この恋は始まらない

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第五十九話・今日の主役はニコちゃんです! メイド喫茶2

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メイド喫茶二日目。
この物語の主人公はハジメであれ、メイド喫茶の主役は我々だ。
ニコは、そう言いたげにしているので、今回の主役の座はニコに譲ることにしよう。
ニコ達メイドリストが受け持つテーブルでは、何事もなく順調にイベントは進んでいた。

ハジメの女性ファンの民度がおかしいだけで、普通にレイヤーさんを推している男性ファンの民度は高い。
オタクの人達は、仕事の時以外は趣味に生きて、カメラマンをしているくらいだから、基本的には社会人として自立している。
学生よりかは、多少は静かにしていた。
今回のイベントでは撮影がメインではないため、テーブルに座って交流する。
ニコは元々気さくな性格なので、初対面の人であったとしても打ち解けるのは早い。
アマネやルナでは、ニコみたいな図々しいことは出来ない。
可愛い女の子が多い中で、わざわざニコの給仕を受けたい。
彼女と話したいファンの人達は、ニコのそんな人間性が好きだったりする。
ツイッターで交流があるのに、顔合わせしてでも話したいくらいなのだ。
男性のファンは、ニコに差し入れを持ってきてくれる。
「ニコちゃん、詰まらないものですが……貰ってください」
恥ずかしそうにプレゼントを手渡すのであった。
蒙古タンメン中本の段ボール。
十二個入りだ。
蒙古タンメン中本RTAから逃げるな!
「わあ、ありがとうございます。女の子の尻穴を破壊したい特殊性癖でもあるんですか? ウチん家に蒙古タンメン中本何箱あると思っているんですか??」
笑顔でまくし立てる。
ファンに向かって半ギレするな。
ニコのファンだ。
根っからのクソオタクしかいないのであった。
男のノリでツイッターで活動をしていたら、そう見られてしまうのは仕方がない。
アマネやルナのように、コスプレした可愛い写真を上げるインスタクソ女とは違うのだから、固定ファンの頭おかしいのはハジメのところと似ていた。
いや、流石に節度を持った大人の男性しかいないので、女性に対してはセクハラをしてこない。
その意味では、まともなのか。
他のファンは、地元の珍味を渡していた。
魚の干物や瓶に入った珍味は、日本酒によく合うのだ。
推し活ではなく餌付けである。
男の子は誰だって、女の子が美味しそうにごはんを食べる姿が好きなのだ。
ニコは、いい表情をして食べる。
そんな女の子には美味しいものを食べさせてあげたくなる。
だから、蒙古タンメン中本RTAを走れ。
「……走者はアマネでいい?」
容赦なく、親友を生け贄に捧げる。
そんなクソみたいなやり取りをしているのであった。
ニコのファンは聞いてくる。
「……ニコちゃん、今回のイベント、無償で良かったんですか?」
「ん~。まあ、風夏ちゃんや、ふゆお嬢様を誘ったのはアタシだし、無償だからこそ、色々な人に手伝ってもらえているから良かったんじゃないかな?」
最初は美人の人気にあやかりたい。
そんな邪な思惑があったのかも知れないが、今はこの状況に満足していた。
……色々な人と関わりが持てる。
普通に生きていたら知らない世界がここにはある。
オタクとは、人付き合いが苦手な陰キャだが、行動力だけはある。
なるようになれ。
だからこそ、コスプレは楽しい。
自分のしたいことを体現出来る。
どんな失敗でも、乗り越えていける。
ニコにとって、コスプレは天職であった。
「次の予定は何かあるんですか? 今回の分も、お金を払って参加するからさ」
「次回かぁ……」
ずっと忙しくて、次のことなんて考えていなかった。
ニコは、生来の性質からか、宵越しの金を持たぬタイプが故に、明日のことを考えることは出来ないのだ。
計算をするのは苦手な女の子である。
イベントが終わったら考えよう。
夜にはVTuberのライブ配信見たいし。
この女、気楽であった。
典型的なオタクの思考である。
そんなアホみたいなことを笑って言ったら、隣のテーブルのルナから最大威力の飛び膝蹴りが飛んでくるだろう。
一蓮托生の片割れが適当だと、苦労するのである。
「う~ん。もうすぐ夏になるから、それっぽいことをしたいね」
コスプレの夏は早い。
春からアニメが始まって、五月を過ぎると丁度作品が盛り上がる時期でもあるから、色々と早めに準備をしないといけない。
これから夏コミの衣裳を作る必要もあるし、夏休みに入ると大きなイベントをするのも難しくなる。
大人の八月は忙しいのだ。
ファンの大半である三十路のおっさん達には、お盆がある。
夏休みに入ると、ハジメ達のファンの学生とは違い、おっさんのイベントの参加率が極端に悪くなる。
それにね、年を取ると、暑いと動けなくなるんだよ。
真夏に動き回ると倒れてしまう。
大々的なイベントをやるなら、六月や七月だろう。
おっさんの世知辛い現実を知っているからこそ、ニコ達が予定を合わせる必要がある。
それも仕方がない。
真夏の野外でイベントをしたら、どれだけ死人が出るだろうか。
名も無きちいかわ族が大勢倒れ、死屍累々の屍山血河になる。
その血は大量に流れていき、川へと還る。

