この恋は始まらない

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第七十三話・二度目のお祭りと浴衣。一度目の天の川。

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ハジメちゃんサイド

「夏祭り行くんかワレ」
ハチワレみたいに言うな。
事務所で、小日向やジュリねえ含めた事務所の人達とお祭りの話をしていた。
去年も行ったが、今年もお祭りに行くことになっていた。
浴衣姿に着替えて、花火を観るのは夏の風物詩である。
事務所の人は、楽しそうに話す。
「わあ、お祭り。いいですよね。あの幸せそうな雰囲気大好きです。……彼氏が居た時はよく行ってました」
今はおらんがな。
ーーーーーー
ーーーー
ーー
全員黙っとるやんけ。
くそナイーブな話をする事務員であった。
二年前の話はあかん。
何で、今話したんだよ。
心の底から大好きだったにせよ、彼氏のことで人生引き摺り過ぎである。
「どうせ大した男でもなかったんだから、いいじゃん」
はなほじー。
何だ、てめぇ。
年長者が一番舐め腐った態度をしていた。
ジュリねえはもっと他人を気遣え。
自分の後輩を雑に扱い過ぎなんだよ。
悩み相談に乗ってあげたり、失恋した人間に情けをかけてやれ。
「いや、こいつには、二年前に渋谷の高い焼肉奢ってやっているし……」
失恋の気晴らしという名目で、ジュリねえの財布から、湯水のように札が消えていった。
それなのにガキの恋愛のように長々と。
大切な思い出だとしても、別れた男など、何の価値もない。
女々しい女は往ね。
ファッションは戦場だ。
洋服のことだけを考えていろ。
「ジュリねえにも恋人の一人くらい居たでしょうに」
「あら。私に合う男がたくさんいるとでも?」
彼女は、モデル顔負けのキメ顔でそう言った。
ふぇぇぇん。
……また夏休み欲しい。
この人に付き合うのつらいわ。
元モデルの煌めいた瞳。
三十代なら三十代なりの立ち振舞いをしてよ。
構ってちゃん過ぎる。

ジュリねえとて、元々はモデルだ。
頭はまああれとして。
顔面偏差値。
スタイル。
カリスマ性。
どれを取っても超一流。
女子力が高過ぎて、普通の男の子が寄り付かない。
女の子界のオニヤンマだ。
スズメバチでさえ襲い喰らう。
ホバリングして飛行する。
最強の昆虫である。
「そっすね。まあ、ジュリねえレベルだと、超一流の男性しか相手にしないんじゃないんですかねぇ」
はなほじー。
モデルでも超一流でないと、ジュリねえとは釣り合わない。
SNSでは数十万人のフォロワーがいて、ファッション雑誌に毎月載っているくらいの有名人。
高いカリスマ性があり、街行く人が名を発するほどに名が知れている。
自分のことを理解してくれていて、たまに私の言動を諌めてくれる男気は欲しい。
お金には興味がないから、友達感覚で漫画の話をしながら渋谷でランチがしたい。
「え、やだ。それって、ハジメちゃんじゃん……」
「彼女四人いるわ」
お嫁さんが四人。
あれ、一人足りない。
五等分しなきゃ。
……前にもやったネタを今更広げるな。
何で、最後のヒロイン枠が全員めちゃくちゃ歳上なんだよ。
「ハジメちゃんくん、大人の女性しかない魅了があるんじゃないかい?」
妖艶な雰囲気出して、脚を組み直すな。
大人の女性枠も、ママ枠も足りているからもう要りません。
あと俺は、別に女性に甘えるタイプじゃないし、好きな人は歳上じゃなくていい。
「……主人公なんだから、ゲーム化決定したら、私のルート確保しといてよ。ほらほら、ラストはお姫様抱っこで抱き抱えてもらってチャペルを歩くみたいな? ありきたりの幸せでいいからさ」
立ち絵数枚。
表情差分。
一枚絵は十枚は欲しいかなぁ。
くそ強欲である。
どこがありきたりだよ。
「何で三十代の腰痛持ちを、お姫様抱っこで抱き抱えるんですか。普通に運ぶなら車椅子でいいでしょ」
ゲームが出たとしよう。
フルプライスのゲームソフトの金払ってまで、ババアパイセンと幸せそうな結婚エンドとか、誰も望んでいないのだ。
二人は仲睦まじく、人生の先輩と後輩として同じ道を歩むのでした。
めでたしめでたし。
めでたくないわ。
おめでた。
それもう、おぎゃっとるやん。
何で赤ちゃんいるねん。
恋愛して結婚するにしても、授かり婚とかないわ。
ちゃんと親御さんとお話して、結婚してからそういうことはしないといけない。
男なのだから、社会人としての段階を踏んでからお付き合いすべきだ。
「ハジメちゃん、古臭いって言われない? 結婚するまで何もないとか、クソ重感情やん」
もっと気軽に恋愛を。
俺の恋愛が普通で、世間の恋愛が軽石より軽いんだよ。
重いじゃなく、密度が濃いって言ってくれ。
「結婚するならいいやろがい」
こちとら、真面目に恋愛するのも必死なんだよ。
令和の結婚式が幾らすると思っているのだ。
物価高騰に伴い、結婚式をするのも高いんだぞ。
平均数十万円値上がりしているのだ。
てめぇら全員、久しぶりにゼクシィ見てこいや。
実家のリビングにゼクシィが置かれている恐怖を知っているのか。
それだけでなく、家族や学校でゼクシィを回し読みしてるんだぞ。
男ってのはな、日々彼女から無言の圧力かけられているのだ。
万力のように軋む思いだ。

ジュリねえは、結婚式の相場を見て、引いていた。
「たっか。このご時世に結婚式とかようやるわな。……しゃあないな、知り合いで結婚に餓えている業者紹介してやるよ」
結婚。結婚。結婚。
花嫁。花嫁。花嫁。
幸福。幸福。幸福。
繋ぎ合わせたら、私の幸せな結婚やん。
……それ、お前がしたい方じゃないか??
女の子はね、いつだってお嫁さんに憧れているの。
人は、自分にないものを欲するものだ。
だから、世捨て人。
血に飢えた身内を使って、結婚式を安くしよう。
ファッション業界の人間が、身内にそういうこと言わない方がよくないか?
いやまあ、安くなるなら有り難いけどさ。
「……マジっすか。助かります」
「ハジメちゃん。結婚式をライブ配信したら、多少は会社の経費で落とせるから、独占配信やっていい?」
「それは、俺の一任では無理ですね」
小日向や俺は顔バレしているからいいが、他のメンバーは一般人だからな。
そもそも、恋人が四人もいる時点で、チャペルを借りられるか分からんし。
「その時は、セット借りるから大丈夫やで」
「あざます」
たとえ、神が許さないとしても、丘の上の結婚式は出来る。
満点な結婚は不可能であれ、満天な結婚は可能だ。
我々が祝福しよう。
こういう時だけは、無駄に頼もしいジュリねえ。
大人の女性であった。
色々な業界に、太いパイプがたくさんあるのだった。

結婚式といえば。
必要不可欠な、お金の汚い話をする。
「時に少年。結婚するには愛だけではなく、とてつもない結婚資金が必要なのだぞ。彼女の為に数百万も用意出来るのかね?」
ちゃんと貯金をして、親に頼らずに数百万円くらいをポンと出せるくらいじゃないと、大人とは言えない。
結婚とはそういうものだ。
世の男性は、その為に仕事を頑張っているのだ。
「……ゴニョゴニョ」
自分の通帳に入っている貯金額をジュリねえに耳打ちする。
「うっし。じゃあ、仮り決めすっか! がはは、現役読者モデルの給料舐めていたわ!! さすハジ」
俺の給料は、かなりいい。
最近だと、ユーチューブの配信収入で大分稼がせてもらっていたし、そうでなくとも読者モデルと同人作家の二足わらじで貯金しているからな。
人気が出てからはそれをよく感じるものだ。
俺の為に応援してくれているファンには感謝している。

しかしながら、ユーチューブに関しては、俺とジュリねえは同じ額を貰っているはずだが。
ジュリねえは語る。
夏休みだ。
EDMガンガンかけたライブハウスでエナドリ片手に踊り狂っていたら、お金がなくなった。

「死に晒せや」

「怒らないで~」
アンタは、アイス食べながらあぐらかいて編集動画を見ているだけだが、配信の台本とか、配信時に使う漫画のコマとか全部俺が準備しているんだぞ。
行き当たりばったりなクソ配信を垂れ流している時だって、陰ながら努力しているのだ。
全部が全部、アドリブなわけないだろ。
「台本の大半はアドリブじゃん」
それは、アンタだけだよ。
その場のノリで改変すんな。
お前の脳みそに直接EDMとエナドリ流してやる。


