8 / 17
8
しおりを挟む
二人は施設から出され、城の中にある石造りの建物に連れて行かれた。それは大きな倉庫のような建物だった。
中には何も置かれておらず、剥き出しの土の上に老若男女合わせて40人くらいの人間が蒼ざめた表情で座っていた。
三人が中に入ると、彼らは一斉に振り返り、多くの視線を一度に浴びて、サレイナが思わず小さな悲鳴を上げた。この少女は、本質的には内気で恥ずかしがり屋なのだ。
「ユウナ、お前は縁に座っていろ。サレイナ、お前はこっちに来い」
タンズィが深みのある声でそう命令した。ユウナは今逆らうのは得策ではないと考え、大人しく建物の隅に座った。
サレイナは一度不安げにユウナを見たが、ユウナがなるべく明るく笑って見せると、元気を取り戻したように微笑んだ。けれど、その微笑みも次の瞬間には消えてなくなる。
「お前たちの息子、娘、大切な人間は、すべてここにいる二人の少女が私怨により殺害した」
「え……?」
サレイナが思わず声を上げてタンズィを見上げる。
ユウナは唇を噛みしめてタンズィを睨み付けた。ここにいる人間は、すべてスーミやヨィリーたち、先の戦いで死んだ魔法使いの人質だ。魔法使いが死ねば人質は殺される。タンズィはそれをサレイナにさせようとしているのだ。
けれど、今回はそれだけではなかった。
「私はそれを非常に嘆かわしく思い、同時に強い憤りを感じる。そこで私は、お前たちにその恨みを晴らす機会を与えようと考えた」
「嘘よ!」
ユウナは叫びながら立ち上がった。
刹那、タンズィが振り向き様に手を振り、そこからナイフが風を切って閃いた。タンズィも魔法使いの訓練を受けた人間である。ナイフの扱いは部下に引けを取らなかった。
それにユウナも、まさかいきなりナイフを投げられるとは思っておらず、反応が一瞬遅れた。
素早く飛び退いたが、ナイフが腹に突き刺さるのが早かった。
ドスッという低い音ともに、ユウナの口から呻き声が漏れ、サレイナが悲鳴を上げた。
タンズィがユウナに近付き、彼女にだけ聞こえる声で言った。
「今逆らえば、俺はお前にもお前の人質にも一切の容赦はしない」
ユウナはナイフを抜き、“治癒”の魔法をかけながら一度だけ頷いた。この男は本気だ。ランドスを殺された日のことを思い出し、あきらめたようにナイフを置いて座り直した。
タンズィは再び人質に向き直ると、説明を続けた。彼らは皆、憎しみの目で二人を睨み付けていた。ユウナはそれを平然と受け止めていたが、サレイナはガクガクと震えている。
「お前たちにまず、この少女と戦う権利を与える。そしてこの少女を殺すことができたら、次は向こうで座っている少女だ。二人とも殺すことができたら、お前たちを解放してやろう」
なるほど、とユウナは思った。自分も連れてこられたのには意味があったのだ。
万が一サレイナが彼らに殺されるようなことがあっても、ユウナは彼らを殺すことに躊躇しない。タンズィにはそれがわかっていたのだ。
人質たちは今にも襲いかからん息遣いで立ち上がった。先にタンズィが与えていたのだろう。手には全員が同じナイフを持っている。
タンズィはサレイナにも同じナイフを手渡した。サレイナはそれを受け取ると、怯えたような表情で顔を上げた。
タンズィは何も言わずにユウナの座っている隣に立ち、腕を組んだ。サレイナは助けを乞うようにユウナを見、ユウナは思い詰めた表情で言った。
「サレイナ。殺さなければ、あなたのお姉さんも婚約者の人も、全員私が殺すことになるわ。私にそれをさせないで」
サレイナは真っ直ぐユウナを見つめていたが、やがてその場に力なくナイフを落とすとユウナの許に駆け寄った。そして驚くタンズィに構いもせず、ユウナの身体を抱きしめて、嗚咽を漏らしながら言った。
「私、ユウナのこと、好きよ。本当に……好きだし、感謝してる」
「サレイナ……」
「私、ユウナがいなかったら、きっともうここにはいなかった。この半年間、ユウナがいてくれたから頑張ってこられた。だから……」
サレイナはユウナから身体を離し、肩を持ったまま唇を引き結んだ。
「だから私、ユウナのために頑張るね。私は、私自身のためには人なんて殺せないから」
ユウナは大きく頷くと、少女を力付けるようにはっきりと言った。