悲しいけれど、学生に出来て、おっさんに出来ないことは多い。
今はもう、蒙古タンメン中本も食べられない身体なのだ。
辛いと辛いは似ている。
尻を庇いながら生きる必要があるのだ。
「あ、一応。みんな体力ないだろうし、屋内の涼しいところで開催するよ。座って楽しめるイベントにするから安心だね?」
屋内でやるから椅子にずっと座りっぱなしだろうから、ふかふかのクッションも完備だ。
今日のメイド喫茶でも、必要な人にクッションやブランケットを貸し出していた。
「その優しさが時に僕達を苦しめる」
おっさんへの配慮を忘れない。
しかし、その優しい気遣いに、色々と察するのだった。
他人を気遣える女性は美しい。
だからって、ファンの痔にまで気遣えとは言っていない。


あーだ。こーだ。
言いながら、ニコが好きそうな提案をする。
「前向きに検討するね~」
大人なら知っている。
ぜったいにあてにならないやつだ。

いや、ニコならどんなに無謀な案であっても、面白そうならやり遂げるのかも知れない。
その意味で信頼されている。
ニコは、大空を舞う鳥よりも自由だ。
両手を広げて、大きな空に挑戦すべきなのだ。
その結果、失敗してもいい。
誰もニコに完璧にこなすことを求めていない。

メイドとは、本来は仕事を完璧にこなす存在だが、駄メイドも同じように存在する。
優秀さがメイドの全てではない。
押忍、クソメイド!
そんなタイトルのエロゲが、一時期流行ったことすらあるのだ。
ニコやルナみたいな、人間としての欠陥があっても、魅力になる。
綺麗だし可愛い。
メイドのサブ属性と捉えれば、一定の需要がある。
だから、メイド界隈は居心地がいい。
今日だって、メイド喫茶として給仕をして、ご主人様達が喜んでくれるように会話をするのが本来の仕事だった。
しかし、特にメイドらしいことはしていない。
ご主人様への奉仕心を忘れた哀れな生き物である。
ニコは、自分が主催者であることも忘れ、好きに話していた。
今後のイベントをどうするか、話し合うのだった。
ファンの意見をあらかた聞いたあと、嬉しそうに提案する。
「アタシね、せっかくの夏だし、プールを貸し切りたい」
「ああ、水着いいよね。夏っぽいし撮影の需要も高いから、予約枠直ぐに埋まると思うよ」
ニコにしては、よく考えている。
今回の出費を取り返す方法としては得策である。
赤字分、何とかして数十万を回収しないといけない。
そう思っているのだろう。
そうしないと、金の亡者であるルナにしばき倒されるのだ。
「そして、尻相撲がしたいの」
馬鹿だった。
このアホが、需要とか採算を考えるわけがなかった。
ルナに怒られるの分かり切っているのに、プールを貸し切るな。
確実に赤字を垂れ流す不毛なイベントだ。
あと、誰と誰が尻相撲をするんだよ。
メイド要素はどこだよ。
俺達は、それにお金を払うのかよ。
ニコは好きにさせた方がいいタイプの人間だが、狂っていやがる。
「尻相撲しようぜ」
レイヤーとファンがすんの??
尻と尻のぶつかり合い。
意味合いが違くないか?
握手会のノリでするものじゃない。
いつもの冗談だろうが、この女ならやりかねない。
尻相撲をしたい。
その情熱だけで生きていた。
それだけなら、別に動画で撮ってSNSに載せるだけでいいんじゃないのか?
いや、SNSで女の子同士が尻と尻をぶつけ合いしていたら、垢バン喰らうだろうか。
そこまで考えて、身内のファンしか来ない場所で尻相撲をやりたいと言っていたのか。
ニコは賢い子だ。
いや、あの顔は何も考えていない。
口を開けてぼーっとしていた。
IQ低そう。


