1 / 1
ある医師のおはなし
しおりを挟む
「先生。ありがとうございました。すっかり元気になりました」
今日も患者さんが来ました。
大学病院で医師として一日に何十人もの患者さんを診ていると、いろいろな人に会います。一度きりということはほとんどなく、同じ患者さんとは何度も会うことが多いものです。
やっとのことで病気が治った患者さんの中には、診療時間外でも訪ねてくることがあります。謝礼と菓子折りを持参することが多いのです。ちょっと前は、一週間に一度くらいのペースでしたが、この一カ月間は毎日誰かが訪ねてきます。
わたしは、困っているのです。
それはなぜかというと、謝礼と菓子折りを受け取るのが嫌だということではなく、現実的ではないからです。あってはならないことを認めるわけにはいかないのです。
ルールがありますから。
夜の九時以降にドアがノックされると、ドアを開けて入ってくることはなく、いつもわたしがドアを開けます。ドアを開けると、患者さんは笑顔ですが、わたしはちょっと複雑な表情になってしまうのです。なぜかというと、膝から下の足の部分がないからです。丁寧にあいさつをするので、追い返すこともできず、つい招き入れてしまいます。それがいけなかったのでしょう。ずるずると対応してしまいました。
でも、やめることにしました。
患者さんのためにも、はっきり伝えないと成仏できないと考えたからです。
きっと、今日も来るでしょう。そろそろ九時になります。
《トントン》
やっぱり来ました。
わたしは、いつものように招き入れましたが、今回はソファーに座ってもらいました。それは患者さんにとっての真実を、じっくり伝えたいからです。
《トントン》
ところが、わたしが患者さんに伝えようと思ったとき、再びノック音が聞こえました。
なんとドアを開けると、別の患者さんが立っていて笑っていました。
それからさらに同じことが四度あり、患者さんは全員で六人になりました。
「みなさん。どうしたのですか」
わたしは、つくり笑いを浮かべながらも、丁寧に説明しなくてはと思い、全員をソファーに座らせました。みんな笑顔でわたしを見ています。
わたしは、気が重かったのですが真実を伝えました。わたしは目をつむり、その間に去って行かれることを願いました。
しばらくして、わたしは目を開けました。しかし、六人は座ったままです。さらに笑っているように見えました。
「どうしたのですか。わたしの説明が足りなかったのですか」
「そんなことはありません。先生のお話は十分理解できましたよ。今日お伺いしたのは、先生をお迎えする準備が整ったことを、お伝えするためです」
一同の視線の先は、私の足元にありました。
わたしは、自分の足を見ました。
膝から下がありませんでした。
追伸
翌日、この医師は外来診療を終えた後、スタッフの一人ひとりに丁寧に挨拶をしました。
あまりにも丁寧だったので、戸惑った方もいましたが、多くの方は笑顔を返していました。
医師はロッカーで私服(スーツ)に着替え、病院のメインエントランスから出てきました。一歩、二歩、三歩……九歩目を踏み出したとき、その場に座り込むように倒れました。
心筋梗塞でした。
たまたまその様子を見ていた病院のスタッフが
「心筋梗塞と聞いてビックリしました。先生は立ち止まって、ゆっくりしゃがみながら膝をつきました。ひざまずくという感じです。それに、苦しそうな表情ではありません。穏やかな笑顔でした。孫に語りかけるおじいさんのような表情をしていました」
今日も患者さんが来ました。
大学病院で医師として一日に何十人もの患者さんを診ていると、いろいろな人に会います。一度きりということはほとんどなく、同じ患者さんとは何度も会うことが多いものです。
やっとのことで病気が治った患者さんの中には、診療時間外でも訪ねてくることがあります。謝礼と菓子折りを持参することが多いのです。ちょっと前は、一週間に一度くらいのペースでしたが、この一カ月間は毎日誰かが訪ねてきます。
わたしは、困っているのです。
それはなぜかというと、謝礼と菓子折りを受け取るのが嫌だということではなく、現実的ではないからです。あってはならないことを認めるわけにはいかないのです。
ルールがありますから。
夜の九時以降にドアがノックされると、ドアを開けて入ってくることはなく、いつもわたしがドアを開けます。ドアを開けると、患者さんは笑顔ですが、わたしはちょっと複雑な表情になってしまうのです。なぜかというと、膝から下の足の部分がないからです。丁寧にあいさつをするので、追い返すこともできず、つい招き入れてしまいます。それがいけなかったのでしょう。ずるずると対応してしまいました。
でも、やめることにしました。
患者さんのためにも、はっきり伝えないと成仏できないと考えたからです。
きっと、今日も来るでしょう。そろそろ九時になります。
《トントン》
やっぱり来ました。
わたしは、いつものように招き入れましたが、今回はソファーに座ってもらいました。それは患者さんにとっての真実を、じっくり伝えたいからです。
《トントン》
ところが、わたしが患者さんに伝えようと思ったとき、再びノック音が聞こえました。
なんとドアを開けると、別の患者さんが立っていて笑っていました。
それからさらに同じことが四度あり、患者さんは全員で六人になりました。
「みなさん。どうしたのですか」
わたしは、つくり笑いを浮かべながらも、丁寧に説明しなくてはと思い、全員をソファーに座らせました。みんな笑顔でわたしを見ています。
わたしは、気が重かったのですが真実を伝えました。わたしは目をつむり、その間に去って行かれることを願いました。
しばらくして、わたしは目を開けました。しかし、六人は座ったままです。さらに笑っているように見えました。
「どうしたのですか。わたしの説明が足りなかったのですか」
「そんなことはありません。先生のお話は十分理解できましたよ。今日お伺いしたのは、先生をお迎えする準備が整ったことを、お伝えするためです」
一同の視線の先は、私の足元にありました。
わたしは、自分の足を見ました。
膝から下がありませんでした。
追伸
翌日、この医師は外来診療を終えた後、スタッフの一人ひとりに丁寧に挨拶をしました。
あまりにも丁寧だったので、戸惑った方もいましたが、多くの方は笑顔を返していました。
医師はロッカーで私服(スーツ)に着替え、病院のメインエントランスから出てきました。一歩、二歩、三歩……九歩目を踏み出したとき、その場に座り込むように倒れました。
心筋梗塞でした。
たまたまその様子を見ていた病院のスタッフが
「心筋梗塞と聞いてビックリしました。先生は立ち止まって、ゆっくりしゃがみながら膝をつきました。ひざまずくという感じです。それに、苦しそうな表情ではありません。穏やかな笑顔でした。孫に語りかけるおじいさんのような表情をしていました」
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
十年目の結婚記念日
あさの紅茶
ライト文芸
結婚して十年目。
特別なことはなにもしない。
だけどふと思い立った妻は手紙をしたためることに……。
妻と夫の愛する気持ち。
短編です。
**********
このお話は他のサイトにも掲載しています
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
幼馴染みの君が言うには
六つ花えいこ
青春
「おかえりなさい」
「あぁ、いらっしゃい」
同じマンションに住む陽介と実里は幼馴染。
最近では話すことさえなくなった二人であったが、ひょんなことから、実里は陽介のために毎晩家に通っておさんどんをすることになった。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
手と手を合わせて、心を繋いでいく二人の、のんびりとしたお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる