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風の国《シレジア》編 王子の帰還

4-10 ゼフィール二人

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「七年も戻られていないのですか? お一人も?」
「そうなのです。女王様のなさる事なので何かお考えがあるのでしょうが、数人でも良いのでお返し頂けないものなのでしょうかね。最近は司祭様のいらした頃が懐かしくてしょうがないのです」

 懐かしむように老人は神像を見る。
 それはそうだろう。《シレジア》で信仰は生活の一部だった。それを長年取り上げられたままでは、たまったものではないはずだ。

(そもそも、なぜ司祭達を城に召し上げたんだ?)

 城内にも簡易的ではあるが礼拝堂がある。そこに勤める司祭達もいた。けれど、人員補充の為に一人二人ならともかく、大教会の司祭全員は多すぎる。百名を超える司祭は、さすがの城でも許容人数以上だ。

 なんというか、非常にアレクシアらしくない行動だ。この件には既に関わっていないのだとしたら、彼女はいつから眠っているのだろう。

 ゼフィールが思索に没頭していると、おずおずと老人が声を掛けてきた。

「あの、詩人様?」
「なんでしょう?」
「他国の教会で奏でられている音楽でも構いません。ご存知の教会音楽があれば聴かせて頂けないでしょうか? いえ、無理にとは申しません。ですが、できれば――」

 老人は小さく肩を落としながら言葉の最後を濁す。そんな彼だが、奏でられた竪琴の音にはっと顔を上げた。
 ゼフィールの方をまじまじと見てくるので、軽く笑みを返す。

「ロードタウンに滞在している時、楽師殿達から教会音楽も何曲か教わりました。ご満足頂けるかわかりませんが、それでよければ」
「ああ、ありがとうございます、詩人様。ありがとうございます。ありがとうございます」

 まるで神を崇めたて祀るかのように老人は礼を繰り返す。大袈裟な、と思いつつも曲を奏でていると、いつの間にか、ゼフィールは感謝を捧げる人々に囲まれていた。


 ◆

 それから、大教会を訪れるのは日課になった。
 よくよく考えてみれば、《シレジア》の民は、冬になると家にこもるか教会に集う者が多い。街や城の情報を得ようとすれば、大教会に行くしか選択肢がなかった。

 早朝。
 ゼフィールが大教会を訪れると、すでに老人が扉の掃除をしていた。一心不乱に手を動かしていた老人だが、雪を踏む音でこちらに気付いたのだろう。ゼフィールの方を見ると柔和な笑みを浮かべる。

「おはようございます詩人様」
「おはようございます。今朝も変わらずお早いですね」
「年を取ると早く目が覚めてしまいましてな」

 はは、と、笑いながら、老人は入口の大扉をブラシで丁寧に擦りあげる。
 そんな彼の横を通り過ぎると、ゼフィールは水汲み場で桶に水をくみ、布を手に講堂へ向かった。水で濡らした布を固く絞り、長椅子を丁寧に拭く。

 民達には、ゼフィールが掃除をする必要はないと何度も止められたが、これだけは頑として譲れなかった。
 城が司祭を取り上げてしまったことへの償いもあるが、掃除に集中していれば、その間、他のことを忘れられる。一人で過ごす時間は何かと考え事をしている時が多いのだが、思考が暗い方に行きがちだ。こうやって、無心で何かに没頭できる時間というのは、気持ちを休める上でも貴重だった。

 作業を続けていると続々と住民がやってくる。すっかり顔馴染みになり、みな、気さくに話しかけてくるようになった。特に子供達は遠慮がない。
 掃除が終わると見るや、すぐに飛びつかれ、遊ぼうとねだられる。
 天気の良い日は外で雪遊びをしたりもするが、今日は雪だ。室内で大人しく遊ばせることにした。

 子供達が怪我をせぬよう様子を見ていると、後ろから少女が抱きついてくる。そして、ゼフィールを見上げながら言ってきた。

「詩人さま、聞いて聞いて。すごい人がこっちに向かってきてるの」
「この子は、もう。そんなにひっついては詩人様が困っていらっしゃるでしょう?」
「ぷー」

 後ろからやって来た母親にたしなめられ少女が離れる。申し訳なさそうに頭を下げる母親にゼフィールは尋ねた。

「その子の言う凄い人とは?」
「あ、そうなんです。凄いんですよ。王子がこちらに向かっていらしているんです。お姿を拝見できるなんて本当に珍しいので、詩人様は運が良いですね」
「王子?」

 そんな話をしていると入口扉の方が騒がしくなった。母親が少女を連れて講堂の端へと移動したので、ゼフィールもそちらへ移る。弟でも産まれたのかと思い、王子の登場を待っていると、灰髪の男を連れた青年が歩いてきた。

「王子のお出ましである。道を空けるように」

 連れの男が言う。指示に従って人々は真ん中の通路をあけた。
 人々が空けた道を歩きながら青髪青瞳の青年が笑顔を振りまく。背はゼフィールより少し低いくらいだろうか。見た感じ、年はゼフィールとそう変わらない。最低でも七つは離れている弟、というには無理がある。

 青年は祭壇前まで行き神々の像へ一礼すると、ゼフィールの方へ向きなおった。

「こんにちは。腕の良い詩人がいると聞いて来たんだけど、君かな?」
「……。あ、はい。腕が良いとは言えませんが、多分私の事かと。この度は《シレジア》への入国を許して頂きありがとうございます」
「アイヴァンに聞いた話だと、《ドレスデン》王子のご友人らしいね? ようこそ《シレジア》へ。僕はゼフィール。この国の王子だ。君の名前を聞いていいかな?」

 王子と名乗った青年が握手を求め手を出してきた。握り返しながらゼフィールも名乗る。

「ゼファー、と申します。王子」

 顔に作り笑いを浮かべ、平静を装ってはいるが、ゼフィールは内心穏やかではない。握手相手は同じ年頃の同じ名前の青年。替え玉として仕立てられた人物にしか思えなかった。
 そんな人物が城で暮らしている。それは、家臣達も今の状況に噛んでいる事を示している。

 名に疑念を持ったのはお互い様だったようで、青年が不思議そうにゼフィールを見た。

「ゼファー? 君の名前の綴りを教えてもらえる?」
「Zephyrと書いて、ゼファーと読みます。それがどうかなさいましたか?」
「驚いた。僕と同じだね」
「そうなんですか? 一国の王子と同じだなんて驚きです」

 さも今知ったように驚いてみせたが、ゼフィールは知っていた。この偽名を考えたのは自分だったのだから。"ゼファー"とは、"ゼフィール"の古い読み方で、少し学がある者なら容易に辿り着く名だという事も。

 本当は、もっと似ても似つかぬ名を名乗った方がいいと分かっていた。けれど、名は、付けてくれた両親との数少ないつながりだ。家名を捨てる事にためらいは無かったが、名だけは抵抗があった。

 細かく突っ込まれる事を覚悟して身構える。
 しかし、青年はそれ以上気にした様子はなく、話題を流した。

「まぁ、そんな事もたまにはあるかもね。気にしなくていいよ。ねぇ、ゼファー。君は曲を学びに《シレジア》に来たそうじゃないか。それなら、ここではなく城に滞在して、そこの楽師達に学ぶ気はないかい?」
「城に、ですか?」
「そう。ここより良い環境で学べると思うんだよね。まぁ、ついでに、君の演奏や国外の話を聴きたいんだけど」
「……」

 青年の突然の申し入れに返答に詰まる。
 願ってもない話だった。国内を自由に動けるといっても王城には入れない。仕方がないので、街で情報を集めつつ機会を伺っていたのだが、これこそ千載一遇のチャンスだろう。
 しかし、青年はゼフィールの沈黙を拒否と受け取ったようで、残念そうに声をひそめた。

「迷惑だったかな?」
「いえ、そんなことは、決して! 突然のお話で少し驚いておりました。私などで良ければ、是非王子のお側に置いてください」

 ゼフィールは慌てて否定し頭を垂れる。頭の上で、青年がほっとしたらしい気配が感じられた。

「良かった。じゃぁ、城に部屋を用意させるから、そっちに滞在するといいよ。今から城に帰るけど、一緒に来るかい?」
「いえ。借りている宿を解約したりせねばなりませんので。後ほど登城させて頂きます」
「分かった。待ってるね。皆も邪魔したね。息災に暮らして欲しい」
「あ、王子。一つよろしいでしょうか?」

 失礼かとも思ったが、その場を去ろうとする青年に声を掛ける。

「なんだい?」
「王子は何用で大教会にいらしたのでしょう? いらしてから何もなさらなかった気がするのですが。御用をお忘れではありませんか?」

 振り返った青年が小さく笑う。

「用なら済んだよ。僕は君を見に来たんだ。会わずに城に呼んでも良かったんだけど、ちょうど暇だったしね」
「そうでしたか。つまらぬ事でお引き留めして申し訳ございませんでした」
「いいよ。それにしても、マルク王子は変わり者らしいけど、君は普通なんだね。ちょっと安心した。まぁ、合わなさそうなら城に招待しなかっただけなんだけどね」

 クスクス笑いながら青年が再び背を向ける。
 今度こそ彼らを見送ると、ゼフィールは周囲の人々に軽く頭を下げた。

「俺も今日はこれで。登城があまり遅くなっては失礼でしょうし」
「いえいえ、お気になさらずに。城に行かれても、たまにこちらにも遊びにいらしてください」
「ええ。ありがとうございます」
「またお会いしましょう詩人様。あなたにウラノスの加護のあらんことを」

 人々に見送られながらゼフィールは大教会を後にした。宿に戻ると荷をまとめ王城へ向かう。

 フレースヴェルグの目から大地を見た時、北東の方角で瘴気が掛かっていたのはこの地だった。この街にも吸魔の珠は置かれているし、瘴気と珠には関係があるのかもしれない。珠があるとフレースヴェルグが近寄れないのは不思議だが、何か理由があるのだろう。

 不思議な力を持つ鷲が手を出せぬ地で、アレクシアが眠っているであろう確率が一番高い場所。どう考えても王城だ。

(お母様、今参ります)

 心の中で母に呼び掛け、ゼフィールは王城の門を叩いた。
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