メイドとして名が売れている人間は、メイドだから需要がある。
白と黒のメイド服を着て、清楚な美しさを求められている。
水着姿をして、肌の露出を増やして性的な魅力を売りにしたところで、需要があるとは思えない。
ファンとしても、ニコ達の水着姿は見てみたいが、メイド服に性的嗜好を覚えている精神異常者の集まりだ。
ハジメのようにメイドに狂っている。
水着姿を見たいとはいえ、えちえちなメイド要素は捨てがたいのだ。
……水着姿は夏しか見れないだって?
夏用の薄地のメイド服を見れるのだって、夏だけなのだ。
メイドリストが、ヴィクトリアンスタイルのメイド服を脱いだら、それはもう、一般女性だ。
二十○歳の一般女性になる。

イベントとしてもレイヤーの在り方としても、かなり破綻していたが、そんなものを気にしていたらオタクは出来ない。
迷いは捨て去り、決断するしかない。
やるかやらないか。
どっちなんだい。
決断するのは自分自身。
趣味とは、自分がしたいことが出来る自由なものだが、それと同時に自由過ぎるのだった。
アマネ達がいれば、必要最低限の尻は確保出来る。
メイドリストは、レイヤーとしての人気の違いはほぼないからこそ、メイド界隈でのファン層の奪い合いをしている状況だ。
全てのファンは、アマネのイベントにも、ニコにもルナにも参加出来る資金力はない。
誰かを選んだら、誰かは選ばれない。
だからこそ、尻相撲で雌雄を決する必要がある。
それは、メイドとしての決意表明であった。
尻だけに。

あと、アマネは尻がでかいし、強キャラに成り得るから面白そう。
「いや、だから何で、メイドの格の違いを尻相撲で決めるの?」
マジレスするおっさん。
年上のおじさんには、長年培ってきた常識があり、それから逸脱した行動は行わなくなる。
おじさんが、新しいメシ屋に入らなくなり、松屋にたむろするのもそのせいだ。
非日常を嫌い、日常を取るからこそ、モブキャラになってしまう。
モブおじとはそうして生まれる。

だからこそ、モブおじは人生を楽しんでいて、輝いている人間に、価値を見い出すのだ。
しかし、だからと言えど、二十○歳の奇行に付いていけない。
どうしてファンなんだろう?
楽しそうに雑談している隣のテーブルに移りたくなっていた。
「暴力に訴えて、手を上げるのはこのご時世的に駄目じゃん。足も使えない。なら、尻ならセーフかなって」
「そんなに戦いたいなら胸でビンタし合えよ……」
このアホ、アマネさんの巨乳にビンタされて完全敗北しろ。
どんな馬鹿であれ、強烈なおっぱいの質量にぶっ叩かれたら、現実に戻され、心の底から敗北を認めるだろう。
「いや、胸だとルナが参加出来ないし……」

貴様は地雷を踏み抜いた。
ブチ切れたルナは、隣のテーブルを飛び越えて、ニコに蹴りを喰らわす。
ニコの脇腹にヒットした。
「ごめそっ!?」
小さくて小柄な分、蹴りを繰り出すのに適していた。

