臆病者の弓使い

菅原

文字の大きさ
上 下
88 / 120
13章 巨人の咆哮

終戦

しおりを挟む
 巨人が迫る城壁の上。
あと数秒もすれば奴は城壁に辿り着き、その巨大な腕を振り下ろすだろう。
ネイノートは火竜の矢を最大まで引き絞り、巨人をぎりぎりまで引き寄せる。
火竜の矢は一本しかない。
故に外すことは出来ない。
なによりここまで引き寄せては、二射目を射る時間など残されてはいないだろう。
僅かな隙でもすぐ放てるように、ネイノートは息を止める。
呼吸によるブレが無くなり、弓を構える体がぴたりと動きを止めた。
 巨人は鎧が付いている右腕を頭に、左腕を胸に庇うように掲げている。
威力は申し分ないとはいえ、あの分厚い鎧を打ち抜くことなど出来るだろうか?
頭から胸に狙いを移そうと弓を動かした瞬間。
巨人の右腕が吹き飛んでいた。
 確認したのは七色に光る狼の姿。
背中には黒いドレスを着た少女を乗せ、彼らは何十倍もある巨人の腕を切り落としていた。
ネイノートは今が勝機と、頭に狙いを合わせ火竜の矢を放つ。
日の光を浴び、飛翔する矢は赤く瞬きながら、巨人の眉間に向けて速度を上げる。
 戦場にいる誰もが見た。
真っ赤な一筋の光が、無防備に晒された巨人の頭にす様を。

 

 私は見た。緑の少年の放つ赤き矢を。
それは、気難しく気性が荒かった、赤き友の姿そのままだった。
あの真っ赤な矢は、確実に私の命を奪うだろう。
それこそが私の目的であり、最後の役目であった。

 暴走してしまった私は、これ以上タイロン様の軍が力をつける前に、兵力を削ぐことばかり考えていた。
だからこそ、戦争の準備が整う前に独断で兵をあげ、国に攻め入ったのだ。
 戦場で私は探した。私を屠れる者を。
手強き者は多数いたが、私を屠れる程の猛者はいなかった。
遠くに見えた友の前にこの身を晒せば、望みは達成されるだろうが、それが出来ないのは私が甘いせいだろうか。
やがて私の警戒心がその存在を確認する。それこそが弓使いの彼だったのだ。

 真っ赤な矢は、まるで私を窘めるように私の頭を打ち抜いた。
痛みはある。だがそれ以上に私の心は安らいでいた。
友への言葉も残した。
後はただ目を瞑るだけ。
長きを生きたのだ。もはや生に執着もない。
ありがとう、小さき緑の少年よ。
ありがとう、盟友クラストよ。
私は唯心の中で礼を思うだけ。



 巨人の頭を打ち抜いた矢は、その姿を消し中心まで突き刺さった。
うっすらと笑みを浮かべ、力なく巨大な体が崩れていく。
巨人が完全に地に伏すと、地響きが鳴り、辺りの兵は腰を下ろし踏ん張ることになった。
 誰も声を上げない。
目の前で起こったことが信じられない、といったように、皆目を擦り何度も瞬きをする。
たっぷりの時間を使って状況を確認した兵士は、徐に声を上げた。
「やった……やった!巨人を倒したぞ!」
「うおぉぉ!見たか!?あの真っ赤な光を!誰の魔法だろうか!?」
誰もが近くの兵と肩を組み、巨人の死体を指さした。
 歓喜の声を上げる兵士とは打って変わって、クラスト、サラシャの気持ちは暗いままだ。
友が亡くなったことに涙を流し、泣くことが出来たのなら、どれだけ楽になっただろうか。
だがこうしてうつむいてばかりもいられない。
まだ彼等には、友の魂を弔う仕事が残っているのだから。
 
 サラシャはクラストの背から降りると、バーニッシの死体の下へ駆け寄る。
同じく友の近くまで寄ったクラストは、悲しみを込めた遠吠えを上げた。
歓声は次第に収まり、戦場にいる誰もがその声に手を止める。
 遠吠えが響く中、サラシャが詩を歌い出す。
「優しき魂よ、あるべき場所へ帰り給へ。猛き魂よ、その力を解き放ち給へ。汝に安らかな眠りがあらんことを。汝に美しい夢があらんことを」
その詩に従い、バーニッシの魂は天へと昇華する。
悪しき魔物の魂はその力を解放し、クリスタルウルフの遠吠えに力を与えた。
戦場に響く悲しき遠吠えは、魂を揺さぶる覇王の歌声へと変わり、心弱きものは恐怖に慄き、強き者もその心は萎縮を余儀なくされる。

 魔王軍の一人が武器を捨て逃げ出した。
それを皮切りに、一人また一人と背を向け逃げ出していく。
やがて全ゴブリン、全オーガは東の森を目指し駆け出していた。
黒き波は、月夜に満ちた海が朝日と共に引いていくように、森の中へと姿を消していく。
後に残るのは目を瞑りたくなるような戦禍の後。
数々の死体が残り、綺麗な草原は踏み荒らされ、土色に塗り替えられている。
幾度となく泣いたクラストの声も漸く止み、王国の兵が気を取り戻すのに長いことかかった。


 再び上がるは歓声。
誰もが戦争の勝利に酔いしれた。
近くの者と抱き合い、声を上げ、歌を歌う。
体力が尽きているのも忘れ、王国へ向けて走り出す。
 人々は暫しの間、安らかな時間を手に入れるだろう。
だがこの戦いは最終戦に有らず。いずれはタイロン自らが率いる魔王本軍との闘いが待ち受けている。
その事を危惧する者は今、どこにもいない。
しおりを挟む

処理中です...