4 / 17
4
しおりを挟む
ユウナが目を覚ました時、ランドスの身体はすっかり冷たくなっており、傷口から流れる血もすでになくなっていた。ユウナはむせ返るような血の匂いに吐き気を催したが、息を飲み込んでそれを堪えた。
けれど、ふと顔を上げてランドスの死体を見、それから全身血まみれになった自分の姿を見た瞬間、込み上げた胃液を押し戻せずにそのまま嘔吐して喉を抑えた。
吐くものがなくなると、ユウナは苦しそうに咳き込み、嘔吐物の上に血が点々と滴った。
「どうして……こんなことに……」
ふらふらと立ち上がると、ユウナは肩で口元を拭ってから、涙でぐしゃぐしゃになった顔をランドスの身体に押し付けた。
ランドスは、ユウナが物心ついた時から側にいた弟のような存在だった。孤児院育ちの二人は、本当の姉弟以上に仲が良く、苦楽をともにし、助け合い、励まし合って生きてきた。
そのランドスがすっかり冷たくなって、もうユウナの呼びかけにも応えなければ、目を開いて笑ってくれることもない。
「どうして……どうして……」
ユウナがどうしようもない虚無感に囚われて呻いていると、背後でガチャッとドアの開く音がした。タンズィかと思って睨み付けたが、入ってきたのはノーシュだった。
ノーシュはランドスを死体を見ても、全身血まみれのユウナを見ても、顔色一つ変えなかった。真っ直ぐユウナのところまで来ると、無言で彼女の腕の戒めを解いた。
「ノーシュ……」
ユウナはあまりにも平然としている青年に無性に腹が立ち、同時に悲しくなった。けれど、すぐに怒る相手が違うと考え直して、大きな溜め息をついた。
例えこんな無感情な人間でも、いるよりいないに越したことはない。それに、昨日ノーシュはああ言っていたが、ユウナは彼を仲間だと思っていた。
「今日は疲れただろう。一日くらい休んでも、タンズィも何も言わない。部屋に戻ってな」
思いがけない優しい言葉に、ユウナは驚いて顔を上げた。けれど、ノーシュは相変わらずの無表情で、ランドスの縄を解くと、死体を担ぎ上げた。
「ランドスをどうするの?」
疲れ切った声で尋ねると、ノーシュはドアの方に歩きながら答えた。
「埋める。敷地内に名前ばかりの墓地があるんだ。施設で殺された奴は、人質も魔法使いも、全員そこに埋められる」
「ついていくわ。ランドスが埋められるところを見ておきたいの」
ノーシュは反対しなかった。
外に出ると新鮮な空気が肺を洗い流した。しばらく歩くと庭の方からかけ声が聞こえてきて、ユウナは不思議そうに尋ねた。
「みんなは何をしているの?」
「武道だよ」
「魔法使いが武道?」
ユウナは首を傾げたが、すぐにその理由を理解した。
魔法はあくまで相手と接触しなければ、その効果を発揮しない。すなわち、飛んでくる矢や突き出された槍に対して、魔法使いは一介の人間と何一つ変わりないのだ。
魔法使いが魔法の威力を十二分に引き出すためには、格闘家としても一流である必要がある。
ノーシュはユウナには答えの必要がないと悟ったのか、答えの代わりに説明を付け足した。
「武道だけじゃない。剣も教えられるし、登攀技術や鍵の開け方も学ぶ。お前は魔法に関しては問題ないようだから、恐らく武道中心になるだろうな」
庭が見えてくると、魔法使いたちがユウナを見てから、悲壮な面持ちで目を背けた。スーミを見つけて手を振ろうとしていたユウナは、視線を逸らされて少し寂しい気持ちになった。
「自分の姿を見ればわかる。今お前に話しかけたい奴は、よほどの変人だな」
なるほど、髪も顔も服も血で真っ赤に染まっている姿は、まるで地獄から這い上がってきた悪魔のようだった。ユウナは自虐的に笑って、すぐに機嫌を直した。
「ねえ、ノーシュ。私が魔法に関して問題ないって、どうしてわかるの?」
怪訝に思って尋ねると、ノーシュはしばらく無言でいてから、瞳に複雑な色を浮かべた。この青年には珍しいことだ。
「さっき、タンズィに魔法を使っただろう。あいつがあれほど抵抗しなければならない威力の魔法を使える奴は、今この施設にいない。もちろん、俺にも無理だ」
「え……?」
驚いたユウナに、ノーシュは城壁の向こうに広がる青空に目をやって、妙に澄んだ、達観した顔付きで呟いた。
「お前なら、あるいは……」
「…………」
それっきり、二人は一言も口をきかなかった。ただ、ユウナは無表情に戻ったノーシュの横顔を見ながら確信した。
この青年は、感情をなくしたわけではないと。
(私も強くならなくちゃいけない……。それしか生きる道がないのなら……)
ユウナはノーシュに担がれている仲間の死体に目をやって、唇を噛みながらそう決意した。
翌日から、早速ユウナは他の魔法使いに混ざって鍛錬することになった。人によって内容は異なるが、基本的には午前はひたすら体術に励む。
その教え方は実践あるのみで、ユウナはこの朝の鍛錬だけで何度も悲鳴を上げなければならなかった。
やはり豪勢な昼食の後は、ユウナは魔法の理論を学んだ。まさか魔法に理論があることなど知らなかったユウナは、今の自分の状況も忘れて感動を覚えた。
自分が今まで何気なく使えていた魔法。その発動の仕組みや呼吸法、気の操り方や魔力の流れを説明されて、ユウナはその日の説明だけで格段に魔法が上手くなった気がした。
実際、ユウナの魔力はたったの一週間で飛躍的に上昇した。
「今ならタンズィもやっつけられるかも知れないわ」
ある日、ノーシュと二人の時に冗談めかしてそう言うと、ノーシュはちらりとユウナを見て、押し殺した声で言った。
「お前は、それ以上強くならない方がいい。命が惜しければな」
「どういうこと?」
また命の話になり、ユウナは顔をしかめた。タンズィは強い魔法使いを求めているのに、なぜ強くなってはいけないのか。
不思議に思ったユウナに、ノーシュが短く答えた。
「タンズィより強くなれば殺される。簡単なことだ」
確かに、簡単なことだった。それでも、鍛錬を受け続ける限り強くなるものはしょうがないと反論すると、ノーシュは「頭を使え」と教えてくれた。
しばらく考えて、すぐにその意味を理解した。つまり、自分が強いことを知られなければいいのだ。
幸いにも、ユウナはこれまでの間に、魔法の威力の制御方法も学んでいた。今はもうすでにタンズィを越えているかも知れないが、施設に入った頃の魔力を維持すれば目も付けられないはずだ。
「あなたも、自分の魔力をセーブしてるの? 気付かれないように」
いたずらっぽく聞くと、ノーシュは「まさか」と冷たい顔で言った。本当のところはユウナにもわからなかった。
さらに数週間の間に、ユウナは色々なことを知った。
まず、ノーシュの「優秀さ」は、魔法や武道ではなく、その従順さにあると言うこと。実際、ノーシュの魔法はユウナから見たら大したことなく、武道も格別に強いというほどでもなかった。
もちろん、ユウナは彼が能力を「隠している」可能性があることを知っていたから、それをそのまま彼の実力だとは思ってなかったが、少なくともタンズィが彼を気に入っているのは、彼が一切の感情を持ち合わせていないからだった。
スーミは相手に対してほとんど疲れずに魔法を使うことができた。他人に魔法を使うと疲弊するのは、相手の気に同調させるのに力を使うためで、どうしても仕方ないことらしい。
もちろん、鍛錬によって疲労度を軽減させることは可能だったが、スーミは相手の気に同調させるのが元々上手だった。そのため、身体能力は少女のそれだったが、未来を有望視されているのである。
自ら殺されるだろうとあきらめていた少年は、確かに魔法はからっきしダメだった。魔法使いであるのは間違いないのだが、どうしても上手く使うことができないのだ。
ユウナのように、理論を知らなくても使うことができる人間には考えられないことだが、出会った時にタンズィが言った通り、教えられても使えない人間もいるのである。
それでもアイバールが見捨てられないでいるのは、彼が武術家として優れているからだった。聞くと、幼い頃から街の道場に通っていたらしい。
「じゃあ、後は魔法さえ使えるようになれば、とりあえず命の保証はされるわね。アイバールがよければ、私も魔法を手伝うわ」
ある日ユウナがそう言うと、アイバールは「ありがとう」と言ってから、自虐的に笑った。
「魔法さえ使えればね。でも、最近タンズィもあきらめ始めてるのがわかる。彼らに必要なのは優秀な武術家じゃない。あくまで魔法使いなんだ」
ユウナはすぐに優秀でない魔法使いと友達になったが、特に仲がいいのは隣室にいる同い年のサレイナだった。サレイナは魔力はスーミほどあり、体術もノーシュを凌いだ。もちろん、力は女だから強くなかったが、力の強さは魔法でどうにでもなるから、あまり問題ではなかった。
欠点、それもタンズィから見た欠点はただ一つ。それは彼女が心優しいことだった。おかげで彼女は鍛錬のためにすでに三度も人殺しを経験させられていたが、それでも感情はなくなるどころかむしろ深まり、誰かが死ぬたびに激しく泣いてふさぎこむのだった。
「私もね、ユウナと同じで、お友達を殺させられたの」
サレイナはそう話し始めると、その時の光景を思い出したのか、瞳に涙を浮かべた。
「私は魔法使いにはなれても、暗殺者にはなれないわ。医師や教師としての使い道がなければ、いつか刺客として差し向けられて、返り討ちに合って殺されるわね」
ユウナはサレイナの前では、「私もそうかも知れない」と言って笑っていたが、内心では仲間はともかく、赤の他人を殺すくらいの覚悟はできていた。
子供たちがユウナにとっての人質になっているだけでなく、ユウナもまた子供たちにとっての人質なのだ。自分が死ねば子供たちも生きていけなくなる。直接殺されなかったとしても、孤児で働き口のない彼らが生きていけるほど、ブラウレスは豊かな街ではない。
自分も死ぬわけにはいかない。その思いが、ユウナを確実に強くしていた。
魔法はもちろん、ユウナは体術にも優れた才能を持っていた。身のこなしが軽く、手先も器用で、魔法で肉体を強化しさえすれば、剣でも槍でも上手く使いこなすことができた。
他の子供たちと違い、幼い頃から苦労してきたのがよかったのだろう。
ユウナの欠点はただ一つ、タンズィに対する反抗心だ。もちろん、ユウナは痛い目に遭いたくなかったから決してそれを表には出さなかったが、ユウナは常に、如何にここから逃げ出すかを考えていた。
いつかきっとそのチャンスは来る。けれど、今はその時ではない。
逃げ出すには力不足だった。自分が如何に優れた魔法使いであるかは他の魔法使いを見てわかったが、一国を相手にするにはまだ弱い。
ユウナは今はひたすら自分を鍛え上げる時間だと割り切り、タンズィが作るスケジュール通りに鍛錬に励んでいた。
季節は何事もなく巡り、やがてブラウレスに春が訪れた。
けれど、ふと顔を上げてランドスの死体を見、それから全身血まみれになった自分の姿を見た瞬間、込み上げた胃液を押し戻せずにそのまま嘔吐して喉を抑えた。
吐くものがなくなると、ユウナは苦しそうに咳き込み、嘔吐物の上に血が点々と滴った。
「どうして……こんなことに……」
ふらふらと立ち上がると、ユウナは肩で口元を拭ってから、涙でぐしゃぐしゃになった顔をランドスの身体に押し付けた。
ランドスは、ユウナが物心ついた時から側にいた弟のような存在だった。孤児院育ちの二人は、本当の姉弟以上に仲が良く、苦楽をともにし、助け合い、励まし合って生きてきた。
