鬼狩り

笹野にゃん吉

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「そろそろ帰ろうぜ。寝る間もなくなるぞ」

 コウタの声で、ナギは俯いていた顔を上げた。

「……ああ。あともう少しだけ」

 嘆息するコウタを一瞥し、おもむろに手を合わせる。
 いま眼前にあるのは、平石を積み上げて作った質素な墓だった。
 傍らには半ば朽ちかけた木の板。「ナミ」と刻まれたそれは、夜気を含んだ風を受けてふいふいと虚しい音を鳴らしている。

 ところが、その周りを囲うのは、御影石で作られた立派な墓碑だ。雑草の茂る低い山の斜面を鱗のように覆い、夕日を受けて赤く照り映える。

 だから異質なのはナミの墓のほうだ。それだけが黒く翳り、いかにもみすぼらしく、子どもの悪戯めいている。ナギは苦々しいものを奥歯で磨り潰しながら、不条理な現実に耐えるしかなかった。

「お前の気持ちは分かるけどさ、なにも毎日ここに拝みに来る必要はないんじゃねぇの? 言いたかねぇけど、ナミの身体はここにないんだぜ。〈鬼〉に殺された奴の死体は骨も残らない。しばらくすれば消えちまう。お前だってほら……見ただろうに」

 コウタが眉をひそめた。ナギにとってナミは幼馴染であり、想い人だったが、コウタにとっても、ナミは短くも長い幼少をともにした仲間なのだった。

「それでもナミの親父さんは、ここにナミを運んだ。埋める前にあいつは消えちまったけど。魂はここにあんのさ」

「……俺だって、あのまま全部が消えちまったなんて思ってねぇさ。まあ、好きにしろよ。俺は先に帰る。明日も俺たち朝番なんだし、あんまり晩くなんなよ」

「分かってる。俺ももう行くよ」

 ナギは立ち上がり、簡素でみすぼらしい墓を見下ろした。

 いつかコウタと二人で掘り返した土の上には、今や雑草が青々と茂っている。その上にのった百日紅の花は、ナミが好きだったものだ。ナギの他にも彼女を弔う者がいる。それが誰なのかはわざわざ頭を捻らせるまでもない。膿んだ傷が疼いたように、胸が痛んだ。

「……また来るよ、ナミ」

〈鬼〉。
 ナギたちがあの日出会ってしまった怪物。

 奴らに殺された者は、コウタが言ったように、僅かな時を経れば骨も残らず消えてしまう。塵のように風に紛れて。生きてきた証を残すことさえ許されないとでも言うように。

 そして〈鬼〉に殺された者は、墓を設けられ弔われることもない。「〈鬼〉による死者への弔事は新たな〈鬼〉を招く」と、古くからそのような言い伝えが根強く信じられているからだ。

 その点、ナギや百日紅の花を置いていった者の行為は、明らかに掟破りに違いないが。誰も咎められぬのだ。〈鬼〉に大切な者を奪われる苦しみを、知らぬ者など西野村にはいないのだから。

「待ってくれよ、コウタ」

 ナギはコウタの高い背中を追って歩き出した。

 年齢は一つしか違わない。
 共に土を掘り返した頃には、背丈などほとんど同じだった。
 それなのに今は、コウタのほうが頭ひとつ大きい。畑を囲む白樺の低い枝には手が届くほどだ。

 ナミが殺されたあの日から、十二年の月日が流れていた。コウタは十九歳に、ナギは十八歳になった。ナミだけが六歳のまま、もう二度と歳を経ることはない。

「そういえば聞いたか、コウタ? 今朝、ジンが都へ行ったんだってさ」

 コウタの背中がぶるりと震え、肩から提げられた鬼討伐用長銃〈ほむら〉と漆黒の胴あてがぶつかり、カチンと甲高い音をたてた。

「おいおい、嘘だろ。ただでさえ〈鬼狩り〉が少なくなってるってのに。あいつまで都へ逃げちまったのかよ」

「頭の冴える奴の特権だよ。この村で生まれた男子は、頭が使えなけりゃ〈鬼狩り〉になるしかねぇんだから」

 ナギはそう言って腰に下げた鬼討伐用刀〈ひらめき〉の鯉口を撫ぜた。

〈閃〉、〈焔〉、黒く磨かれた鋼の胴あてに、〈血濡れ袴〉と呼ばれる紅色の袴が鬼狩りであることの証だ。西野村で生まれた男子の多くは、隣村の中原村の学舎へ通うこともせず、知よりも武を磨き、〈鬼〉を狩る者——即ち〈鬼狩り〉となる。

 西野村の背後にそびえ立つ断崖、その足許に口をひらいた〈黄泉の門〉より出でる怪物たちを滅ぼすべく。

 己らの明日を生きるべく。

「なんだよ、羨ましいなぁ。俺も小さい時分には親父に学舎に通わせてもらってただろ? でも、俺には書き物なんて性に合わねぇ。だから、こうして鬼狩りやるしかねぇじゃねぇか。命懸けでもよ」

「コウタに半日でも書き物をやらせようとしたら、それこそ命懸けだもんなぁ」

「おいおい、失礼な奴だな。まあ死にはしないにしても、頭が煮立ってぶっ倒れるくらいはあるかもしれんけどよぉ」

 そうこう言っているうちに、白樺を背負った家々が見えてきた。

 墓場を担う墓山は、今やナギたちの背後。真正面に沈みゆく夕日の光を受けて赤く輝く。墓の立ち並ぶ西南側の斜面はすでに闇が覆い、そこに眠る者たちが死を受け入れたように静謐だ。

 左手には中原村へ続く並木道。右手には〈死道しどう〉を孕む松林が広がる。〈死道〉は無限の闇を抱いた底なし崖〈予断よだち〉へ続き、中途で折れれば樅の森から〈秘密の丘〉へ行くことができる。

 無論、二人はいずれにも用がない。幼馴染の少女がいなくなった西野村へと戻り、これからも変わらぬ日々を営んでいくだけだ。

「そうそう。悪い報せばかりじゃないんだってことを忘れてた」

「ん、なんだよ。一緒に命を懸ける男子が減った哀しみ……というか、怒りかね。それをすっかり忘れさせてくれる報せなんてあるんかよ?」

 コウタとジンの仲が特別よい印象はなかった。別れの一言も置いていかなかったのだから、むしろ仲は悪かったのかもしれない。それでも幼い頃から幾度もの朝夕を過ごしてきた仲間として、それなりの情があるのだろう。コウタの芝居がかった口調は、どことなく本心を押し殺したようだった。

 ナギも努めて寂寥をしまいながら言う。

「いやぁ、お前は嬉しいと思うぞ」
「ナギは嬉しくないのか?」
「べつに」
「はあ、よく分からんけど。なんだよ?」
「近々、都の女が流れてくるらしい」

 コウタが喉仏を大仰に上下させた。徐々に口端が歪み、鼻の下が伸びる。その脳裏に何が過ぎったのかは大方想像がついた。

 都で悪行をはたらいた者の中には、こうして度々西野村へ送られてくる者がある。いわくからしてろくな者たちではないが、〈黄泉の門〉を負う西野村だ。臆して大人しくなる輩も珍しくない。実際、真っ当に商いに勤しむ者、〈鬼狩り〉として命を懸ける者の中にも流れ者がいくらか混じっている。

 無論、恐れをなして逃げようとする輩もないわけではないが。
 賢明な者ほど、大人しく村に留まるものだ。

 かつてナミが〈鬼〉に命を奪われたように。
〈鬼狩り〉の護衛もなく村の外を出歩けば、たちまち〈はぐれもの〉の――黄泉の門で仕留め損ねた彷徨〈鬼〉どもの餌食となるだけなのだから。

