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第五章 半透明な愛を知ってから
60.夜会と呪われた令嬢(5)
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予想だにしなかった侯爵の言葉に、ララはさらに狼狽える。侯爵は意外と冗談を言う人なのだろうか。だとすると先ほどまでのイメージと違いすぎる。
隣のテオドールが愉快そうな点もいただけない。笑ってないで助けてほしい。
情けない顔で大広間から退出しようとしたララだったが、次の瞬間、ピタリと動きを止めた。
「君には申し訳ないことをした」
シアーズ侯爵がララに向かって、頭を下げたのだ。
「私は君の能力を信じたくなかった。君の噂だけを利用し、言いたくないことを言わせようとした。君の気持ちを無視した行いだった」
テオドールが侯爵について『真面目な男だ』と言っていたが、その通りのようだ。こんなに大勢の前で、嫌われ者の小娘に頭を下げるとは。
「侯爵。結局私は、依頼を達成できていませんので」
「そんなことはない」
頭を上げた侯爵の表情は、心なしか柔らかかった。アイスグレーの瞳から、初めて温もりを感じる。
「私が君を呼んだのは、ケイトに笑ってほしかったからだ。君は私を恐れることなく真実を話し、見事に依頼を達成した。……同時に私は、夫としても父としても足りない男だと痛感させられた」
「それは違います」
ララも最初は、シアーズ侯爵が夫人の言葉を疑う、愛の薄い人なのだと思っていた。だが今の話を聞いて確信した。シアーズ侯爵は夫人を信じていなかったのではない。霊を信じたくなかったのだ。
「私には霊が見えない。いくら心身を鍛えようとも、怯える妻一人守ってやれない。無力な自分を認めたくなかったんだ」
「ですが侯爵は、世間に嫌われている私を呼んででも、夫人を救おうとされました」
そんな人だから、アンジーも心配していたのだろう。
「誰しもできることとできないことがあります。私は侯爵のように、勇ましく戦うことはできません」
「最近は、捜査官たちを日々投げ飛ばしていると聞くが」
「……それには、色々と事情がありまして。と、とにかく、霊に関しては私が適任だったということです。適任者を雇った侯爵は、無力などではありません。夫人とアンジー様を愛していらっしゃる、素敵な男性です」
「アンジーは、……こんな父親を許してくれるだろうか」
「明日の朝、抱きしめてあげてください。それで全て解決です」
生霊になるほど両親を愛しているアンジーが、許さないはずがない。そもそも怒っているのではないのだから。
ララが笑顔で励ますと、侯爵も表情を緩めた。
「あー……、こんなに朝が待ち遠しいのは、初めてだ」
すでに夜会どころではなさそうな侯爵と、しばらくの間アンジーについて話をした。
父の顔になった侯爵からは硬い雰囲気が感じられず、娘を大切に思っているのだと伝わってきた。今の姿をアンジーにも見せてあげたい。
そんなことを考えていると、侯爵が執事を呼び、ララのヴェールを預けた。
「ヴェールは後日、オルティス伯爵家に届けよう。今返すと、君は顔を隠すだろうから」
家に届けられるのは困る。夜会に参加していることを両親は知らない。突然ヴェールが届けば驚かせてしまうだろう。
ララは侯爵に事情を説明し、捜査局に届けてもらえないかと尋ねた。
「オルティス伯爵には昼頃私から手紙を出しているから、今夜のことはご存知だ」
「……え?」
「実は捜査局に依頼状を送る前に、三度オルティス伯爵に君を借りたいと頼んだんだ。突っぱねられたが」
「ち、父が断ったのですか?」
格上の貴族相手に断るのは、リスクが大きい。なぜそんなことを。
「おそらく伯爵は、君の噂だけを利用しようとする私の考えを読んでいらっしゃったのだろう。君のことになるとオルティス家は鉄壁だと分かっていたが、予想以上だった。三度目の依頼では、『あの子を利用するのなら、第二騎士団には今後船を提供しない』とまで言われた」
そこで侯爵は、オルティス伯爵家ではなく捜査局への依頼という形に変更したらしい。
開いた口が塞がらない。あの明るくて人当たりの良い父が、脅すようなことを言うなんて。
「君が依頼を受けてくれたのは幸運だったが、狡い手段をとったことに変わりはない。だから昼間に報告の手紙を出したんだ」
「そう、だったのですか」
「後でどんな仕打ちを受けるか、恐ろしいものだがな」
「父は優しい人です。きっと船の件は冗談で」
「いや、あれは本気だ。伯爵は君のためなら、国外への移住だって考える男だからな」
意味が理解できないララは黙り込む。
「やはり君は知らないのか。あんなに私たちにご両親への愛を語っておいて、君はご両親からの愛をほとんど理解していない」
侯爵は顎に手を当て、「こういう話は直接聞くべきだな」と、一人で納得している。
「次オルティス伯爵に会った時、聞いてみたまえ。『なぜいつまでも自分の手で、船を造り続けるのか』と」
父と母が自ら船を設計するのは、二人とも船が好きだからだ。少なくともララは、そう思っている。別の理由があるのだろうか。
ララが唸っていると、シアーズ侯爵が広間の入り口を見てつぶやいた。
「噂をすれば、いらっしゃったようだ」
一組の男女が広間内を見回している。離れていても、すぐに誰か分かった。
「お父様、お母様……」
「君のことが心配で様子を見に来られたのだろう」
屋敷に届いた手紙を読み、急いで支度をしてくれたようだ。
「……行ってきても、よろしいですか」
「もちろん。私も君を呼び出した件を謝罪したい。家族での話が終わったら合図してくれ」
「承知しました」
両親と顔を合わせるのは、婚約破棄の報告をした日以来だ。
思い返せばあの日から、ララの生活は一変した。半透明なテオドールと共に過ごし、心が動いた。
勇気を出すなら今しかない。昔のように、両親と一緒に笑えるようになりたい。素直な気持ちを伝えよう、と一歩踏み出した。
――だがそこで、二度と聞くことはないだろうと思っていた声に呼び止められた。
「久しぶりですね、オルティス伯爵令嬢」
途端に背筋が寒くなる。
紳士の仮面を被って近付いてくる声の主に、ララは聞きたかった。
(あなたの目的はなんなのですか)
「……カルマン卿」
隣のテオドールが愉快そうな点もいただけない。笑ってないで助けてほしい。
情けない顔で大広間から退出しようとしたララだったが、次の瞬間、ピタリと動きを止めた。
「君には申し訳ないことをした」
シアーズ侯爵がララに向かって、頭を下げたのだ。
「私は君の能力を信じたくなかった。君の噂だけを利用し、言いたくないことを言わせようとした。君の気持ちを無視した行いだった」
テオドールが侯爵について『真面目な男だ』と言っていたが、その通りのようだ。こんなに大勢の前で、嫌われ者の小娘に頭を下げるとは。
「侯爵。結局私は、依頼を達成できていませんので」
「そんなことはない」
頭を上げた侯爵の表情は、心なしか柔らかかった。アイスグレーの瞳から、初めて温もりを感じる。
「私が君を呼んだのは、ケイトに笑ってほしかったからだ。君は私を恐れることなく真実を話し、見事に依頼を達成した。……同時に私は、夫としても父としても足りない男だと痛感させられた」
「それは違います」
ララも最初は、シアーズ侯爵が夫人の言葉を疑う、愛の薄い人なのだと思っていた。だが今の話を聞いて確信した。シアーズ侯爵は夫人を信じていなかったのではない。霊を信じたくなかったのだ。
「私には霊が見えない。いくら心身を鍛えようとも、怯える妻一人守ってやれない。無力な自分を認めたくなかったんだ」
「ですが侯爵は、世間に嫌われている私を呼んででも、夫人を救おうとされました」
そんな人だから、アンジーも心配していたのだろう。
「誰しもできることとできないことがあります。私は侯爵のように、勇ましく戦うことはできません」
「最近は、捜査官たちを日々投げ飛ばしていると聞くが」
「……それには、色々と事情がありまして。と、とにかく、霊に関しては私が適任だったということです。適任者を雇った侯爵は、無力などではありません。夫人とアンジー様を愛していらっしゃる、素敵な男性です」
「アンジーは、……こんな父親を許してくれるだろうか」
「明日の朝、抱きしめてあげてください。それで全て解決です」
生霊になるほど両親を愛しているアンジーが、許さないはずがない。そもそも怒っているのではないのだから。
ララが笑顔で励ますと、侯爵も表情を緩めた。
「あー……、こんなに朝が待ち遠しいのは、初めてだ」
すでに夜会どころではなさそうな侯爵と、しばらくの間アンジーについて話をした。
父の顔になった侯爵からは硬い雰囲気が感じられず、娘を大切に思っているのだと伝わってきた。今の姿をアンジーにも見せてあげたい。
そんなことを考えていると、侯爵が執事を呼び、ララのヴェールを預けた。
「ヴェールは後日、オルティス伯爵家に届けよう。今返すと、君は顔を隠すだろうから」
家に届けられるのは困る。夜会に参加していることを両親は知らない。突然ヴェールが届けば驚かせてしまうだろう。
ララは侯爵に事情を説明し、捜査局に届けてもらえないかと尋ねた。
「オルティス伯爵には昼頃私から手紙を出しているから、今夜のことはご存知だ」
「……え?」
「実は捜査局に依頼状を送る前に、三度オルティス伯爵に君を借りたいと頼んだんだ。突っぱねられたが」
「ち、父が断ったのですか?」
格上の貴族相手に断るのは、リスクが大きい。なぜそんなことを。
「おそらく伯爵は、君の噂だけを利用しようとする私の考えを読んでいらっしゃったのだろう。君のことになるとオルティス家は鉄壁だと分かっていたが、予想以上だった。三度目の依頼では、『あの子を利用するのなら、第二騎士団には今後船を提供しない』とまで言われた」
そこで侯爵は、オルティス伯爵家ではなく捜査局への依頼という形に変更したらしい。
開いた口が塞がらない。あの明るくて人当たりの良い父が、脅すようなことを言うなんて。
「君が依頼を受けてくれたのは幸運だったが、狡い手段をとったことに変わりはない。だから昼間に報告の手紙を出したんだ」
「そう、だったのですか」
「後でどんな仕打ちを受けるか、恐ろしいものだがな」
「父は優しい人です。きっと船の件は冗談で」
「いや、あれは本気だ。伯爵は君のためなら、国外への移住だって考える男だからな」
意味が理解できないララは黙り込む。
「やはり君は知らないのか。あんなに私たちにご両親への愛を語っておいて、君はご両親からの愛をほとんど理解していない」
侯爵は顎に手を当て、「こういう話は直接聞くべきだな」と、一人で納得している。
「次オルティス伯爵に会った時、聞いてみたまえ。『なぜいつまでも自分の手で、船を造り続けるのか』と」
父と母が自ら船を設計するのは、二人とも船が好きだからだ。少なくともララは、そう思っている。別の理由があるのだろうか。
ララが唸っていると、シアーズ侯爵が広間の入り口を見てつぶやいた。
「噂をすれば、いらっしゃったようだ」
一組の男女が広間内を見回している。離れていても、すぐに誰か分かった。
「お父様、お母様……」
「君のことが心配で様子を見に来られたのだろう」
屋敷に届いた手紙を読み、急いで支度をしてくれたようだ。
「……行ってきても、よろしいですか」
「もちろん。私も君を呼び出した件を謝罪したい。家族での話が終わったら合図してくれ」
「承知しました」
両親と顔を合わせるのは、婚約破棄の報告をした日以来だ。
思い返せばあの日から、ララの生活は一変した。半透明なテオドールと共に過ごし、心が動いた。
勇気を出すなら今しかない。昔のように、両親と一緒に笑えるようになりたい。素直な気持ちを伝えよう、と一歩踏み出した。
――だがそこで、二度と聞くことはないだろうと思っていた声に呼び止められた。
「久しぶりですね、オルティス伯爵令嬢」
途端に背筋が寒くなる。
紳士の仮面を被って近付いてくる声の主に、ララは聞きたかった。
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