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「愛されない王妃は龍神に寵愛される」
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──既に暗くなった夜の時間。
それも深夜で王宮内の全ての灯りも消えているというのにただ一室だけ淡い光の見える部屋があった。
ただ無表情にテーブルに向かい、
テーブルランプの灯りだけを頼りに書きものをしているのはこの国、アスター王国の王妃ソフィア。
彼女は銀色の美しい太ももまであるロングヘアに薄い緑がかった青色の瞳でとても美しい女性だった。
きっと誰しもが一度でも彼女の姿を見れば忘れられないほどの絶世の美女だ。
既に誰しもが眠りについている時間だというのに、
彼女は真剣に一人黙々と大量の書類に向かっていたのだ。
「王后陛下、そろそろお休みください。
お身体に障ります」
「えぇ、あとこれだけ終わらせたら休みます」
流石に見兼ねた彼女の侍女が声をかけたが、
ソフィアは短く返事を返しただけでその手は一向に止まらなかった。
そうして侍女に言ったように一つだけ処理を終わらせたソフィアはベッドに寝転び、
その様子を見た侍女は安堵した表情で「それではお休みなさいませ」と言って部屋を去っていった。
ゆっくりと閉じた目を覆い、ソフィアは深くため息をつく。
もうここ十年ほど夫である国王ジュードがソフィアの部屋を訪れることはなくなった。
顎下まである黒髪に竜胆色の鋭い瞳を持つジュードは顔立ちが整っているため女性から思いを告げられることが多々ある美男子で、
政略結婚であったソフィアとジュードの婚姻は、
元より仲良くなれるとは思っていなかったが、
驚いたことに最初の頃はとても良好な関係でいられた。
王族に嫁ぐということに不安でいっぱいだったソフィアにとって彼と過ごす時間は何よりも癒しだった。
──それも約三百年ぶりに現れた聖女エレノアの存在によって壊された。
美しい金色のウェーブがかった腰まである髪に薄い黄色の瞳を持った可憐な少女。
今や夫ジュードは聖女にぞっこんで国王として果たすべき責務さえも疎かにしている。
ソフィアが夜も深けた時間になっても眠れなかったのは、
夫がすべきであった政務も全て引き受けて代わりに行っているからだ。
「──疲れたわね」
ボソッと呟いた弱音は誰に聞かれることなく、
この日の政務はそろそろ日の出という時間帯になってようやく終わったのだった。
■
「ソフィア!聖女エレノアを貶めた罪で死罪とする!」
「……は?」
翌朝になり突然大広間に呼ばれたソフィアが最初に聞いた言葉がこの夫のセリフだった。
流石にこれにはジュードに呼ばれたのであろう貴族たちも目を瞬かせていた。
私はうっかり声を漏らしてしまったけれど、
気を取り直してジュードがこういう理由を聞いてみることにした。
「一体どういうことでしょう?」
「どういうこととはなんだ!?
自覚なくエレノアを貶したのかっ、この悪女めっ!」
「……では、私がエレノア嬢を貶したと言える証拠は?」
「そ、それは……っ、王后陛下が私に嫉妬して私が亡き母から受け継いだブレスレットをボロボロに潰したり、
陛下に用意していただいたドレスをぐちゃぐちゃにして汚したり、
毒の入った食事を運ばせるように料理長に命じたり……。
果てには暗殺者を派遣したりされたじゃないですかっ!」
うぅ、と顔を両手で覆って泣きながらそう告げるエレノアの言葉の内容に私は理解できなかった。
彼女は一体何を言っているのかさっぱり分からない。
その言葉を聞いた貴族たちもざわざわとざわつき始める。
「王后陛下がそんなことをっ?」
「しかもそれを全く自覚していないだなんて……」
「なんてことだ……」
「とんでもない悪女だ!」
そんな身の覚えのない言葉に踊らされた貴族たちからの罵倒が大広間中に響き渡る。
「──リアム」
「はい、陛下。エレノア嬢の言葉の反論として、
ここ数日の王后陛下の行動をご報告いたします」
呆れた私の言葉に幼馴染であり側近でもあるリアムも少し困った顔をしていたが、
私の意図に気づいたのだろう私の横に静かに立つ。
彼は幼い頃から共にいる気の知れた仲であり、
首下まである黒髪に薄緑の優しい印象を受ける好青年で密かに彼に恋心を抱く女性がいることを私は知っているのだけれど、
リアム自身は気付いているのか時折キッパリと断りを入れているところを見かけていた。
──お節介かもしれないけれど奥さんを迎えたって良いと思うのだけれどねぇ。
そんなことを考えているとリアムがいつの間にか手に持っていた手帳を開き報告を始めた。
朝5時半に起床。身支度を整えて朝食。
6時半に宰相や宮内卿と共に書類の整理、処理。
9時に挨拶を兼ねた各地の報告へ来た貴族達と謁見。
12時に隣国や同盟国との交易のやり取り。
14時に遅めの昼食。
15時に本来国王が処理するはずの重要書類の整理。
17時に徴税官との会議。
19時に夕食。
20時に入浴。
20時半から翌朝3時まで残った書類、祭祀の準備、
祝宴の準備、国庫の管理、公式行事の下準備、
外交官からの報告書の署名、などなど。
「これでも昨日の出来事です。
エレノア嬢が仰るようなことをされる時間は一切ございませんが、
一体何を根拠にそのようなことを?」
「は、……え?」
リアムから報告された私の一日の行動にざわついていた大広間が一斉に静まり返った。
私が一日中ずっとそうしていることを知らなかったのであろうジュードもエレノア嬢も口をぽかんと開けて固まっている。
「本来、国王陛下がなさるべき仕事も全て王后陛下が引き受けていらっしゃいます。
それは宰相様が一番よくご存知かと」
「えぇ、王后陛下が全て取り仕切っておられます。
そして一日中休む暇なく陛下の代わりに政務を行なっておられますので、
聖女エレノアと関わる時間は一切ありませんでした」
リアムと宰相リチャードの言葉を聞いて今度はジュードとエレノア嬢への罵倒の言葉が大広間中に響き渡る。
「実質王后陛下が国の政治を行なっておられたということになります」
リアムの言葉に宰相リチャードや宮内卿ローガンなど、
私に付き従ってくれる面々が深く頷きを返していた。
本来であれば私を聖女を罵った悪女として処刑して王宮から追い出し、
聖女エレノアを正妃に迎え入れたかったのだろうけれどそうはいかない。
正式な夫婦でかつては良好な関係にあったとしても、
十年前に愛されていないと悟ってからは彼のことを何とも思わなくなった。
私が信じるのはこの国の民だけ。
私の命もこの身も全て民に捧げると十年前の婚礼を上げた記念日の日に、
龍神を祀る神殿で私は天地を統べる神に誓ったのだ。
恥ずかしさや悔しさの入り交じった顔で私を睨まれてももう何も思わない。
大切にすべき相手でもないし。
「それであなた方の言いたいことは以上ですか?
