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「なんとか暮らせています。働かないといけませんけどね」

「……何をしていらっしゃるんですか?」

 さりげなく室内をチェックする。さして広くない室内には無駄なものはおかれていない。高級ではないが丁寧に使い込まれた調度品。中国風の衝立の向こうにある部屋はおそらく寝室。床板は綺麗に磨かれている。窓ガラスに曇りがない。シンプルな白いティーカップと部屋全体が調和している。
 居心地がいいのだろう、ピーちゃんは床で寝ていた。

(贅沢をせずとも理想的な生活は送れるのだわ。ぜひとも参考にさせていただかなくては)

 ただひとつ、テーブルの真ん中に土だけが入った鉢植えがあるのが気になった。寂しさが募る。

「私のお仕事のこと? たいしたことはしておりませんの。あら、いけない」

 アンはテーブルの鉢植えを持って、ちらと外をうかがって、窓辺においた。そして窓辺を彩っていた白い可憐な花の鉢植えをテーブルにおいた。

「切り花を飾る余裕はありませんの」

 アンは恥かしそうにうつむいた。

「女性一人が働いて暮らしていくのですから、切り詰めるのは当然ですわ」

 サラは理解を示そうと何度も頷いた。

「でもわたくし、すっかり誤解をしておりましたわ。貴女が結婚を渋った理由、意中の殿方がいらっしゃるものだと思い込んでおりましたの。家を出たのも、きっとその殿方と暮らすのだろうと」

「あのころ、私に味方してくださった方は、みな、そう思っていたのでしょうね。ロマンチックな想像をされていたことでしょう。申し訳ない気持ちです」

「いいえ、そんな。侮っていたことをわたくしこそ申し訳なく思ってますわ。貴女がまさか自活するなんて考えも及ばなかった。わたくしの目から見ても貴女は輝いていますよ。とくに今は眩しすぎますわ」

「何かあったのですか」

「ええ、実は……」

 三杯目のミルクティーを飲み終えるころに、ようやく今朝からの出来事を語り終えることができた。アンは黙って聞いていた。一度も相槌を打つこともなく。

「と、まあ、こういうわけで……」

「残念ながら、お役に立てそうにありません。アドバイスすることもないし、手助けできることもないようです。ああ、ひとつだけ。今夜泊まるところがないのでしたら、隣の古着屋で今着ているドレスを古着に交換するといいですよ。差額代で格安ホテルに泊まれると思います」

 実に明快で清々しい拒絶だとサラは思った。
 ダチョウが目を覚まし、バサバサと羽ばたいた。抜けた羽毛が床板に落ちる。アンの眉間が険しくなった。
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