喧嘩勃発。
大の大人が、メイド喫茶で喧嘩をするな。
メイドさんの雰囲気が台無しになるし、紅茶が不味くなる。
安らぎを求め、ゆっくりとリラックスする空間だったのに、騒がしくなるのだった。
静かにしてくれ。
誰もがそう言いたかったのだが、女同士のキャットファイトを簡単に止められるものではない。
野良猫みたいな奇声を上げる。
道端で猫が喧嘩をしていたら、怖くて近付けないのと同じだ。
今は二人で喧嘩しているが、何かのきっかけで飛び火し、こちらに怒りの矛先が向くかも知れない。
何をしてくるか分からないものに、人間は手出し出来ない。


颯爽と現れる主人公。
「ああ、俺が何とかするよ」
ハジメちゃんさん!?
イケメン過ぎる。
ママ似の黒髪美人のメイドさんは、動じることなく二人の間に入る。
家族や恋人。友人に血気盛んな人間が多いこともあってか、イカれた女の相手は上手かった。
流石、メンヘラクソ女に毎日絡まれているだけある。
承認欲求だけは人一倍強い。
やばい女の扱い方は知り尽くしているようだった。
私のこと!?
くっそ遠方の秋月麗奈から心の声が聞こえてくる最中、ハジメは二人に言い聞かせるようにゆっくりと話すのであった。
「喧嘩することになった理由はあえて聞かないですが、この世界で怒って解決するような事柄なんて何もないでしょう?」
ハジメは、再度、二人に笑いかける、
「ほら、女の子は笑っていた方が可愛いんですから、幸せそうな笑顔でいてください」
喧嘩していいことなんてない。
二人とも良い人なのは、ハジメも知っている。
年下の面倒見がよく、ファンにも慕われている。
尊敬出来る先輩なのだ。
それなのに、自分が悪く見えるようなことはしてほしくない。
ハジメが止めに入るは必然だ。
それにまあ、この場の人間で二人を止められるのは、ハジメだけだからもある。
今回、大人である二人の顔を立てつつ場を宥める必要があった。
正論を並べて怒るわけにもいかず、諭す方法を選んでいた。
言葉選びはかなり慎重である。
ハジメだって、尊敬する人に対して説教はしたくない。
「あらやだイケメン」
「さすハジ」
ふざけんなよ。
褒められて直ぐに調子に乗る二人であった。

ハジメは、手に持っていたシルバートレイで二人をぶん殴りたくなる衝動に駆られるが、必死に抑える。
馬鹿な身内だけならまだしも、純粋無垢な中学生もいるのだ。
冷静さを欠いてはいけない。
そんなことはいいから、早く持ち場に戻って仕事をしてくれ。
クソみたいな話が長引くほどに、ハジメの為にテーブルで待ってくれているファンの子に申し訳なくなるのだ。
しかも、ハジメは待たせてしまった分の借りを返さないと納得しない性格故に、早くしてほしかった。
「ハジメちゃん。真面目か」
「男は少しクズの方がモテるよ?」
クズはお前らだよ。
「助けに入ってやったのに。……あんたら、俺と喧嘩したいのか?」
助けるんじゃなかった。
後悔している人間に追い討ちを掛けるように、背後を見ると、優しい笑顔でブチ切れている彼女達がいた。
深い関係だから分かる。
あの笑顔は笑顔であって、笑顔ではない。
瞳の奥底では、怨嗟混じりの悪鬼の如く、ハジメを睨み付けている。

ファン達の好感度が上がった。
よんいち組の好感度が下がった。

誰かが上がれば、誰かが下がる連動システムだ。
時に優しさは人を傷付ける。
という、お話。


それから数時間後。
頭を下げて、最後のご主人様とお嬢様をお見送りするのであった。
喧嘩の後は、最後の最後まで失態はせず、メイドらしい凛とした態度であった。
最初からやっとけとは思うが……。
終わり良ければ全て良し。
そう思えてくるものだ。
扉が閉まり、最後のご主人様をお見送りし終わると、誰が示し合わせたわけでもなく、ニコ達はガッツポーズをするのであった。
「いやあぁぁぁ、おつかれさまあぁぁぁッ!!」
やっと終わった。
その感動からか、ニコは発狂しながらジャンプしていた。
素の自分を抑えていた反動だ。
テンションがおかしくなっている。
千葉市民だから、多少の発狂は仕方がない。
頭ピーナッツなのだ。
主催者の自覚は最後までないのであった。
萌花は、ハジメに問う。
「いつもあんな人なん?」
「ん~、だって俺の知り合いだしな」
「その一言だけで納得させるな」
いや、そうなんだろうが。
強い言葉を使うな。
俺の知り合いからしょうがない。
万能調味料みたいな便利さだ。
ハジメの周りには、まともな人間は居ない。
類は友を呼ぶ。
似た者同士だ。
「まあ、だけど良い人だよ。誰かの為に尽くすことが出来る。人として尊敬出来る人達だからな」
「……そうねぇ。ふうもふゆも楽しそうだったしな」
萌花はぶっきらぼうにそう言うけれど、彼女もまた、フル出場で二日間手伝ってくれていた。
感謝している。
流石、萌花だけあってか、仕事となればメイドとして完璧に給仕をこなしていた。
萌花は、見た目は小さくて可愛いながらも、他のお嬢様方に舐められないオーラがあり、人気者だった。
後半なんか、恋愛相談してもらっていたファンにお姉様呼びされて慕われていたあたり、怖いけれど。
その時、萌花とファンの子が一体何を話していたのか分からない。
だが、帰り際にハジメに対して軽蔑の眼差しを向けていたことから、二人の間にある上下関係と、ハジメの彼女である大変さを理解されていたのだった。
事実だから悲しいね。

萌花は、野郎には口は悪いが、女性に対しては礼儀正しいし、メイド喫茶のコンセプトを崩さないように口調を変えて大人の女性として理知的な対応を取っていた。
敬語で丁寧に話す萌花も可愛いのだ。
萌花は、スペック単体で見れば、よんいち組ではダントツで優秀な女の子だ。
外的要因である可愛いや綺麗という括りではなく、女性として優れている。
咳唾成珠という四文字熟語があるように、彼女の発する言葉一つ一つに敬意がある。
それが年下である中学生であろうとも、敬意を忘れていなかった。
綺麗な言葉とは、その人の心を映す鏡。
品位の現れなのだ。
だから優れている人は、いつも言葉遣いが丁寧なのである。
萌花と会話していた女の子は思う。
嗚呼、こんな綺麗な女性になりたい。
そう思った瞬間、本能的に同じ女の子として勝てない相手だと知る。
とても綺麗な女性だ。
ハジメが好きな理由も分かる。
この娘なら、たとえそれがトップレベルの読者モデルでも、名家のお嬢様でも遅れは取らないし、負ける理由もない。
心には迷いなどなく、自分の指し示した道を歩き続けるだけだろう。
人の持つ、強さを内包している。
不変的な素晴らしさだ。
萌花みたいな出来た女性が恋人で、一つたりとも欠点が見当たらない。
そんな女の子の彼氏が四股クソ野郎なら、どう考えても野郎が悪い。
彼女が優れていればいるほど、ハジメのクソ野郎っぷりが露見する。
その現象は、秋月麗奈と会話した人間でも起きていたが……。
当の本人は知らない。
ただのアホだ。

「そうだ。萌花がいてくれて助かったよ。いつもありがとう」
アホだ。
こいつの距離感がガバガバ過ぎて、他人の思惑など関係ない。
真面目に考えるのが馬鹿らしくなる。
自分の周りには良い人しかいない。
そんな恵まれた環境に、本心から感謝しているアホの子なのだ。

女装したまま、綺麗事を吐く。
誰よりも嬉しそうに笑っていた。
……どんなに綺麗に女装しても。
笑う時は男の子なのだ。
「はぁ……」
毎度毎度、しまりがない男である。
裏表がない人間で、その警戒心のなさは赤ちゃん並みだ。
流石の萌花も、赤ちゃん相手に怒るわけにもいかず。
そもそも、こいつが尊敬していない人間を探す方が難しいのではないか。
本当の意味で、隣人を愛しているような人間だ。
こんなアホだから、みんな許してしまうのだろうか。
「しゃないな。ジュースで許してやんよ」
萌花は諦めていた。
こいつは、オオサンショウウオみたいな天然記念物だ。
人間が保護してやらないと絶滅する。
「萌花、いつもすまないな。感謝している」
「こいつ、謝罪だけは一丁前だな」
「萌花さん。声が漏れているんですけど……」
漏らしているんだよ。
本当に、アホな男だ。


