彼女が自首します。

ぬくまろ

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彼女が自首します。

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「わたし、殺しちゃった」
 連絡があったのは昨日の夜だ。ケータイから漏れる声。彼女の声であることはすぐにわかったが、最初は何を言っているのかわからなかった。

「もう、どうしようもないんだよね」
 僕に言っているのか。自分に言い聞かせているのか。わからない。

「わたし、ねぇっ! 殺しちゃったんだよぉ!」
 声が大きく震えた。僕になんと言ってほしいのか。僕に何を求めているのか。

「ねぇっ! サトシっ! 聞いてるのっ!」
『冗談だよ。ドッキリだよ』彼女の次の言葉を期待した。

「どうしよう。助けて! ねぇっ! サトシっ! 助けてよっ!」
 泣き声はうねりを伴なって耳に響いた。耳が痛くなった。
 僕は我に返った。

「冗談だろ。こんな夜にやめろよ。明日、仕事なんだから」
 僕は無理やり、言葉を投げた。彼女の言葉をこれ以上聞くのが怖かったからだ。

「真剣にぃ、聞いてよぉっ!」
 嗚咽が始まった。

 僕は彼女の家にすっ飛んで行った。

 彼女の家に着いて、ドアを開けた。
 彼女はリビングの床に座っていた。うなだれていた。
 僕は彼女の部屋を見回した。
「あー」
 僕はホッとした。
「誰も倒れていないじゃないか。冗談はやめろよ。きっと疲れているんだよ。もう寝な」と言って、彼女の肩を抱いた。
「えっ?」
 僕はハッとした。彼女の肩が震えていたのだ。
 尋常な震えではない。僕は怖くなった。なぜか、逃げたいと思った。

 僕は彼女から話を聞いた。
「嘘だろ」
 納得したくなかった。絶対に。
 自分の目で彼女の嘘を確かめたかったので、その場所へ二人で向かった。
 高校時代から仲が良かった彼女の親友、クミコの家だ。
 ドアは施錠されていなかった。
 そのドアを開けたとき、僕は彼女の嘘を確かめることは不可能であると知った。百パーセント不可能だった。
 クミコは、リビングの床に仰向けで寝ていた。お腹から血を流して寝ていた。
「寝ているだけだろ。とにかく、ベッドに寝かせようよ。クミコも疲れているだけだ。少し休んだら、目覚めるよ。布団をかけてあげよう」
 そう思いたかった。しかし、僕の声はむなしく響くだけだった。

 僕と彼女はドアをゆっくり閉め、クミコの家を出た。
 ずっと無言だった。
 電車に乗った。
 なんの関係もない人たちと一緒にいるほうが落ち着くと思ったからだ。
 いくつかの電車を乗り継ぎ、二重橋前駅で降りた。
 
 皇居の周りを歩きながら話した。
 出会った頃のこと。映画を見たこと。
 親に内緒で旅行したこと。
 初めての車を買ってドライブしたこと。
 でも、未来のことは出てこなかった。
 だって、書きかけだった未来へのシナリオがすっ飛んでしまったんだ。
 彼女の名前はサトコ。

「ビンタのつもりだったの。たまたまナイフがあっただけなの。クミコがナイフを出しっぱなしにしたからいけないのよ」
 サトコの声は、空にむなしく吸い込まれた。
「自首したほうがいいかな」
 僕は無言だった。

「もう一周歩こうか」
「ううん。自首する」
「いつ?」
「もう」
「もう?」
 近くには警察署があったかな。丸の内警察署だったかな。
 そう思いながら、サトコと歩いた。
「サトコ、交番にしな。大きい警察署だと、たくさんのおまわりさんに囲まれるからさ。そういうの嫌だろ」
 僕はなぜがそう提案した。


 間もなく事件は発覚した。

 僕はテレビをつけた。
「これだ」
 夕方のニュース番組でやっていた。
 警察のワンボックスが映し出された。
『ビンタのつもりだったの』
 彼女の言葉が頭の中でこだまする。

“大田区のOLが殺害された事件の容疑者が蒲田警察署に移送されます。沼田聡容疑者は……”
「なにっ! なんだとぉ!」
 僕は耳を疑った。
「リポーターが僕を呼んでいる? 確か、容疑者って言ったよな。ヌマタサトシ容疑者って。でも、僕はここにいるよ。移送なんかされていないし。僕は自分の家でテレビを見ているじゃないか。いつものビールを飲んでいるし。ほら、手にはグラスがある」
 僕は疲れているんだ。だって、大切な彼女がそうなったんだもん、と思ったとき、
 テレビに映った。
「僕の顔だあー! 僕の顔だあー! なぜだあー!」
 僕は叫んだ。
「うおーっ! うおーっ!」
 両拳を握りしめ、叫んだ。
 すると
「えーっ! えーっ! なんだこりゃあー!」
 僕の手が変わっていく。どんどん変わっていく。両拳が小さくなっていく。

