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シャボン玉の向かう先①

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 ゆらゆらと地面が揺れている。地震のような恐怖を感じる揺れではなく、電車に揺られているような心地好い揺れだ。

「――!」

 もっと眠っていたいのに、誰かが呼んでいる声がする。無視を決め込もうとも思ったが、呼んでいる声に切実な響きを感じて、重い瞼を押し上げる。
 ぼんやりとした視界がはっきりとすると、俺を呼んでいた声の主が分かった。俺の大切な伴侶である、諒だ。
 やっと夫婦の関係に戻った伴侶に手を伸ばそうとして固まる。諒の後ろに、見知らぬ男が立っているのだ。
 中世ヨーロッパの貴族のような格好をした、三十路くらいのその男を、まじまじと見る。
 ここは天国にある、俺と諒の思い出のシャボン玉の中だ。記憶にない男がいる理由が分からずに混乱する俺の背中を、心配いらないというように諒が抱き締めてくれる。

「この方は、ドラゴーナ国の使者だそうです」
「ドラゴーナ国?」
「えぇ。先に目覚めて朔夜さんの寝顔を眺めていたら、どこからともなくこの方が現れたんです。そして、自分はドラゴーナ国の使者だと名乗ったんです。俺には理解しかねたので、悪いと思いながらも朔夜さんを起こしたというわけです」

 男の正体を教えてくれた諒も、困惑しているようだ。

「王子……いや、新王のご帰還はドラゴーナの民の長年の宿願。おかえりなさいませ」

 深々と頭を下げる使者だという男を、唖然と見つめる。言っていることの意味が、全く分からないからだ。
 ここは諒と俺の思い出のシャボン玉なのだから、実際に体験したことの記憶だけではなく、夢に描いていたことの記憶も詰まっているはずだ。俺は、こんなファンタジー映画のような夢を描いた記憶はない。
 それならば、諒の夢なのか? 肩口に置かれた諒の顔の表情を確かめてみるが、俺と同じように唖然としている。

「これは失礼致しました。王はドラゴーナの記憶はないのでしたね」

 俺達の雰囲気に気付いた様子の使者が、やってしまったというように苦笑いする。

「この二十年余りのドラゴーナの激動をお話しいたします」

 思いを馳せるように目を閉じた使者が、ゆっくりと語りはじめた。



 事の起こりは、ある男が現れたことでした。
 年若いその男は、街角で唄いはじめました。ほどなくして、男の歌声はドラゴーナの民の心を捉えました。
 男が街角で唄いはじめてから二年後の二十一年前のことでした。
 男の唄に感化された者達が武装をして、城に攻めいってきたのです。

 ドラゴーナは、建国をした王の子孫が民を護り続けている国です。
 貧富の差はなく、どの民も同じ水準の暮らしをしていました。王家同様、民も先祖から続く職を代々受け継いで働いているのが普通でした。
 そんな価値観の中で男は、なりたい職につけられる自由、能力に応じた賃金、そして、民が王を決められる権利を唄に乗せて主張したのでした。
 男の主張を支持した若者が中心となり、ドラゴーナを変えようと実力行使にでたのです。
 命の危険を感じた前王は、生まれたばかりの王子を避難させました。
 反乱軍の手が絶対に届かない安全な場所、そう、対になっている世界へ。今まで王が暮らしていた対の世界は、王家の者だけが知る通路でしか行けないからです。

 二十年余りに渡る戦争は、王家軍の勝利で半年前にやっと終わりました。
 戦争の代償は大きく、前王をはじめ、王家の方々は全て殺害されてしまいました。
 反乱軍が民や街には手を出さず、城の裏に広がる広大な森を戦場にしたことだけが不幸中の幸いでした。戦争中も、民は通常の暮らしを続けることができたのですから。
 平和を取り戻した今、ドラゴーナに必要なのは王なのです。王は、民の心の支えなのです。



 話を終えた使者が、閉じていた目を開ける。その目が見つめる先は、俺だった。
 神に祈るような、助けを求めるようなその視線に戸惑ってしまう。

「諒……」

 諒は何を思ったのか知りたくて肩口に置かれた顔を覗くと、神妙な表情を浮かべていた。

「避難させられた王子が、朔夜さんというわけか?」
「そうです」
「俺達は、死んだわけではないということなのか?」
「はい。二つの世界が繋がる通路に吸い込まれたのです」

 諒は納得したように頷いているが、俺は納得できない。
 確かに、俺は捨て子だった。その条件だけはあっているが、王なんて器ではない。
 それに、あの事故で死んでいなかったのだとしても、俺はもうすぐ……

「俺、もうすぐ死ぬんだけど」

 そう、脳腫瘍のせいで長くは持たないのだった。

「朔夜さん……」

 希望を抱いていた様子の諒が、はっとしたように息を呑み、俺を掻き抱いてくる。
 一緒に天国に来れたと思っていたのに、実はまだ生きていて、本当の別れが訪れるのを待たなければいけないなんて、残酷すぎる。

「王は亡くなりませんよ。健康体そのものです」
「嘘だ。脳に腫瘍があるんだ。助からないって医者に言われた」

 全ての記憶が戻ったので、検査中に医者が看護師と話していた自分の病状も知っている。

「それは、王の角の生える兆候だったのでしょう」
「王の角?」
「はい。王家の者は成人になると、王の角が生えてくるのです」
「そんなもの……っ!」

 角なんてない、と否定しようとしたら、頭に激痛が走った。脳味噌が破裂するのではないかというほどの痛みに、気を失いそうになる。
 諒が必死で体を擦ってくれているが、痛みは和らがない。遂に本当の別れがきてしまってのか、と絶望で打ちひしがれそうになっていると、突然痛みが収まった。

(まさか、死んだのか?)

 パニックを起こしそうになったが、背中を擦ってくれている温かな手がそれを止めた。
 ゆっくり振り返ると、諒が目を丸くしていた。

「どうしたんだ?」
「角が……生えています」
「角?」

 諒が指差す位置を触ってみる。耳の上辺りに、羊みたいな角があった。

「それが王の角です、新王」

 俺の前に歩み寄ってきた使者が、敬意を払うように跪いた。
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