「わかったわ、サレイナ。私のために、あの人たちを全員殺して。私はあなたがそうしてくれることを心から望んでいるから。もしも死んだりしたら、私はあなたを嫌いになる」
サレイナは真顔で一度頷くと、ユウナのナイフを手に取った。
「あなたにこれは使わせない」
きっぱりとそう宣言して40人を向き直ったサレイナの顔は、揺るぎない決意に満ちていた。
サレイナが再び元に位置に立つと、ユウナは真っ直ぐ彼女を見つめたまま静かに言った。
「あんたは、どこまでも卑怯は奴ね」
「いいや。これはいつもの殺人ゲームとはわけが違う」
ちらりと見上げると、確かにタンズィの顔にはいつもの残忍なものはなく、むしろ焦りさえ感じられた。
「この部隊にあの女は必要だ。だから、変わってもらわないと困る」
「あの子が変わると、本気で思ってるの?」
呆れたようにユウナが聞くと、タンズィは深く頷いてから、怪訝そうに見上げるユウナを細い目で見下ろした。
「お前だって、初めは人殺しなんかできる娘ではなかっただろう」
その一言は、ユウナの胸に凄まじい衝撃を与えた。
確かにユウナは、施設に入る前は人を殺すことなど考えられない娘だった。けれど今では、暗殺者の代表として選出されるほどになっている。
ユウナは自分が変わったなどと考えたことがなかった。もしも子供たちが今の自分を見たら、果たして昔のように微笑みかけてくれるだろうか。
「よし、じゃあ始めろ!」
ついにタンズィが号令をかけ、40人が一斉に雄叫びを上げながらサレイナに殺到した。
ユウナは子供たちへの思いを断ち切り、拳を握ってサレイナを見た。
数人が投げ付けたナイフを俊敏な動作で躱すと、サレイナは彼らと真っ向から戦うのを避け、一番端の方から迫り来る中年の女性の首にナイフを付き立て、そのまま集団の背後に回った。とても普通の人間について来られる速度ではない。サレイナは“強化”の魔法をかけていた。
背中から老婆の心臓をナイフでえぐると、引き抜き様腕を振り上げた若者の胸を刺した。
けれど、あまりにも相手は多勢である。ついに津波が町を飲み込むように取り囲まれ、小さな呻き声とともに血がしぶき上がった。
“浮遊”の魔法で勢いよく飛び上がった拍子に太股をざっくりとえぐられ、サレイナは苦痛の声を漏らした。さらに背中にナイフが突き刺さり、仰け反った腹部にも飛んできたナイフがめり込む。
だが、サレイナは魔法使いだ。すぐに“治癒”の魔法で回復させると、人のあまりいない場所に着地しつつ、二人の命をたちまちに奪い去った。
サレイナは顔中を汗で濡らしながら、鬼神のような表情で戦っていた。そして、戦いが始まってからずっと「ユウナのため」と繰り返していたが、次第にそれは人質たちの断末魔の叫びよりも大きくなっていた。
「ユウナのため! ユウナのために!」
サレイナのナイフは的確に人質の命を奪っていく。それでも、サレイナにも体力と精神力の限界があった。
攻撃を避けて後退した瞬間、死体に足を取られて、仰向けに倒れ込む。腹部をさらしたサレイナに覆い被さるように、人質の男がナイフを突き立てた。
「がはっ!」
喉から血を吹き、サレイナはもがいた。今の自分の力では男の身体を離せないと悟ると、男に“催眠”の魔法を使う。
けれど、男を蹴り飛ばし、立ち上がって怪我を治すより先に、今度は前と後ろからつかみかかられてサレイナは動きを束縛された。別の女が奇声を上げながらナイフを突き立てる。
サレイナの小さな肩に切っ先が食い込み、サレイナは絶叫した。首元に煌いたナイフを手の平を犠牲にして受け止めると、サレイナは苦痛のあまり涙を煌かせた。
「ごめん、ユウナ……」
サレイナの意識は真っ白になっていた。
ユウナは手に汗を握って戦況を見守っていたが、ついに我慢できなくなって立ち上がった。
自分の近くに落ちていたナイフを手に取ると、それをサレイナを取り囲んでいる人間に向かって投げ付ける。ナイフは少年の背中に突き刺さり、少年は叫び声を上げて倒れた。
「ユウナ!」
タンズィが咎めるような声を上げたが、ユウナは鋭い目で睨み付けて反論した。
「もう十分でしょ? あの子はもう十分自分から人を殺したわ。あんたは、あの子を殺したいんじゃないんでしょ?」
返事も聞かずに、ユウナは真っ直ぐサレイナのいる場所へ駆け寄ると、彼女を押さえ付けている二人に両手を当てて、いつかタンズィに使われた強力な“麻痺”の魔法を放った。
二人は奇妙な呻き声を上げ、背骨が折れるほど身体を反り返らせて絶命した。ユウナは一瞬の眩暈に堪え、ナイフを取って周囲の人間を刺し殺した。
「話が違うじゃないか! 一人ずつだろう!」
誰かがタンズィに向かって叫んだが、タンズィはうっすらと笑っただけだった。
ユウナのナイフが的確に急所を斬り裂き、人質の数は急激に減っていった。
元々集団を相手にする能力はないが、個人が相手なら鍛え上げられた戦士すら殺す自信がある。暗殺者とはそういうものだ。
いよいよ最後の一人も無傷のまま刺し殺すと、ユウナはすぐにサレイナに駆け寄った。
サレイナはすでに自分で怪我を治しており、血まみれの凄惨な顔でにっこりと笑いかけた。
「ありがとう。嫌われずに済んで、本当によかった」
心から安心したようにそう言うと、サレイナはナイフを落としてぐらりと身体を傾けた。
ユウナは慌てて戦友の身体を抱きしめ、思わず溢れてきた涙を拭いもせずに首を振った。
「私、サレイナのこと、嫌いになったりしないよ? ごめんね、こんなことさせて。私、サレイナに好きだって言ってもらえて本当に嬉しかったの。私も大好きよ」
サレイナはユウナの胸の中で嬉しそうに笑った。
「よかった……」
今度こそ本当に気を失って、サレイナはユウナに身体をあずけた。
ユウナは複雑な心境でいた。果たしてサレイナがこうして人殺しをできるようになったのは、良かったのか悪かったのか。
けれど、そうならなければこの温もりはなくなっていた。
「良かったのよ、これで……。生きているのが一番大切なのよ……」
ユウナは自分を納得させるようにそう呟いて、そっとサレイナの髪を撫でた。
「アルブランスにはお前たち3人に行ってもらう。出発は3日後だ。他の連中には俺から話す。明日は朝からノーシュを連れてさっきの部屋に来い。計画を伝える」
事務的な口調でそう言ったタンズィだったが、表情には安堵の色が見て取れた。大切な駒を失わずに済んだのだ。
とりあえず、今は。
ユウナはしっかりとサレイナを抱きしめたまま、タンズィですら危険と判断した計画と、その計画を利用しようとしているノーシュのことを考えていた。
中には何も置かれておらず、剥き出しの土の上に老若男女合わせて40人くらいの人間が蒼ざめた表情で座っていた。
三人が中に入ると、彼らは一斉に振り返り、多くの視線を一度に浴びて、サレイナが思わず小さな悲鳴を上げた。この少女は、本質的には内気で恥ずかしがり屋なのだ。
「ユウナ、お前は縁に座っていろ。サレイナ、お前はこっちに来い」
タンズィが深みのある声でそう命令した。ユウナは今逆らうのは得策ではないと考え、大人しく建物の隅に座った。
サレイナは一度不安げにユウナを見たが、ユウナがなるべく明るく笑って見せると、元気を取り戻したように微笑んだ。けれど、その微笑みも次の瞬間には消えてなくなる。
「お前たちの息子、娘、大切な人間は、すべてここにいる二人の少女が私怨により殺害した」
「え……?」
サレイナが思わず声を上げてタンズィを見上げる。
ユウナは唇を噛みしめてタンズィを睨み付けた。ここにいる人間は、すべてスーミやヨィリーたち、先の戦いで死んだ魔法使いの人質だ。魔法使いが死ねば人質は殺される。タンズィはそれをサレイナにさせようとしているのだ。
けれど、今回はそれだけではなかった。
「私はそれを非常に嘆かわしく思い、同時に強い憤りを感じる。そこで私は、お前たちにその恨みを晴らす機会を与えようと考えた」
「嘘よ!」
ユウナは叫びながら立ち上がった。
刹那、タンズィが振り向き様に手を振り、そこからナイフが風を切って閃いた。タンズィも魔法使いの訓練を受けた人間である。ナイフの扱いは部下に引けを取らなかった。
それにユウナも、まさかいきなりナイフを投げられるとは思っておらず、反応が一瞬遅れた。
素早く飛び退いたが、ナイフが腹に突き刺さるのが早かった。
ドスッという低い音ともに、ユウナの口から呻き声が漏れ、サレイナが悲鳴を上げた。
タンズィがユウナに近付き、彼女にだけ聞こえる声で言った。
「今逆らえば、俺はお前にもお前の人質にも一切の容赦はしない」
ユウナはナイフを抜き、“治癒”の魔法をかけながら一度だけ頷いた。この男は本気だ。ランドスを殺された日のことを思い出し、あきらめたようにナイフを置いて座り直した。
タンズィは再び人質に向き直ると、説明を続けた。彼らは皆、憎しみの目で二人を睨み付けていた。ユウナはそれを平然と受け止めていたが、サレイナはガクガクと震えている。
「お前たちにまず、この少女と戦う権利を与える。そしてこの少女を殺すことができたら、次は向こうで座っている少女だ。二人とも殺すことができたら、お前たちを解放してやろう」
なるほど、とユウナは思った。自分も連れてこられたのには意味があったのだ。
万が一サレイナが彼らに殺されるようなことがあっても、ユウナは彼らを殺すことに躊躇しない。タンズィにはそれがわかっていたのだ。
人質たちは今にも襲いかからん息遣いで立ち上がった。先にタンズィが与えていたのだろう。手には全員が同じナイフを持っている。
タンズィはサレイナにも同じナイフを手渡した。サレイナはそれを受け取ると、怯えたような表情で顔を上げた。
タンズィは何も言わずにユウナの座っている隣に立ち、腕を組んだ。サレイナは助けを乞うようにユウナを見、ユウナは思い詰めた表情で言った。
「サレイナ。殺さなければ、あなたのお姉さんも婚約者の人も、全員私が殺すことになるわ。私にそれをさせないで」
サレイナは真っ直ぐユウナを見つめていたが、やがてその場に力なくナイフを落とすとユウナの許に駆け寄った。そして驚くタンズィに構いもせず、ユウナの身体を抱きしめて、嗚咽を漏らしながら言った。
「私、ユウナのこと、好きよ。本当に……好きだし、感謝してる」
「サレイナ……」
「私、ユウナがいなかったら、きっともうここにはいなかった。この半年間、ユウナがいてくれたから頑張ってこられた。だから……」
サレイナはユウナから身体を離し、肩を持ったまま唇を引き結んだ。
「だから私、ユウナのために頑張るね。私は、私自身のためには人なんて殺せないから」
ユウナは大きく頷くと、少女を力付けるようにはっきりと言った。
「わかったわ、サレイナ。私のために、あの人たちを全員殺して。私はあなたがそうしてくれることを心から望んでいるから。もしも死んだりしたら、私はあなたを嫌いになる」
サレイナは真顔で一度頷くと、ユウナのナイフを手に取った。
「あなたにこれは使わせない」
きっぱりとそう宣言して40人を向き直ったサレイナの顔は、揺るぎない決意に満ちていた。
サレイナが再び元に位置に立つと、ユウナは真っ直ぐ彼女を見つめたまま静かに言った。
「あんたは、どこまでも卑怯は奴ね」
「いいや。これはいつもの殺人ゲームとはわけが違う」
ちらりと見上げると、確かにタンズィの顔にはいつもの残忍なものはなく、むしろ焦りさえ感じられた。
「この部隊にあの女は必要だ。だから、変わってもらわないと困る」
「あの子が変わると、本気で思ってるの?」
呆れたようにユウナが聞くと、タンズィは深く頷いてから、怪訝そうに見上げるユウナを細い目で見下ろした。
「お前だって、初めは人殺しなんかできる娘ではなかっただろう」
その一言は、ユウナの胸に凄まじい衝撃を与えた。
確かにユウナは、施設に入る前は人を殺すことなど考えられない娘だった。けれど今では、暗殺者の代表として選出されるほどになっている。
ユウナは自分が変わったなどと考えたことがなかった。もしも子供たちが今の自分を見たら、果たして昔のように微笑みかけてくれるだろうか。
「よし、じゃあ始めろ!」
ついにタンズィが号令をかけ、40人が一斉に雄叫びを上げながらサレイナに殺到した。
ユウナは子供たちへの思いを断ち切り、拳を握ってサレイナを見た。
数人が投げ付けたナイフを俊敏な動作で躱すと、サレイナは彼らと真っ向から戦うのを避け、一番端の方から迫り来る中年の女性の首にナイフを付き立て、そのまま集団の背後に回った。とても普通の人間について来られる速度ではない。サレイナは“強化”の魔法をかけていた。
背中から老婆の心臓をナイフでえぐると、引き抜き様腕を振り上げた若者の胸を刺した。
けれど、あまりにも相手は多勢である。ついに津波が町を飲み込むように取り囲まれ、小さな呻き声とともに血がしぶき上がった。