「くぉぉぉーっ! なんだあー! くぇっ! サトコの手じゃねぇか。サトコぉ?」
 僕の手が、いつもつないでいたサトコの手に変わった。

「肘まで? 肩まで? くぉぉぉーっ! 胸、お腹? くぉぉぉーっ! 足まで変わったーっ! くぉぉぉーっ! 髪の毛が伸びたぁーっ!」
 すると今度は
「ん? 壁? えっ? 天井? 床もだぁ! なぜ?」
 変わっていく。どんどん変わっていく。止まらない。僕の震えも止まらない。

「なんだぁ? サトコの部屋じゃないか。僕はサトコの部屋にいるよ。なぜだ。おかしいよ。僕は僕だよ。いつものビールだって。ほら。えっ? ない、ない、ないよ。おかしいよ」
 僕はサトコになり、僕の部屋はサトコの部屋になった。
 僕はもう何が何だかわからなくなってきた。
 
“沼田聡容疑者は殺害した後、被害者をベッドに寝かせ、布団をかけました。少しでも事件の発覚を遅らせようとしていたのでしょうか。どこか遠くへ逃亡しようとしていたのかもしれません”

「僕の名前がまた呼ばれた。同じだ。さっきと変わっていない。僕の部屋とサトコの部屋のテレビは同じものを映しているぞ。どういうことだ。へっ?」
 それに
「布団をかけた? 事件の発覚を恐れて? 冗談じゃない。クミコがそのままではかわいそうだったからだ。そうだよ。そうなんだよ。サトコは知っている。そうだよな? サトコ。そう言ってくれ。ああ、僕は世間に追われちまってる。なぜだ? 僕はビンタもやったことがないんだよ。恐い。助けてくれーっ!」

「サトコ」
「誰?」
 玄関のほうから声がした。
「サトコ」
「僕の声? 違う? いや、わからない」
 じゃあ誰だ。リビングに向かってくるぞ。
「サトォッ」
 薄っすらと影が。
「あー、意識が急激に薄れていく。あー、耳鳴り、めまい。グルグル回る」
 誰かが入ってきた。
「目の前が真っ暗になった。もうわからない。耳が鳴るぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
 ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ。


「信じてください。ほんとうにやっていないんです」
「犯人はなぁ、みんな、そう言うんだ。通用すると思っているのか」
「なんでこうなるんですか」
「なんでこうなる? 被害者の自宅から出てきたところを見られているんだ。観念しろよ」
「行ったことは認めます。呼び出されて行っただけなんです。ほんとうです」
「誰に呼び出された?」
「サトコから聞いてみてよ。お願いします」
「サトコ? 三角関係が原因か。邪魔になったというわけか」
「な、何言っているんだ。ち、違うよ」
 僕はなぜか刑事と向き合っている。どういうことなんだ。僕が何をしたというんだ。頭が混乱している。整理できない。
「なぜ行った」
「だから、呼び出されたんだ」
「何を話した」
「えっ? 何も話していないよ」
「いきなりか」
「な、何言ってる? 刺されていたので、ナイフを抜いてあげたんだ」
「ほう。凶器はナイフか。刺した後に抜いたということかぁ」
「えーっ! ち、違う! 抜いただけだ。信じてくれよ」
「抜いただけ? 抜くために行ったということかぁ? 沼田。よく聞け。お前が被害者を刺した。その後、被害者が倒れた。その際に、凶器がたまたま抜けた。おい、そうだろ。おいっ!」
「あー、助けてくれ。ほんとうにやっていないんだ。刑事さん、サトコに聞いてくれ。頼むよ。なぜだ、なぜだ、なぜだっ。誰か助けてくれーっ!」

 僕は警察の留置場にいるようだ。どうやって入ったのかもわからない。何も考えられない。気がついたら、中にいた。記憶がうまくつながらないのだ。壁が恐い。壁が迫ってきて、ぺしゃんこにされそうだ。もう何も見たくない。

「おいっ!」
『はっ?』
「おいっ! 起きろ! 沼田っ!」
『はぃ?』
「おいっ!」
『起きてるよ』
 僕は眠っていたようだ。
「おいっ! 起きろ!」
『だから、起きてるよ。話しかけているじゃないか』
「沼田っ!」
『なんなんだよ。目を開けて、しゃべっているじゃないか』
 僕は揺さぶられていた。意識がはっきりしているし、普通に声を出してしゃべっているのに、なぜだ。おかしいよ。僕の声が聞こえないのか。声が小さい? いや、そんなことはない。
〈パチッ〉
 ほおをたたかれ、痛ッと感じた瞬間。なぜかズレ始めた。意識がズレ始めたのだ。
『あれっ。なんだ。この感覚は』
 意識が追いつかない感じだ。フワフワしてきた。
〈パチッ〉
 目の前に火花が散った。
『えっ! どういうことだ』
 僕が僕を見ている。目の前には僕がいる。横たわっている僕がいる。僕は揺さぶられていた。
「きびしいな」
『きびしい? なにがきびしいの?』
「脈は触れない。呼吸もない。AED、心臓マッサージだ」
『なにっ! 僕の脈? 呼吸? ない? どういうことだ』
 僕はすごく怖くなった。
『助けてくれよっ!』
 僕は怒鳴った。
『看守さん。助けてくぅぅぅぅぅぅぅっ。耳が鳴るぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
 ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ。



「ふふ」

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