救世の魔法使い

菅原

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9章 堕落した神童

決勝戦2

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 突き出したルインの手から雷の矢が飛びだした。
矢は目にもとまらぬ速さで、驚くクロスネシアの腹部に迫る。
放電音を鳴らすそれに、クロスネシアは反応出来ず、雷の矢は彼の腹部を貫いた……筈だった。
惜しむべきはルインの杖が失われていたことだ。
これにより、少しの隙も無く放たれるはずだった魔法は、極僅かな硬直を必要としてしまった。
 一つ数えるよりも短い時間で、クロスネシアの天才的な嗅覚が、己の身に迫る危機を感じとる。
背中に悪寒が走り、突き出された手の進行方向にある腹部にも、気持ち悪いものを感じた。
違和感を感じたクロスネシアは堪らず、振り上げた剣の勢いに身を任せ、無理やり体を転がし、手の先から回避する。
その瞬間。
前触れもなく飛び出した雷の矢は、彼のローブを焼きちぎりながら、円形の岩壁に突き刺さった。
焼け焦げた臭いが周囲に漂い、焼き切れたローブを見たクロスネシアが驚嘆の声を上げる。
「くぅっ!!……む……無詠唱だとぉ!?」
周りの目も気にせず、彼は怒りの籠った目でルインを睨みつけた。

 クロスネシアが追撃に備えて体勢を立て直す中、観覧客はしんと静まり返っていた。
それも当然の話。
魔法とは詠唱なくしては発動出来ない。
その常識を知っている者は、誰もがそうなってしまうだろう。
どんなに簡単な魔導書であっても、詠唱が書いていないものなんて一つもない。
長き研究の中でそれは、机上の空論であり、実現されない理想論とされていた。
そんな究極の技術を体現した魔法使いは、魔法学校史上最も優秀な神童ではなく、神童と肩を並べる程の実力を持つ相方でもなく、神童と同じ血を引いた賢い妹でもない。
奴隷上がりの入学僅か三十日という、駆け出しの魔法使いだったのだ。
 静まり返る会場に、震えたリュミエルの声が聞こえる。
「い、今のは……詠唱が極端に短かったような……え?詠唱破棄……ですか?まさか……無詠唱ですか!?これまでどんな偉人も無しえなかった究極の業ですよ!!それを一年生が!?」
近くにいた学校長と会話をする声も周囲に響き渡った。
 学校長が肯定するということは、即ち事実であるという事だ。
論理や根拠が無くても信じられる程、周囲の中で学校長という存在は大きな力を持っている。
「な、なんと!無名の選手のルイン・フォルト君が、魔法の極みと言われる無詠唱魔法を放ちました!私もまだ目を疑っていますが……凄い……凄い!」
自分の組み立てた言葉に興奮し、まるで観覧客のように歓声を上げた。
その行動は周囲に伝わり、静かだった会場が、次第に賑やかになっていく。

 盛り上がる会場を他所に、対峙する二人の思考は冷静だった。
クロスネシアは直ぐにルインに対する認識を改める。
邪魔者だなんてとんでもない。彼はこれまでで一番の強敵だ。
いかに優秀なクロスネシアと言えども、無詠唱という代物とは対峙したことも無かった。
それ故に、小さな魔法使いの一挙手一投足、僅かな動きも見過ごすことは出来ない。
まるで剣を振るかのように魔法が飛んでくるのだ。
初動を見逃しては、後は斬られるのみとなる。
しかもそれは、回避の難度、威力共に剣一振りの比ではない。
 クロスネシアはすぐさま、魔法使いとの戦闘思考から、剣士との戦闘思考へと移行する。
彼はこの時、魔法学校に入学してから初めて、冷や汗というものをかいていた。
 対峙するルインもまた、気を抜けない状況である。
彼の予定では、先の一撃で試合は決まっていた筈だったのだ。
クロスネシアの剣を避け、隙だらけの胴体に魔法を放つ。
幾つか予想していた図案の一つをなぞらえることが出来たが、力及ばず。
もし、杖を持ったままであれば、試合は終わっていただろうか。
ルインは空の手を忌々しそうに見つめた。


 暫し膠着するルインらとは打って変わり、アネシアルテとユメスティナの戦いは、非常に派手なものになっていた。
鳥の形をした水が大空を飛び、それを漆黒の剣が切り払う。
試合は二対二の形式なれど、図式では一対一の戦いがそれぞれ行われている状況だ。
ルインの無詠唱を目撃したユメスティナは、慌ててクロスネシアの加勢に向かおうとする。
向かおうとするが……それをアネシアルテの魔法が遮った。
 大きな水壁がルインらの姿を覆い隠す。
それを見て、思わずユメスティナは小さく舌打ちをしてしまう。
「貴女の相手は私です。あちらは置いておいて、女同士楽しみましょうよ」
アネシアルテは合流させまいと安い挑発を試みる。
通常であれば一笑に付す言葉だったが、焦る彼女は苦笑いで言葉を返した。
「私にそんな趣味は……無いんだけどねぇ!」
苦笑いが怒りの表情に変わり、詠唱と共に闇属性の魔法が放たれる。
「闇よ!我が下に集いて形を成せ!喰らい尽くしなさい!『闇の龍イービル・ドラコ』!!」
黒くのたうちながら駆けるその姿は、龍を模した中級魔法。
対してアネシアルテが発動するのもまた、同位置にある中級魔法だ。
「水よ!我が下に集いて形を成せ!全てを飲み干す龍よ!『水の龍ウンディネ・ドラコ』!!」
二色の龍がぶつかり合い、黒い霧と水しぶきが辺りに飛び散る。
 方や激しい魔法戦。方や静かな膠着戦。
真逆の試合光景。
会場の半分を緊張した空気が、もう半分を青と黒の魔法が埋め尽くす。

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