私はやるべき政務が残っていますのでこれ以上時間を無駄にしたくないのですが」
「くっ……」
本来ならすべき政務を全て王妃である私に丸投げして自分は聖女と遊んでいることがバレた以上、
もう彼には王としての尊敬も人気も地に落ちただろう。
元々地に落ちかけていた人気度だったし、
国民から見放されても仕方がない。
そしてきっと聖女への信仰心もここで格段に落ちるだろう。
まぁ、私には興味のないことだしさっさと自室に戻って政務の続きをしましょう。
そう思った私はリアムを引き連れて大広間からさっさと出ることにした。
■
「まさか陛下が聖女様と遊び呆けて役目を果たしておらなかったとは……」
「王后陛下は我々貴族にも平民にも過ごしやすく受け入れられる政策を数々取り入れられたというのに……」
「王の功績の全ては王后陛下のなされたことだったのか……」
ざわざわと貴族たちの話が輪を広げる中、
ぽつんと大広間の中央に残されたジュードは頭が真っ白のまま何も言い返すこともできなかった。
何せ事実、そうだからだ。
自分はずっとエレノアと毎日毎日、逢瀬へ行ったり、
大きな買い物をしたりして遊んでばかりいた。
帰れば勝手に仕事がなくなっていたから、
ああ、王はなんて気楽で素晴らしいものなのだろうかと思った。
──けれど実際、民の評判は地の底に落ちていた。
きっと今日のことはすぐに噂となって民の耳にも届くだろう。
そうなれば実際に処刑されるのは────。
そこまで考えてジュードは青ざめる。
とんでもない恐怖に呼吸が浅くなり瞬きもできなくなった。
やばい、どうしよう。このままじゃ俺が───。
その恐怖心に心が呑まれそうになったその時だった。
「大丈夫ですわ、陛下。私がついておりますもの。
神は常に私を守護し味方となってくれる。
ソフィアなんてどうにか追い払ってみせます。
そうしたら、私と……」
「あ、ああ!そうだったな!」
片腕に抱きついてきた柔い感触とエレノアの確信めいた優しい声にジュードは平常心を取り戻す。
そうだ。俺にはエレノアがいる。
神に愛された神聖なる聖女。
たとえ聡明であろうとも神の力の前にソフィアは歯が立たないだろう。
ソフィアを排除したあとはまた王としての権威を取り戻せば───。
そうすれば運命の女性であるエレノアと共にいられる。
そう確信を得た俺はエレノアと共に騒ぎ立てる貴族たちを置いて部屋へ戻った。
■
「──どうぞ民をお守りください」
お昼になって宰相の計らいで休みを得た私は、
王宮の奥地にある龍神を祀る神殿へ訪れていた。
世界に暗黒が包み込む時、
龍神が水の力で世界を清めるという神話がある。
そして世界を清めた龍神は金の卵を聖地に落とし、
それがいつしか龍神に愛されし子としてすくすくと成長し、
常に龍神の聖地を守り民を導くのだと。
幼い頃、私はこの神話が大好きだった。
どんなに理不尽で不平等な世もいつかは龍神に穢れと認知され洗い流される。
そんな日が、そんな救いが大きな徴税に苦しめられる民たちを救ってくれるのではないかと信じて。
いつも天で見守るという龍神に向かって祈りを捧げていた。
苦しめられている人たちをそのお力で救ってくださいと。
大好きな人達を守護し見守っていてくださいと。
病弱な母や弟を救ってくださいと。
いつもいつも晴天の日は青空へ向かって祈りを捧げた。
今のように神殿へ赴くことなどその当時はできなかったから。
祈りを捧げているときだけは暖かな心地がして、
何故か自然と心が穏やかになって温かく感じていた。
幼い頃はいつも傍に何かがいると感じていた。
そして幼い頃は毎日のように遊んだ美しい青年アルフィーとの輝かしい時間。
どれも大切で愛おしい気持ちでいっぱいだった。
──それなのに今となってはもうその穏やかさも感じなくなった。
夫に愛されていないと知った十年前のあの日からずっと、
私の心はあまりにも固く閉じたまま冷え固まったのかもしれない。
婚儀を上げたばかりの頃は王族として王妃として、
これから国王となり民を統べるジュードのことを支えようと頑張った。
いつも時間さえあればお茶をして他愛のない話をして、
夜になれば一緒に本を読んで眠る。
あの頃が本当に楽しかった。
──もうあの頃の気持ちも忘れてしまったけれど、
それだけはただ覚えている。
「陛下、そろそろお戻りください。お身体が冷えてしまいます」
「えぇ、そうするわ」
龍神を祀る神殿の内部は青く澄んだ大きな泉があって、
ここは夏になれば涼しく冬になれば寒い。
そんな気温の低い場所だった。
だからだろう。心配した私の近衛騎士であり騎士団長であるヴィクトルが声をかけてくれた。
黒く腰近くまである綺麗な髪に黒色の瞳。
いつも生真面目で優しい彼のことを私はリアム同様とても信頼している。
誰かから罵倒を浴びせられてもこの心は痛まなかった。
──もう感情を失ったも同然ね。
そんな自嘲じみたことを思いながら私は先行するヴィクトルの後をついて行った。
■
「神よ、どうか私の願いをお聞き届けください。
私にあの女を罰する力を──きゃあっ!?」
王宮から離れた場所にある教団が管理する教会に聖女エレノアは訪れていた。
普段はずっとこの教会で救いを求めにくる人々を聖女の力で救うことを課せられているからだ。
今朝は愛するジュードと共にいられたけれど、
司教たちによってお昼前にはここへ連れ戻されてしまった。
誰もいなくなった神像のある教会の中央でエレノアは膝をついて神へ祈りを捧げる。
それは愛するジュードが先に娶った正妻ソフィアへの復讐をするために。
今朝は本当に屈辱的な思いをさせられた。
ああして聖女を貶めた悪女と言われそのまま処刑されれば……っ!
なのに彼女の側近と宰相や宮内卿によって私とジュードの企みは大失敗に終わった。
確かに私が言ったことは全て嘘だ。
何しろ会ったのは私がこの世界にやってきた日。
その日以降彼女とは一度も会っていないからだ。
だから私にとってソフィアという女性は不気味だった。
何を考えているのかも分からない女だと。
乙女ゲーム的展開では悪女は破滅して主人公は思う相手と結ばれるはず。
ここが乙女ゲームかどうかは知らないけれど、
私が聖女という役割を持つ存在に転生したのなら確定でしょう!?
なのに何もかも上手くいかない。
かっこいいなぁと思って猛アタックしたソフィアの側近リアムにも丁重に断られたし、
騎士団長ヴィクトルにも無視されたし……。
あああ!もうどうしたらいいのよ!?
そう思った私は聖女の力を使ってソフィアを呪い殺そうと考えついた。
そうして神像の前に膝をつけて祈りの姿勢に入った私の身体をとんでもない痛みが一瞬にして襲いかかってきた。
まるで雷に穿たれたよう。
い、痛い……っ。特に左目がとんでもなく痛かった。
言葉に表せない激痛に身を焼かれ、
激痛の走る左目を覆いながら、
私は神像の前で勢いよく倒れ込んで痛みを緩和するためにゴロゴロと勢いよく動き回るしかなかった。
──な、何?何が起きたのよ?