ハジメサイド。
それからしばらくして、今回のMVPである佐藤を男子連中で胴上げしていた。
美味しい紅茶を淹れられる佐藤が居たから、みんな喜んでくれていたのだ。
佐藤なくしては成功しなかっただろう。
胴上げするのは必然的だ。
わっしょい。
わっしょい。
(※実際にやると危ないのでやらないでください)
クラスの連中は、嬉しそうにしていた。
みんな男子のノリが好きだし、一致団結するのが得意である。
「あははは、ありがとうな!」
佐藤も大笑いをして喜んでいた。
この日の為に紅茶の勉強を続けた。
その甲斐があったというものだろう。
努力が報われる瞬間。
ーーーーーー
ーーーー
ーー
横わっしょい。

佐藤を横に投げ捨てた。
「何で!?」
この時代にミスフルネタかよ!?
死人が出るからやめろ!!
三回転半して、佐藤が地に伏す。
「佐藤!」
「佐藤!」
佐藤の名前を連呼しながら、佐藤に対してマウントを取り、容赦なく蹴りをいれていた。
いや、意味が分かんねぇよ。
MVP取ったやつに嫉妬すんなよ。
嫉妬に駆られ、血の涙を流している。
「こいつが! 佐藤が! お姉様方に評価されているのが許せない! 憎しみで人を呪い殺せそうだ……!!」
紅茶を淹れる後ろ姿がカッコいい。
そんなんでリンチすんなよ。
いや、お前らの頑張りもちゃんと評価されているからさ!?
野郎共の憎しみの強さにより、念能力か呪術に目覚めているやん。
他の奴だって、佐藤と同じように二日間手伝ってくれていた。
それだけで、いいやつなのはみんな理解してくれているはずだし、上も下もないと思う。
あと、嫉妬するのはいいが、本格的に佐藤が動かなくなっているからやめようぜ。
あ、橘さんが頭から水をかけて佐藤を復活させたから大丈夫そうだ。
あれってアモールの水か何かなの?
HP60くらい回復してそう。
流石、幼馴染みだ。
佐藤の扱い方を熟知していた。
「起きろ。クソ野郎」
普通に怒っていただけだわ。

そんな佐藤はさておき、解散前に軽い打ち上げをするのであった。
ニコさんは、残った紅茶やお菓子を振る舞ってくれ、事務所の人達はコンビニで軽食を持ってきてくれた。
夜遅くなるまでの短い時間ではあるが、身内だけの打ち上げは楽しい。
「はいはい! ホゲータのものまね!!」
ほげー。
三馬鹿の一人。
中野ひふみは、大きく口を開けて、あほ面をしていた。
めちゃくちゃクオリティ高い。
こいつ馬鹿なの??
一発芸にしても、もっと他のネタがあるだろ。
モテ要素から遠ざかるなよ。
可愛い女の子になるんじゃないのか?
「ホゲータよりホゲータだな」
クラスの男子からの好感度が急激に下がっていた。
いや、女子からも下がっているか。
ストップ安である。
何でこいつは、周りに美人揃いなのに、その真似をしないんだよ。
中野ひふみは馬鹿だから、他のやつみたいに上品にしろとは言わないが、普通に騒がずに静かにしていたら友達として評価してやるのに。
なまじ知り合いだけあってか、見苦しいことこの上ない。
多分、今年も彼氏は出来ないな。
他の奴等も便乗して、細か過ぎて伝わらないものまねをする。
「はい! 火山の噴火に巻き込まれて消えていくブラキオサウルスの鳴き声します!」
ジュラシックの終焉を告げる恐竜の物悲しい鳴き声が、部屋に響き渡る。
屈指の名場面を完全再現するな。
こいつもこいつで、何十回練習したんだよ。
伝わる人間は、大爆笑していた。
腹抱えて笑っていた。
高校生って馬鹿だよな。
そんな、何の実りもないことをやって、貴重な青春を浪費している。
まあ、今回ばかりは俺の為に時間を使ってくれていた良い奴等だがな。

