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第三章 半透明で過保護な彼との、上手な仕事の進め方
42.黒と赤の密会(1)【テオドール視点】
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テオドールが執務室に戻ったのは、日が沈んだ後だった。
ひと月ほど前までは書類の山だったこの部屋も、今ではすっかり片付いている。
時折腕に視線を向けながら、自分が知っている情報を紙に書き出す。
しばらくすると、廊下からバタバタと足音が聞こえた。わざと足音を立てているということは、あの男はララに会いに来たのだろう。
テオドールがペンを置いて顔を上げると、部屋の扉から赤髪が飛び込んできた。血相を変えて、ノックもせずに。
「ララ無事︎⁉︎」
何度も見てきた、目くらましの赤。
現れたのはテオドールの旧友、ジャスパー・フォードだった。
「あなた、子供助けるために川に飛び込んだって。……起きて大丈夫なの? 怪我は?」
呼吸を乱したジャスパーが、こちらに近寄ってくる。全力で走ってきたのだろう。偽りだらけの新緑色の瞳が、不安げに揺れている。
「それ以上近付くな」
「…………は?」
テオドールが短く言うと、ジャスパーは目を剥いた。人生で初めてだろう。ララの口から拒絶されたのは。
こんなことをしたって事情を知っているジャスパーに効果はないのだが、嫌がらせをせずにはいられなかった。
ジャスパーがテオドールに、ある事を隠していたからだ。
ジャスパーは五秒ほど固まった後、「マジ?」と顔をしかめる。そのまま背中から倒れ込むようにソファに座った。
「なーんだ、テオなの? ララ出しなさいよぉ。あたしは全部知ってるんだから」
そう。この男は、――知っている。
「ソファを殴るな。あとララは寝てるから出てこない」
「あんたが無茶させたからでしょ? 草むしりに行ったはずなのに、どーして子供担いで川から這い出すことになるわけ?」
不服そうに眉間にしわを寄せるジャスパー。さすがに昼間の情報は、まだ完全には伝わっていないらしい。
テオドールは自分の机から離れ、ジャスパーの正面に腰掛けた。
「気になるのか?」
「当たり前でしょ。だって」
「ララのことだから、か?」
「……そうよ」
「そうか、そうだよな。じゃあ質問に答えよう。だがその前に、……お前に聞きたい。ジャスパー・フォード」
テオドールが纏う空気が変わったと気付いたのか、ジャスパーはソファを殴る手を止めた。
「ララが傷つけられていたことを、なぜ俺に報告しなかった」
これだけ言えば、この男には伝わるはずだ。チェスター・カルマンの名前を出さずとも。
知っていたはずなのだ。ジャスパーはララの身に降りかかった出来事を知った上で、何年も見て見ぬふりを貫いていた。
ジャスパーの考えはある程度予想がつく。責めるつもりはない。けれども二人の関係上、意図的な報告漏れを見逃すわけにはいかなかった。
「あたしの仕事じゃないからよ」
答えを待つテオドールに、ジャスパーはそう吐き捨てた。
「お喋り好きで人当たりの良い、害のないジャスパー・フォード。その立場を守るのがあたしの役目。ララの個人情報を流すのは任務に含まれてない」
悪びれもなくジャスパーは答える。
「ララを救う方法はあったはずなのに、お前はそれすらしなかった」
「誰か一人に肩入れしたって、何の得もないじゃない。あたしがいろんな情報持ってるってバレたら、今までの苦労が水の泡になる。しくじったら、あんた達にも迷惑がかかると思った。あたしはそんなリスクを負いたくなかったから、ララを助けなかったし、あんたに報告しなかった」
一般人ならば、簡単にこの男の言葉を信じてしまうだろう。部外者のララを見捨て、任務を優先したのだと。別に間違えていない。それが本心であってもおかしくはない。
だがテオドールは、自分の親友が正直者で大噓つきだと知っている。この先の言葉があることを、知っている。