そう思いつつも激痛に意識が遠のいていく。
最後に視界に映ったのは慌てた様子で駆けつけてきた数人の修女の姿だった。
■
「──騒がしいですね。リアム、一体何があったのですか」
「どうやら聖女エレノアが突然教会の神像の前で痛みに苦しみ出したとか……」
「痛みに苦しみ出した?」
今日も黙々と政務をこなしていた私は、
騒がしく足音が行ったり来たりと響き渡る廊下に気がついてリアムに聞いてみることにした。
詳しく話を聞いていくとお昼前に教会へ戻ったエレノアはいつも通り信者たちの願いを叶えた後、
誰もいなくなった教会内に一人でいたという。
そして何やら大きな音が聞こえて気になった修女達が神像のある教会内部へ足を踏み入れると、
そこには勢いよく寝転びながら左右に動き回るエレノアの姿があったと。
その報告を聞いたジュードがすぐさま王国内一の医者を呼んで治療にあてさせている最中なのだとか。
「お昼前……ということは少なくとも四時間以上は経っているはずよね?
ならエレノアの治療は終わったのではないのかしら?
それとも命に関わるほどの重症を負った……とか?」
「いえ、命に関わるほどの外傷は見受けられなかったと。
ただどれほど手を尽くしてもエレノア嬢の痛みを完全に緩和することができず参っているようです」
「どういうことかしら……?」
リアムが聞いた話によると、
エレノアには叫ぶほどの激痛を伴う外傷は一切見つからなかった。
加えてその医者が視た限りでは内傷も何もなかったと。
つまり何の怪我もしていないのにずっと激痛に苦しんでいるというのだ。
──あまりにも不可解すぎてよく分からない。
「一体何をしでかしたのかしら」
「様子を見に行きますか?」
「ええ、そうしましょう」
報告だけじゃ分からないことが山ほどある。
とりあえずエレノアの容態を実際に見て、
医者からの詳しい説明を聞いてみるしかないわね。
そう思った私はリアムを連れてエレノアが運び出された王宮の一室に向かうことにした。
■
「これは一体、何があったのですか?」
「おお、これは王后陛下……!」
エレノアが運び出された室内に入ると、
そこにはジュードによって呼び出された医者だけでなく、
大司教までもが室内で険しい顔をしてベッドに寝転ぶエレノアを見下ろしていた。
「やはりお前がエレノアに何かしたんだろうっ!?」
「落ち着いてください、国王陛下」
ベッドの脇に置かれた椅子に座り、
エレノアの手を握って悲痛な表情を浮かべてただ見つめていたジュードが、
私のことに気付いた瞬間に私へ対して怒りをあらわにした。
──まるで本当の夫婦のようね。
他人事のように私はエレノアの手を握るジュードの手を見てそう思った。
「これは私の憶測ではありますがご説明いたします」
「頼みます」
大司教曰く、彼女は聖女の聖なる力を誰かを呪うために使おうとしたのではないかと。
その場合ならばこの状態に説明がつくのだと言う。
本来龍神から与えられし聖なる力は人々を救うためだけにあるもので、
人を呪う、殺すなど穢れそのものの行為をするためにあるものではないと言う。
そのためもしも聖女が聖なる力を本来の目的外の使用したなら、
龍神から神罰が下るという内容が書かれた書物があるの出そう。
それは実際に過去に何度かあったことで、
聖女は原因不明の激痛に龍神が許しを与えるまで苦しめられるのだと書かれていたらしい。
「……なら、エレノア嬢が呪い殺そうとした相手は私でしょう。
どうやら陛下は彼女のことを溺愛していて、
そしてエレノア嬢自身も私を排してまで妻になろうとした。
本来の使い方と誤った力の扱い方を──私を呪おうとした結果、こうなったのでしょう。
ならば彼女の自業自得ですね」
「なっ──!お前は何て冷徹な奴なんだ?!
お前より麗しく聖なる存在であるエレノアが苦しんでいるというのにその言いようはなんだっ!?」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるジュードを無視して、
私はそのままリアムを連れて部屋から去った。
──やっぱりそうだったのね。
私を呪い殺そうとしてまでも国王の正妃という立場に彼女は固執していたということになる。
龍神が許しを与えるまで───それが一体どれほどあとの事なのかさっぱり分からないけれど、
しばらくは煩わしいのに頭を回す必要がなくなって良かったわ。
正直あまりエレノア嬢のことについては知らないからそこまで情も湧かないしね。
「夜も深まってきたし、今日こそは早く寝た方がいい。
ずっと明け方まで仕事をしていたら身体を壊してしまう」
「えぇ」
リアムの言う通りね。
そう思って私は素直に頷きを返した。
既に心が壊れてしまっている以上、
身体くらいは大事にしなければ。
龍神に対して心とこの身を民のために使い捧げると誓ったのだから。
誓いを破るなんてことをしてはならない。
──今日は何だか一段と身体が重いような気がするわ。
自室に戻った私はあくびをしてそんなことを思う。
日頃のストレスと疲労が溜まっているのかしら。
そんなことを思いながら私はベッドに寝転んだけれど、
疲れているはずなのに一向に眠気が来ない。
頑張って目を閉じて無理矢理にでも眠ってみようと試みるけれど寝れない。
いつもなら寝れるのにどうして?
そう思った私は不思議に思いながらベッド脇の小さなテーブルに置かれた水差しを手に取り、
同じく用意されていたコップに水を注いでゆっくりと飲む。
『───フィア』
「!?」
少しづつお水を飲んでいると突然誰かから呼ばれたような気がして、
勢いよく俯かせていた顔を上げる。
ベッドの上からキョロキョロと周囲を見渡すけれど、
部屋は真っ暗で月明かりの淡い光しかない中ではあるが、
リアムも私を自室に送った後に戻ったはずだし、
侍女も部屋を去っていっているはず。
この経験を幼い頃にしたことがあるような……?
そんなことを思いながら私はそっと部屋から出て、
赴くがまま神殿の方へ無意識に足を進めていた。
もう既に寝る支度を整えているからネグリジェのままなのに……っ。
そんなことを思いながらも歩き出した足は意思に反して止まってくれない。
幸いにも誰にも会っていないからこんなはしたない姿を見られることはなかったけれど。
「どうして神殿に……」
そんな疑問符を浮かべながら、
神殿の泉の奥の祭壇に置かれた水晶玉が普段なら光り輝いていないのに今日は光っていることに気付いた。
何故あんなにも眩く光っているの?
そう思って急いで泉の方へと足を進めると、
突然大きな音を立てて泉の中から龍が現れた。
水が勢いよく押し出され私の足元までもが水浸しになり、
神殿内部は溢れ出た水で濡れていた。
私の身長よりも高い波が現れたことで私の全身はびしょびしょに濡れているけれど、
私はそんなことは気にならなかった。
何故ならそんな些細なことよりも重大な存在が目の前に現れたからだ。
「龍神……様?」
『ソフィア、やっと君に会えた』
大きな青色の美しい龍。
きっとこの方が私たちを守ってくださっている神なのだと直感が告げている。
「私のことをご存知なのですか?」
『ああ。君が幼い頃からずっと見守っていた。
私がずっと探し求めていた愛し子。
大聖女アクアマリーの転生体よ』
「大聖女アクアマリーの転生体?私が……?」
『そうだとも。約八百年前に私は君をこの世に送り出した。
聖なる水の力を用いて魔を祓い、
私を崇め奉るためにこの国を建国した。
本当に行動力に溢れた子だ』
アクアマリーがこの国を建国したこと。
それはこの国の歴史であり当然貴族の生まれとして知っておくべき常識。
まさか私が初代女王の生まれ変わりだと言うの?
そして龍神が最も愛した女性──その人の生まれ変わりだと。
『だからこそ君は数多の動物に好かれ、
信頼のおける心強い味方に裏切られることなく、
決して孤独になることなく人々から愛された。
幼い頃の君は私の姿を見えていたしいつも楽しそうに今日あった出来事を私に話していた』
「あ……っ」
また眩い光が視界を覆ったと思った瞬間に光が落ち着き、
龍神がいたはずの泉の中央には美しい水色の足元まである長い髪に群青色の瞳を持った美麗な男性が宙に浮いていた。
「アルフィー……?」
「そうか。君にとってはこちらの姿の方が慣れ親しんでいたね」
「旅人だと仰っていたはずじゃ……っ」
「ああ。正体を隠していたのは申し訳ない。
君が立派な大人になってくれるまで正体を明かさないつもりでいたんだ」
私がまだ九歳くらいの頃。
領地にある大きな木の下でよく出会っていた青年。
たくさんのことを私は彼から教わって、
たくさん遊んで、話して、いつしか彼と会う時間を楽しみにしていた。
流石に豪雨の日なんかには外に出ることを許されなかったから、
天気の良い日、曇り空の日、風が強い日、
そんな時にいつも大きな木の下で私たちは集って話をしていた。
まさかあの青年が龍神様だったなんて……。
とても尊敬していて大好きな人だった。
19歳になって当時王太子だったジュードに嫁ぐことが決まった日から、
徐々にあの木の下へ行ける時間がなくなっていって、
王太子妃となってから今日に至るまでずっと王族としての責務を果たそうと、
過去の輝かしい記憶も忘れてそのままだった。
「愚かにも今世の聖女は君を呪おうとした。
聖女としてあってはならない欲望まみれの思考を持ったあの少女にもう聖女の役目は果たせないな」
「剥奪するのですか?」
「そうしなければならないだろうね──いや、そうしなければ私のこの怒りが収まりそうにない」
「えっ?」
にっこりと笑みを浮かべる龍神様の姿に何故か圧を感じるのは気の所為なのかしら?
そう思っていると突然ふわりと私の目の前に降り立ちぎゅっと抱き締められた。
「ごめんね。本当にここまでよく頑張ったね。
あの無能な王の代わりを身を粉にしてまで勤め上げたというのに、
今朝は危うく君が彼らに殺されてしまうところだった。
神は必要以上人間に関わってはならない掟があった以上、
あの場で私が止めに入ることはできなかったけれど……こうして無事で良かったよ」
「アルフィー……」
「アルフレッド」
「えっ?」
「私の本当の名前だよ」
気がついていなかったけれど水を被ったことで寒さに凍えていた私に龍神様が気がついて、
濡れてしまった私の身体を抱き締めた瞬間に乾かして、
人肌で温めてくれているのだと理解した瞬間に、
本当は今朝のあの時に救いに行きたかったこと、
けれど必要以上に人に関わってはならないという掟があって止めに入ることができなかったことを謝られた。
そんなことで謝る必要なんて龍神様にないというのに。
そう思っているととても楽しげな笑みで呼び捨てで呼んで良いよという圧力のようなものを感じながらも、
龍神様の──アルフレッドの名前を知った。
「アルフィー……アルフレッドが私のことを大事に思ってくださっているのは分かりました。
けれど掟があるのならもうこれ以上会えないのではないのですか?」
「それはそうだけど……君がこちら側に来れば問題ないよ」
「え?」
「君はあの無能な王に散々振り回され続けた。
最初は彼を支えようと努力し続けて、
本当なら自分が成した功績も彼のものにして何とか王家の威信を守ろうとした。
けれど十年前に彼が君のことを心から愛していないことを悟った君は一度は絶望感に苛まれた。
それでも民の為にと十年間も自分の気持ちに蓋をして努力してきたことを私は知っているよ。
そうしてときおり君のことを愛していないと告げたあの無能な王に寝込みを襲われたりしたことも」
最後の言葉にはアルフレッドの私怨を感じたような気がするけれど、
ずっとずっと私を見守ってくれていたことは伝わった。
十年前、婚礼を上げてから半年ほど経った頃に突然親しくしてくれた夫から告げられた言葉。
「本当はお前のこと愛してなんかない」。
きっと信じていた夫から言われたこの言葉が今も心のどこかで引きずったままなのかもしれない。
だからこそ私ももうあの時以降、
ジュードに対して何も思わなくなった。
きっとあの時の出来事が私にとって初めて信じた人から裏切られた経験だったのだと今思った。
王太子時代から女癖の悪かったジュードの評判は最悪だった。
それでも先代の王の唯一の跡継ぎだった彼が次の国王となることは決まっていた。
だから私は愛されてなどいないと知ったあの日以降、
彼が女性を引き連れていても何も気にしなくなった。
たくさんの女性と遊び尽くして飽きた時に限って、
彼は私の元へ訪れてきたのだ。
本当に胸糞の悪い過去の思い出だけれど。
「本当は愛されたいと思ったはずだ。
じゃなきゃ半年だけでもあの王を信じるなんてできない。
ねぇ、ソフィア。君はもう充分に頑張った。
人のために頑張って頑張ってそれだけを考えて十年間生きてきた。
もう自分自身の幸せのために生きて良いんだよ」
「あ……」
「私は君に幸せになってほしい」
幼馴染のリアムに言われても近衛騎士のヴィクトルに言われても私の心には響かなかったのに、
何故かアルフレッドの言葉は凍てついたはずの心に深く響いた。
「私が……自分のために幸せになっても良いの?」
「もちろん。君が幸せになるために私は何だってしよう」
「……っ、ありがとう」
久しぶりに涙を流したような気がする。
今まで溜め込んできた思いが、感情が、
一気に溢れ出てきてもう自分では止められなくなってしまった。
本当は愛されたかった。
夫に嫌われないように愛想を尽かされないようにと頑張ったつもりだった。
けれど彼は私を愛してはくれなかった。
そういえばあの日に言われた言葉があった。
「まるでほかの誰かを待ち望んでいるよう」だと。
ジュードを見ているようで見ていなかったと。
そういうことだったの。
魂に刻まれた龍神──アルフレッドとの前世の日々。
そして今世での幼い頃のアルフィーと過ごした日々。
あの日々が私の中でとても幸せに満ちた時間だったからこそ、
王族に嫁いでから私は窮屈に思っていたのかもしれない。
──結局は最初から私もジュードもお互いのことを愛し合っていなかったのね。
ようやくたどり着いた答えに私は止まらない涙を流しながら自嘲するように笑みを浮かべる。
「アルフレッド」
「ん?」
「私はこれからも民のことを豊かにして守りたい。
これは人生を賭けた私の一生の目標なの。
──これからも支えてくれる?」
「もちろん。君らしいね、ソフィア」
ようやく涙が収まった頃には朝日が昇り始めていた。
きっと泣き腫らして真っ赤になっているだろうけれど、
それでもアルフレッドに伝えたいことがあった。
否定されてしまうかもと思ったけれど、
以外にもそれで良いと満足気な笑みを浮かべて返された言葉に私はほっと安堵した。
アクアマリーも国のために民の為に慈愛の心を持って戦ってきた。
ならば私もここでアルフレッドに縋り付いてしまう訳にはいかない。
まだ次なる後継者を育て切るまでは。
【終】
それも深夜で王宮内の全ての灯りも消えているというのにただ一室だけ淡い光の見える部屋があった。
ただ無表情にテーブルに向かい、
テーブルランプの灯りだけを頼りに書きものをしているのはこの国、アスター王国の王妃ソフィア。
彼女は銀色の美しい太ももまであるロングヘアに薄い緑がかった青色の瞳でとても美しい女性だった。
きっと誰しもが一度でも彼女の姿を見れば忘れられないほどの絶世の美女だ。
既に誰しもが眠りについている時間だというのに、
彼女は真剣に一人黙々と大量の書類に向かっていたのだ。
「王后陛下、そろそろお休みください。
お身体に障ります」
「えぇ、あとこれだけ終わらせたら休みます」
流石に見兼ねた彼女の侍女が声をかけたが、
ソフィアは短く返事を返しただけでその手は一向に止まらなかった。
そうして侍女に言ったように一つだけ処理を終わらせたソフィアはベッドに寝転び、
その様子を見た侍女は安堵した表情で「それではお休みなさいませ」と言って部屋を去っていった。
ゆっくりと閉じた目を覆い、ソフィアは深くため息をつく。
もうここ十年ほど夫である国王ジュードがソフィアの部屋を訪れることはなくなった。
顎下まである黒髪に竜胆色の鋭い瞳を持つジュードは顔立ちが整っているため女性から思いを告げられることが多々ある美男子で、
政略結婚であったソフィアとジュードの婚姻は、
元より仲良くなれるとは思っていなかったが、
驚いたことに最初の頃はとても良好な関係でいられた。
王族に嫁ぐということに不安でいっぱいだったソフィアにとって彼と過ごす時間は何よりも癒しだった。
──それも約三百年ぶりに現れた聖女エレノアの存在によって壊された。
美しい金色のウェーブがかった腰まである髪に薄い黄色の瞳を持った可憐な少女。
今や夫ジュードは聖女にぞっこんで国王として果たすべき責務さえも疎かにしている。
ソフィアが夜も深けた時間になっても眠れなかったのは、
夫がすべきであった政務も全て引き受けて代わりに行っているからだ。
「──疲れたわね」
ボソッと呟いた弱音は誰に聞かれることなく、
この日の政務はそろそろ日の出という時間帯になってようやく終わったのだった。
■
「ソフィア!聖女エレノアを貶めた罪で死罪とする!」
「……は?」
翌朝になり突然大広間に呼ばれたソフィアが最初に聞いた言葉がこの夫のセリフだった。
流石にこれにはジュードに呼ばれたのであろう貴族たちも目を瞬かせていた。
私はうっかり声を漏らしてしまったけれど、
気を取り直してジュードがこういう理由を聞いてみることにした。
「一体どういうことでしょう?」
「どういうこととはなんだ!?
自覚なくエレノアを貶したのかっ、この悪女めっ!」
「……では、私がエレノア嬢を貶したと言える証拠は?」
「そ、それは……っ、王后陛下が私に嫉妬して私が亡き母から受け継いだブレスレットをボロボロに潰したり、
陛下に用意していただいたドレスをぐちゃぐちゃにして汚したり、
毒の入った食事を運ばせるように料理長に命じたり……。
果てには暗殺者を派遣したりされたじゃないですかっ!」
うぅ、と顔を両手で覆って泣きながらそう告げるエレノアの言葉の内容に私は理解できなかった。
彼女は一体何を言っているのかさっぱり分からない。
その言葉を聞いた貴族たちもざわざわとざわつき始める。
「王后陛下がそんなことをっ?」
「しかもそれを全く自覚していないだなんて……」
「なんてことだ……」
「とんでもない悪女だ!」
そんな身の覚えのない言葉に踊らされた貴族たちからの罵倒が大広間中に響き渡る。
「──リアム」
「はい、陛下。エレノア嬢の言葉の反論として、
ここ数日の王后陛下の行動をご報告いたします」
呆れた私の言葉に幼馴染であり側近でもあるリアムも少し困った顔をしていたが、
私の意図に気づいたのだろう私の横に静かに立つ。
彼は幼い頃から共にいる気の知れた仲であり、
首下まである黒髪に薄緑の優しい印象を受ける好青年で密かに彼に恋心を抱く女性がいることを私は知っているのだけれど、
リアム自身は気付いているのか時折キッパリと断りを入れているところを見かけていた。
──お節介かもしれないけれど奥さんを迎えたって良いと思うのだけれどねぇ。
そんなことを考えているとリアムがいつの間にか手に持っていた手帳を開き報告を始めた。
朝5時半に起床。身支度を整えて朝食。
6時半に宰相や宮内卿と共に書類の整理、処理。
9時に挨拶を兼ねた各地の報告へ来た貴族達と謁見。
12時に隣国や同盟国との交易のやり取り。
14時に遅めの昼食。
15時に本来国王が処理するはずの重要書類の整理。
17時に徴税官との会議。
19時に夕食。
20時に入浴。
20時半から翌朝3時まで残った書類、祭祀の準備、
祝宴の準備、国庫の管理、公式行事の下準備、
外交官からの報告書の署名、などなど。
「これでも昨日の出来事です。
エレノア嬢が仰るようなことをされる時間は一切ございませんが、
一体何を根拠にそのようなことを?」
「は、……え?」
リアムから報告された私の一日の行動にざわついていた大広間が一斉に静まり返った。
私が一日中ずっとそうしていることを知らなかったのであろうジュードもエレノア嬢も口をぽかんと開けて固まっている。
「本来、国王陛下がなさるべき仕事も全て王后陛下が引き受けていらっしゃいます。
それは宰相様が一番よくご存知かと」
「えぇ、王后陛下が全て取り仕切っておられます。
そして一日中休む暇なく陛下の代わりに政務を行なっておられますので、
聖女エレノアと関わる時間は一切ありませんでした」
リアムと宰相リチャードの言葉を聞いて今度はジュードとエレノア嬢への罵倒の言葉が大広間中に響き渡る。
「実質王后陛下が国の政治を行なっておられたということになります」
リアムの言葉に宰相リチャードや宮内卿ローガンなど、
私に付き従ってくれる面々が深く頷きを返していた。
本来であれば私を聖女を罵った悪女として処刑して王宮から追い出し、
聖女エレノアを正妃に迎え入れたかったのだろうけれどそうはいかない。
正式な夫婦でかつては良好な関係にあったとしても、
十年前に愛されていないと悟ってからは彼のことを何とも思わなくなった。
私が信じるのはこの国の民だけ。
私の命もこの身も全て民に捧げると十年前の婚礼を上げた記念日の日に、
龍神を祀る神殿で私は天地を統べる神に誓ったのだ。
恥ずかしさや悔しさの入り交じった顔で私を睨まれてももう何も思わない。
大切にすべき相手でもないし。
「それであなた方の言いたいことは以上ですか?