その時。
「ウエディングドレス!」
ファッションの申し子。
小日向が目をキラキラさせと覚醒していた。
ウエディングドレス。
読者モデルの憧れの衣装。
読者モデルの仕事でさえ、小日向が袖を通すことは一切なかった衣装。
真っ白なお嫁さん。
彼女が幼き頃から憧れる職業だった。
貸し衣装よりもオーダーメイド。
唯一無二。
人生で一度きりの結婚ならば、最高の一日に。
美しい花嫁衣装を身に纏い幸せになるのが願いだった。
可愛いウエディングドレスを何着も着たい。
衣装の色当てクイズをしたい。
要望ばかりやん。
……いやいや、小日向さん。
ウエディングドレスは、一着だけでも数十万円するんだが。
流石の俺でも、彼女の願いだとしてもそんなにお金は出せない。
頑張って貯めた貯金が、一瞬で消し飛ぶわ。
ゴニョゴニョ。
……いや、小日向さんって凄えわ。
世界一可愛い読者モデルの給料を舐めていたわ。
隣に並んだ気でいたが、人間としての恪が違うのだ。
小日向は、お得意先の化粧品メーカーに重宝されている。
新作コスメや、コラボグッズが出るたびに彼女の懐に収入が入ってくる。
デパートから百貨店まで、小日向の美しい笑顔をしたポスターで埋め尽くされるわけだ。
はあ、いい面していて楽して稼げるなら、俺も女の子に生まれたい人生だった。
「……そう? 女の子になりたいなら、ゴスロリメーカーから仕事の打診あるけど?」
ハジメちゃんで、男の娘特集のページを作りたい。
コラボ衣装ということで、メイドを模した英国ゴシックのデザインを出すつもり。
なんなら、店頭に等身大パネルを設置したいし、ファンと一緒に撮影出来るイベントにして集客率を上げたい。
チェキ風ブロマイドや色紙を販売したいし、一日店長をしてもらって推しの顔を全世界に布教したい。
指先が触れ合う距離でじゃり銭を受け取りたい。
キャッシュレス反対。
意味分かるか。
女装した野郎を、全世界に布教すんな。
……やっぱ俺は男でいいわ。
金の為に、魂まで売り払うハメになりそうだった。
身体の方が大切である。
あと、俺の案件だけ、仕事の要望が密々なのなんなん?
中の人間の欲望が強過ぎて、口から手が出ているぞ。
これもう、祝福じゃなく呪いだ。
「需要と供給よ」
ジュリねえは語る。
女の子の読者モデルは腐る程いるが、男の子の読者モデルは限られている。
特に俺はファンと接する機会が多いからか、需要が集中しているのだと。
全ての欲望を俺に。
願いが集中していた。
「訳分かんないっすね」
女怖いわ。
男性のソレとは違った意味で狂っていた。
アクスタ集めたり、グッズ買って満足しているくらいでいいやろ。
俺の出している動画とか、好きな漫画を語りながら数時間配信しているだけだぞ。
どこに好く要素があるのだ。
熱狂的に崇拝するなら、歌って踊れるやつにしろよ。
「愛をドルに変えるのが仕事だろッ!!」
「アイドルになったつもりはねぇよ!?」
「歌えよ! そしてハジメちゃんの歌声を全世界に配信してよ!!」
最近流行りの曲を歌って踊れるようになれば、ハジメちゃんはもっと人気が出るだろう。
世界一可愛い読者モデルの誕生だ。
……もういるやん。
称号取られたくないからか、小日向拗ねてるから。
歌ねぇ。
アニソンしか聞かない人間にそれを言われてもなぁ。
最近の流行とか、高校生らしい生活とかしていないし、ヨアソビとか無難な歌手しか知らない。
「じゃあ、それでいいよ。アイドル歌えや」
アイちゃんのコスプレしてや。
「適当に決めないでくださいよ」
アイドルから離れろ。
ジュリねえが適当なことを言うから、小日向はノリノリだし。
「ハジメちゃん、歌うと楽しいよ」
歌は、私達の世界を豊かにする。
唐突に、小日向は歌い出す。
それに合わせて、みんなが合いの手を入れてくれる。
ミュージカルかよ。

楽しいことが大好きな人間らしい反応であった。
小日向は、ファッションに一辺倒だが、歌うのも踊るのも好き。
放課後には、よくカラオケに行きたがるが、歌わない俺からしたらスルー案件である。
小日向ボイスは、まるで人気声優みたいな可愛い声をしているから、歌も上手くて点数も高い。
そんな小日向が、何故読者モデルの道を歩み、アイドルにならなかったのには理由がある。
協調性がゴミカスだからだ。
立てば芍薬。座れば牡丹。歩く姿は百合の花。
されど、それは写真の中だけだ。
こいつが動いているのはまずい。
両手両足で表現しやがる。
おゆうぎ会。
幼稚園児のダンスの方が可愛いだろう。
そもそも、絶対強者だ。
他人と踊り、テンポを合わせられるわけがない。
孤高故に、頂点。
その存在感は、暴力的なものであった。
複数で歌やダンスを踊ったら、大惨事である。
小日向は、読者モデルになるべくして成った存在だ。
「私も歌って踊りたいんだよねぇ」
読者モデルに満足しているが、アイドルもやってみたかった。
「そうだよね。風夏ちゃんも、愛をドルに変えたいよね?」
お前はそっから離れろや。
ジュリねえは、小日向を利用して、ユーチューブで数百万再生を狙っていやがる。
広告収入。
スパチャ解禁。
スーパーボーナス上乗せ。
金に囚われた醜い三十路である。
俺達の事務所は、スパチャは絶対にやらないという鋼の意思があるから、冗談で言っている。
「別にジュリねえが歌って踊ればいいじゃん。最近よくファンから質問が来るのは、ジュリねえやし」
動画での露出もあってか、高校生からも人気があるわけだ。
ユーチューブでは、色物は好かれやすい。
そうでなくとも、知能レベルが中高生に近いのだろう。
仲間や。
「……しゃあない。一人で五つ子ちゃん歌うかぁ」

きも。
何でジュリねえのねちっこい声色で、五つ子ちゃんのフレーズを聞かねばならんのだ。
てめぇ、年齢とか倍やんけ。

戦争勃発。
突如、けたたましいゴングが鳴る。
事務所内で、乱闘が始まった。
巻き込まれるスタッフ達。
上がる砂煙。
勝者は一人だけだ。


夏祭り当日。
よんいち組の奴らは、朝一から俺の家に来ていた。
小日向達は、母親の浴衣を借りて着付けをする。
可愛い女の子のお着替え。
その間は男子禁制なので、俺は近場のコンビニでコーヒーでも飲んで待機することにした。
コンビニの入口に入ると、休憩スペースに親父が居た。
「あ、いたの?」
「息子よ。最近扱いが酷くないか?」
朝からずっと親父が居ないかと思っていたらが、母親に叩き出されていたのか。
「なんで忘れてたの」
……いや、すまない。
朝一から忙しくて、気にしてなかっただけだ。
嫌いだとは思っていないし、他意はない。
親父と同席する。
人通りがあるコンビニで、親父と一緒にコーヒー飲むのはきついが、他に行ったら行ったで親父が拗ねそうだから仕方ない。
隣に座り、親父の話を聞く。
「なんかこれ、デジャヴじゃないか?」
「まあ、気にしないで」
俺も一年前のお祭り前。
なんか身に覚えがある光景だったが、そこに触れるのも面倒であった。
座ったがいいが悩む。
……今どきの親子の会話って何を話せばいいのか。
別に親父に対して、反抗期でも嫌ってもいないが、家では五月蝿い女連中が多いからか、男二人で話す機会が全くなかった。
普通の親子らしい会話か。
勉強とかの話題を振るのも違うだろう。
親に教えを乞う。
いや、勉強も仕事も滞りないから、わざわざ親父に聞くほどではない。
親を立てるのも大変だな。
「息子よ、彼女とはよろしくやっているのか……?」
お前から聞くのかい。
親父は、意味深な聞き方をしてくる。
「親父、セクハラか?」
「いや、そういうわけじゃない。……ほら、お前はパパに似て他人に気を遣えるタイプでもないだろう? 気になるじゃないか」
パパみたいに、彼女に殴り飛ばされていないか心配である。
殴り飛ばされていますね。
まあ、両親の仲がそういうものだから気にしないけど。
殴り合いも愛情表情の一種だ。
いつでも殴り殺せるのに、殴り殺さないあたり、本当は優しいのだ。
猛獣が人間に戯れ付いているようなものだ。

親父は、コンビニ外の景色を観ていた。
そこには、大型犬に引っ張られている飼い主さんがいた。
「難儀だな……」
どういう文章表現??
意味深なことをするな。
とはいえ、ショッピングモールの美人の店員さんに微笑み掛けられて、殺されかけるのは親父だけだ。