「それは本当なんだな、おい」

 鼻息あらくコウタが詰め寄ってきた。
 ナギはその肩を押して遠ざけた。

「ああ、親父が言ってたよ。新しい〈鬼狩り〉を作る好機が、ついにお前にも巡ってきたとかなんとかってさ」

「いや、渡さないぜ! 俺は絶対にその女を渡さんからな!」

「まだ見てくれも知らんのに、よくそこまで言えたもんだ。まあ、代わりに新しい〈鬼狩り〉作ってくれる男がいるなら、西野村の将来は安泰だなぁ」

 言えば、コウタは分かりやすく胸を張る。

「俺のおかげで安泰かぁ!」

「そうそう。お前みたいな、旦那もちの娘の尻だって追いかけちまうような奴のおかげで」

 石に躓いたような動作をとる幼馴染を見て、ナギはカラカラと笑う。
 そこへすぐさま苦笑が返る。

「いちいち棘があるんだよなぁ、ナギは。まあ、女が抱けりゃなんでもいいさ。所帯をもたねば、〈鬼狩り〉は女なんぞ抱いてる暇ないからなぁ。年に一度都へ行って素敵な〝お屋敷〟に入れれば、運がいいってんだから」

「コウタが跡継ぎを作ってくれれば、〈鬼狩り〉一人ひとりの負担も減るぜ。そうすりゃ、お前の大好きな〝お屋敷〟に通う時間も増えるってもんだ。まあ、銭が増えるわけじゃねぇし、女房がなんて言うかは知らんがなぁ」

「一言余計なんだよ、ナギぃ」

 腕が抜け落ちんばかりに肩を落とすコウタを見て、ナギはまたもカラカラと笑った。

 こうして友と話していれば、ささくれだった心も多少は安らぐ。墓前で手を合わせている時のような陰鬱な気持ちは晴れる。

 けれど、西野村の背後にひらけた〈黄泉の門〉を目にする度、穏やかな気持ちは雲散霧消し、あの日の憎しみに胸が疼く。鯉口に添わせた指が白む。指先に触れる鍔の感触——。

「それじゃあな、ナギ。明日も頼むぜ」

 友の一言で、ナギは我に返った。

 コウタはもう引き戸をひいて、中へ入るところだった。家中には囲炉裏の火が焚かれているのか、壁面に琥珀色の明かりが揺れていた。

「ああ、よろしく。また明日な」

                  ☯☯☯

 あの日ナギを救ったのは、父親のタツゴだった。

〈鬼狩り〉のために都から支給される鬼討伐用装備、〈閃〉と〈焔〉にはそれぞれ特別な力が具わっている。〈閃〉は〈鬼〉の悪意に反応して空気を震わせ鳴き、〈焔〉は弾丸の代わりに使用者の精神を糧に蒼き焔を吐き出す。また、鋼をも弾き返す〈鬼〉の肌を裂き、穿つことができるのも鬼討伐用装備の特徴である。

 タツゴは〈閃〉の鳴き声に導かれ、〈秘密の丘〉へと駆け付けた。ナギたちが樅の森を進む間、彼もまた刀の鳴き声を頼りに、行方知れずの子どもたちを捜索していたのだ。

 だが、一歩遅れをとった。ついにナミを救うことは適わなかった。ナギだけが生き残った。〈焔〉の弾が、今まさに両断されようとしていた少年を救ったのだ。〈鬼〉は魂の弾丸によって頭を柘榴のごとく割られ、黒い塵となって消滅した――。

 ナギは囲炉裏鍋の底を舐める炎を眺めながら、あの日のことを思い返す。
 頬を撫でれば、今でも痛みが蘇ってくる。〈焔〉の一撃を受けて狙いこそ逸れたものの、〈鬼〉の爪はナギの頬をかすめ深い傷を作っていた。

 コウタのような者がなければ、ナギはいくらでも呪われた一日を脳裏に蘇らせることができる。頬の痛みも、ナミを喪った悲しみも、つい先程のことのように思い出せてしまう。

「俺がもっと強ければ……」

 あの頃、ナギはまだ子どもだった。六歳の子どもだった。〈閃〉を振るうどころか、持ち上げることさえできない子どもだったのだ。

 たとえ時を遡り、強くなるためだけに日々を犠牲にしたとしても、〈鬼〉を殺す膂力も技も、身に付けることはできなかっただろう。それくらい本当は解っている。
 今更、臍を噛んでも詮無いことだ。悔いたところで過去の時間が戻ってくるわけでもない。後悔はいくら抱いても晴れるものではないし、先にたてることもできない。

 それでも過去に怠慢を見てしまう。
〈鬼狩り〉になりたくないと駄々をこねた日々。修行を休んだ日のこと。ナミに嫌われたくないと、誘いを断れなかったこと。
 それらが後悔の染みとなって今なお拡がり続けるのを、どうすることもできない。

「どうかしたの、ナギ?」

 その時、義母のミヨが眉尻を下げ、ナギの顔を覗きこんできた。
 その口端に刻まれたしわは深く、囲炉裏の炎がその影をいっそう濃くしているように見えた。

 あの日から悲しみを背負うこととなったのは、なにもナギ一人ではない。
 ミヨは、復讐の鬼と化し修羅の形相で修行に励む息子を見て、その危うい生き方に日々不安を募らせてきたのだった。

 ナギにもその気持ちは解っている。ミヨは血の繋がった親ではなく、タツゴの後妻だが、実の母と同等に、あるいはそれ以上に、ナギを愛してくれる人だったから。

 ナギは黒ずんだ感情を呑み下し、無理矢理に微笑を作って、差しだされる椀を受け取った。

 汁も肉も野菜もたっぷりと揺れた椀だ。〈黄泉の門〉を守る〈鬼狩り〉たちは、いつ死ぬとも知れぬ過酷な環境の中、皮肉なことに銭に困るようなことはない。

「なんでもない。今日は早くから門番をしていたから疲れたんだと思う」
「そう、それならいいのだけれど。怖い顔をしていたものだから何事かと」

 ナギは苦笑する。

 タツゴは今、用あって都へ出ているが、もしこの場にいようものなら「気の迷いは己を殺すことになるぞ」などと言って叱責したに違いないからだ。ナギは己の未熟さを改めて思い知る。胃の腑に落ちた熱が、すすった汁の温みなのか、焦燥なのかわからなくなる。

「明日も朝番に立つんだ。今日のように長くはなくて、昼には交代するけど。そう思うと不安だったんだ、きっと」

 実のところ不安など微塵も感じていない。それどころかナギは、〈鬼狩り〉として生きられることに悦びすら感じている。ナミの命を奪った憎き〈鬼〉どもを、誰に咎められることもなく自らの手で屠ることができるのだから。
 
 ミヨがそれを心配していても、暴れる心を抑えこむことはできない。
 それが。
 ナギの人生のすべてだからだ。

「気を付けなさいね、ナギ。無理をしては駄目よ。父様も危殆に瀕しては背を向けてでも生きるべしと言っているでしょう?」

「ああ、分かってる。大丈夫、俺だってこれまでに何匹も〈鬼〉を殺してきたんだし、危ない目に遭ったことも一度や二度じゃない。充分に気をつけてるさ。母様に哀しい思いはさせない」

 手許に置いたままの〈閃〉の柄に触れると、〈鬼〉たちの断末魔が思い出される。十五歳の時に正式な〈鬼狩り〉として認められてから、ゆうに百以上の〈鬼〉たちを殺してきた。それでも、後悔や憎しみが晴れることはない。