「――で?」
「で? って何よ」
「建前は分かった。次は本音を話せ」
まだ終わりじゃないんだろ、と目で促すと、ジャスパーが吹き出した。真っ赤な前髪をかき上げ、ソファに座り直す。
「え~、あたしの嘘そんなに下手?」
「ララが絡んでなければ、そこそこ上出来だった」
ジャスパーが保身のためにララを助けなかったとは考えられないだけだ。
「お前が俺に報告しなかったのは、……それがララの望みだと考えたから、だろ?」
おそらくジャスパーは、ララの意思を守りたかったのだ。
「……全部お見通しってわけね。ちょっと前までララがカルマンを好きだって勘違いしてたくせに」
そこについては触れてくれるな。愚かな自分を殴りたいのに、ララの体だから殴れないのだ。テオドールは行き場のない自分への怒りを舌打ちで誤魔化す。
「チェスター・カルマンについては何も聞かないと決めていたんだ」
「好きな子の口から婚約者の惚気話とかされたら耐えらんないもんね。そりゃあ話を降らないのが一番だわ」
「……」
図星を突かれたテオドールの目元がひくつく。話題を変えた方が賢明だと思ったのか、ジャスパーは苦笑いを浮かべてララの話に戻した。
「ララはね、手を差し伸べられることを望んでいなかった」
だからジャスパーは、ララの痛みに気付かないふりをした。
「あの子にとって、自分が受けた傷は恥なのよ。暴力を振るわれることも、侮辱されることも、全部自分のせいだと思ってる。だから誰にも苦しみを打ち明けなかった」
テオドールの脳裏に、川岸を走るララが蘇る。
『――ご存知の通り、私は両親に迷惑しかかけられない、情けなくて、どうしようもない娘です』
『もう、役立たずには戻りたくないんです! 協力してください、グラント卿』
(そうか。……そういうことか)
特異な体質を持つ自分を、彼女は今でも許せていない。少しずつ前向きになっているが、まだ完全ではないのだろう。
王国で五本の指に入るほど優れた、魔道具の専門家なのに。優しさも美しさも聡明さも、全て努力の賜物なのに。彼女は自分を、認められない。
ひと月ほど前までは書類の山だったこの部屋も、今ではすっかり片付いている。
時折腕に視線を向けながら、自分が知っている情報を紙に書き出す。
しばらくすると、廊下からバタバタと足音が聞こえた。わざと足音を立てているということは、あの男はララに会いに来たのだろう。
テオドールがペンを置いて顔を上げると、部屋の扉から赤髪が飛び込んできた。血相を変えて、ノックもせずに。
「ララ無事︎⁉︎」
何度も見てきた、目くらましの赤。
現れたのはテオドールの旧友、ジャスパー・フォードだった。
「あなた、子供助けるために川に飛び込んだって。……起きて大丈夫なの? 怪我は?」
呼吸を乱したジャスパーが、こちらに近寄ってくる。全力で走ってきたのだろう。偽りだらけの新緑色の瞳が、不安げに揺れている。
「それ以上近付くな」
「…………は?」
テオドールが短く言うと、ジャスパーは目を剥いた。人生で初めてだろう。ララの口から拒絶されたのは。
こんなことをしたって事情を知っているジャスパーに効果はないのだが、嫌がらせをせずにはいられなかった。
ジャスパーがテオドールに、ある事を隠していたからだ。
ジャスパーは五秒ほど固まった後、「マジ?」と顔をしかめる。そのまま背中から倒れ込むようにソファに座った。
「なーんだ、テオなの? ララ出しなさいよぉ。あたしは全部知ってるんだから」
そう。この男は、――知っている。
「ソファを殴るな。あとララは寝てるから出てこない」
「あんたが無茶させたからでしょ? 草むしりに行ったはずなのに、どーして子供担いで川から這い出すことになるわけ?」
不服そうに眉間にしわを寄せるジャスパー。さすがに昼間の情報は、まだ完全には伝わっていないらしい。
テオドールは自分の机から離れ、ジャスパーの正面に腰掛けた。
「気になるのか?」
「当たり前でしょ。だって」
「ララのことだから、か?」
「……そうよ」
「そうか、そうだよな。じゃあ質問に答えよう。だがその前に、……お前に聞きたい。ジャスパー・フォード」
テオドールが纏う空気が変わったと気付いたのか、ジャスパーはソファを殴る手を止めた。
「ララが傷つけられていたことを、なぜ俺に報告しなかった」
これだけ言えば、この男には伝わるはずだ。チェスター・カルマンの名前を出さずとも。
知っていたはずなのだ。ジャスパーはララの身に降りかかった出来事を知った上で、何年も見て見ぬふりを貫いていた。
ジャスパーの考えはある程度予想がつく。責めるつもりはない。けれども二人の関係上、意図的な報告漏れを見逃すわけにはいかなかった。
「あたしの仕事じゃないからよ」
答えを待つテオドールに、ジャスパーはそう吐き捨てた。
「お喋り好きで人当たりの良い、害のないジャスパー・フォード。その立場を守るのがあたしの役目。ララの個人情報を流すのは任務に含まれてない」
悪びれもなくジャスパーは答える。
「ララを救う方法はあったはずなのに、お前はそれすらしなかった」
「誰か一人に肩入れしたって、何の得もないじゃない。あたしがいろんな情報持ってるってバレたら、今までの苦労が水の泡になる。しくじったら、あんた達にも迷惑がかかると思った。あたしはそんなリスクを負いたくなかったから、ララを助けなかったし、あんたに報告しなかった」
一般人ならば、簡単にこの男の言葉を信じてしまうだろう。部外者のララを見捨て、任務を優先したのだと。別に間違えていない。それが本心であってもおかしくはない。
だがテオドールは、自分の親友が正直者で大噓つきだと知っている。この先の言葉があることを、知っている。
「――で?」
「で? って何よ」
「建前は分かった。次は本音を話せ」
まだ終わりじゃないんだろ、と目で促すと、ジャスパーが吹き出した。真っ赤な前髪をかき上げ、ソファに座り直す。
「え~、あたしの嘘そんなに下手?」
「ララが絡んでなければ、そこそこ上出来だった」
ジャスパーが保身のためにララを助けなかったとは考えられないだけだ。
「お前が俺に報告しなかったのは、……それがララの望みだと考えたから、だろ?」
おそらくジャスパーは、ララの意思を守りたかったのだ。
「……全部お見通しってわけね。ちょっと前までララがカルマンを好きだって勘違いしてたくせに」
そこについては触れてくれるな。愚かな自分を殴りたいのに、ララの体だから殴れないのだ。テオドールは行き場のない自分への怒りを舌打ちで誤魔化す。
「チェスター・カルマンについては何も聞かないと決めていたんだ」
「好きな子の口から婚約者の惚気話とかされたら耐えらんないもんね。そりゃあ話を降らないのが一番だわ」
「……」
図星を突かれたテオドールの目元がひくつく。話題を変えた方が賢明だと思ったのか、ジャスパーは苦笑いを浮かべてララの話に戻した。
「ララはね、手を差し伸べられることを望んでいなかった」
だからジャスパーは、ララの痛みに気付かないふりをした。
「あの子にとって、自分が受けた傷は恥なのよ。暴力を振るわれることも、侮辱されることも、全部自分のせいだと思ってる。だから誰にも苦しみを打ち明けなかった」
テオドールの脳裏に、川岸を走るララが蘇る。
『――ご存知の通り、私は両親に迷惑しかかけられない、情けなくて、どうしようもない娘です』
『もう、役立たずには戻りたくないんです! 協力してください、グラント卿』
(そうか。……そういうことか)
特異な体質を持つ自分を、彼女は今でも許せていない。少しずつ前向きになっているが、まだ完全ではないのだろう。
王国で五本の指に入るほど優れた、魔道具の専門家なのに。優しさも美しさも聡明さも、全て努力の賜物なのに。彼女は自分を、認められない。
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