流石の俺でも、それくらいで殺されない。
張り手が飛んでくるくらいで済む。
蚊を叩くレベルの強さだ。
「蚊を捉えるなら、凄く速くないか?」
鞭打。
しょせんは、女子供の御身技。
「え? めちゃくちゃ痛がっていたけど??」
全身の筋肉を硬直させて、痛みを分散させる。
「息子よ、範馬勇次郎みたいなこと出来るの??」
「何で女ってやつは、張り手で来るんだろう。拳で殴ってくれた方がいいのに」
「張り手の方が痛いから、張り手ないんじゃない? ママはファミリーの平手打ちって言っていたけど」
母親が一番狂っていやがる。
狂おしいほど好き。

世界の中心。ラブ・パワー

呪術廻戦みてぇな能力してんな。
あんたが狂っているのは、愛情からじゃなくて本質からだよ。
母親の奇行は、今に始まったことではないが、今だに付き合い切れない俺と親父であった。
母親に似てか、うちの女性陣は好き勝手していた。
妹の陽菜は、母親に似て空気が読めないし。
秋月さんは秋月さんだし。
三者三様、外では男を立てる奥ゆかしい出来た女性の面をしているが、家の中では、かしまし娘。
騒がしいことこの上ない。
親父は、そんな中でも表情を一切崩さず、冷静な顔をしているのだ。
歴戦の戦士か。
流石、結婚二十周年間近だけある。
二人っきりで結婚旅行に行きたいとか、あーだこーだ言っている母親にさえ、真面目に返答していた。
その顔付きには確かに貫禄があった。
親子は、少ないお小遣いで、コンビニのアイスコーヒーを飲むのもやっと。
それでも旅行に行きたいと言う母親。
そんな母親の我儘に、文句を言わない親父。
凄いな。
化け物かよ。
尊敬するわ。
「尊敬の仕方が違くない?」
「あの母親を乗り回すとか、親父にしか出来ないことだから……」
俺が同じような立場だったら、怒っていると思う。
例えば小日向が同じことをしたら、俺は怒るだろう。
いや、何だかんだ小日向は俺に対して、そういう我儘は言わないな。
……母親だけだわ。

「親父はこの後どうするの?」
「ママがまた、私だって可愛い浴衣を着たい~。パパ買って~。って言うからそれに付き合う」
何で母親の声真似したんや?!
いい歳して伸ばし棒を使うな。
大分仲良しだよな、うちの両親は。
結婚して長いのにようやるわ。
子供が二人もいるのだ。
仲良しなのは語るまでもない。
結婚二十周年でも、大人のデートをしている。
……いや、生々しい話をしないでくれ。
思春期の息子に、夫婦仲を語るな。
流石の俺でもグレるぞ。
親父も何だかんだ母親のことが好きなんだよな。
俺には理解出来ないけど。
「ハジメ、ママにもいいところはいっぱいあるぞ」
「例えば?」
「あっ、え。うん? ママのいいところ??」
どもんなや。
お前が愛した女性なら、即答しろよ。
一個くらいいいところがあるやろ。
親父は見たことないレベルで、冷や汗をかくのであった。


同刻。
ハジメが居ない東山家では、ハジメママが、よんいち組の浴衣の着付けをしていた。
母親のお下がりではあるが、数着以上の浴衣から好きなデザインを選べる。
しかもどれも由緒正しい夏の浴衣。
古めかしくとも綺麗な柄物であり、女の子からしたら嬉しいのだ。
皆が着飾るのは、可愛い浴衣だけではなく、髪型もお祭り用にアレンジしてくれる。
ハジメママ。
女子力の高さ。
美人なママだけではなく、自分達を実の娘のように扱ってくれる懐の深さ。
地母神のようなお方である。
天上天下、どこを探しても見付からないような世界一美人なママだった。

どっからどう見ても魔王だろ。

コンビニにいるパパと息子からそんなマジレスが飛び交うが、次元を超えた拳で、全てをねじ伏せる。
漫画的表現で、表現の枠を破壊する。
ママの第六感を侮っていた。
愛があれば、どんなに遠く離れていても、愛している人の想いは感じ取れるのだ。
コンビニから自宅まで、一キロだけだが。
そんなに遠くない。
細かいことを気にする男は嫌われるわよ。
ハジメママ、力技でねじ伏せる。

そんなくだらないことをしている隣で、風夏ちゃんは浴衣を着込み、頭は可愛いお団子にしてもらい、キャッキャしていた。
風夏は、問う。
「真央さんも、お祭りに行くんですよね?」
ハジメママは、去年と同じく、パパと一緒にお祭りに行くつもりであった。
軽く歩いて、お祭りの空気感を味わうくらいだったが、風夏ちゃん達は一緒に行かないかと誘ってくれる。
「ぜったい、一緒に行った方が楽しいですよ?」
「ありがとう。でも、ごめんね。パパを連れて歩くとどう考えても邪魔でしょ?」
ミジンコみたいな扱いをされていた。
いや、これは照れ隠しである。
本当はパパと二人っきりでデートがしたい。
息子も娘も居ない。
夫婦二人で、羽根を伸ばしてデートが出来る。
なるほど。
風夏ちゃんは納得していた。
ハジメママは、続けて説明する。
「例えるならば、ハジメちゃんを連れて他の子と遊びに行きたくないでしょ?」
「……ああ」
四人は、目を逸らし沈黙する。
主人公。
物語を動かす根源、そう聞こえはいいが、何しでかすか分からない爆弾だ。
この作品における問題児。
お祭りという楽しい日に、爆弾を抱えて遊びに行くか?
よんいち組は、酷く納得していた。
物語をぶち壊し、平和な日常をドタバタにするのは、主人公と作者と相場が決まっている。
主人公と作者が滅びれば、確実に世界平和に繋がるだろう。
彼女達からしたら、ハジメは好きな人であり恋人だったが、めちゃくちゃ嫌われていた。
ハジメのパパもまた、そちら側の人間である。
ハジメのアホな部分は、パパ譲りだ。
なんなら、ハジメが抜けている大部分はパパの血のせい。
東山家の血は濃いのだ。
同一人物のようなもの。
そんなやばいもんが二人もいたら、お祭りを回っている場合じゃなくなる。

この前なんて、ショッピングモールで、数分だけ目を離し、パパと麗奈ちゃんだけで買い物させてたら、未成年のパパ活容疑で警察に連行されていたのだ。
この男、カップラーメン作るみたいなノリで捕まってやがる。
不運が重なって、偶然が偶然のピタゴラスイッチをしても、そうはならんやろ。
ハジメや陽菜、そして麗奈ちゃんと、三人のことを実の子供として別け隔てなく可愛がっているのに、容赦なく捕まるハジメパパの図。
どんなに愛していても、本当のパパにはなれないのだ。
血を越える愛が必要なのか。
パパの道のりは険しい。
ハジメママや麗奈は、ハジメパパの頭のネジが数本以上ぶっ飛んでるのを理解しているからか、言動に対してあまり気にしないが、世間一般的に考えたら他人の娘さんを連れて歩くのはそう見えるのである。
パパ活じゃなくても、今のご時世、公衆の面前で自分のことをパパ言うのが悪い。
高校生と二人で買い物をしていて、お小遣いあげるパパが居たら、正義感ある人間は通報するわ。
警察来るわ。
連れて行かれるわ。
警察に詳しく話を聞かれるのは、世の常である。
大体は、パパの見た目込みで、圧倒的に幸が薄いせいだ。
あと普通に失言するから悪いのであった。
大人になるに連れて、人は適当に発言してしまう。


よんいち組は、自身のパパを思い出す。
まあ、妥当だな。
年頃の高校生からしたら、自分のパパを連れて街中を歩きたいと思う人間などいないのだ。
冬華のお父様は例外的ではあるが、父親とは総じて恥ずかしい存在だ。

「それはそうと、みんな浴衣できついところはないかしら?」
四人分を手早く終わらせた兼ね合いで、帯をきつく締めてしまった。
帯がきつくて動きにくいと、お祭りを回るのも大変なので、直すなら今しかない。
確認するが、四人共に大丈夫そうであった。
浴衣のすらりとしたプロポーションを維持するのには、帯はきつい方がいい。
しかし、お祭りで食べ過ぎたら今以上に浴衣がきつくなるので、風夏ちゃんの帯は少しゆるくする。
やー。
慣れてるなぁ。
娘の帯を直すように、優しくしてくれる。
ハジメママとも一年以上の付き合いが故に、ある程度は察してくれるのであった。
学生とはいえ、一人の女だ。
……お母様に好かれるようにしなきゃ。
そう思っていても。
溢れ出る母性。
第二の母。
そんなハジメママの包容力の前に、みんなは甘えてしまうのであった。
風夏ちゃんは、頭を撫でられていた。
「あらあらまあまあ」
可愛い娘が四人も増えた。
ハジメママからしたらそんな感覚である。
頭の切れる美人が故に、可愛い女の子が大好き。
自分にない魅力がある。
よんいち組の女の子は、幸せそうにしてあげたくなるタイプである。
私が護らねば。
強い女の子だって、か弱いのだ。
今となっては、パパに向かってパワーゲイザーを打てる女の子だって、昔は普通の乙女であった。
東山真央は、パパと出逢った頃の青春時代を思い出す。
うんうん。
懐かしいわ。
……いや、あの頃はバーンナックルも使っていたか。
餓狼伝説またやりたいわ。
平成の格ゲー全盛期の時代だ。
よくキレて、パパに格ゲーの必殺技をかけたものである。
しみじみ。
それを見て、普通に引いている萌花であった。
「真央さんってやべえよな」
「そう? 怒らせなければ、全然大丈夫だけど?」
「怒ったら?」
「パパさんと東山くんが吹き飛ばされていたわ」
男二人がかりでさえ、止めることが出来ない。
奥様は、取り扱い注意。
それもう特殊工作員やん。
元ヤンと揶揄されるだけある。
グレていた頃の気性の荒さは、歳を取り、角が丸くなったママになっても変わらないのだ。
ハジメからしたら、母親と比べたら小日向もメイドさんもジュリねえですら可愛い女の子にしか見えない。
全然違うのだ。
それはまるで、闘犬とチワワである。
同じ犬であっても、遺伝子レベルで別物だ。
モンスターはモンスターでも、ワルモンである。
そう語るように、母親の方が段違いにやばいのであった。
逆に、ハジメママがやば過ぎるから、よんいち組が甘えたり駄々を捏ねたりしても怒らない。
女心に振り回されても、まったく気にしない。
ハジメちゃんは男気がある。
否、空気が読めないだけだ。
普通に空気が読める人間だったら、四人も彼女連れて暢気にお祭りなど行ってないわ。
どこを好きになったのかなんて、分からない。
パーフェクトコミュニケーション。
お前のどこに完璧な部分があるのだ。
四人は、一年前の自分を呪うのだった。
どうして好きになってしまったのだろう。
まあ、普通とは違うドタバタな人生を歩んでいるけれど、それでいい。
彼氏のお母さんからお古の浴衣を借りて、お祭りに行く。
そんな幸せは、多分ハジメちゃんの周りでしか有り得ないことだから。
特別とは、そういうものだから。

「あらあらまあまあ、可愛いわぁ」
激写。
激写~。
ハジメちゃんの一眼レフカメラ両手に、撮影を始めるママ。
高いお金を払って譲ってもらった一眼レフカメラは、家族に奪われていた。
可愛い女の子を綺麗に撮るには、スマホのカメラでは限界がある。
その為の一眼レフカメラだ。
ハジメには、女の子を見る目がない。
節穴なハジメに、カメラを持たしたところで女の子を可愛く撮れるはずもなかろう。
「あの子、彼女の可愛い姿を残そうとするタイプじゃなくてごめんねえ」
パパに似て、思い出を写真に残し価値を置くタイプじゃないから、全然写真に残さないのだった。
大切な思い出は、心の中に。
結婚するんやろがい。
結婚式に使用するためにも写真撮れや。
ハジメの分も、ママが頑張って撮っていた。
……いや、理由付けて可愛い女の子の姿を撮っているだけだろうが。


数分後。
「何やってんの?」
自宅で撮影会するな。
ハジメちゃんの合流である。
麗奈は聞いた。
「パパさんは?」
「親父は、俺達が出ていくまでコンビニ待機やってさ」
女の子に失言するから、ハウス。
ハウスは此処や。
可愛い女の子の浴衣の感想に、三十代後半のおっさんが居たら、画面が締まらない。
年寄りはいらない。
……いや、三十代後半のおばさんいるけど。
ハジメママの細目が開眼。
おっとり系ママの閉じられた二つの目が開く時。
世界は一転し。
この世の理を脱し。
その眼光は、全てを焼き払う。
消えぬ炎。
滅びを導く獄炎。
意志を持ち、燃え盛る。
てめぇ、一体幾つまで能力を使えるんだよ。
チート野郎がぁ。
一人だけ出ている作品のジャンルがおかしい。
ハジメは、消し炭にされていた。
彼女の浴衣姿を拝む前に、見るも無残な姿で殺される。
それほどの不運はないだろう。
「いや、殺すなよ」
「あら、生きてるじゃない」
消しカスからゴミカスが復活した。
ハジメは、不死鳥の如く舞い戻る。
お祭りに行く前から尺を使い過ぎだから、物語を早く進行して。
無駄な話をしないで。
「ハジメちゃん。可愛い女の子が浴衣に着替えたんだから、言うことがあるでしょ」
「ん? ああ、それか。……というか、何で母親が主導権を握っているんだ?」
「男なんだから、細かいことは気にしないの」
さいですか。
理屈が通じないので放置する。

ハジメは、浴衣姿の彼女達を見る。
みんながみんな、とても綺麗だ。
色鮮やかな浴衣に、髪を纏めて可愛くなっていた。
いつも可愛いけれど、浴衣姿となると特別感がある。
肌が見える水着姿もいいが、浴衣は浴衣でいいものだ。
例えるならば、小日向風夏は水着姿は撮影で何度も着替えていたが、浴衣は数着しか着替えていなかったし、今年の流行のデザインだ。
ラメ入りの浴衣や、袖にひらひらが付いたような学生が好みそうな、可愛いものしか着ていない。
逆に、地道で若い子が嫌厭しそうな本当にシンプルな浴衣は初めて着たのだ。
ハジメママのお古故に、デザインそのものは流行からかけ離れていた。
古きよき美しさ。
鮮やかなものよりも、単色のものを。
……ハジメからしたら、こちらの方が好みであった。
一流ブランドの高級な浴衣とは違い、地道でシンプルといえば聞こえは悪いが、彼女達の着ている浴衣には時代に左右されない不変的な美しさがある。
我々日本人が、向日葵や百合の名や匂いを自然と覚えているように。
蝉の鳴き声や、風鈴の音。
夏の訪れの美しさを、生まれながらに理解しているように。
人は、世界の情報を頭で記憶し、世界の美しさを心で理解している。

この浴衣には、それ以上の価値があった。
この世の全ては、価値を受け継いでいる。
使い古された浴衣に染み付いた箪笥の匂い。
それは、温かい抱擁をしてくれるかのように。
そっと包み込む。
自分の未来が幸せなものであると確信出来るほどに、よんいち組の心を自然と落ち着かせてくれるのだった。
去年の夏は、好きな人とのお祭りに浮かれ、可愛い浴衣を着て一瞬を楽しんでいるだけだったが、大人になるほどに悟るのだ。
嗚呼、私達はこうして毎年お祭りに行くのだろう。
一度きりの思い出ではない。
断ち切れない縁がある。
ハジメママが用意してくれた浴衣の種類はたくさんある。
可愛くても、着れなかったものばかりだ。
また来年は、違う浴衣が着たい。
そうして幾年も時が流れ、全部の浴衣を我々が着る頃には、今度は自分が娘や息子に浴衣を着せる番が回ってくる。
生きるとは、そういうものだ。
人の営みとは、そういうものだ。
譲り受けるものが多い人生は、とても豊かだ。

ハジメはアホなので、何も理解していない。
「そうか。良かったな」
彼女の浴衣姿を褒め、可愛いと一言だけ口にすれば済む話ではあったが、そうしなかった。

「ちゃんと褒めなさい」

すぱこーん。

ハジメは、丸めた新聞紙で頭を叩かれる。
この母親つよいな。
流石、東山家の女傑だ。
ちゃんと褒めろ。
みんな可愛いだろうが。
もっともっと可愛いが欲しいんだよー!!
読者に可愛い女の子の姿を伝える義務がある。
ほらみろ。
彼女達の浴衣姿から見れるほどの、すらりとしたプロポーション。
胸元から下に続く曲線。
「胸が小さい方が女の子っぽくて可愛いわ」
や畜生。
胸元が主張しない方が浴衣姿が似合うだろうが、ないちちを褒めるな。
風夏と萌花は、殺意を持ってハジメを見ていた。
……いや、ハジメは何も口にしてないのに飛び火していた。
貧乳ほど、浴衣は似合う。
それは正しいだろう。