私はやるべき政務が残っていますのでこれ以上時間を無駄にしたくないのですが」
「くっ……」
本来ならすべき政務を全て王妃である私に丸投げして自分は聖女と遊んでいることがバレた以上、
もう彼には王としての尊敬も人気も地に落ちただろう。
元々地に落ちかけていた人気度だったし、
国民から見放されても仕方がない。
そしてきっと聖女への信仰心もここで格段に落ちるだろう。
まぁ、私には興味のないことだしさっさと自室に戻って政務の続きをしましょう。
そう思った私はリアムを引き連れて大広間からさっさと出ることにした。
■
「まさか陛下が聖女様と遊び呆けて役目を果たしておらなかったとは……」
「王后陛下は我々貴族にも平民にも過ごしやすく受け入れられる政策を数々取り入れられたというのに……」
「王の功績の全ては王后陛下のなされたことだったのか……」
ざわざわと貴族たちの話が輪を広げる中、
ぽつんと大広間の中央に残されたジュードは頭が真っ白のまま何も言い返すこともできなかった。
何せ事実、そうだからだ。
自分はずっとエレノアと毎日毎日、逢瀬へ行ったり、
大きな買い物をしたりして遊んでばかりいた。
帰れば勝手に仕事がなくなっていたから、
ああ、王はなんて気楽で素晴らしいものなのだろうかと思った。
──けれど実際、民の評判は地の底に落ちていた。
きっと今日のことはすぐに噂となって民の耳にも届くだろう。
そうなれば実際に処刑されるのは────。
そこまで考えてジュードは青ざめる。
とんでもない恐怖に呼吸が浅くなり瞬きもできなくなった。
やばい、どうしよう。このままじゃ俺が───。
その恐怖心に心が呑まれそうになったその時だった。
「大丈夫ですわ、陛下。私がついておりますもの。
神は常に私を守護し味方となってくれる。
ソフィアなんてどうにか追い払ってみせます。
そうしたら、私と……」
「あ、ああ!そうだったな!」
片腕に抱きついてきた柔い感触とエレノアの確信めいた優しい声にジュードは平常心を取り戻す。
そうだ。俺にはエレノアがいる。
神に愛された神聖なる聖女。
たとえ聡明であろうとも神の力の前にソフィアは歯が立たないだろう。
ソフィアを排除したあとはまた王としての権威を取り戻せば───。
そうすれば運命の女性であるエレノアと共にいられる。
そう確信を得た俺はエレノアと共に騒ぎ立てる貴族たちを置いて部屋へ戻った。
■
「──どうぞ民をお守りください」
お昼になって宰相の計らいで休みを得た私は、
王宮の奥地にある龍神を祀る神殿へ訪れていた。
世界に暗黒が包み込む時、
龍神が水の力で世界を清めるという神話がある。
そして世界を清めた龍神は金の卵を聖地に落とし、
それがいつしか龍神に愛されし子としてすくすくと成長し、
常に龍神の聖地を守り民を導くのだと。
幼い頃、私はこの神話が大好きだった。
どんなに理不尽で不平等な世もいつかは龍神に穢れと認知され洗い流される。
そんな日が、そんな救いが大きな徴税に苦しめられる民たちを救ってくれるのではないかと信じて。
いつも天で見守るという龍神に向かって祈りを捧げていた。
苦しめられている人たちをそのお力で救ってくださいと。
大好きな人達を守護し見守っていてくださいと。
病弱な母や弟を救ってくださいと。
いつもいつも晴天の日は青空へ向かって祈りを捧げた。
今のように神殿へ赴くことなどその当時はできなかったから。
祈りを捧げているときだけは暖かな心地がして、
何故か自然と心が穏やかになって温かく感じていた。
幼い頃はいつも傍に何かがいると感じていた。
そして幼い頃は毎日のように遊んだ美しい青年アルフィーとの輝かしい時間。
どれも大切で愛おしい気持ちでいっぱいだった。
──それなのに今となってはもうその穏やかさも感じなくなった。
夫に愛されていないと知った十年前のあの日からずっと、
私の心はあまりにも固く閉じたまま冷え固まったのかもしれない。
婚儀を上げたばかりの頃は王族として王妃として、
これから国王となり民を統べるジュードのことを支えようと頑張った。
いつも時間さえあればお茶をして他愛のない話をして、
夜になれば一緒に本を読んで眠る。
あの頃が本当に楽しかった。
──もうあの頃の気持ちも忘れてしまったけれど、
それだけはただ覚えている。
「陛下、そろそろお戻りください。お身体が冷えてしまいます」
「えぇ、そうするわ」
龍神を祀る神殿の内部は青く澄んだ大きな泉があって、
ここは夏になれば涼しく冬になれば寒い。
そんな気温の低い場所だった。
だからだろう。心配した私の近衛騎士であり騎士団長であるヴィクトルが声をかけてくれた。
黒く腰近くまである綺麗な髪に黒色の瞳。
いつも生真面目で優しい彼のことを私はリアム同様とても信頼している。
誰かから罵倒を浴びせられてもこの心は痛まなかった。
──もう感情を失ったも同然ね。
そんな自嘲じみたことを思いながら私は先行するヴィクトルの後をついて行った。
■
「神よ、どうか私の願いをお聞き届けください。
私にあの女を罰する力を──きゃあっ!?」
王宮から離れた場所にある教団が管理する教会に聖女エレノアは訪れていた。
普段はずっとこの教会で救いを求めにくる人々を聖女の力で救うことを課せられているからだ。
今朝は愛するジュードと共にいられたけれど、
司教たちによってお昼前にはここへ連れ戻されてしまった。
誰もいなくなった神像のある教会の中央でエレノアは膝をついて神へ祈りを捧げる。
それは愛するジュードが先に娶った正妻ソフィアへの復讐をするために。
今朝は本当に屈辱的な思いをさせられた。
ああして聖女を貶めた悪女と言われそのまま処刑されれば……っ!
なのに彼女の側近と宰相や宮内卿によって私とジュードの企みは大失敗に終わった。
確かに私が言ったことは全て嘘だ。
何しろ会ったのは私がこの世界にやってきた日。
その日以降彼女とは一度も会っていないからだ。
だから私にとってソフィアという女性は不気味だった。
何を考えているのかも分からない女だと。
乙女ゲーム的展開では悪女は破滅して主人公は思う相手と結ばれるはず。
ここが乙女ゲームかどうかは知らないけれど、
私が聖女という役割を持つ存在に転生したのなら確定でしょう!?
なのに何もかも上手くいかない。
かっこいいなぁと思って猛アタックしたソフィアの側近リアムにも丁重に断られたし、
騎士団長ヴィクトルにも無視されたし……。
あああ!もうどうしたらいいのよ!?
そう思った私は聖女の力を使ってソフィアを呪い殺そうと考えついた。
そうして神像の前に膝をつけて祈りの姿勢に入った私の身体をとんでもない痛みが一瞬にして襲いかかってきた。
まるで雷に穿たれたよう。
い、痛い……っ。特に左目がとんでもなく痛かった。
言葉に表せない激痛に身を焼かれ、
激痛の走る左目を覆いながら、
私は神像の前で勢いよく倒れ込んで痛みを緩和するためにゴロゴロと勢いよく動き回るしかなかった。
──な、何?何が起きたのよ?
