いつものカクテル

ぬくまろ

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いつものカクテル

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「ちょっとよろしいでしょうか。ここ空いていますか?」
 わたしがカクテルを飲んでいると、誰かが声をかけてきた。振り向くと、スーツを着た三十代と思われるサラリーマン風の男性が立っていた。

 わたしはフラれていた。
 婚約寸前までいっていたのに、一週間ほど前に、非情な電話があった。
「ぼくの言葉をしっかり聞いてくれ。結婚できなくなった。ごめん。ぼくは君に相応しい人ではないんだ。さようなら。ほんとうに、ごめん」
 電話が切れた後、スマホを握ったまま立ちつくしていた。
「今のは何? えっ」確かにあの人の声だ。
 わたしはいつもの番号をプッシュした。彼が出た。わたしだけど……「ごめん。そういうことなんだ」そして切れた。
 間違いじゃなかったんだ。そう思った瞬間。わたしは号泣した。泣き終わっても、また泣いた。何度繰り返したのだろう。気がついたら、朝陽が射し込んでいた。理由は彼の友人経由でもわからなかった。なぜなら、彼の部屋は空っぽだったのだ。
 夜逃げだろう……友人のひとりはそう言った。
 そんなに借金があったのか……金のかかる趣味でもあったのだろう……そんな声も聞こえてきた。

 この店は彼とデートのたびに来たところ。
 ここに来れば、彼に会えるかもしれない……とにかく何かを聞きたい……わたしの中に未練があった。
 いつものように、いつものカクテルを飲んでいたとき、見知らぬ男性が声をかけてきたのだ。
 別れた彼とは似ていなかった。ナンパされているのかと直感したけれど、無視する力もなくうつむくしかなかった。
「もう一杯どうですか。おごらせてください」
 男性はそう言って、わたしの返事を待たず、勝手に注文してしまった。
 ずいぶん強引で失礼な人……不快になりかけたとき
「表層雪崩って知ってますか。古くて固い雪の上を新雪が滑り落ちるんですよ。ゴォーって、ものすごい音がするんですよ。まいっちゃいますよね。動けないんですよ」

 次の日、電話が入った。
 彼がいた。スノーボードの練習をしていたとき、雪崩に巻き込まれたらしい。地元の人に発見された。わたしは、すぐ会いに行った。彼はきれいな顔をしていた。会えなかった分、涙が雪崩になった。

 そして東京に戻ってきてから、いつものお店に通い続けている。
 隣の席を空け、いつものカクテルで。
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