しかし、おっぱいの大きさ。
それに比べれば、浴衣など似合わなくても構わない。
この世は、おっぱい格差社会である。
女の子の可愛さに優劣はなかれども、この世界、巨乳だけで一定以上の人気を獲得することが出来る。
頭おかしい麗奈を見てみろ。
「……なんで私?」
風夏と萌花。
あと少し、二人の胸が大きければ、物語が変わっていただろう。
萌花は、麗奈の乳をおもっくそぶっ叩く。
「いたぁい!?」
「視界に入るから悪い」
「……ええ、なにこの女」
悪く思わないで。
ただの八つ当たりだから。
その時、女同士の喧嘩が勃発し、その間に入るハジメ。
百合の間に入る男。
「なんで、俺なんだよ!?」
夏休みだというのに、元気なものである。
拳と肘鉄の威力が物語る。
いつものように、ボコボコにされている。
「俺関係ないやん……」
途中から、ハジメを殴る蹴るだけだった。
仲良しやんけ。
日頃の憂さ晴らしをする。
二人が喧嘩するのは構わないが、男の子を仲裁役にするのはやめてほしい。
女の醜い争いに巻き込まれ。
討伐失敗……。
争いとは無縁な人生を歩んできた。
そんな生き物に、女同士の争いを任せるべきではない。
殴り合いとは原初の戦い。
武器を持たぬが故に、人間の闘争本能を呼び覚ますのだ。
「あかん。助けて」
ハジメ撤退。
ちゃんと止めろよ。
真っ当な意見だったが、止められるのであれば、止めている。
口で言えば聞いてくれる。
風夏や冬華はそのタイプ。
ハジメが言えば、素直に聞いてくれるだろう。
逆に、麗奈や萌花は、ハジメの話は聞くが絶対に従わない。
自分の否を認めない。
いい性格をしているのだ。
「あらあら、彼女なのだから、ハジメちゃんがちゃんと止めなきゃいけないでしょ」
もう一回止めてきて。
人間、死ぬと思っているレベルならば、まだ戦えるわ。
鬼か、お前。
ハジメは、母親の言動に引いていた。
身体はもうボロボロだ。
何発殴られたか分からない。
そんな死に体で、あの女共と戦えと言うのか。
あんなの、熊と猪だぞ。
暴力系ヒロインは嫌われる時代だが、そんなの関係ねえ。
銃火器はぶっ放す為に、この世に存在しているのだ。
高いお金を払って、置いておくのは勿体ない。
使わなければただのコレクションだ。
なら、躊躇う必要はない。
……使わなくちゃね。
例えるならば、美少女フィギュアを箱から出さず眺め、箪笥の肥やしにするくらいなら、出して手に取らねば真の価値は分かるまい。
パンツを確認する素晴らしさ。
それは、箱を開けなければ分かるまい。
それと同様に、女の子の素晴らしさは可愛いだけではない。
わがままで自己中で、金と暴力に餓えている。
生き物が故に、誰よりも強くあろうとするのは美しい。
強さは自然の摂理。
人と獣の本質。
可愛いだけが女の子ではない。
人の醜さがなければ、人の美しさは語れないだろう。
清濁併せ呑む。
欲望の渦巻く街、東京。
「……早く着替えてお祭りに行きたいんだけど」
ハジメちゃん。
彼は泣いていた。
まだ浴衣に着替えてすらいない。


それからハジメは、浴衣に着替えて、これ以上問題ごとになる前にお祭りに向かう。
家から出てお祭りに向かう最中でさえ、風夏は楽しそうに歌っているのであった。
「お祭り、お祭り。たこ焼き。焼きそば。フランクフルト。チョコバナナに、杏飴~」
「私は、プリキュアの綿あめを買うぞ」
「え~、冬華。去年も買っていたじゃん」
「プリキュアシリーズは毎年変わるからな。毎年買わねばならない」
「あーね! 冬華はプリキュア好きだよね~」
去年にもした流れを繰り返す。
一つ違うとするならば、みんなは自分のしたいことを隠さなくなった。
去年は、よんいち組の間ですら、どことなく他人行儀であり、嫌われないように気を遣っていた気がするし、自分の好きなものや趣味を口にしていいか迷っていたはずだ。

ハジメは、その時思い出した。
「そういえば、ツイッターでアマネさんが劇場版プリキュアオールスターズ観たいって言っていたぞ」
流石、二十○歳。
歳を重ねているだけある。
自分の好きなものに迷いがない。
夏休みのサンシャインで開催するプリキュアイベントに参加するほどの猛者。
長身のモデルのような女性が、まるで幼子と変わらぬ満面の笑みでプリキュアと一緒に撮影をしていた。
生涯、現役。
大きなお友達であった。

萌花は、麗奈に問う。
「でかちち、アマネって人知ってる?」
「でかちち……? はあ、ほらメイドカフェで一緒に仕事したでしょ? 身長高くて美人のメイドさん」
「ああ、あの人ね」
麗奈側の人間。
いや、学生である私達を尊敬してくれている常識がある分、このでかちちとは違う。
この麗奈には、他人を尊敬するという概念はないからな。
アマネは、萌花が認めている数少ない人である。
大人の女性。
年上の大人が、子供に対して完璧なレベルで敬語を扱うのは難しく、どこか年下扱いをしてしまう。
一回りも年齢が違う人間に、自分以上の敬意を示せるかは、その人の力量による。
オタクの性質か、メイドリストの人間は、高校生であろうとも差別しない。
年齢や学歴で、人を見ない。
オタクは、一芸を極めし才能の世界だ。
誇れる部分が一つあれば、尊敬すべき相手になる。
オタクだけが持つ暗黙のルールだ。

他人と接するにあたり、敬語かタメ口かは正直どうでもいい。
距離感は人それぞれだ。
心で敬意を払えば、それでいい。
萌花が、ハジメと仲がいいアマネに対して嫉妬したり悪態付かず、敬意を払っているあたり、それだけの人間なのだ。
……本人は、ハジメ狂三銃士だが。
まあ、アマネのそれには恋愛感情はなく、女装したハジメしか興味ないだろうから害はない。

麗奈は疑問に思う。
「男性に女装させる趣味ってよく分からないわ」
「男が嫌いな女性もいるんだよ」
「……ふぅん」
きたねえふぅんだな。
萌花はそう思いながらも、恋愛大好き。
いや、ハジメに対して異様な執着を示す異常者と長々と会話をしたくないので流す。
秋月麗奈は、浴衣姿で可愛く着飾っていても、隠しきれないほどのアホ面であった。
高校一年の夏。
女二人で回ったお祭りで、二時間かけてイケメン探しをしていた馬鹿な時期に比べたらマシであろう。
萌花は、よんいち組で、屋台で何を食べるかドラフト会議しているくらいの空気感が好きだった。

「SNS用の写真を撮らないとね!」
風夏ちゃんは、SNSでファンの子と楽しみを共有する。
冬華も知り合いにおすそ分けするかたちで、写真を上げる予定だ。
各々の交友関係があり、活動する場所は、学校内のコミュニティだけではない。
萌花みたく、生きる世界が学校だけで完結している人間の方が少ない。
誰とでも仲良くなれる。
まあ、あれが普通なのか。
何事も笑って楽しみ、甘えられるくらいの愛嬌があった方が女の子は可愛い。
風夏や冬華みたく、友達に連絡した方がいいのか。
「……私もメイドリストのみんなに送らないと」
麗奈は麗奈で、この前の一件から、ちいかわおじさん部という訳分からんコミュニティのグルチャに所属していた。
草むしりして過ごすほのぼのオタク系スローライフに、突如血塗れの肉裂きミキサー車わ乗り回して現れた怪異。
この恋の。
サイコギャザリング。
彼氏を盗撮や盗聴したり、彼氏の爪集めてそう。
人間の血を煮詰めたような悪意。
計り知れない狂気。
人の素晴らしさに表と裏があるならば、それは裏側だ。
それが、この、秋月麗奈だ。
サイコはサイコでも、理解不能なサイコである。
麗奈がコミュニティで話す内容は、最近観たホラー映画の感想を嬉々として語る生々しいもの。
ホラー映画の殺人鬼が、部屋の中に爆弾を放り投げて、全員をぶち殺した話が大好きだった。
殺人鬼が、被害者への恐怖心を溜めることもなく、ただいつも通り淡々と殺害するところに趣きがある。
シンプルイズザベスト。
虐殺シーンで視聴へ媚びることなく、手元にあった武器でサラッと殺すとか、よく分かっている。
これぞホラー映画である。
一般人の考えるサイコならば、恐怖心を増大させて悪逆無道な殺人鬼を表現するが、本当のサイコは息をするように人を殺すのだ。
彼には慈悲がない。
悲しい過去も、精神疾患もない。
幼子が虫の羽根をむしり取るように、普通の人間が普通にイカれている。
いや、そもそも、かたちが人間であっても人間ではない。
そういう別種の生き物なのだ。
思考が人間でなければ、他人など家畜程度な存在でしかない。
だから、殺人鬼が人間の精神構造で動かない怖さを上手く表現することで、淡泊な殺人シーンと殺人鬼の訳の分からなさが恐怖のギャップを生み、惹き付けるのだ。

全てにおいてキモすぎる。
麗奈のお話は、ちいかわおじさんのトラウマ製造機だったが、それでもメイド界隈の人達とは仲良くやっているようであった。
本名でSNSをやるのは危ないからと、メイドリストに勧められ、秋月麗奈はハンドルネームを使っていた。
シルフィードでは、紅茶の名前をメイドさんが世襲しているが、彼女にはギャルの名を与えられていた。
紅茶の一種であるギャルは、濃い風味が特徴的なスリランカで有名な茶葉である。
ギャルは、ミルクを入れたチャイとして好まれており、口当たりがまったりとしている。
チャイとなると、普通のお店では見掛けないだろうが、メイド喫茶シルフィードでは飲むことが出来る。
最高級品の紅茶が飲めるシルフィードだから為せる技だ。
ギャルには、れっきとした歴史がある。
髪染めているでかちち。
見た目と言動だけで、麗奈のことをギャルと名付けたわけではない。
「私、メイドじゃないし、ギャルじゃないんだけど」
「メンヘラクソ女だけど、ギャルじゃないよな……」
「は?」
「事実やろ」
ギャルはオタクに優しいが、メンヘラクソ女は害虫でしかない。
鳴き声を上げる。
他人に悪意を振り撒く存在だ。
麗奈も同じく、まったくと言っていいほどに生産性がない。
乳しか取り柄がない。
メンヘラクソビッチ。
「やだ~、東山くん。萌花がイジメる」
メンヘラは男に媚びる。
ギャルは男に媚びない。
それが、ギャルとの個体差だ。
麗奈は、ハジメの腕に抱き付く。
抱き着いた時に感じるほどの巨乳が故に、豊潤な胸の感触。
ぽめぽめ、ポメラニアンだ。
流石のハジメちゃんも、作中屈指のおっぱいキャラの柔らかさに鼻の下を伸ばしていた。
「てめ~は~。乳がでかけりゃ、誰でもえ~んか! おお~ッ!?」
萌花の拳が飛んでくる。
ハジメは、顔面を殴り飛ばされる。

それが男のサガってやつよ。
誰も助けてくれなかった。


ハジメサイド。
俺達が騒がしくしながら歩いていたら、やっとこさお祭りに到着した。
駅前に続く大通り数百メートルまで、両脇には屋台が並んでいた。
お祭りには、色とりどりの食べ物が存在していて、綺羅びやかだ。
それに、はしゃいでいるお子様が一人いる。
「わぁ、宝石箱や~」
小日向は、色とりどりの屋台を見て、目を輝かせていた。
そんな喜ぶものかねぇ。
まあ、小日向は食べる為に生きているような存在だ。
美味いものに対するバイオセンサーが搭載されている。
小日向の胃袋は宇宙だ。
食に惹かれるのは、生物の性質だろう。

ともあれ、お祭りに来た瞬間から、ガンガン買い物しているのは何でですかね。
入口から全力出すな。
色々回ってから買えや。
百の屋台が連なるお祭りで、初っ端から買うつもりか、この女。
「ハジメちゃん、食べる?」
「いや、いらない」
「シェアハピ?」
「意味わからん……」
りんご飴をシェアハピすんな。
俺にあ~んするのはいいが、小日向の歯型がしっかりと付いている。
歯並びいいよな。
じゃなくて、俺は甘いものは好きじゃないのだ。
りんご単体なら好きだが、りんご飴として砂糖が入っていると食べられなくなる。
「じゃあ、枝豆とかきゅうりとかあるよ」
甘い食べ物の対義語は、枝豆ときゅうりだった?!
「チョイスが、もはや読者モデルじゃねぇんだわ」
居酒屋が出している出店にせよ、勧めるならば唐揚げやイカ焼きにしてほしいものだ。
可愛い女の子が枝豆ときゅうり食べていたら、絵にならないだろうが。
酒飲むおっさんと変わらん。
お前は読者モデルなんだぞ。
……ほらもう、口元が汚れている。
俺は、自分のショルダーバッグから、ウエットティッシュを取り出す。
「ほら、小日向。口元……」
「むごむご。……ハジメちゃん、ありがとう」
「はあ。浴衣を汚すなよ」
ぶい。
じゃねえよ。
脳天気なやつである。
そこだけは、一年経っても変わらない。
いつだって俺の前では、花より団子だ。
お祭りで歩きながら食べるのは当たり前。
それが醍醐味。
とは言えど、小日向の食べ方は行儀がいいわけではない。
庶民である俺達なら、食べ歩きをしてもいいし、食事のマナーなど一向に気にしないが、俺達と同じく行動している白鷺に関してはそうもいくまい。
深々と椅子に座り、背筋を伸ばして食事をしなければならない。
手を洗い、食卓に着き、膝にはハンカチを広げる。

それが作法。
それが習慣。
それが血筋。

白鷺の血。
誰もそれを否定はしないし、彼女に合わせることに不満はない。
それが彼女にとっての普通なのだ。
白鷺のことが好きだ。
白鷺のことを尊敬している。
ならば、彼女の生き方に合わせるのは当然である。
休憩スペースは混んでいるが、四人が座れるサイズのテーブルを探す。
二手に分かれ、俺一人でテーブルを探していると、先客に知った顔が居た。
「ちゃおちゃお」
なかよしやんけ。
三馬鹿は、浴衣を着て、ダベっていた。
そういえば、他の奴らもお祭りに来るって言っていたな。
去年は黒川さんや白石さんだけだったが、今年は西野さん達や田中さんも来る。
「東っち、アタシらラインで来るって言っていたやんけぇ」
「いや、ラインの流れがやば過ぎて見逃していたわ」
クラスメート、数十人がいるグルチャなど、件数が多くて把握出来るわけもない。
全部把握していると思っている中野はアホだ。
「……男子連中を消すか」
いや、男子消しても大体喋っているのはお前らだから変わらんよ。
三馬鹿の隣のテーブルが空いたから、鞄を置いて場所取りをする。
「そう言えば、他の野郎達は? あいつらもお祭りに来るっていたよな??」
「カードショップで無料のくじ引き大会あるって、みんなで行ったよ」
いや、まあ、何も言えない。
別に構わないが。
男子で行くなら、俺も誘ってくれ。
「東っちを誘うとぴっぴがキレるやん」
お祭りにおいて、恋人同士の時間ほど大切なものはない。
よんいち組と回る時間を邪魔したくない。
東山はアホだし、好感度が下にカンストしているから、嫌われるのは俺達だ
あいつらには、気を遣わせてしまったみたいだ。
その時、男子連中からラインが入る。
めっちゃ巨乳のギャルがいて、浴衣からおっぱいがこぼれそうだった。
知らんがな。
謎の巨乳報告すんな。

「東山くん、萌ちゃん達は?」
「ああ、小日向が追加の食べ物買いに行くって言い出して、付いて行ったぞ」
あの感じだと、数か所回ってから戻ってくると思う。
橘さんは、不安そうに言う。
「女の子だけでお祭りを回るのは危なくない? ナンパとか色々あるじゃない」
「まあ、そうだけど。あいつらも慣れているしな」
よんいち組の連中は、毎日ナンパされているからか、他の女の子よりも躱し方は得意だし、ナンパに慣れていないと外も出歩けないレベルだ。
「は? ナンパされたことないが??」
「いや、お前は大学の陸上部にナンパされてるだろう?」
「は? 意味が違うが??」
脚が綺麗。
走るために生まれてきた。
カモシカのような脚。
ピトーが跳躍する時みてぇな脚してて格好いい。
大腿二頭筋がバルクアップしまくりだ。
「アタシもナンパされてぇてぇてぇ」
「橘さん、顔パンして」
「……サラッと暴力を促さないでよ」
だってムカつくんだもん。
男の俺では殴れないから、橘さんにやってもらうしかない。
最近、空気が薄い夢野の意見を聞く。
「ずっと居るよ!?」
じゃあ少しは会話に入ってきてくれよ。
ここまでの物語に付いてきているなら、忘れている奴はいないと思うが説明しよう。
夢野ささら。
三馬鹿の一人だ。
彼女は、漫画のキャラとの疑似恋愛が大好きな夢女子である。
「だからオタクは嫌いなのよ!!」
自分をオープンにし過ぎ。
いや、術式開示は呪術師の基本だし。
「ジャンプの話をしないでッ!」
夢野、五条悟好きやもんなぁ。
オタク趣味は、人知れずほそぼそとやるものであって、他人に説明するものではない。
夢女子なのをバラされて怒っていたが、隠していてもみんな知っている。
お前が、推しキャラと疑似恋愛しているのに引いている奴はいないぞ。
自分をお姫様のように可愛く表現するのは気持ち悪いが、まあそういう気持ちになるのは分かるわ。
でも、五条✕夏油に入る隙はないぞ。
「ワタシだってそこまで無礼じゃないわよ。……夢女子だけど、ワタシは名無しでいい。ただ、二人の後輩になって、任務中に死んだ私のせいで少しだけ曇って欲しいの」
情緒どうなってんの??
自分の死が呪いになってほしいとか、ファンじゃないやろ。
一つ希望するなら、ナナミンとは同期がいい。
ナナミンが一番曇ってるやん。
可哀想だからやめてあげてよ。
夢野はキレキレであった。
呪術廻戦でここまで語れるなら、ちゃんとツイッターやったり、同人誌イベントに参加しろよ。
自分の中で消化しているのは、オタクとしては勿体ない。
「女のオタクはやばいのよ」
ジャンルやカップリング。
キャラの理解度。
台詞回し。
どれが炎上のトリガーになるか分からない。
解釈の不一致。