そう思いつつも激痛に意識が遠のいていく。
最後に視界に映ったのは慌てた様子で駆けつけてきた数人の修女の姿だった。
■
「──騒がしいですね。リアム、一体何があったのですか」
「どうやら聖女エレノアが突然教会の神像の前で痛みに苦しみ出したとか……」
「痛みに苦しみ出した?」
今日も黙々と政務をこなしていた私は、
騒がしく足音が行ったり来たりと響き渡る廊下に気がついてリアムに聞いてみることにした。
詳しく話を聞いていくとお昼前に教会へ戻ったエレノアはいつも通り信者たちの願いを叶えた後、
誰もいなくなった教会内に一人でいたという。
そして何やら大きな音が聞こえて気になった修女達が神像のある教会内部へ足を踏み入れると、
そこには勢いよく寝転びながら左右に動き回るエレノアの姿があったと。
その報告を聞いたジュードがすぐさま王国内一の医者を呼んで治療にあてさせている最中なのだとか。
「お昼前……ということは少なくとも四時間以上は経っているはずよね?
ならエレノアの治療は終わったのではないのかしら?
それとも命に関わるほどの重症を負った……とか?」
「いえ、命に関わるほどの外傷は見受けられなかったと。
ただどれほど手を尽くしてもエレノア嬢の痛みを完全に緩和することができず参っているようです」
「どういうことかしら……?」
リアムが聞いた話によると、
エレノアには叫ぶほどの激痛を伴う外傷は一切見つからなかった。
加えてその医者が視た限りでは内傷も何もなかったと。
つまり何の怪我もしていないのにずっと激痛に苦しんでいるというのだ。
──あまりにも不可解すぎてよく分からない。
「一体何をしでかしたのかしら」
「様子を見に行きますか?」
「ええ、そうしましょう」
報告だけじゃ分からないことが山ほどある。
とりあえずエレノアの容態を実際に見て、
医者からの詳しい説明を聞いてみるしかないわね。
そう思った私はリアムを連れてエレノアが運び出された王宮の一室に向かうことにした。
■
「これは一体、何があったのですか?」
「おお、これは王后陛下……!」
エレノアが運び出された室内に入ると、
そこにはジュードによって呼び出された医者だけでなく、
大司教までもが室内で険しい顔をしてベッドに寝転ぶエレノアを見下ろしていた。
「やはりお前がエレノアに何かしたんだろうっ!?」
「落ち着いてください、国王陛下」
ベッドの脇に置かれた椅子に座り、
エレノアの手を握って悲痛な表情を浮かべてただ見つめていたジュードが、
私のことに気付いた瞬間に私へ対して怒りをあらわにした。
──まるで本当の夫婦のようね。
他人事のように私はエレノアの手を握るジュードの手を見てそう思った。
「これは私の憶測ではありますがご説明いたします」
「頼みます」
大司教曰く、彼女は聖女の聖なる力を誰かを呪うために使おうとしたのではないかと。
その場合ならばこの状態に説明がつくのだと言う。
本来龍神から与えられし聖なる力は人々を救うためだけにあるもので、
人を呪う、殺すなど穢れそのものの行為をするためにあるものではないと言う。
そのためもしも聖女が聖なる力を本来の目的外の使用したなら、
龍神から神罰が下るという内容が書かれた書物があるの出そう。
それは実際に過去に何度かあったことで、
聖女は原因不明の激痛に龍神が許しを与えるまで苦しめられるのだと書かれていたらしい。
「……なら、エレノア嬢が呪い殺そうとした相手は私でしょう。
どうやら陛下は彼女のことを溺愛していて、
そしてエレノア嬢自身も私を排してまで妻になろうとした。
本来の使い方と誤った力の扱い方を──私を呪おうとした結果、こうなったのでしょう。
ならば彼女の自業自得ですね」
「なっ──!お前は何て冷徹な奴なんだ?!
お前より麗しく聖なる存在であるエレノアが苦しんでいるというのにその言いようはなんだっ!?」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるジュードを無視して、
私はそのままリアムを連れて部屋から去った。
──やっぱりそうだったのね。
私を呪い殺そうとしてまでも国王の正妃という立場に彼女は固執していたということになる。
龍神が許しを与えるまで───それが一体どれほどあとの事なのかさっぱり分からないけれど、
しばらくは煩わしいのに頭を回す必要がなくなって良かったわ。
正直あまりエレノア嬢のことについては知らないからそこまで情も湧かないしね。
「夜も深まってきたし、今日こそは早く寝た方がいい。
ずっと明け方まで仕事をしていたら身体を壊してしまう」
「えぇ」
リアムの言う通りね。
そう思って私は素直に頷きを返した。
既に心が壊れてしまっている以上、
身体くらいは大事にしなければ。
龍神に対して心とこの身を民のために使い捧げると誓ったのだから。
誓いを破るなんてことをしてはならない。
──今日は何だか一段と身体が重いような気がするわ。
自室に戻った私はあくびをしてそんなことを思う。
日頃のストレスと疲労が溜まっているのかしら。
そんなことを思いながら私はベッドに寝転んだけれど、
疲れているはずなのに一向に眠気が来ない。
頑張って目を閉じて無理矢理にでも眠ってみようと試みるけれど寝れない。
いつもなら寝れるのにどうして?
そう思った私は不思議に思いながらベッド脇の小さなテーブルに置かれた水差しを手に取り、
同じく用意されていたコップに水を注いでゆっくりと飲む。
『───フィア』
「!?」
少しづつお水を飲んでいると突然誰かから呼ばれたような気がして、
勢いよく俯かせていた顔を上げる。
ベッドの上からキョロキョロと周囲を見渡すけれど、
部屋は真っ暗で月明かりの淡い光しかない中ではあるが、
リアムも私を自室に送った後に戻ったはずだし、
侍女も部屋を去っていっているはず。
この経験を幼い頃にしたことがあるような……?
そんなことを思いながら私はそっと部屋から出て、
赴くがまま神殿の方へ無意識に足を進めていた。
もう既に寝る支度を整えているからネグリジェのままなのに……っ。
そんなことを思いながらも歩き出した足は意思に反して止まってくれない。
幸いにも誰にも会っていないからこんなはしたない姿を見られることはなかったけれど。
「どうして神殿に……」
そんな疑問符を浮かべながら、
神殿の泉の奥の祭壇に置かれた水晶玉が普段なら光り輝いていないのに今日は光っていることに気付いた。
何故あんなにも眩く光っているの?
そう思って急いで泉の方へと足を進めると、
突然大きな音を立てて泉の中から龍が現れた。
水が勢いよく押し出され私の足元までもが水浸しになり、
神殿内部は溢れ出た水で濡れていた。
私の身長よりも高い波が現れたことで私の全身はびしょびしょに濡れているけれど、
私はそんなことは気にならなかった。
何故ならそんな些細なことよりも重大な存在が目の前に現れたからだ。
「龍神……様?」
『ソフィア、やっと君に会えた』
大きな青色の美しい龍。
きっとこの方が私たちを守ってくださっている神なのだと直感が告げている。
「私のことをご存知なのですか?」
『ああ。君が幼い頃からずっと見守っていた。
私がずっと探し求めていた愛し子。
大聖女アクアマリーの転生体よ』
「大聖女アクアマリーの転生体?私が……?」
『そうだとも。約八百年前に私は君をこの世に送り出した。
聖なる水の力を用いて魔を祓い、
私を崇め奉るためにこの国を建国した。
本当に行動力に溢れた子だ』
アクアマリーがこの国を建国したこと。
それはこの国の歴史であり当然貴族の生まれとして知っておくべき常識。
まさか私が初代女王の生まれ変わりだと言うの?