女子は女子で、固まって話していた。
小日向の事務所の人達に感謝の挨拶をしつつ、大人の恋愛話を聞く。
今時の女の子は、ものまね大会より、年上の社会人に興味を持つお年頃である。
綺麗なお姉さんばかりだしな。
ファッション関係の華やかなイメージに憧れているのだろう。
逆にそういうのに興味がない人間は、アマネさん達のような仕事をしつつ趣味に生きている人の話を聞いていた。
「そういえば、アマネさんって彼氏いるんですか??」
羨望の眼差し。
誰だよ、今聞いたやつ。
大人の女性だからって、ファッション業界の人と、オタクでは住んでいる世界が違うのだ。
本質そのものは陰キャだ。
綺麗な人であっても、オタクはオタクなのだ。
いや、アマネさんはめっちゃ美人だし、充実した人生を歩んでいるだろうが、出来る女性だからといえ、恋愛が直結しているわけではない。
「ごめんなさい。私のところ、事務所の方針で恋愛禁止なの」
さも平然と嘘を吐く。
貴女、どこの事務所にも入っていないの知っていますよ。
童貞が童貞じゃないと言うくらいに無理がある。
目が泳いでいた。
大人の恋愛知らない勢である。
何かを察したニコさんとルナさんは、ゴリ押しで補足する。
「ほら、レイヤー推しの人って、オタクの人が多いからね。恋愛してない純粋な女の子の方が人気高いのよ。だから、アタシ達って恋愛禁止なんだよ」
「……レイヤーは、人気になる為に自分に強力な縛りを付ける必要がある。それが恋愛。それを破ったら私達は全てを失う」
え?
あんたら、レイヤーやる為に制約と誓約を結んでいるの?
そんな重いのか?
別に彼氏くらい居てもいいんじゃないの??
「ほら。彼氏いない方がイベントの差し入れとか、誕プレとかいっぱいもらえるし?」
いや、ただの物欲の化身であった。
場末のキャバ嬢みたいなことをしてるんじゃねえよ。
お前が貰えるのは蒙古タンメン中本だけだ。
「蒙古タンメン中本でも、一食浮くから有り難いんだよ?」
「ニコは小学生で知能レベルが止まってる。だから、プレゼントは食べ物で満足する」
「なんだとぉ……」
一日に何度も喧嘩すんな。
ファンの子がいないなら、俺は絶対に止めないからな。
殴り合いでも何でもしていろ。
大人なのだから、イベントの後のいざこざはもう自己責任だ。

「はいはーい。私は恋愛しているけどいいんですか??」
「そういえば私もだな」
小日向と白鷺は手を上げていた。
やめろ、俺を見るな。
「風夏ちゃんや、ふゆお嬢様は、元々ハジメさん経由でコスプレに興味を持って入ってきた人だから、誰も文句は言わないと思うわ」
「そうなんですか?」
「オタク業界って広くて狭いから、新規で来る人はかなり貴重なの。風夏ちゃんやふゆお嬢様が楽しそうに活動しているだけで、元気をもらえるし、みんな、二人には感謝しているもの」
アマネさんは、我等がメイド界隈のお姉さん役だけあってか、無限の包容力がある。
詳しく話をしてくれる。
二人の場合は、普通のレイヤーとは違ってファン層が違う。
恋愛していても文句は言わない女の子のファンばかりなのもあるらしい。
昔と比べて、オタクのガチ恋勢は少なくなってきた。
だから、別にレイヤーの大半は恋愛禁止ではないが、大金を落としてくれるファンの頑張りを加味して、恋愛をしない人は多い。
コスプレをしていると、土日返上でイベントに参加することになるから、そもそも恋人が出来る環境でないのが一つの理由だ。
プライベートを優先したいと思っても無理がある。
どう頑張っても、ファンの為に使う時間しかない。
あと、レイヤーの部屋の中は、衣裳
土日にデートしてウィンドウショッピングをする時間があるなら、ユザワヤに行く。
趣味を優先させ、衣裳の準備をしていた方が幸せなのだ。
そんな話を聞いていると、レイヤーになるのも大変なのだな。
仕事と両立させつつ、趣味に生きる女性は美しい。
しかし、ファンの期待に応える為に犠牲にしているものも多いのであった。
それが幸せかと言えるのか、みんな悩んでいた。
「でも、オタクって社会人多いから、トラブル慣れしてるし、結構適当にやっても怒られないよ? 来週突発的なイベントやるから来いって言ったら、普通にみんなくるから、気楽だよ」
……外道過ぎるだろ。
フォローになってねぇ。
「憎まれっ子。世にはばかる」
俺も否定しないが、やめてやれよ。
ルナさんの言葉は強い。
コスプレするなら、多少図々しいくらいが生きやすい世界なんだろうが、ファンを引きずり回してやがる。
社会人は、一ヶ月以上前に予定が決まっていることが多いのだから、計画的にイベントをやってあげて。
「あははは、週末空けておいてって言って、イベント間に合わないこともあったっけな?」
ただの畜生で草。
笑い事で許せる話ではない。
「ファンをブチ切れさせて、暴動が起こるのはニコのイベントだけ」
「みんなは真似しちゃ駄目だぞ?」
出来るかぁ。
可愛く言っても許されざる行為である。
誰だよ、この人に権力持たせたやつ。
「ふっ」
……お前かよ。
ルナさんは、面白え女を見ながら白飯を食べるのが大好きな異常者の目をしていた。
自分に従わない者を嫌い、この世に存在する全てを無に還し、新たなる世界を創造しようとするタイプの悪役だ。
ようするに、ニコさんを裏で操るラスボスはこの人である。
この二人の間に信頼関係はないのか?


一呼吸空けて、アマネさんはイベントを締めてくれる。
「この度はご参加頂き、皆様ありがとうございます。このイベントの代表者として改めて感謝致しております」
「主催者は、あたしあたし」
「ルナルナ」
「……ちょっと二人は黙っていて」
締めの時くらい大人しくしてやれ。
大人しく聞いてくれている高校生にどん引きさせるな。
「二日間という短い期間ではあれ、皆様の貴重な時間を頂き、誠にありがとうございます。また、この場にはいらっしゃらない応援ご協力頂きました皆様にも感謝申し上げます」
アマネさんは、深く頭を下げていた。
俺達は楽しかった。
だから、感謝したいのはこちらである。
このイベントの発端は、とても小さくて数人がかりのものだったが、ここまで大規模なイベントになった。
それでも、混乱なく最後まで行えたのは、ずっとイベントをやってきていたアマネさん達の手腕によるものだ。

楽しい一時を過ごして欲しいという、純粋な気持ちがあったから、みんな頑張ったのだ。
俺達もファンの人達も、この一時だけは、紅茶を飲みながら勉強や仕事のことを忘れて楽しんでいた。
無償で働くのは馬鹿らしいかも知れないけれど、得るものは確かに存在する。
小さくても大きくても。
自分の価値は、自分で決めるものだ。
今日という一日は、確かに青春なのである。
馬鹿ばかりやっている学生の人生において、大きな影響を与えてくれた。
俺達は今日飲んだ紅茶の味を忘れない。
多分、何年経ったとしても、ふとした瞬間に美味しい紅茶が飲みたくなる。
そんな時がくるはずだ。
この二日間は、大切な思い出として身体に刻まれていく。

ニコさんに、肩を叩かれる。
「モノローグはいいから、一丁締めでこの場を締めてくれるかな?」
「モノローグに関与してくるのやめてくれませんか?」
思考を読むな。
だからなんで俺が最後を取り仕切るんだよ。
この場で一番目上の人間はニコさんだろうに。
「君がいい。君が!」
「ああ、やりますよ。やらせて頂きますよ」
これ以上、ニコさんの意味が分からないネタに付き合っていたら日が暮れてしまうわ。
アマネさんに場所を譲ってもらい、最後の挨拶を交わす。
「すみません。不肖ながら東山ハジメがこの場を締めさせて頂きます」皆さんのお手を拝借して、拍手を一回。
みんなの拍手が響き渡る。
一丁締めで、二日間のイベントは終わりを告げるのであった。
明日からは、また普通の学校生活に戻るだろう。

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