を丁寧に返すと、すぐ傍らのユウとミレーヌの手を取って、二人を引いて通りを抜ける。
「なんだ、女連れかー」
「残念~!」
後ろからはまだ陽気な笑い声が響いていたが、三人の足取りは軽やかにその場を後にした。
森奥の小さな広場。
苔むした地面にミレーヌが膝をつき、白い指先をそっと地へ当てる。
魔力を流し込むと、土の奥に隠されていた紋様が淡い光を帯びて浮かび上がった。
絡み合う線は円を形作り、魔法陣が現れる。
「博士、私の手を握ってください」
「い、いいんですか」
「はい。触れておかないと、術の対象外となってしまいます」
差し出された手は雪のように白く、細い指が揺れていた。マイはためらいながらも、その手に自分の手を重ねる。ユウもミレーヌの左肩に手を添えた。
準備が整うと、ミレーヌは再び魔力を注ぎ込む。魔法陣が唸るように輝きを増し、回転を始めた。
光の輪が立ち上がり、三人の身体を包み込んでいく。
「では、参ります」
声を合図に、眩い光が一気に広がった。
瞬く間に、三人の姿は掻き消える。地面に刻まれた魔法陣もまた痕跡を残さず消滅した。
◇
光が収まると、そこは山の麓だった。
背後に切り立つ峰が影のようにそびえ、前方には街道が西へと伸びている。
空はすでに朱から群青へと変わりつつあり、山の稜線に沈みかけた陽が最後の光を放っていた。
ひんやりとした風が頬を撫で、遠くからは夜鳥の声がかすかに響いてくる。
「ご気分はいかがですか」
マイは握っている彼女の手を軽く握り返した。
「お茶の効果もあって問題ありません!」
ミレーヌの表情が和らぐ。彼女は西の空を指差した。
「ここから一つ町を越えれば、セントラルに到着します。今日はその町で宿を探しましょう」
山の斜面を下る道はすでに薄闇に沈みかけていた。
街道沿いの木々は黒い影となり、風に揺れる枝葉がかさりと音を立てる。
足元を照らすのは、消え残った夕焼けの赤と、徐々に輝きを増す星明かり。
三人は足並みをそろえ、暮れゆく道を急ぐ。
山道を抜けてしばらく歩くと、暗がりの向こうに灯りが見え、次第に町が見えてきた。
門をくぐると、夜の賑わいは活気に満ちている。
通りの両脇には酒場や居酒屋が並び、軒先の提灯が赤や橙に揺れていた。
焼いた肉や揚げ物の匂いが風に乗り、杯を掲げる声や笑い声が途切れなく響く。労働を終えた男たちが豪快に笑えば、女たちも肩を寄せ合い、軽やかに盃を交わしていた。
「労働後の一杯は格別ですよねー」
「はい。さすがに賑わっていますね」
マイは周囲を見渡した。
ミレーヌも視線を巡らせる。
ユウは人波の中を歩きながら、思案するように口を開いた。
「宿なら、この通りを少し奥へ進んだところにあったはずです。以前、立ち寄った記憶がありますので、探してみましょう」
「ええ。お願いします」
三人は宿屋へ向けて歩き出す。
すると、通りの脇から、酔いの回った若い娘たちの笑い声が近づいてきた。
手に盃を持ったままの娘が、ユウを見つけて目を丸くする。
「ちょっと、見て! あの人、かっこいい!」
「ほんとだ。素敵!」
「ねえ、ちょっとお話ししません?」
娘たちは左右からユウに寄ってくる。
提灯の明かりに照らされた彼女たちの頬は赤く染まり、陽気な酒の勢いも手伝って声はやけに大きい。酔いの回った娘たちが、笑いながらユウの前に立ちふさがった。
「お兄さん一杯どう?」
「旅の人 ?」
袖を引かれても、ユウの表情は変わらない。
提灯の灯りに照らされた横顔は冷ややかで、静かな声音が落ちた。
「……他を当たってくれ」
突き放すような言葉に、娘たちは一瞬ぽかんとし、かえって面白がったように顔を寄せ合った。
「せめて一杯だけでも! ほら、ほら!」
杯が勢いよく目の前に突き出された。
ユウが返答に迷うよりも早く、マイが横から手を伸ばして杯を受け取った。
驚いた娘たちの視線の中、迷いもなく口をつけ、一息で飲み干す。喉を鳴らす音がはっきりと響き、杯の底が空を向いた。
「ぷはっ……おいしい!」
屈託のない笑顔に、娘たちからどっと笑いが起こった。
「やるじゃない!」
「いい飲みっぷり!」
マイは杯を丁寧に返すと、すぐ傍らのユウとミレーヌの手を取って、二人を引いて通りを抜ける。
「なんだ、女連れかー」
「残念~!」
後ろからはまだ陽気な笑い声が響いていたが、三人の足取りは軽やかにその場を後にした。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる