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果てしなく広がる青い空の向こうに、深緑色の山々が見えた。草原の向こうには森が広がり、木々が日の光を受けて輝いている。
草原を割って真っ直ぐどこまでも続く道は、まるで明るい未来へと続く人生の象徴のように思えた。生まれてから一度も街を出たことがなかったユウナは、状況も忘れて瞳を輝かせた。
「世界って綺麗ね……」
うっとりした眼差しで言うと、隣を走る馬上の少女が明るく笑い、後ろの男がつまらなそうに鼻で笑った。イルエグルという、タンズィのつけた魔法使いである。
あまり仲良くなりたいタイプではないので、ユウナは彼を無視している。サレイナも積極的に話しかけようとはしなかった。
先頭を行くノーシュは無表情のままだ。けれど、その裏には普通の人と同じ顔があり、その胸には一国を動かすほどの計画を秘めていることを少女たちは知っている。それは二人とて同じだった。
考えるだけで思わず手綱を握る手が汗ばむ。ユウナはイルエグルに不用意に探られないようにするために、再び周囲に気を向けた。
まだブラウレスの領土内にいるが、二日も馬を飛ばせばやがてどこの国にも属さない無法地帯に入り、さらに三日後にアルブランスの領土に入る。
領土に入る時に道沿いに関所があるため、四人はその手前から道を逸れ、馬を置いてアルブランスに入る算段になっていた。
それから魔法で強化した脚で歩くこと三日でアルブランスの街に入る。街は街壁に囲まれており、城はその中にある。もちろん、城には城壁があり、街門、城門ともに城の監視が行き届いているという。
街には魔法で壁を越えたりはせず、真正面から門をくぐる計画になっていた。街に入るために行商人たちが持つ商売証を持っているため、小細工をするよりその方が安全だと考えたのだ。警備は厳重になっているはずだから、魔法を使っているところを人に見られでもしたらすべてが終わる。
「ねえ、サレイナ。サレイナはブラウレスを出たことがあるの?」
ユウナが明るい声で尋ねると、サレイナは少し驚いた顔をしてから、嬉しそうに頷いた。恐らくサレイナも、この緊迫した空気が嫌だったのだろう。
「ええ。父さんの商売で。アルブランスにも行ったことがあるわ」
「そうなんだ! それは心強いわ。どこか美味しいお店とかあったら教えてね!」
ユウナが声を弾ませると、後ろからイルエグルが低い声でたしなめた。
「お前たち、遊びに行くんじゃないんだぞ? 国の命運がかかった計画だという意識はあるのか?」
サレイナはすぐに申し訳なさそうに項垂れたが、もちろんそんなことに屈するユウナではなかった。
「じゃあずっと緊張してろって言うの? 街に入る時だって、明るく話していた方が自然よ。ブラウレスのために働こうって人間を監視するだけで、実際には何もしないあんたに、会話まで規制される覚えはないわ」
「俺はタンズィ様の命を受けてここにいるんだ。俺の命令はタンズィ様の命令だ!」
「私たちはそのタンズィ様より偉い人たちの命令でここにいるのよ。あんたがこの計画をやめろって言ったってやめられないように、あんたの発言には何の影響力もないの。あんたはタンズィ様の命令通り、監視だけしていればいいのよ。余計な口を出さないで」
まるで命を奪うべき敵を見つけたかのような細く鋭い目で睨み付けると、イルエグルは小さく呻いてから唾を吐いた。
ユウナはもうイルエグルの方は見ようとせず、また楽しそうにサレイナに話しかけた。サレイナは始めはイルエグルが気になっているようだったが、次第にユウナとの話に夢中になった。
ブラウレスを出た初日は、そうして何事もなく過ぎていった。
無法地帯に入ってから三日目の夜、三人は森の中で盗賊の集団に取り囲まれた。治安が良くないとは聞いていたが、まさか本当に出てくるとは思ってなかったので、ユウナは少し感動を覚えた。
もちろん、恐怖はない。この程度の盗賊は一人でだって倒す自信があった。
「ねえ、ノーシュ。こいつらにイルエグルを殺させようか?」
小声でノーシュに囁くと、長身の青年は少しだけ表情を崩してから首を振った。
「くだらないことは考えるな。あいつだってこんな連中、簡単に倒せるだろうし、むしろ守ってやる方が賢明だな」
「そうね」
一斉に襲いかかって来た盗賊に向かって、ユウナは小剣を煌かせた。ノーシュはダガーを抜く。城を襲撃された時と同じ武器だ。
違うと言えば、サレイナもダガーを持っていることだろう。体術に頼っていたサレイナだったが、ダガーの方が殺傷力が高いのは確かである。
サレイナは今度の計画を成功させるためには、人殺しを厭わない覚悟を決めていた。もちろん、計画とはノーシュのものである。
ユウナの剣の切っ先が斬りかかってきた男の心臓を正確に貫くと、別の男が喉から血を迸らせた。
サレイナは相変わらず「ユウナのため」と呟きながら、男の腹に刃を突き立てる。計画に関するすべてはユウナのためにすることを、少女自身が許可したのだ。
イルエグルの手並みは三人の気になるところだったが、彼も魔法など使うことなく、あっさりと二人の男を斬り捨てた。太刀筋はユウナの方が鋭いが、イルエグルもこんな盗賊ごときには負けない力を持っているらしい。
結局、盗賊たちは1分も経たない内に壊滅した。
暗殺者たちは何事もなかったかのように、血に染まったその場を後にした。
関所を回避するために、彼らは森の中に馬を放して山を登っていた。もちろん、“浮遊”の魔法を駆使しながらのことなのでそれほど疲れはないが、いつどこにアルブランスの人間がいるとも限らないので、常に気を張り詰めながらの行程となった。
山を越えると今度は草原の中をひたすら歩く。もう季節は夏に近付き、背がユウナの腰ほどに伸びた草を掻き分けての行軍は骨が折れたが、挫折するほど大変なものではなかった。
関所から完全に遠ざかると、彼らは行商人や旅人に気付かれないよう、真夜中に街道に乗った。それから不自然な速度で歩くのをやめると、約二日の後、ようやく前方のアルブランスの象徴とも言える高い尖塔が見えてきた。
「あれがアルブランスね……」
もちろん道の途中でいくつかの集落は見てきたが、ブラウレスと同じ規模の人間がいる街を他に見たことがなかったので、ユウナの胸は躍っていた。
サレイナが楽しそうに微笑むと、ユウナは屈託のない笑顔を向けた。
「私ね、ブラウレスが世界のすべてだって思っていたの。生きるだけで必死だったから、街壁の外のことなんて考えたこともなかった。施設で初めて、他にも街があるんだって教わったけど、知識として知っただけだからね」
言葉を切ると、サレイナが驚いた顔をしていて、すぐにユウナは、珍しく自分が過去を話していたことに気が付いた。
「生きるだけで必死だったの?」
サレイナは聞いてはいけないことだとは思いながらも、愛する少女の過去がどうしても気になったのでそう尋ねた。
ユウナはちらりとイルエグルを見た。ノーシュに聞かれるのはともかく、この男にはあまり自分のことを知られたくなかったが、生憎イルエグルも話を聞いているようだった。もちろん、表面上は無関心を装っていたが。
ユウナは溜め息をついてから、なるべく小声で言った。
「私、孤児だったのよ。孤児院で育って、その孤児院がなくなってからは、同じ施設の子供たちと教会で暮らしていたの」
「じゃあ、その子たちを?」
サレイナが悲しげに表情をゆがめた。もちろん、人質の話である。
ユウナが無言で頷くと、珍しくノーシュが口を開いた。
「孤児だったのに、よくタンズィはお前が魔法使いだってわかったな。魔法を使っているところを見られたのか?」
ノーシュは無表情のままユウナを振り返った。昔ならともかく、今では自分の計画をともに遂行しようとしている仲間である。気にならないはずはなかった。
ユウナは久しぶりに母親の名前を思い出した。
シンシア・アドレイル。
タンズィが「さすがはシンシアの娘」と言っていたが、彼女が有名なのかどうか、ユウナは知らない。もちろん、ノーシュやサレイナの前でも一度も口にしたことがなかった。
ユウナは話すべきかどうか迷ったが、今はやめておくことにした。孤児であることはともかく、この話はイルエグルに聞かれたくなかったし、ノーシュやサレイナがシンシアを知っている可能性が怖かった。
ユウナは彼女を知らないのだ。自分がシンシアの娘であることが、ノーシュやサレイナにとってマイナスである可能性もないわけではない。
「私は知らないけど、きっと見られたんでしょうね。生きるために、魔法を使って色々悪さをしてたから」
「お前が悪さか」
ノーシュが楽しそうに笑い、ユウナは「意外?」と尋ねた。ノーシュは首を振った。
「別に俺は。サレイナには意外だったんじゃないのか?」
ユウナが見ると、サレイナはその通りだと言うように、こくこくと首を振った。答えがわかっている上で、ユウナは冗談めかして聞いた。
「私のこと、嫌いになった?」
「う、ううん。ユウナはユウナだし、それに、今さら悪人も何もないわ。私もユウナも、今じゃ同じ大悪人よ」
必死になって言い繕うサレイナが可愛くて、ユウナは思わず顔を綻ばせてサレイナの手を取った。
「ありがとう、サレイナ。大悪人同士仲良くしようね」
前を向くと、ノーシュが小さく肩を震わせていた。笑っているようである。彼はユウナとサレイナがキスしようとしている現場を目撃しているのだ。
「お前たち、どっちか片方、男に生まれればよかったのにな」
ノーシュが必死に笑いを押し殺した声でそう言って、サレイナは頬を赤くして俯いた。
「いいじゃない、別に、女同士だって。ノーシュだって、いきなり現れた美少年に恋するかも知れないわよ?」
ユウナが意地悪くそう言うと、とうとう堪え切れなかったようにノーシュが笑い出し、イルエグルが驚いたように彼を見た。
サレイナはさっきより余計に赤くなって、ユウナと手をつないだまま俯いていた。
そうして四人は、アルブランスの街門に辿り着いた。街壁はそれほど高くなく、魔法を使えばあっさり越えられそうだった。
門には警備の兵士が4人いたが、一行は始終和やかな雰囲気だったので、商売証を見せたらあっさりと通ることができた。結果的に、ユウナの言った通りになったのだ。
「お前たち、いよいよアルブランスだってのに、緊張感のかけらもないんだな。本当に成功させる気はあるのか?」
新しい世界を目の前にして声を上げてはしゃいでいるユウナに向かって、イルエグルがあきれたように言った。
ユウナは機嫌が良かったので、イルエグルを相手にしながらも温和な表情で言い返した。
「もちろんよ。死にたくないもの。あなたに言われなくたって全力を尽くすわ」
もちろん、ノーシュの計画に。ユウナは心の中でそう付け加えた。
アルブランスの往来は人がひっきりなしに通り過ぎ、道々には行商人が露店を出して、最高潮の賑わいを見せていた。人々の顔は明るく、生活に対する緊張感は窺えない。
「本当に、この国の人がブラウレスに暗殺者を差し向けてきたのかしら」
アルブランスがブラウレスを侵略しようと、城に暗殺者を送り込んできたのは確かだった。けれど、街にはこれから戦争が起こるかも知れないという雰囲気はない。
ノーシュが隣に立って小声で言った。
「逆さ。いつ戦争が始まっておかしくないから、みんな無事でいる毎日を楽しんでいるのさ」
「おかしな話ね。平和な時より笑顔が眩しいなんて」
ユウナは真顔でそう呟いた。
もしもタンズィに見つからず、教会で城が襲撃された噂を耳にしていたら、自分もブラウレスの街でこうして笑っていたのだろうか。それとも、アルブランスが攻めてくるかもしれないという恐怖に、毎日びくびくしていただろうか。
ユウナは、きっと前者だと思った。誰だって笑っていたいのだ。自分の力でどうすることもできない恐怖に怯えているより、どんな理由を付けても笑っていた方がいい。
(でも、今の私は後者だ)
今の自分は、自分の力でどうにかすることができるだけでなく、実際に戦争を引き起こそうとしているのだ。
目の前にいる人々が自分のせいで戦争に駆り出されるかも知れない。そして、ブラウレスの人間に殺されるかも知れないと思ったら、ユウナは急に怖くなった。
思わずサレイナの手をきつく握ると、サレイナは一瞬驚いた顔をしてから、にっこりと微笑んだ。
「大丈夫よ、ユウナ。きっとうまくいくわ」
もちろん、怖がりで悲観的なサレイナは、心からそう思っているわけではなかったが、前向きで楽観的なユウナはその言葉に励まされた。
「そうね。きっとうまくいくね」
ユウナは澄んだ瞳でサレイナを見つめ、小さく頷いて微笑み返した。
草原を割って真っ直ぐどこまでも続く道は、まるで明るい未来へと続く人生の象徴のように思えた。生まれてから一度も街を出たことがなかったユウナは、状況も忘れて瞳を輝かせた。
「世界って綺麗ね……」
うっとりした眼差しで言うと、隣を走る馬上の少女が明るく笑い、後ろの男がつまらなそうに鼻で笑った。イルエグルという、タンズィのつけた魔法使いである。
あまり仲良くなりたいタイプではないので、ユウナは彼を無視している。サレイナも積極的に話しかけようとはしなかった。
先頭を行くノーシュは無表情のままだ。けれど、その裏には普通の人と同じ顔があり、その胸には一国を動かすほどの計画を秘めていることを少女たちは知っている。それは二人とて同じだった。
考えるだけで思わず手綱を握る手が汗ばむ。ユウナはイルエグルに不用意に探られないようにするために、再び周囲に気を向けた。
まだブラウレスの領土内にいるが、二日も馬を飛ばせばやがてどこの国にも属さない無法地帯に入り、さらに三日後にアルブランスの領土に入る。
領土に入る時に道沿いに関所があるため、四人はその手前から道を逸れ、馬を置いてアルブランスに入る算段になっていた。
それから魔法で強化した脚で歩くこと三日でアルブランスの街に入る。街は街壁に囲まれており、城はその中にある。もちろん、城には城壁があり、街門、城門ともに城の監視が行き届いているという。
街には魔法で壁を越えたりはせず、真正面から門をくぐる計画になっていた。街に入るために行商人たちが持つ商売証を持っているため、小細工をするよりその方が安全だと考えたのだ。警備は厳重になっているはずだから、魔法を使っているところを人に見られでもしたらすべてが終わる。
「ねえ、サレイナ。サレイナはブラウレスを出たことがあるの?」
ユウナが明るい声で尋ねると、サレイナは少し驚いた顔をしてから、嬉しそうに頷いた。恐らくサレイナも、この緊迫した空気が嫌だったのだろう。
「ええ。父さんの商売で。アルブランスにも行ったことがあるわ」
「そうなんだ! それは心強いわ。どこか美味しいお店とかあったら教えてね!」
ユウナが声を弾ませると、後ろからイルエグルが低い声でたしなめた。
「お前たち、遊びに行くんじゃないんだぞ? 国の命運がかかった計画だという意識はあるのか?」
サレイナはすぐに申し訳なさそうに項垂れたが、もちろんそんなことに屈するユウナではなかった。
「じゃあずっと緊張してろって言うの? 街に入る時だって、明るく話していた方が自然よ。ブラウレスのために働こうって人間を監視するだけで、実際には何もしないあんたに、会話まで規制される覚えはないわ」
「俺はタンズィ様の命を受けてここにいるんだ。俺の命令はタンズィ様の命令だ!」
「私たちはそのタンズィ様より偉い人たちの命令でここにいるのよ。あんたがこの計画をやめろって言ったってやめられないように、あんたの発言には何の影響力もないの。あんたはタンズィ様の命令通り、監視だけしていればいいのよ。余計な口を出さないで」
まるで命を奪うべき敵を見つけたかのような細く鋭い目で睨み付けると、イルエグルは小さく呻いてから唾を吐いた。
ユウナはもうイルエグルの方は見ようとせず、また楽しそうにサレイナに話しかけた。サレイナは始めはイルエグルが気になっているようだったが、次第にユウナとの話に夢中になった。
ブラウレスを出た初日は、そうして何事もなく過ぎていった。
無法地帯に入ってから三日目の夜、三人は森の中で盗賊の集団に取り囲まれた。治安が良くないとは聞いていたが、まさか本当に出てくるとは思ってなかったので、ユウナは少し感動を覚えた。
もちろん、恐怖はない。この程度の盗賊は一人でだって倒す自信があった。
「ねえ、ノーシュ。こいつらにイルエグルを殺させようか?」
小声でノーシュに囁くと、長身の青年は少しだけ表情を崩してから首を振った。
「くだらないことは考えるな。あいつだってこんな連中、簡単に倒せるだろうし、むしろ守ってやる方が賢明だな」
「そうね」
一斉に襲いかかって来た盗賊に向かって、ユウナは小剣を煌かせた。ノーシュはダガーを抜く。城を襲撃された時と同じ武器だ。
違うと言えば、サレイナもダガーを持っていることだろう。体術に頼っていたサレイナだったが、ダガーの方が殺傷力が高いのは確かである。
サレイナは今度の計画を成功させるためには、人殺しを厭わない覚悟を決めていた。もちろん、計画とはノーシュのものである。
ユウナの剣の切っ先が斬りかかってきた男の心臓を正確に貫くと、別の男が喉から血を迸らせた。
サレイナは相変わらず「ユウナのため」と呟きながら、男の腹に刃を突き立てる。計画に関するすべてはユウナのためにすることを、少女自身が許可したのだ。
イルエグルの手並みは三人の気になるところだったが、彼も魔法など使うことなく、あっさりと二人の男を斬り捨てた。太刀筋はユウナの方が鋭いが、イルエグルもこんな盗賊ごときには負けない力を持っているらしい。
結局、盗賊たちは1分も経たない内に壊滅した。
暗殺者たちは何事もなかったかのように、血に染まったその場を後にした。
関所を回避するために、彼らは森の中に馬を放して山を登っていた。もちろん、“浮遊”の魔法を駆使しながらのことなのでそれほど疲れはないが、いつどこにアルブランスの人間がいるとも限らないので、常に気を張り詰めながらの行程となった。
山を越えると今度は草原の中をひたすら歩く。もう季節は夏に近付き、背がユウナの腰ほどに伸びた草を掻き分けての行軍は骨が折れたが、挫折するほど大変なものではなかった。
関所から完全に遠ざかると、彼らは行商人や旅人に気付かれないよう、真夜中に街道に乗った。それから不自然な速度で歩くのをやめると、約二日の後、ようやく前方のアルブランスの象徴とも言える高い尖塔が見えてきた。
「あれがアルブランスね……」
もちろん道の途中でいくつかの集落は見てきたが、ブラウレスと同じ規模の人間がいる街を他に見たことがなかったので、ユウナの胸は躍っていた。
サレイナが楽しそうに微笑むと、ユウナは屈託のない笑顔を向けた。
「私ね、ブラウレスが世界のすべてだって思っていたの。生きるだけで必死だったから、街壁の外のことなんて考えたこともなかった。施設で初めて、他にも街があるんだって教わったけど、知識として知っただけだからね」
言葉を切ると、サレイナが驚いた顔をしていて、すぐにユウナは、珍しく自分が過去を話していたことに気が付いた。
「生きるだけで必死だったの?」
サレイナは聞いてはいけないことだとは思いながらも、愛する少女の過去がどうしても気になったのでそう尋ねた。
ユウナはちらりとイルエグルを見た。ノーシュに聞かれるのはともかく、この男にはあまり自分のことを知られたくなかったが、生憎イルエグルも話を聞いているようだった。もちろん、表面上は無関心を装っていたが。
ユウナは溜め息をついてから、なるべく小声で言った。
「私、孤児だったのよ。孤児院で育って、その孤児院がなくなってからは、同じ施設の子供たちと教会で暮らしていたの」
「じゃあ、その子たちを?」
サレイナが悲しげに表情をゆがめた。もちろん、人質の話である。
ユウナが無言で頷くと、珍しくノーシュが口を開いた。
「孤児だったのに、よくタンズィはお前が魔法使いだってわかったな。魔法を使っているところを見られたのか?」
ノーシュは無表情のままユウナを振り返った。昔ならともかく、今では自分の計画をともに遂行しようとしている仲間である。気にならないはずはなかった。
ユウナは久しぶりに母親の名前を思い出した。
シンシア・アドレイル。
タンズィが「さすがはシンシアの娘」と言っていたが、彼女が有名なのかどうか、ユウナは知らない。もちろん、ノーシュやサレイナの前でも一度も口にしたことがなかった。
ユウナは話すべきかどうか迷ったが、今はやめておくことにした。孤児であることはともかく、この話はイルエグルに聞かれたくなかったし、ノーシュやサレイナがシンシアを知っている可能性が怖かった。
ユウナは彼女を知らないのだ。自分がシンシアの娘であることが、ノーシュやサレイナにとってマイナスである可能性もないわけではない。
「私は知らないけど、きっと見られたんでしょうね。生きるために、魔法を使って色々悪さをしてたから」
「お前が悪さか」
ノーシュが楽しそうに笑い、ユウナは「意外?」と尋ねた。ノーシュは首を振った。
「別に俺は。サレイナには意外だったんじゃないのか?」
ユウナが見ると、サレイナはその通りだと言うように、こくこくと首を振った。答えがわかっている上で、ユウナは冗談めかして聞いた。
「私のこと、嫌いになった?」
「う、ううん。ユウナはユウナだし、それに、今さら悪人も何もないわ。私もユウナも、今じゃ同じ大悪人よ」
必死になって言い繕うサレイナが可愛くて、ユウナは思わず顔を綻ばせてサレイナの手を取った。
「ありがとう、サレイナ。大悪人同士仲良くしようね」
前を向くと、ノーシュが小さく肩を震わせていた。笑っているようである。彼はユウナとサレイナがキスしようとしている現場を目撃しているのだ。
「お前たち、どっちか片方、男に生まれればよかったのにな」
ノーシュが必死に笑いを押し殺した声でそう言って、サレイナは頬を赤くして俯いた。
「いいじゃない、別に、女同士だって。ノーシュだって、いきなり現れた美少年に恋するかも知れないわよ?」
ユウナが意地悪くそう言うと、とうとう堪え切れなかったようにノーシュが笑い出し、イルエグルが驚いたように彼を見た。
サレイナはさっきより余計に赤くなって、ユウナと手をつないだまま俯いていた。
そうして四人は、アルブランスの街門に辿り着いた。街壁はそれほど高くなく、魔法を使えばあっさり越えられそうだった。
門には警備の兵士が4人いたが、一行は始終和やかな雰囲気だったので、商売証を見せたらあっさりと通ることができた。結果的に、ユウナの言った通りになったのだ。
「お前たち、いよいよアルブランスだってのに、緊張感のかけらもないんだな。本当に成功させる気はあるのか?」
新しい世界を目の前にして声を上げてはしゃいでいるユウナに向かって、イルエグルがあきれたように言った。
ユウナは機嫌が良かったので、イルエグルを相手にしながらも温和な表情で言い返した。
「もちろんよ。死にたくないもの。あなたに言われなくたって全力を尽くすわ」
もちろん、ノーシュの計画に。ユウナは心の中でそう付け加えた。
アルブランスの往来は人がひっきりなしに通り過ぎ、道々には行商人が露店を出して、最高潮の賑わいを見せていた。人々の顔は明るく、生活に対する緊張感は窺えない。
「本当に、この国の人がブラウレスに暗殺者を差し向けてきたのかしら」
アルブランスがブラウレスを侵略しようと、城に暗殺者を送り込んできたのは確かだった。けれど、街にはこれから戦争が起こるかも知れないという雰囲気はない。
ノーシュが隣に立って小声で言った。
「逆さ。いつ戦争が始まっておかしくないから、みんな無事でいる毎日を楽しんでいるのさ」
「おかしな話ね。平和な時より笑顔が眩しいなんて」
ユウナは真顔でそう呟いた。
もしもタンズィに見つからず、教会で城が襲撃された噂を耳にしていたら、自分もブラウレスの街でこうして笑っていたのだろうか。それとも、アルブランスが攻めてくるかもしれないという恐怖に、毎日びくびくしていただろうか。
ユウナは、きっと前者だと思った。誰だって笑っていたいのだ。自分の力でどうすることもできない恐怖に怯えているより、どんな理由を付けても笑っていた方がいい。
(でも、今の私は後者だ)
今の自分は、自分の力でどうにかすることができるだけでなく、実際に戦争を引き起こそうとしているのだ。
目の前にいる人々が自分のせいで戦争に駆り出されるかも知れない。そして、ブラウレスの人間に殺されるかも知れないと思ったら、ユウナは急に怖くなった。
思わずサレイナの手をきつく握ると、サレイナは一瞬驚いた顔をしてから、にっこりと微笑んだ。
「大丈夫よ、ユウナ。きっとうまくいくわ」
もちろん、怖がりで悲観的なサレイナは、心からそう思っているわけではなかったが、前向きで楽観的なユウナはその言葉に励まされた。
「そうね。きっとうまくいくね」
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