そのランドスがすっかり冷たくなって、もうユウナの呼びかけにも応えなければ、目を開いて笑ってくれることもない。
「どうして……どうして……」
ユウナがどうしようもない虚無感に囚われて呻いていると、背後でガチャッとドアの開く音がした。タンズィかと思って睨み付けたが、入ってきたのはノーシュだった。
ノーシュはランドスを死体を見ても、全身血まみれのユウナを見ても、顔色一つ変えなかった。真っ直ぐユウナのところまで来ると、無言で彼女の腕の戒めを解いた。
「ノーシュ……」
ユウナはあまりにも平然としている青年に無性に腹が立ち、同時に悲しくなった。けれど、すぐに怒る相手が違うと考え直して、大きな溜め息をついた。
例えこんな無感情な人間でも、いるよりいないに越したことはない。それに、昨日ノーシュはああ言っていたが、ユウナは彼を仲間だと思っていた。
「今日は疲れただろう。一日くらい休んでも、タンズィも何も言わない。部屋に戻ってな」
思いがけない優しい言葉に、ユウナは驚いて顔を上げた。けれど、ノーシュは相変わらずの無表情で、ランドスの縄を解くと、死体を担ぎ上げた。
「ランドスをどうするの?」
疲れ切った声で尋ねると、ノーシュはドアの方に歩きながら答えた。
「埋める。敷地内に名前ばかりの墓地があるんだ。施設で殺された奴は、人質も魔法使いも、全員そこに埋められる」
「ついていくわ。ランドスが埋められるところを見ておきたいの」
ノーシュは反対しなかった。
外に出ると新鮮な空気が肺を洗い流した。しばらく歩くと庭の方からかけ声が聞こえてきて、ユウナは不思議そうに尋ねた。
「みんなは何をしているの?」
「武道だよ」
「魔法使いが武道?」
ユウナは首を傾げたが、すぐにその理由を理解した。
魔法はあくまで相手と接触しなければ、その効果を発揮しない。すなわち、飛んでくる矢や突き出された槍に対して、魔法使いは一介の人間と何一つ変わりないのだ。
魔法使いが魔法の威力を十二分に引き出すためには、格闘家としても一流である必要がある。
ノーシュはユウナには答えの必要がないと悟ったのか、答えの代わりに説明を付け足した。
「武道だけじゃない。剣も教えられるし、登攀技術や鍵の開け方も学ぶ。お前は魔法に関しては問題ないようだから、恐らく武道中心になるだろうな」
庭が見えてくると、魔法使いたちがユウナを見てから、悲壮な面持ちで目を背けた。スーミを見つけて手を振ろうとしていたユウナは、視線を逸らされて少し寂しい気持ちになった。
「自分の姿を見ればわかる。今お前に話しかけたい奴は、よほどの変人だな」
なるほど、髪も顔も服も血で真っ赤に染まっている姿は、まるで地獄から這い上がってきた悪魔のようだった。ユウナは自虐的に笑って、すぐに機嫌を直した。
「ねえ、ノーシュ。私が魔法に関して問題ないって、どうしてわかるの?」
怪訝に思って尋ねると、ノーシュはしばらく無言でいてから、瞳に複雑な色を浮かべた。この青年には珍しいことだ。
「さっき、タンズィに魔法を使っただろう。あいつがあれほど抵抗しなければならない威力の魔法を使える奴は、今この施設にいない。もちろん、俺にも無理だ」
「え……?」
驚いたユウナに、ノーシュは城壁の向こうに広がる青空に目をやって、妙に澄んだ、達観した顔付きで呟いた。
「お前なら、あるいは……」
「…………」
それっきり、二人は一言も口をきかなかった。ただ、ユウナは無表情に戻ったノーシュの横顔を見ながら確信した。
この青年は、感情をなくしたわけではないと。
(私も強くならなくちゃいけない……。それしか生きる道がないのなら……)
ユウナはノーシュに担がれている仲間の死体に目をやって、唇を噛みながらそう決意した。
翌日から、早速ユウナは他の魔法使いに混ざって鍛錬することになった。人によって内容は異なるが、基本的には午前はひたすら体術に励む。
