救世の魔法使い

菅原

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17章 魂の冒涜

合成生物2

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 アネシアルテの魔法は、確かにキメラに甚大な損害を与えた。
圧し折れた細腕も、引き裂かれた翼も、決してまやかしなどではない。
だが目の前にいる化け物は、初めて姿を現した時と同じ、傷一つない状態となっている。
「なんなのよこいつは!」
苛立ちと恐怖を孕んだ一声。
彼女の気持ちがまるで分ってるかのように、キメラは歪な笑みを浮かべた。


 グレゴスが作り上げたものは、非常に厄介な化け物だった。
強大な力を持つという点でも厄介だが、その最たるは、驚異的な再生能力にある。
 そもそも事の始まりは、感死病の治療の為に行われた事である。
絶え間なく衰弱していく五感を強制的に補うために、グレゴスが選んだ魔物は全て、生命力の高い魔物であった。
そして、その内の幾つかの魔物は、高い再生能力を備えている。
それらが作用して、アネシアルテの魔法によって瀕死になったキメラは、短時間で全快に近い状態まで回復したのだ。

 それを知らないアネシアルテは、ぼろぼろの身体から回復した様を見て、『不死』の二文字が頭に浮かんだ。
(もしそうだったら……手の打ちようがないわね。それこそ私一人じゃ手に余る相手だわ……まったく、厄介な置き土産だこと)
これだけの巨体を拘束するなど、相当な戦力と、時間と、手間がかかるだろう。
今の彼女には、その全てを用意することなどできない。
ただ淡い希望を胸に、魔法を唱え続けるのみだ。
 アネシアルテは狂ったように笑うクェインの顔を見て呟く。
「母様……今助けてあげるからね」
湧き上がる闘志を抑えることなく、少女は杖を振るった


 突き出された杖の先に、膨大な魔力が集まる。
それは、彼女がエルフに覚醒して初めて使う上級魔法だ。
超再生能力を持つのならば、それを上回る火力で押すのみ。
アネシアルテは、魔法の完成図を思い描きながら詠唱を始める。
「我が手に集いし海神の怒りよ!全てを飲み込む暴流となりて、彼の者を食らい尽くせ!上級魔法!海龍の巣ポセイディア!!」
 詠唱の終わりと共に、キメラの足下から大量の水が湧き出た。

 湧き出た水は渦を巻きながら膨れ上がり、やがて半球状の籠が作られる。
そこは海龍が住まう水の社。
ぼこりと一つ、大きな気泡が浮かび上がると、巨大な龍が水の中に現れた。
自身の領域に入り込んだ敵に向かって、海龍は威嚇の咆哮を上げる。
 魔法によって生まれた海龍には、堅牢な竜の鱗も意味を成さない。
一つ噛みつくたびにキメラの腕が千切れ、一つ手を薙ぐたびにキメラの身体に大きな傷がつく。
海龍は自らの巣を縦横無尽に動き回り、キメラの身体は瞬く間に切り刻まれていった。


 魔法が役目を終え、半球状の水籠が消え去る。
当初は青色に透き通っていた水も、赤黒く濁ってしまっていた。
 水の中から現れたのは、まるでただの魚だ。
定義だけを見れば人魚と言えるかもしれないが、それとは比べようもない位醜い。
傍から見てもキメラは瀕死の状態だった。
だが頭部に位置するクェインの顔は笑ったまま。
それが余りにも不気味で、アネシアルテの不快感を煽る。


 突然、クェインの顎が外れぼたりと床に落ちた。
開いた口からは真っ赤な炎が漏れ出ている。
それは、規模は小さくとも『竜のブレス』のように見えた。
 竜のブレスとは、完全ならば国一つをも滅ぼすと言われている、竜の最終兵器だ。
自らの喉すらも焼いてしまう轟炎。そんなものを人間が受ければ、一瞬で丸焦げになってしまうだろう。
 その不意を突いた驚異の一撃を見ても、油断を知らぬアネシアルテは慌てない。
杖を突きだし、十分な強度のある防御魔法を発動する。
「水よ!全てを防ぐ城壁となれ!水流防壁アクアウォール!」
アネシアルテとキメラを隔てるように、部屋を分断する巨大な壁が現れた。
下から上へ打ちあがる水は、強く天井を打ち付け、大量の雨が周囲を濡らす。
その中を、水蒸気を纏いながら巨大な炎が進んでいく。

 火炎と水の壁がかち合うと、水を蒸発させる大きな音が響き、辺りを水蒸気が包み込んだ。
本物の水と炎であれば、それだけで危険な状態となり得るが、魔法である両者は、その形を失う矢先に魔力となって消えていく。
だが、僅かに残った水蒸気が、視界を遮る霧となって、アネシアルテの視界を遮ってしまった。
「ガアアアアア!!!」
 言葉にならない雄たけびと共に、キメラは、再生した細い腕を束ね、アネシアルテへと突き出した。
霧を切り裂きながら、突如眼前に迫る巨大な槍。
比較的強力な防御魔法を放った直後のアネシアルテには、これを完全に防ぐことは難しい。
まず、背後にはルインが倒れたままであり、避けることは選択肢としてあり得ない。
そして、防御魔法も強力な物は間に合わないだろう。
「くぅっ、水よ!私を守る揺りかごに!水流球体アクアボール!」
 アネシアルテの周りに粘度の高い水がまとわりつき、小さな球体を作りだす。
これは、物理攻撃に対する水属性の防御魔法だ。
対人であればこれだけで、大抵の物理攻撃は通らなくなるのだが……

 走る巨大な槍は、粘度のある水に進行を阻まれる。
だが完全に止めることは出来ずに、その先がアネシアルテの右肩を貫いた。
鋭くとがった爪が食い込み、更に衝撃に耐えきれず、小さな体は後ろに吹き飛ぶ。
「うあああ!!」
激痛に上がる悲鳴。
少しの浮遊感の後、硬い地面に叩きつけられ、そのままルインの下まで転がっていく。
 痛む肩に手を当ててみると、その手が真っ赤に染まった。
もう右手は使えない。
剣を振るわけでも、盾を握るわけでもないのだから、剣士ほど絶望的ではないが、その激痛は、魔法に必要とする集中力も大いに削いでくるだろう。
それでもアネシアルテは、ルインを庇うように前に立ち、左手で杖を突き出す。


 エルフ族の力を得たアネシアルテは、膨大な魔力量を手に入れた。
ただの人だった時に比べたら、天と地の差もあるだろう。
だがそれは無限ではない。
使えば使う程に消耗し、いずれは枯渇してしまうものだ。
本来であれば二つ目の魔法で、それでなくとも先の大魔法で、決着がついているはずだった。

 ところが今はどうだ。
肩を貫かれ上がらぬ右手、硬い岩の上を転がったせいで体も所々出血し、打身も酷い。
こんな状態では、満足に攻撃を捌く事すら危うい。
 窮地を脱出する為に、まずは治癒魔法で回復を試みたいところだが、水属性のそれらは残念ながら、発動したからといって、瞬時に回復できるような代物では無かった。
ある程度の時間が必要となり、その時間は、先程の魔法で出来た隙程度では意味を成さないだろう。
ましてや少女の眼前には、再び傷一つないキメラが立ちふさがっている。
「はは……まいった……わね」
置かれた現状に絶望し、アネシアルテは乾いた笑いを漏らした。
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