「ええ、ならたんとお食べなさい」
「うん、ありがとう」

 然して、ふたたび椀を傾けた時である。
 ミヨが「そういえば!」と手を叩いたのは。

 普段は寡黙で大人しいミヨだ。まさか大声を出すとは思ってもみなかったから、驚いて汁を数滴こぼしてしまった。

 役目を終えて、血塗れ袴は脱いでいた。生足に熱い汁がかかると痛みに慣れた〈鬼狩り〉も、さすがに悲鳴を押し殺せない。

「あっつっ」
「大丈夫、ナギ!」

 ミヨが傍らに置いてあった水のたっぷり入った盥に着物の袖を浸し、それを汁のかかった個所に当てた。

「母様、大丈夫だ! これくらい大したことない。そんなことしたら母様が冷えてしまう」

「大丈夫よ、私は。火の前に当たっていれば服も乾くでしょうし」

「いや、でも……。そんなに気を張らなくたっていい。俺だってもう十八になったんだ。痛みで泣いてた頃の子どもじゃない」

「でも、私はナギが心配で……」

 ミヨがそう言って目を伏せた。
 ナギはたまらず唇を噛む。

 ミヨにこんな台詞を言わせてしまった自分が情けなかった。美味い鍋を食うはずだったのに、口の中に拡がるのは、またも後悔。そして血の味だ。

 誤魔化すように椀を傾け、汁をたっぷりと胃へと流しこむ。血の味だけが身体の奥へと消えていった。

「それより、さっきはなんて?」

 ナギは、すっかり話題をすり替えることにした。ほんの短い間でも不安を取り除いてやりたかったし、こんな自分が恥ずかしかったから。

 するとミヨが椀を手に取って、中に箸を突っ込むと子どものように笑った。よほどこれから話すことが喜ばしいと見えて、そっと胸を撫で下ろした。

「言い忘れていたことがあったの。昨日父様が、流れ者が来るとおっしゃられていたでしょう?」

「ああ、うん。それで?」

「女の人だけじゃなく、男の人も来るんですって。それもナギより若い子だそうよ」

「へぇ。俺より若くて悪さをはたらいたりするのか。都は解らねぇな」

「それでその子を、ここで預かることにしたそうなのよ」

「へぇ。え?」

 ミヨはなおも嬉しそうに微笑んでいる。
 ナギは喉の奥に固まり始めた緊張を感じた。

 都の若い男がやって来る。それも我が家に。

 西野村で流れ者が居候するのは、決して珍しいことではない。普通のことだ。
 
 南に広がる〈闇の森〉も、東にある松林も不浄の地とされているため木材には向かないとされ、西野村では滅多に新しい家が建つことはない。そもそも村に番匠に類する者がいないので当然だ。もし新居を建てるとなれば、他の村々や都から派遣してもらう必要があるため、多大な時間と金をかけなければならない。故に流れ者は、村人のもとで居候するのが習わしとなっている。

 しかし、男の流れ者が女の住む家に居候としてやって来るというのはなかなかないことだった。ミヨは年相応に老いてきてはいるが、時折、堅物のタツゴが呆けた顔で彼女の横顔を眺める程度には美しい。厄介なことになりはしないかとナギは気を揉んだ。

「父様はなんて? 反対してないのか?」

「ええ、ちっとも。護送手続きの際に都へ行って、直接顔を見たんですって。それで父様は、あれは悪くない男だと」

 悪事をはたらいて流れてくるというのに、悪くない男というのは理解に苦しむところだが、タツゴの慧眼は馬鹿にできない。
 
 幼い頃のジンを見て「この子は都へ行く」と断言した通り、彼は実際に都へ旅立ったし、以前村に来た流れ者が冤罪であることも瞬時に見抜いた。コウタの女癖の悪さも、彼が幼子の頃に言い当てられていたという噂もあるくらいだ。

「母様はそれでいいの?」

 タツゴの目はたしかだ。しかしいつだって父が正しいとは限らない。母にも母の気持ちがあるはずだった。

 ところがミヨは相好を崩したまま、眉の一つもひそめはしなかった。

「ええ、私は賛成よ。いいじゃない。息子が増えるみたいで」
「いいのかなぁ」

 家の中に人が増えること自体は、抵抗がない。以前、流れ者の女が住んでいたこともあるからだ。西野村の風習に今更文句を言うつもりはない。それでも不安なものは不安だ。

 だが母が首肯を示すのなら、これ以上言えることはなにもなかった。納得できた、と言ってしまえば嘘になるが、いざという時は自分が母を守ってやればいいと結論付けることにした。

 夕餉を済ませ、風呂に入ると、ナギはすぐに布団で横になった。流れ者への不安は消えていなかったが、使い慣れた毛布と毛羽立った畳の匂いを嗅いでいるうちに、いつの間にか眠りがやって来た。
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