その教え方は実践あるのみで、ユウナはこの朝の鍛錬だけで何度も悲鳴を上げなければならなかった。
やはり豪勢な昼食の後は、ユウナは魔法の理論を学んだ。まさか魔法に理論があることなど知らなかったユウナは、今の自分の状況も忘れて感動を覚えた。
自分が今まで何気なく使えていた魔法。その発動の仕組みや呼吸法、気の操り方や魔力の流れを説明されて、ユウナはその日の説明だけで格段に魔法が上手くなった気がした。
実際、ユウナの魔力はたったの一週間で飛躍的に上昇した。
「今ならタンズィもやっつけられるかも知れないわ」
ある日、ノーシュと二人の時に冗談めかしてそう言うと、ノーシュはちらりとユウナを見て、押し殺した声で言った。
「お前は、それ以上強くならない方がいい。命が惜しければな」
「どういうこと?」
また命の話になり、ユウナは顔をしかめた。タンズィは強い魔法使いを求めているのに、なぜ強くなってはいけないのか。
不思議に思ったユウナに、ノーシュが短く答えた。
「タンズィより強くなれば殺される。簡単なことだ」
確かに、簡単なことだった。それでも、鍛錬を受け続ける限り強くなるものはしょうがないと反論すると、ノーシュは「頭を使え」と教えてくれた。
しばらく考えて、すぐにその意味を理解した。つまり、自分が強いことを知られなければいいのだ。
幸いにも、ユウナはこれまでの間に、魔法の威力の制御方法も学んでいた。今はもうすでにタンズィを越えているかも知れないが、施設に入った頃の魔力を維持すれば目も付けられないはずだ。
「あなたも、自分の魔力をセーブしてるの? 気付かれないように」
いたずらっぽく聞くと、ノーシュは「まさか」と冷たい顔で言った。本当のところはユウナにもわからなかった。
さらに数週間の間に、ユウナは色々なことを知った。
まず、ノーシュの「優秀さ」は、魔法や武道ではなく、その従順さにあると言うこと。実際、ノーシュの魔法はユウナから見たら大したことなく、武道も格別に強いというほどでもなかった。
もちろん、ユウナは彼が能力を「隠している」可能性があることを知っていたから、それをそのまま彼の実力だとは思ってなかったが、少なくともタンズィが彼を気に入っているのは、彼が一切の感情を持ち合わせていないからだった。
スーミは相手に対してほとんど疲れずに魔法を使うことができた。他人に魔法を使うと疲弊するのは、相手の気に同調させるのに力を使うためで、どうしても仕方ないことらしい。
もちろん、鍛錬によって疲労度を軽減させることは可能だったが、スーミは相手の気に同調させるのが元々上手だった。そのため、身体能力は少女のそれだったが、未来を有望視されているのである。
自ら殺されるだろうとあきらめていた少年は、確かに魔法はからっきしダメだった。魔法使いであるのは間違いないのだが、どうしても上手く使うことができないのだ。
ユウナのように、理論を知らなくても使うことができる人間には考えられないことだが、出会った時にタンズィが言った通り、教えられても使えない人間もいるのである。
それでもアイバールが見捨てられないでいるのは、彼が武術家として優れているからだった。聞くと、幼い頃から街の道場に通っていたらしい。
「じゃあ、後は魔法さえ使えるようになれば、とりあえず命の保証はされるわね。アイバールがよければ、私も魔法を手伝うわ」
ある日ユウナがそう言うと、アイバールは「ありがとう」と言ってから、自虐的に笑った。
「魔法さえ使えればね。でも、最近タンズィもあきらめ始めてるのがわかる。彼らに必要なのは優秀な武術家じゃない。あくまで魔法使いなんだ」
ユウナはすぐに優秀でない魔法使いと友達になったが、特に仲がいいのは隣室にいる同い年のサレイナだった。サレイナは魔力はスーミほどあり、体術もノーシュを凌いだ。もちろん、力は女だから強くなかったが、力の強さは魔法でどうにでもなるから、あまり問題ではなかった。
欠点、それもタンズィから見た欠点はただ一つ。それは彼女が心優しいことだった。おかげで彼女は鍛錬のためにすでに三度も人殺しを経験させられていたが、それでも感情はなくなるどころかむしろ深まり、誰かが死ぬたびに激しく泣いてふさぎこむのだった。
「私もね、ユウナと同じで、お友達を殺させられたの」
サレイナはそう話し始めると、その時の光景を思い出したのか、瞳に涙を浮かべた。
「私は魔法使いにはなれても、暗殺者にはなれないわ。医師や教師としての使い道がなければ、いつか刺客として差し向けられて、返り討ちに合って殺されるわね」
ユウナはサレイナの前では、「私もそうかも知れない」と言って笑っていたが、内心では仲間はともかく、赤の他人を殺すくらいの覚悟はできていた。
子供たちがユウナにとっての人質になっているだけでなく、ユウナもまた子供たちにとっての人質なのだ。自分が死ねば子供たちも生きていけなくなる。直接殺されなかったとしても、孤児で働き口のない彼らが生きていけるほど、ブラウレスは豊かな街ではない。
自分も死ぬわけにはいかない。その思いが、ユウナを確実に強くしていた。
魔法はもちろん、ユウナは体術にも優れた才能を持っていた。身のこなしが軽く、手先も器用で、魔法で肉体を強化しさえすれば、剣でも槍でも上手く使いこなすことができた。
他の子供たちと違い、幼い頃から苦労してきたのがよかったのだろう。
ユウナの欠点はただ一つ、タンズィに対する反抗心だ。もちろん、ユウナは痛い目に遭いたくなかったから決してそれを表には出さなかったが、ユウナは常に、如何にここから逃げ出すかを考えていた。
いつかきっとそのチャンスは来る。けれど、今はその時ではない。
逃げ出すには力不足だった。自分が如何に優れた魔法使いであるかは他の魔法使いを見てわかったが、一国を相手にするにはまだ弱い。
ユウナは今はひたすら自分を鍛え上げる時間だと割り切り、タンズィが作るスケジュール通りに鍛錬に励んでいた。
季節は何事もなく巡り、やがてブラウレスに春が訪れた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます
綾月百花
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
地味令嬢を見下した元婚約者へ──あなたの国、今日滅びますわよ
タマ マコト
ファンタジー
王都の片隅にある古びた礼拝堂で、静かに祈りと針仕事を続ける地味な令嬢イザベラ・レーン。
灰色の瞳、色褪せたドレス、目立たない声――誰もが彼女を“無害な聖女気取り”と笑った。
だが彼女の指先は、ただ布を縫っていたのではない。祈りの糸に、前世の記憶と古代詠唱を縫い込んでいた。
ある夜、王都の大広間で開かれた舞踏会。
婚約者アルトゥールは、人々の前で冷たく告げる――「君には何の価値もない」。
嘲笑の中で、イザベラはただ微笑んでいた。
その瞳の奥で、何かが静かに目覚めたことを、誰も気づかないまま。
翌朝、追放の命が下る。
砂埃舞う道を進みながら、彼女は古びた巻物の一節を指でなぞる。
――“真実を映す者、偽りを滅ぼす”
彼女は祈る。けれど、その祈りはもう神へのものではなかった。
地味令嬢と呼ばれた女が、国そのものに裁きを下す最初の一歩を踏み出す。
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろうにも掲載中です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる