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第四章 二人の寄り道が終わるまで
75.約束
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足が勝手に動いていた。全速力で人の間を縫うように走る。
後ろからフロイドたちの声が聞こえたが、振り向く余裕はなかった。
頭の中が、ぐちゃぐちゃだ。
(そんな……そんなことって)
霊になった人の家に『棺が届いた』と聞いたら、勘違いするしかないではないか。
ララは大広間から飛び出し、正門に向かって玄関ホールと庭園を駆け抜ける。
(初めから騙されていたなんて)
ララだけではない。捜査官も国民も、テオドールさえも欺かれたのだ。――グラント公爵家に。
違和感はあった。テオドールのイヤーカフを届けに行った日のことだ。
マリッサは一度も聞いてこなかった。『テオドールの霊は、この場にいないのか』と。
彼女は霊の存在とララの体質を信じていた。それならば、五十九日の寄り道期間も信じている可能性が高い。つまり、テオドールの魂が五十九日間漂っていると考えるはずなのだ。
だがマリッサは霊について聞いてこなかった。理由は簡単。彼女は自分の息子が霊になっていると、夢にも思わなかったのだ。
(テオが言ってた。グラント公爵家には、屋敷の中にも医療設備が整ってるって。……人命救助のためなら、なんでもする家だって)
――もしも、の話だ。
グラント公爵家が安眠の間を屋敷に展開した理由が、『死んだ息子の遺体を五十九日間守るため』ではなく、『意識不明の息子を、姿が見えない外敵から守り抜くため』だったとしたら。
テオドールが帰った場所が、『神の元』ではなく、『意識が戻りかけた自分の体』だったとしたら。
耳に届く蹄の音が大きくなってきた。正門付近にぼんやりと馬のような影が見えて、ララは足を止める。肩で息をし、影を見つめる。
馬から飛び降りた人影が、迷いなくこちらに向かって走ってきた。
外灯に照らされて、はっきりと相手の顔が見えた。
これは現実なのだろうか。ようやく見えたと思ったのに、すぐにぼやけて見えなくなる。
涙が溢れて止まらなかった。拭うのを諦めて、しゃくりあげながら叫んだ。
だって、ひどいではないか。
「生霊だったなんて、聞いてないです!」
強い衝撃と共に、覆いかぶさるように抱きしめられた。捜査局の制服越しに、鼓動が聞こえる。
テオドールの心臓が、動いている。
「俺もさっき気付いたんだ」
――死んでなかった、って。
テオドールは言いながら、腕にぎゅうっと力を込めた。
「わ、私が、今日一日で、どれだけっ……!」
「分かってる悪かった。何回でも謝るし殴って良いから泣き止んでくれ」
ぽろぽろとこぼれる涙を、焦った様子のテオドールが拭う。触れる指先が優しくて、さらに涙が出てくる。
ララだって怒っているわけではない。本当はもっと可愛いことを言いたい。だが彼との会話が夢みたいで、覚めてしまわないか不安で、感情と言葉がちぐはぐなのだ。
鼻をすすり、涙を止めようと試みる。ほんの二ヵ月前まで涙を止めるのは得意だったのに、随分と泣き虫になってしまったものだ。
「……本当の本当に、生きて、いるのですね」
「奇跡的にな」
改めてテオドールを見上げると、少し髪が乱れていた。馬を飛ばしてきたからだろう。彼に頭を下げてもらい、整える。
「先ほどまで眠っていたのですか?」
「ああ。起きてすぐここに来た」
「急に動いて大丈夫なのですか? 刺し傷も……」
「数日前までは死にかけてたらしい。だが今は問題ない」
数日でそんなに回復するものなのだろうか。心配そうな表情を浮かべたララの首筋に、テオドールが顔を埋めた。甘えるようにすり寄られ、背筋が痺れる。
「目が覚めたら、君の香りがした」
「香り……?」
「母に渡しただろ。『大地のおすそ分け』」
ララがイヤーカフを届けに行った日、テオドールの命は長くないと考えられていたそうだ。傷の治療は完璧だったものの、彼は血を失いすぎた。
昏睡状態が続き、脈も徐々に弱まっていた。神に祈るしかできぬ日々。
テオドールの死を偽るために用意した棺を、実際に使う日が近付いてくる。
テオドールの母、マリッサは、最後にテオドールを喜ばせようとしたらしい。彼が好きだったものを使おうと、ララが贈ったアロマオイルを病室で使ったのだ。
「両親はたまげただろうな。いつ死んでもおかしくない状態だった俺が、みるみるうちに回復していったんだから。……なあララ。大地のおすそ分けの効能は?」
「精神安定と…………生命力の、活性化、です」
だよなぁ、とテオドールが喉を鳴らした。
「君が俺を、救ってくれた」
ああ、どうしよう。
せっかく涙が止まったと思ったのに。
俯いて顔を隠そうとしたのだが、テオドールに阻まれた。
「ありがとな、ララ」
テオドールが顔を傾けたのを見て、ララは身を委ねた。唇が重なり、わずかに離れては、深く合わさる。
呼吸が乱れる。熱い吐息ごと絡め取られ、食べられてしまいそうだった。足から力が抜けて立っていられない。テオドールに抱きしめられながら、必死に彼の制服を掴んだ。
欲しい、欲しい。奪ってほしい。
どれほどそうしていたのだろう。ララの全身が赤く染まった頃、二人は口付けをやめた。
体中が熱くて、ぼーっとする。蕩けた顔で呼吸を繰り返した。
「約束、ちゃんと守ったぞ」
頭上から聞こえた低い声に、ララはこくんと頷く。
「……おかえりなさい、テオ」
「ああ、……ただいま」
互いにもう一度唇を重ね、名残惜しそうに離れる。
目の前には、大空みたいな青があった。
「君と生きるために、戻ってきた」
後ろからフロイドたちの声が聞こえたが、振り向く余裕はなかった。
頭の中が、ぐちゃぐちゃだ。
(そんな……そんなことって)
霊になった人の家に『棺が届いた』と聞いたら、勘違いするしかないではないか。
ララは大広間から飛び出し、正門に向かって玄関ホールと庭園を駆け抜ける。
(初めから騙されていたなんて)
ララだけではない。捜査官も国民も、テオドールさえも欺かれたのだ。――グラント公爵家に。
違和感はあった。テオドールのイヤーカフを届けに行った日のことだ。
マリッサは一度も聞いてこなかった。『テオドールの霊は、この場にいないのか』と。
彼女は霊の存在とララの体質を信じていた。それならば、五十九日の寄り道期間も信じている可能性が高い。つまり、テオドールの魂が五十九日間漂っていると考えるはずなのだ。
だがマリッサは霊について聞いてこなかった。理由は簡単。彼女は自分の息子が霊になっていると、夢にも思わなかったのだ。
(テオが言ってた。グラント公爵家には、屋敷の中にも医療設備が整ってるって。……人命救助のためなら、なんでもする家だって)
――もしも、の話だ。
グラント公爵家が安眠の間を屋敷に展開した理由が、『死んだ息子の遺体を五十九日間守るため』ではなく、『意識不明の息子を、姿が見えない外敵から守り抜くため』だったとしたら。
テオドールが帰った場所が、『神の元』ではなく、『意識が戻りかけた自分の体』だったとしたら。
耳に届く蹄の音が大きくなってきた。正門付近にぼんやりと馬のような影が見えて、ララは足を止める。肩で息をし、影を見つめる。
馬から飛び降りた人影が、迷いなくこちらに向かって走ってきた。
外灯に照らされて、はっきりと相手の顔が見えた。
これは現実なのだろうか。ようやく見えたと思ったのに、すぐにぼやけて見えなくなる。
涙が溢れて止まらなかった。拭うのを諦めて、しゃくりあげながら叫んだ。
だって、ひどいではないか。
「生霊だったなんて、聞いてないです!」
強い衝撃と共に、覆いかぶさるように抱きしめられた。捜査局の制服越しに、鼓動が聞こえる。
テオドールの心臓が、動いている。
「俺もさっき気付いたんだ」
――死んでなかった、って。
テオドールは言いながら、腕にぎゅうっと力を込めた。
「わ、私が、今日一日で、どれだけっ……!」
「分かってる悪かった。何回でも謝るし殴って良いから泣き止んでくれ」
ぽろぽろとこぼれる涙を、焦った様子のテオドールが拭う。触れる指先が優しくて、さらに涙が出てくる。
ララだって怒っているわけではない。本当はもっと可愛いことを言いたい。だが彼との会話が夢みたいで、覚めてしまわないか不安で、感情と言葉がちぐはぐなのだ。
鼻をすすり、涙を止めようと試みる。ほんの二ヵ月前まで涙を止めるのは得意だったのに、随分と泣き虫になってしまったものだ。
「……本当の本当に、生きて、いるのですね」
「奇跡的にな」
改めてテオドールを見上げると、少し髪が乱れていた。馬を飛ばしてきたからだろう。彼に頭を下げてもらい、整える。
「先ほどまで眠っていたのですか?」
「ああ。起きてすぐここに来た」
「急に動いて大丈夫なのですか? 刺し傷も……」
「数日前までは死にかけてたらしい。だが今は問題ない」
数日でそんなに回復するものなのだろうか。心配そうな表情を浮かべたララの首筋に、テオドールが顔を埋めた。甘えるようにすり寄られ、背筋が痺れる。
「目が覚めたら、君の香りがした」
「香り……?」
「母に渡しただろ。『大地のおすそ分け』」
ララがイヤーカフを届けに行った日、テオドールの命は長くないと考えられていたそうだ。傷の治療は完璧だったものの、彼は血を失いすぎた。
昏睡状態が続き、脈も徐々に弱まっていた。神に祈るしかできぬ日々。
テオドールの死を偽るために用意した棺を、実際に使う日が近付いてくる。
テオドールの母、マリッサは、最後にテオドールを喜ばせようとしたらしい。彼が好きだったものを使おうと、ララが贈ったアロマオイルを病室で使ったのだ。
「両親はたまげただろうな。いつ死んでもおかしくない状態だった俺が、みるみるうちに回復していったんだから。……なあララ。大地のおすそ分けの効能は?」
「精神安定と…………生命力の、活性化、です」
だよなぁ、とテオドールが喉を鳴らした。
「君が俺を、救ってくれた」
ああ、どうしよう。
せっかく涙が止まったと思ったのに。
俯いて顔を隠そうとしたのだが、テオドールに阻まれた。
「ありがとな、ララ」
テオドールが顔を傾けたのを見て、ララは身を委ねた。唇が重なり、わずかに離れては、深く合わさる。
呼吸が乱れる。熱い吐息ごと絡め取られ、食べられてしまいそうだった。足から力が抜けて立っていられない。テオドールに抱きしめられながら、必死に彼の制服を掴んだ。
欲しい、欲しい。奪ってほしい。
どれほどそうしていたのだろう。ララの全身が赤く染まった頃、二人は口付けをやめた。
体中が熱くて、ぼーっとする。蕩けた顔で呼吸を繰り返した。
「約束、ちゃんと守ったぞ」
頭上から聞こえた低い声に、ララはこくんと頷く。
「……おかえりなさい、テオ」
「ああ、……ただいま」
互いにもう一度唇を重ね、名残惜しそうに離れる。
目の前には、大空みたいな青があった。
「君と生きるために、戻ってきた」
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