嗚呼、戦の鐘が鳴る。
殺し合え~。

「ささらも馬鹿言ってないで食べなさいよ。ご飯が冷めちゃうでしょ。東山くんも訳分からない話を振らないでよ」
橘さんに怒られた。
それを見ていた中野が煽ってくる。
「東っちはほんまアホやなぁ」
「中野、お前にだけは言われたくないわ」
「お? もえぴが小学生にナンパされてるぞ」
萌ちゃん!?
「ワッワッ、ヤダー!!」
「嘘に決まってんだろ。ちいかわやめろや。小学生相手に必死になるなよ」
彼氏やろ。
ドンと構えていろや。
……大好きだから、小学生であっても敵なんだよ!!


それから、食べ物を買ってきた小日向達と合流する。
「わ~、明日香ちん。おはこん~」
変な挨拶すんな。
「風夏ちゃん、おはこん~。浴衣姿可愛いね」
「どやどや」
小日向は、キメ顔でポーズを取る。
だから、食べ物持ちながらすんな。
浴衣を汚すだろうが。
「うわっ、お前らもいたんか」
萌ちゃん……。
中野ひふみ単体じゃなく、絶対に俺を含めとる。
俺や三馬鹿は、あからさまに嫌われていた。
お前らがいると、楽しいお祭りが汚される。
「東っち、彼ピッピじゃないんか?」
忖度されてないのか。
「……萌花の場合、あんま変わらんからなぁ」
付き合うとか、付き合わないとか関係なくボロクソに言われていた。
俺が一体何をしたのだろうか。
こんなにも愛しているのに。
目の中に入れても痛くない。
萌ちゃんに執着するから嫌われるんやろ。
まあ、一理ある。
「理解しているなら、ちったぁ、反省しろよ」
「赤ちゃんが反省出来るわけがない」
誰だよ、いま喋ったやつ。
俺のことを赤ちゃん言うな。
ファンが作ってくれた、自作の推しグッズ。
手縫いのぬいぐるみ。
それだけならば可愛いファンであったが、当然のように、よだれかけ付けたやつ忘れねえからな。
そのせいで、ネット上では赤ちゃん呼ばわりだ。

中野は、言う。
「いや、初期から赤ちゃんやろ」
高校生だよ。
どこに赤ちゃん要素があるんだよ。
どっからどう見ても大人や。
ガラガラ振り回してそう。
生後三ヶ月。
何でなんだよ!?

萌花は呆れていた。
「アホの話なんて誰も聞きたくないからいいとして、姫ちゃん達は?」
「黒川さん達は、人混み苦手っぽいから、先にショッピングモールに行っているって」
「ありがとう。連絡しとく」
まあ、お祭りだから、メチャクチャ混んでいるからな。
おとなしい子からしたら、人混みに長居したくはないだろう。
ショッピングモールなら、ここよりも多少は空いているし、エアコンも効いていて涼しいはずだ。
現状把握する。
俺やよんいち組と、三馬鹿がお祭りに来ていて。
男子連中はカードショップ。
準備組と田中さん達は、ショッピングモールに先に移動して涼んでいるわけだ。
……男子だけおかしくない?
くじ引き大会で当たった遊戯王OCGの写真を上げなくていいから、合流しろや。
みんな、楽しそうだな。
なんで俺を誘ってくれなかったんだよ。
俺にだって、マイフェイバリットモンスターがいるのに。
怒られた。
人数が多いので、手慣れた萌花が司会進行をする。
「姫ちゃん待たせるのも悪いし、食べ終わったらショッピングモールに行くからな」
小日向や白鷺は、食事を始めたばかりだしな。
流石の萌花も急いで食事しろとは言わなかった。
「萌ちゃん、花火の時間は何時だっけ?」
「八時」
「なるほど。じゃあ、集合時間まで全然余裕あるし、大丈夫か」
「……何サラッとちゃん付けで呼んでんだよ??」
「エッ」
ちい。
かわ。
やめろや。
「チャリメラ!?」
俺は、思いっ切り殴り飛ばされる。
萌花は小さくて可愛い。
華奢な見た目はとても可愛く、小学生くらいに思える時があるくらいだ。
しかし、俺はロリコンじゃない。
萌花が好きなだけだ。
小柄な女の子。
なんで体重差無視して、俺が吹き飛ばされるんだよ。
絶対にいま、ガードしたよ。
「格ゲーあるあるやめろやー」
中野は、野次飛ばしていないで助けろや。

「この人馬鹿ですよね?」
橘さんにさえ、悪態付かれていた。
「んだんだ、もえぴはアタシのだぞ」
「ひふみ、拗れるからやめてよね」
誰一人としてフォローしてくれない。
三馬鹿てめぇら、許さないからな。
お前らだけは味方だと思っていたのに、裏切りやがって。
あんなに一緒だったのに。
中野は、倒れて打ちひしがれている俺に、うんこ座りして追い打ちをかける。
「よお、兄ちゃん。よく考えてくれや。メイドが好きなだけのクソガキと、うちのクラスのボスなら、ボスに付くやろ」
うちのボスを怒らせると、どうなるか分からない。
萌ちゃんは、ラノベ界によくあるようなツンデレキャラではなく、何でも切れるジャックナイフだ。
手乗りもえぴ。
今日の萌花は、浴衣姿で可愛く着飾っているけれど、誰よりも強い女の子なのである。
強いけど可愛い~。
「こいつ、殴られて何で逆に惚れるんだよ」
「DV適性高いよな~」
「東っち、チェリオ買ってきて」
「ドクペでもいいよ」
「……どっちもお祭りで売ってねぇよ」
中野、てめえは電球にジュース入ったやつでも飲んどけや。
隣では、ラムネ瓶カラカラしているアホ。
ビー玉を取り出そうとする読者モデルがいた。
小日向は変わらず愚かであった。
瓶を逆さにするから、手にジュースの残りが付いて、ベトベトだ。
俺は鞄からウェットティッシュを取り出す。
「ほら、ちゃんと手を拭きなさい」
「ありがとう」
しゃあない。
男の俺が開けてやんよ。
瓶を割らずとて、ビー玉は取り出せるのだ。
一般男子の握力舐めんな。
ラムネ瓶の飲み口を回す。
全然動かない。
「……東山くん、早く開けて」
「……男見せて」
「あのさぁ、瓶くらいで苦戦するなよ。お前のウィキペディアに、ラムネ瓶に敗北って書き込むぞ」
三馬鹿は、煽りスキル高過ぎるんだよ。
手がもげそうだった。
オタクの握力舐めていた。
すまねえ、ペンより重い物を持ったことなかったわ。
見兼ねた白鷺が、俺の代わりにラムネを開けてくれる。
「任せろ」
ーーバキッ。
白鷺は、一撃で飲み口を粉砕する。
ヒェッ、ゴリラやんけ。
「そういう態度をすんなって言ってんだろッ!!」

パリッンッ……!?
開いたラムネ瓶でぶん殴られる。
結局、瓶を割っとるやんけぇ!?
「東っちの頭で割るのが正解じゃったか」
最適解にすんな。

因みに、ラムネ瓶のビー玉はビー玉じゃなくてエー玉である。
ビー玉よりも表面が綺麗な高品質だから、そう呼ばれている。
つるつるぴかぴか。
むふ。
小日向と白鷺は、取り出したビー玉を嬉しそうに見ているのであった。
二人は仲良し。
いや、綺麗に締めるのはいいが、彼ピッピの頭がかち割れているんだから気にしてくれよ。