そして龍神が最も愛した女性──その人の生まれ変わりだと。
『だからこそ君は数多の動物に好かれ、
信頼のおける心強い味方に裏切られることなく、
決して孤独になることなく人々から愛された。
幼い頃の君は私の姿を見えていたしいつも楽しそうに今日あった出来事を私に話していた』
「あ……っ」
また眩い光が視界を覆ったと思った瞬間に光が落ち着き、
龍神がいたはずの泉の中央には美しい水色の足元まである長い髪に群青色の瞳を持った美麗な男性が宙に浮いていた。
「アルフィー……?」
「そうか。君にとってはこちらの姿の方が慣れ親しんでいたね」
「旅人だと仰っていたはずじゃ……っ」
「ああ。正体を隠していたのは申し訳ない。
君が立派な大人になってくれるまで正体を明かさないつもりでいたんだ」
私がまだ九歳くらいの頃。
領地にある大きな木の下でよく出会っていた青年。
たくさんのことを私は彼から教わって、
たくさん遊んで、話して、いつしか彼と会う時間を楽しみにしていた。
流石に豪雨の日なんかには外に出ることを許されなかったから、
天気の良い日、曇り空の日、風が強い日、
そんな時にいつも大きな木の下で私たちは集って話をしていた。
まさかあの青年が龍神様だったなんて……。
とても尊敬していて大好きな人だった。
19歳になって当時王太子だったジュードに嫁ぐことが決まった日から、
徐々にあの木の下へ行ける時間がなくなっていって、
王太子妃となってから今日に至るまでずっと王族としての責務を果たそうと、
過去の輝かしい記憶も忘れてそのままだった。
「愚かにも今世の聖女は君を呪おうとした。
聖女としてあってはならない欲望まみれの思考を持ったあの少女にもう聖女の役目は果たせないな」
「剥奪するのですか?」
「そうしなければならないだろうね──いや、そうしなければ私のこの怒りが収まりそうにない」
「えっ?」
にっこりと笑みを浮かべる龍神様の姿に何故か圧を感じるのは気の所為なのかしら?
そう思っていると突然ふわりと私の目の前に降り立ちぎゅっと抱き締められた。
「ごめんね。本当にここまでよく頑張ったね。
あの無能な王の代わりを身を粉にしてまで勤め上げたというのに、
今朝は危うく君が彼らに殺されてしまうところだった。
神は必要以上人間に関わってはならない掟があった以上、
あの場で私が止めに入ることはできなかったけれど……こうして無事で良かったよ」
「アルフィー……」
「アルフレッド」
「えっ?」
「私の本当の名前だよ」
気がついていなかったけれど水を被ったことで寒さに凍えていた私に龍神様が気がついて、
濡れてしまった私の身体を抱き締めた瞬間に乾かして、
人肌で温めてくれているのだと理解した瞬間に、
本当は今朝のあの時に救いに行きたかったこと、
けれど必要以上に人に関わってはならないという掟があって止めに入ることができなかったことを謝られた。
そんなことで謝る必要なんて龍神様にないというのに。
そう思っているととても楽しげな笑みで呼び捨てで呼んで良いよという圧力のようなものを感じながらも、
龍神様の──アルフレッドの名前を知った。
「アルフィー……アルフレッドが私のことを大事に思ってくださっているのは分かりました。
けれど掟があるのならもうこれ以上会えないのではないのですか?」
「それはそうだけど……君がこちら側に来れば問題ないよ」
「え?」
「君はあの無能な王に散々振り回され続けた。
最初は彼を支えようと努力し続けて、
本当なら自分が成した功績も彼のものにして何とか王家の威信を守ろうとした。
けれど十年前に彼が君のことを心から愛していないことを悟った君は一度は絶望感に苛まれた。
それでも民の為にと十年間も自分の気持ちに蓋をして努力してきたことを私は知っているよ。
そうしてときおり君のことを愛していないと告げたあの無能な王に寝込みを襲われたりしたことも」
最後の言葉にはアルフレッドの私怨を感じたような気がするけれど、
ずっとずっと私を見守ってくれていたことは伝わった。
十年前、婚礼を上げてから半年ほど経った頃に突然親しくしてくれた夫から告げられた言葉。
「本当はお前のこと愛してなんかない」。
きっと信じていた夫から言われたこの言葉が今も心のどこかで引きずったままなのかもしれない。
だからこそ私ももうあの時以降、
ジュードに対して何も思わなくなった。
きっとあの時の出来事が私にとって初めて信じた人から裏切られた経験だったのだと今思った。
王太子時代から女癖の悪かったジュードの評判は最悪だった。
それでも先代の王の唯一の跡継ぎだった彼が次の国王となることは決まっていた。
だから私は愛されてなどいないと知ったあの日以降、
彼が女性を引き連れていても何も気にしなくなった。
たくさんの女性と遊び尽くして飽きた時に限って、
彼は私の元へ訪れてきたのだ。
本当に胸糞の悪い過去の思い出だけれど。
「本当は愛されたいと思ったはずだ。
じゃなきゃ半年だけでもあの王を信じるなんてできない。
ねぇ、ソフィア。君はもう充分に頑張った。
人のために頑張って頑張ってそれだけを考えて十年間生きてきた。
もう自分自身の幸せのために生きて良いんだよ」
「あ……」
「私は君に幸せになってほしい」
幼馴染のリアムに言われても近衛騎士のヴィクトルに言われても私の心には響かなかったのに、
何故かアルフレッドの言葉は凍てついたはずの心に深く響いた。
「私が……自分のために幸せになっても良いの?」
「もちろん。君が幸せになるために私は何だってしよう」
「……っ、ありがとう」
久しぶりに涙を流したような気がする。
今まで溜め込んできた思いが、感情が、
一気に溢れ出てきてもう自分では止められなくなってしまった。
本当は愛されたかった。
夫に嫌われないように愛想を尽かされないようにと頑張ったつもりだった。
けれど彼は私を愛してはくれなかった。
そういえばあの日に言われた言葉があった。
「まるでほかの誰かを待ち望んでいるよう」だと。
ジュードを見ているようで見ていなかったと。
そういうことだったの。
魂に刻まれた龍神──アルフレッドとの前世の日々。
そして今世での幼い頃のアルフィーと過ごした日々。
あの日々が私の中でとても幸せに満ちた時間だったからこそ、
王族に嫁いでから私は窮屈に思っていたのかもしれない。
──結局は最初から私もジュードもお互いのことを愛し合っていなかったのね。
ようやくたどり着いた答えに私は止まらない涙を流しながら自嘲するように笑みを浮かべる。
「アルフレッド」
「ん?」
「私はこれからも民のことを豊かにして守りたい。
これは人生を賭けた私の一生の目標なの。
──これからも支えてくれる?」
「もちろん。君らしいね、ソフィア」
ようやく涙が収まった頃には朝日が昇り始めていた。
きっと泣き腫らして真っ赤になっているだろうけれど、
それでもアルフレッドに伝えたいことがあった。
否定されてしまうかもと思ったけれど、
以外にもそれで良いと満足気な笑みを浮かべて返された言葉に私はほっと安堵した。
アクアマリーも国のために民の為に慈愛の心を持って戦ってきた。
ならば私もここでアルフレッドに縋り付いてしまう訳にはいかない。
まだ次なる後継者を育て切るまでは。
【終】
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