“浮遊”の魔法で勢いよく飛び上がった拍子に太股をざっくりとえぐられ、サレイナは苦痛の声を漏らした。さらに背中にナイフが突き刺さり、仰け反った腹部にも飛んできたナイフがめり込む。
だが、サレイナは魔法使いだ。すぐに“治癒”の魔法で回復させると、人のあまりいない場所に着地しつつ、二人の命をたちまちに奪い去った。
サレイナは顔中を汗で濡らしながら、鬼神のような表情で戦っていた。そして、戦いが始まってからずっと「ユウナのため」と繰り返していたが、次第にそれは人質たちの断末魔の叫びよりも大きくなっていた。
「ユウナのため! ユウナのために!」
サレイナのナイフは的確に人質の命を奪っていく。それでも、サレイナにも体力と精神力の限界があった。
攻撃を避けて後退した瞬間、死体に足を取られて、仰向けに倒れ込む。腹部をさらしたサレイナに覆い被さるように、人質の男がナイフを突き立てた。
「がはっ!」
喉から血を吹き、サレイナはもがいた。今の自分の力では男の身体を離せないと悟ると、男に“催眠”の魔法を使う。
けれど、男を蹴り飛ばし、立ち上がって怪我を治すより先に、今度は前と後ろからつかみかかられてサレイナは動きを束縛された。別の女が奇声を上げながらナイフを突き立てる。
サレイナの小さな肩に切っ先が食い込み、サレイナは絶叫した。首元に煌いたナイフを手の平を犠牲にして受け止めると、サレイナは苦痛のあまり涙を煌かせた。
「ごめん、ユウナ……」
サレイナの意識は真っ白になっていた。
ユウナは手に汗を握って戦況を見守っていたが、ついに我慢できなくなって立ち上がった。
自分の近くに落ちていたナイフを手に取ると、それをサレイナを取り囲んでいる人間に向かって投げ付ける。ナイフは少年の背中に突き刺さり、少年は叫び声を上げて倒れた。
「ユウナ!」
タンズィが咎めるような声を上げたが、ユウナは鋭い目で睨み付けて反論した。
「もう十分でしょ? あの子はもう十分自分から人を殺したわ。あんたは、あの子を殺したいんじゃないんでしょ?」
返事も聞かずに、ユウナは真っ直ぐサレイナのいる場所へ駆け寄ると、彼女を押さえ付けている二人に両手を当てて、いつかタンズィに使われた強力な“麻痺”の魔法を放った。
二人は奇妙な呻き声を上げ、背骨が折れるほど身体を反り返らせて絶命した。ユウナは一瞬の眩暈に堪え、ナイフを取って周囲の人間を刺し殺した。
「話が違うじゃないか! 一人ずつだろう!」
誰かがタンズィに向かって叫んだが、タンズィはうっすらと笑っただけだった。
ユウナのナイフが的確に急所を斬り裂き、人質の数は急激に減っていった。
元々集団を相手にする能力はないが、個人が相手なら鍛え上げられた戦士すら殺す自信がある。暗殺者とはそういうものだ。
いよいよ最後の一人も無傷のまま刺し殺すと、ユウナはすぐにサレイナに駆け寄った。
サレイナはすでに自分で怪我を治しており、血まみれの凄惨な顔でにっこりと笑いかけた。
「ありがとう。嫌われずに済んで、本当によかった」
心から安心したようにそう言うと、サレイナはナイフを落としてぐらりと身体を傾けた。
ユウナは慌てて戦友の身体を抱きしめ、思わず溢れてきた涙を拭いもせずに首を振った。
「私、サレイナのこと、嫌いになったりしないよ? ごめんね、こんなことさせて。私、サレイナに好きだって言ってもらえて本当に嬉しかったの。私も大好きよ」
サレイナはユウナの胸の中で嬉しそうに笑った。
「よかった……」
今度こそ本当に気を失って、サレイナはユウナに身体をあずけた。
ユウナは複雑な心境でいた。果たしてサレイナがこうして人殺しをできるようになったのは、良かったのか悪かったのか。
けれど、そうならなければこの温もりはなくなっていた。
「良かったのよ、これで……。生きているのが一番大切なのよ……」
ユウナは自分を納得させるようにそう呟いて、そっとサレイナの髪を撫でた。
「アルブランスにはお前たち3人に行ってもらう。出発は3日後だ。他の連中には俺から話す。明日は朝からノーシュを連れてさっきの部屋に来い。計画を伝える」
事務的な口調でそう言ったタンズィだったが、表情には安堵の色が見て取れた。大切な駒を失わずに済んだのだ。
とりあえず、今は。
ユウナはしっかりとサレイナを抱きしめたまま、タンズィですら危険と判断した計画と、その計画を利用しようとしているノーシュのことを考えていた。
0
あなたにおすすめの小説
エレンディア王国記
火燈スズ
ファンタジー
不慮の事故で命を落とした小学校教師・大河は、
「選ばれた魂」として、奇妙な小部屋で目を覚ます。
導かれるように辿り着いたのは、
魔法と貴族が支配する、どこか現実とは異なる世界。
王家の十八男として生まれ、誰からも期待されず辺境送り――
だが、彼は諦めない。かつての教え子たちに向けて語った言葉を胸に。
「なんとかなるさ。生きてればな」
手にしたのは、心を視る目と、なかなか花開かぬ“器”。
教師として、王子として、そして何者かとして。
これは、“教える者”が世界を変えていく物語。
いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持
空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。
その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。
※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。
※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。
元公爵令嬢は年下騎士たちに「用済みのおばさん」と捨てられる 〜今更戻ってこいと泣きつかれても献身的な美少年に溺愛されているのでもう遅いです〜
日々埋没。
ファンタジー
「新しい従者を雇うことにした。おばさんはもう用済みだ。今すぐ消えてくれ」
かつて婚約破棄され、実家を追放された元公爵令嬢のレアーヌ。
その身分を隠し、年下の冒険者たちの身の回りを世話する『メイド』として献身的に尽くしてきた彼女に突きつけられたのは、あまりに非情な追放宣告だった。
レアーヌがこれまで教育し、支えてきた若い男たちは、新しく現れた他人の物を欲しがり子悪魔メイドに骨抜きにされ、彼女を「加齢臭のする汚いおばさん」と蔑み、笑いながら追い出したのだ。
地位も、居場所も、信じていた絆も……すべてを失い、絶望する彼女の前に現れたのは、一人の美少年だった。
「僕とパーティーを組んでくれませんか? 貴方が必要なんです」
新米ながら将来の可能性を感じさせる彼は、レアーヌを「おばさん」ではなく「一人の女性」として、甘く狂おしく溺愛し始める。
一方でレアーヌという『真の支柱』を失った元パーティーは、自分たちがどれほど愚かな選択をしたかを知る由もなかった。
やがて彼らが地獄の淵で「戻ってきてくれ」と泣きついてきても、もう遅い。
レアーヌの隣には、彼女を離さないと誓った執着愛の化身が微笑んでいるのだから。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
灰の街の灯火と、名もなき英雄
にゃ-さん
ファンタジー
「英雄なんて、もういらない」
滅びかけた異世界〈グレンヘイム〉に転生した青年リオは、過去の記憶と引き換えに“世界の欠片”を託された。荒廃した街、心を失った住人たち、光を信じなくなった国。だが、灰の中でも灯は消えていなかった。
リオは仲間とともに、滅びの真実を探す旅へ出る。
守るためではなく――“誰かをもう一度信じるため”に。
運命に抗う者たちが紡ぐ、再生と希望のファンタジー。
ある日、私は事故で死んだ───はずなのに、目が覚めたら事故の日の朝なんですけど!?
ねーさん
恋愛
アイリスは十六歳の誕生日の前の日に、姉ヴィクトリアと幼なじみジェイドと共に馬車で王宮に向かう途中、事故に遭い命を落とした───はずだったが、目覚めると何故か事故の日の朝に巻き戻っていた。
何度もその日を繰り返して、その度事故に遭って死んでしまうアイリス。
何度目の「今日」かもわからなくなった頃、目が覚めると、そこにはヴィクトリアの婚約者で第三王子ウォルターがいた。
「明日」が来たんだわ。私、十六歳になれたんだ…
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる