魔都フクイ

笹野にゃん吉

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第三部 第二次抗争

四九、聴きやがれ、ポンコツ

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 そこは蒼白い光に満たされた、サッカースタジアムほどの空間。

 ドーム状の天井、湾曲した壁、平面な足場には、見渡すかぎり無数の筐体が鎮座していた。その一つひとつが、一定の間隔で幽かな光を明滅させ、重苦しいファンの音をなり響かせる。
 空間の最奥では何十ものモニター群が眩い光を放ち、それが例外的に筐体の設けられていない一本の道を照らしだしていた。

 常人には複雑で不可解な文字列の流れが、その一本道にノイズじみた影を流しこむ中、今、一体のカニ人間が自身の破壊したセキュリティドアの残骸に座りこむ。

「ブジュ……」

 モニター前の操作盤に接続した〈メガネーズチルドレン〉の背中を眺めつつ、彼は灰汁の混じったような汚い泡を吐きだした。

 満身創痍の身である。
 全身はひび割れ、頭部からはカニみそまで流れだしている。
 もはや戦う力など残されてはいない。
 いや、もう戦う必要などないのだ。

「ジュジュジュ……」

 残像ともなう文字列の流れを見やり、彼はいびつな声で笑った。
〈クラブラザーズ〉に軍配が上がるのは、時間の問題だった。

 モリヤマと別れたあと、彼は早急にフクの井へ侵入し、地下に設けられたこの場所――県知事システムのコントロールルームへとたどり着いたのだ。

 プテラノドンに乗った増援を目にしたときは驚いたが、閉所に立てこもってしまえば、空の戦力も脅威ではない。すでにカニ人間たちへの手配も済んでいる。よほどの戦力差がない限り、井戸に入ってくることさえできはしない。

「ブジュウウウウウウウウウ……!」

 そう確信していたこそ、どこからか響きわたったカニ人間の断末魔は、彼を心底怯えさせた。
 震える身体に鞭を入れ、立ち上がった。
 ドアの向こう。
 井戸とこの空間を繋ぐ通路の暗闇から、銃声と断末魔が近づいてきた。

「ブジュウウウウウウウウウ!」

 またしても人のものではない。

「うおおおおおおおおおおお!」

 迫る鬨の声のほうが、生身の人間のそれだった。

 バカな。
 彼は狼狽えながら、口許に泡をため込んだ。

 もう少しだ。もう少しなのだ。あと少しで、システムの奪取に成功する。フクイは我々のものになる。なのに!

「「「うおおおおおおおおおおお!」」」

 鬨の声はいきおいを増していった。
 やがて同胞の声だけが絶えた。
 反響する銃声が怪物の唸り声のごとく迫りくる。
 そして。

「アブナイ!」

 ふいに闇の中から警告の声があがったのだ!

「ブ、ブジュウウウウウウウウウ!」

 彼は恐怖に耐えかね泡を吐きだした!
 闇の中、泡はなにかに衝突し弾けた!
 カニ人間は、反射的に血の匂いを探った。
 すぐに嗅ぎ取ることができた。

 仕留めた!
 暴力を達成した充足が、束の間、彼の胸を慰めた。

「迎撃します!」

 ところが次の瞬間、闇の中から装甲の欠けたロボットが姿を現したではないか! 中央の割れた米型頭部から銃身を露出したロボットが!

「ブジュ!」

 しかしカニ人間は、あえて射線から逃れようとしなかった。
 安易な射撃は、システムを巻きこむ恐れがあるからだ。
 相手は確実にそれを躊躇う。
 いかにロボットであろうと。
 いや、フクイのロボットであるからこそ!

「ブジュウウウウウウウウウ!」

 カニ人間は正面から踏みこんだ!
 割れた頭部を両断すべく、ハサミを振りあげた!

 パン! パン! パン!

 その瞬間、目の前が真っ暗に染まった。
 開きっ放しの口に弾丸が吸いこまれ、頭の中をシェイクしたのだ。
 彼は、己が身に起きた出来事を知る由もなく死んだ。

「……こいつで最後みたいだな」

 カニ人間がたおれると、ロボットの後ろからふたりの男が歩み出た。
 料理人風の男と、彼に支えられたボロボロのリクルートスーツの若者だった。

「大丈夫か?」

 コックの気遣いに、マスナガは頷いた。
 肩に回された腕をやんわりと解き、自らの足で地面を踏みしめた。
 操作盤に接続した幾つかの背中に目をやった。
 マスナガは胸いっぱいに息を吸いこんだ。

「終わりだ! お前たちを、俺たちを脅かすものは、もういない!」

 その叫びは、メガネ移植者たちの肩をぴくりと震わせた。
 恐るおそるふり返る彼らの眼差しを、マスナガは受けとめた。
 一歩、二歩と覚束ない足取りで歩み寄り、もういいんだと囁いた。
 メガネ移植者たちは怯えた様子で、互いに顔を見合わせた。

 マスナガは足を止めた。
 恐怖で支配されてきた、彼らの気持ちに踏み入ることは、決して容易でないと知っていたから。

「もう、いいんだ」

 もう一度、その場で囁いた。
 メガネ移植者たちは、困惑しながらマスナガを見やり、カニ人間の亡骸と見比べ、やがて言葉なく肩を震わせた。嗚咽し、抱き合い、項垂れて、ひとりずつシステムとの接続を解いていった。

 マスナガは、〈メガネーズチルドレンきょうだい〉の姿をしっかりと目に焼き付けた。
 そして湧きあがる感情を、己の歩んできた道に刻みつけ、ふいに目許へ爪を突きたてた。

「お、おい!」

 コックの制止に構わず、彼は自らの肉に指を抉りこんだ。
 フレームを鷲掴み、中から引きずり出した。
 肉という肉の千切れる音を反響するに任せ、血塗られたメガネを放り投げた。

「聴きやがれ、ポンコツ!」

 顔面を真っ赤に染め、マスナガはモニターを睨んだ。

「俺たちは自由だ! ずっとな! こんなクソくだらない道具にも、イカれたチンピラにも縛られはしない! 俺たちは、俺たちの意志で、お前を守ったぞ!」
「あぶない!」

 ふらつくマスナガにコックが駆け寄った。その重みに耐えかね、諸共に倒れかけた。

「おっとぉ!」

 そこへ、ふたつの人影が駆け寄ってきた。
 それぞれの背中を、バンダナとナカネが支えた。

「聞いてたぜ」

 バンダナが肩をすくめ、マスナガの背中を叩いた。もっと言ってやれ、と煽ればにかりと笑った。
 そこにナカネも続いた。

「俺からも頼む」

 と。
 マスナガは自分を支えてくれた人々と一瞥を交わした。
 ゆっくりと息を吸いこみ、些か穏やかな眼差しをモニターへと向けた。

「だからお前も、信じて、委ねてくれ。道具なんていらないから。俺たちが、俺たちとして生きる道を築けるように、ずっと見守っていてくれ」

 その後、システムがどのような判断を下したのか、マスナガは知らない。言い終えると同時に、意識を失っていたからだ。
 この場に居合わせた者たちも、ついに県知事システムの声を聞くことはなかった。唸るようなファンの音だけを聞いていた。

「……さて、帰るか」
「そうだな」
「家族が待ってる」

 それでも彼らは、システムを信じようと決めた。
 マスナガの思いを無駄にしたくない。
 そんな人情がはたらいた部分も大いにあるだろう。
 だが、彼らはそもそも、間違えながらも変化し、力尽きることなく立ちあがってきた、フクイという場所を愛していたのだ。

 やがて、老兵による勝利が宣言され、県民たちは、それぞれの日常へと帰っていった。
 その道中、多くの人々が水堀を泳ぐ黄金の鯉を見たという。
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