それからしばらくし、花火が打ち上がる前に俺達は移動する。
ショッピングモールの上の階から観る打ち上げ花火。
クラスメートが全員集まっても邪魔にならない場所である。
お祭りを抜けていく途中に、俺と萌花は一つのお店で止まる。
くまくま体操のくま。
去年のお祭りで、萌花と一緒にくじを引いた店だ。
おばあちゃんも同じ人であった。
萌花は、くまくま体操のくまの引きたいらしく。
全員が居たら邪魔になるから、他の連中には先に行ってもらう。
「おばちゃんくじ一回ね」
「はいよ。百万円ね」
ご老人あるあるネタをやられていたが、気にしない。
ペリペリと剥がして、くじの結果を確認する。
萌花が当てたのは下位賞のキーホルダーだった。
「萌花が引くから、ぬいぐるみ当たるかと思っていたわ」
「そんな毎回当たらないって」
まあ、そうだよな。
去年みたく、抱き抱えるくらい大きいぬいぐるみなんて、数十回引いて当たればいいくらいだ。
「俺も一回ね」
「二百万ね」
なんで、倍になってんだよ。
萌花に笑われた。
これも鉄板ネタなのか。
おばちゃんの冗談だったようで、普通に一回分のお金を払って引く。
……俺もキーホルダーだった。
揺れる姿が、ちっちゃくて可愛いくまさんだ。
萌花が、自信満々に引くなら何か上位賞を当てろ。
相変わらず何のひねりもないな、と言いたげな顔をしていたが、俺には運がないからな。
ぬいぐるみなんて、当たるわけがない。
「はい。萌花の」
俺の分を萌花に渡す。
萌花はどうせ、白鷺に渡すだろうからな。
萌花はみんなに優しい。
誰よりも大切に思っている。
他者を愛しみ、他者に尽くすことは、人だけが持つ美徳だが、自分の手元から全てを与えていたら、幸せは何も残らない。
それだけが心配だ。
「ゆーて。こっちに渡したら、自分も何も残らないじゃん」
「俺には愛が残る」

どやどや。

「はあ。何なんだよ。五百円の価値で、そこまで誇るなよ……」
呆れていた。
萌花はそう言うが、彼女は五百円という物の価値を深く理解している。
お祭りに来ている他のカップル達は、彼女の為にいっぱいお金を使うが、それをちゃんと感謝している女の子はそれほど多くはない。
一ヶ月頑張ってバイトをすれば、数万円を稼ぐのは難しくないし、その中の五百円なんて端金だ。
それに一々気にする男など、器が小さい。
「そうかも知れないけど、……このお金だって、中高生から巻き上げてんだろ」
萌花はそう言い、無駄遣いするなと釘を刺す。
俺の持っているお金は、バイトをして稼ぐものとは価値が違う。
俺のファンの大半は中高生。
透き通る目をしていて、社会も知らないようなクソガキ共だ。
俺が同人誌を売って稼いだお金は、そんな中高生のお小遣いやバイト代から捻出されている。
ガキの財布に入っている数少ないお金だ。
どの財布よりも、五百円の重みが違う。
そう、愛をドルに変えているのだ。
いや、だから俺はアイドルじゃない。
読者モデルだ。
……ちげぇよ、俺は同人作家だっての。
週五で渋谷に行っているせいで、読者モデルとして刷り込みされていた。

何にせよ、俺の持つお金にはファンの血がこびり付いていた。
ファン達の青春。
学生時代のその中で、色々なものを我慢して、俺の為にお金を使ってくれている。
友達とのカラオケ。
好きな人とのデート。
彼氏との記念日。
……我慢している内容が重えんだよ。
そんなん我慢すんなよ。
使う価値があるから、お金を使えよ。
我慢するのはお前らの勝手だが、推しに自分の血飛沫を浴びせるな。
お前らの血液は、エイリアンのように強酸性なのだ。
俺の身体を溶かすつもり。
「……まあそうかもな」
エイリアンだろうと、ファンはファンである。
俺を頼りにする可愛い後輩だ。
……いや、可愛くはないが。
だとしても、価値が変わる訳ではない。
俺だって、お金を稼ぐ大変さは理解している。
初めて出した同人誌が、数冊売れた時にもらったお金。
それは、何よりも大切だったはずだ。
どれほどお金を稼ごうとも、その気持ちを忘れてはならない。
大人になると、価値観は変わる。
だけど、変わらないものもある。
ご飯を食べる時に両手を合わせ、一礼をする必要があるように、人の営みの中で俺達は感謝して生きている。
人は誰かに生かされている。
愛をお金に変えている。
それは皮肉なものだが、だけど事実なのだ。
俺がどれだけ成長し、幾らお金を稼ごうとも、忘れてはならない。
萌花は大切なことを俺に教えてくれる。
お金の価値は変わらない。
人が幸せを感じる時、誰かから大切なものを受け取っているのだ。
くまのキーホルダーは、小さなきっかけにすぎない。
お祭りにたまたまあった出店の出来事。
いや、運命なのだろう。
一年越しに語る必要があった。
ならば、それは運命だ。

「来年また、来なさい」
おばちゃんは、そう言った。
夏は終わるが、また夏は来る。
歳を跨ぎ、季節はやってくる。
一年後の俺達は、もっと成長し、変わっているはずだ。

「ババア、年越せるんか」
萌花、失礼だからね?
老人に喧嘩を売っていた。
「ババアの生命力舐めんじゃないよ。アンタ達とは背負っているものの重さが違うわ」
「……そう。次は特賞のぬいぐるみを確実に当てるから覚悟しといてよね」
互いに、不敵な笑みを浮かべる。
女こわいわ。
一触触発しそうな雰囲気である。
おばちゃんは、こちらを見る。
「アンタ、彼女のことが好きかい?」

「はい。この世の誰よりも」

「……そうかい。なら、誰よりも長生きすることだね」
延命息災。
人生において、何事もなく、詰まらなく、そして長生きするほどの幸せはない。
大切な人には、長生きしてほしいものだ。
俺達よりも、貴方が長生きすべきではないのか。
そう思ったが、まあいいや。
先人の教えは大切にしよう。
おばちゃんは、萌花の浴衣を見て褒める。
「綺麗な浴衣、よく似合っているわねぇ」
「ありがとうございます」
「着物の寿命は百年よ。受け継いだなら、次は貴女が大切にしなさい」
買ったばかりの新しい浴衣。
それは、一目で分かる。
しかし高級な浴衣は何年もかけて、やっと着慣れた生地になる。
ならば、彼女が着ている浴衣が落ち着きを見せ、優雅な姿をしているならば分かるはずだ。
どれだけ大切にされてきたのか。
数十年越しの想い。
長く生きた人間には、それが分かるのだった。
愛は、言葉にするのは難しく、口には出来ない。
だが、心で理解するのは一瞬だ。
だからこそ、愛は何よりも偉大なのだ。
おばちゃんは、実の娘の靜装を見るかのように、しんみりしていた。
あの時の晴れ着も、浴衣も。花嫁衣装も。
今はもう、見れない姿だから。
それでも、数日前の出来事のように思い出せる。
人生は、過去も現在も未来さえも。
一瞬で過ぎ去って行く。
それでも、人が生きてきた証は不滅だ。
死んでも尚、人は大切なものは何一つとして忘れない。
死ぬ瞬間まで、全てを抱き締めている。
今生の世。
生きている者が私ただ一人になったとしても、過去の思い出が生きる道を指し示してくれる。
「……来年もまた来るのは、私じゃない」
萌花は、そう言った。
来るのは私達ではなく、お前だと。
その為に、一日一日を噛み締めて生きろと。
来年の今日、また会う。
三百六十五日。
天の川の願い。
遅い時期の七夕まつり。
たった一日の為に、頑張って生きる。
老いた身体と心がそうするのは酷なことだが、それくらいのことをしないと人は夢を懐いて生きていけない。

「若い者が、老い先短いババアに関わると、悲しいだけだよ」
自分はもう片足棺桶に突っ込んでいる。
おばちゃんは自分を卑下するが、萌花は一蹴する。
「その時は、線香の一本くらい上げてやる。心配するな」
「有り難いわ。でもね、せっかく可愛い格好をしているのだから、少しはお淑やかにしなさい」
女に生きる。
それは、可愛い浴衣も綺麗な髪飾りも、完璧な化粧も。
仕草も所作も口調ですらも。
目上を立てて、男の後ろを歩く心でさえ。
全て、大和撫子になる為には必要だ。
誰よりも美しい女性になり、最高の幸せを掴みたいならば、強い女性でなければならない。
だとしても。

「私には必要ない」
萌花は断言した。
私は、私だ。
私の人生を生きる。

「ふふ、そうね。貴女には必要ないわね」
二人は、実の母と娘のように、大きく笑う。
幸せそうに。
まるで、生き写しのように。


一度目の天の川。
人の出逢いは必然なのだ。
運命は変えられず。
どれほど悲しい未来が待ち受けていたとしても、人は人に恋い焦がれる。
命を紡ぐとは、悲しい出来事だから。
涙を流すほどの悲しみがあるから、人は想いを受け継ぐことが出来る。


これは、小さな女の子の物語だ。
天の川。
浴衣を着た少女は、星空を見上げ。
星々に願うのだ。
命いっぱいの祝福を。
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