エンディング目前の半透明な令息と、60日の寄り道を

杏野 いま

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第一章 普通を夢見た霊感令嬢

05.早朝のお仕事(1)

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 ジャスパーと語り合った翌日、研究室の扉をノックする音でララは目を覚ました。

「ララ、こんな時間にすまない。手伝ってほしいことがあるんだ」

 扉の外から叔父の声が聞こえる。だが辺りは真っ暗だ。ベッドの近くのランプを灯し、時計を凝視する。

(まだ二時過ぎ……? 珍しい、こんな時間に手伝いなんて)

 ぼんやりとした頭で考えながらも、急いで起き上がりコートハンガーにかけた白衣を手に取る。

「すぐ開けます」

 白衣を羽織りゴーグルをつけたララが扉を開けると、ランタンを持った叔父が立っていた。

「おはようございます。どうされたんですか?」
「緊急で魔道具展開の依頼が入ってね」
開発局うちを通さないと展開できないものというと、結界関係ですか」
「うん。『安眠の』を展開する」
「……国王陛下のご命令以外で、あれを使うのですか?」

 安眠の間とは、最上級の結界魔道具の名称だ。製作費用と時間が多くかかるため、現在は国王陛下の寝室にのみ使用されている。

「うちは対価さえ払って貰えるなら、大抵のことには協力しないといけないからね。ララには外での仕事を回したくなかったんだけど……」

 この時間に出勤している局員はほとんどいない。叔父がわざわざ呼びに来たのだから、動ける人間が自分しかいないのだろう。
 昨日までなら間違いなく、外部の仕事は断っていた。だがもう、カルマンによる制限はない。ジャスパーにも自分の気持ちを優先しろと言われた。それならば、叔父の役に立ちたい。

「大丈夫です、やらせてください」

 ララは頷き、叔父と二人で準備を始めた。必要な物をトランクに詰め、叔父の後を追って開発局を出る。暗い時間の外出は、ちょっとした冒険のようだ。
 馬車の近くまで来た時、ふと疑問が浮かんだ。

「叔父様、結界の依頼主はどなたなのですか?」

 右斜め前を進む背中に向かって声をかけると、叔父の肩が一瞬跳ねた。

「ごめんなさい、聞かない方が良かったですか?」
「いや、どうせすぐに分かるし言おうと思ってたんだけど……依頼主はね、グラント公爵家なんだ」
「え?」

 家名を聞いて真っ先に思い浮かべたのは、大空のような瞳を細めて笑う、テオドールの姿だった。

「どうしてグラント家に結界が必要なんですか?」
「さあねぇ、私にも分からないよ。……というか聞けないんだ。ほら、開発局の心得にある、『求められれば必要な物を必要なだけ提供し、余計な詮索せんさくはしないこと』ってやつだよ」

 特に意識したことはないが、確かにそんな心得がある。
 
「つまり私たちは、何があっても口出しをしてはいけない、と」
「そういうことになるねぇ」

 なんと不自由な心得なのだろう。

(あんな高価な結界を依頼するくらいだから、絶対何かあるはずなのに……)

 テオドールに聞けば答えを教えてくれるかもしれないが、叔父が彼の名前を出さなかったということは、彼本人ではなく、彼の家族が依頼主である可能性が高い。
 下手に首を突っ込んで問題が起こっては、開発局の名を汚してしまう。詮索したい気持ちは押し殺すべきだろう。

 自分の好奇心にふたをして馬車に乗り込む。人気ひとけのない早朝の街を眺めながら、ララはしばらくの間、無言で馬車に揺られていた。








 グラント公爵家が所有するタウンハウスに到着したララは、すぐさま叔父と共に結界を張るためのマーキングを開始した。
 グラント家に仕える騎士の案内で、屋敷の周りを一周する。座標を確認しながら地図に印をつけ、正門の前に戻って来ると、四十代くらいの女性が立っていた。艶のある黒髪を、低い位置でシニヨンにしている。おそらくテオドールの母、グラント公爵夫人だろう。

 生きている人間と接するのに不慣れなララは、ここに来て急な緊張に襲われた。早まる鼓動を抑えようと深呼吸をする。このままではトランクの持ち手が手汗で濡れてしまいそうだ。

(失礼なことを言いませんように不快な思いをさせませんようにどうか嫌われませんように)

 脳内で繰り返し祈りながら、叔父の後ろについて夫人に近付く。――大丈夫、いつも通りゴーグルをしているのだから顔を見られることもない。誰も自分を呪われた令嬢だとは思わない。大丈夫、大丈夫。
 自分を励まし、意を決して夫人の顔を見たララは、金縛りにでもあったかのように動けなくなった。

(目が、真っ赤だわ……)

 泣き腫らしたような夫人の顔。予想外の状況に驚き、何も言えない。だが叔父は、人好きのする笑みを浮かべて挨拶をする。

「グラント公爵夫人、開発局局長のヘンリー・モルガンです。ご依頼のあった結界は、いつでも展開可能です」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 社交の場ではないため、必要最低限しか言葉を交わさないようだ。叔父は夫人の涙について触れない。
 ララとしては涙の理由が気になって仕方がないのだが、今は仕事中であり、私情は挟めない。冷静に任務を遂行すべきだ。

 叔父の隣に立ち、夫人に向かって頭を下げる。名前を出すのには躊躇ためらいがあるため、事前に叔父に頼み、名乗らぬことを許可してもらっている。
 顔を上げたララはゴーグル越しに夫人を見つめ、説明を始めた。
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