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第七章 アイリス六歳
その56 ルーナリシア公女のお披露目会(後編)
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56
ルーナリシアは月晶石という宝石の名前であり、この大陸エナンデリアにおいて最も貴く高価な宝石である。
※ 地球名・adámas(ダイヤモンド) ※
今から五百年ほど前のこと。
エルレーン大公と正妃は仲睦まじく、正妃との間には跡取りの公嗣フィリクスをもうけていた。
その妹として生を受けた、その姫は、生まれたときから、きらきらと輝く美しい目を開いて、明るい笑い声をあげた。すると、姫の周囲に『精霊』が集まってきて、光の粉を降らせた。
吉兆である。
大公は喜び、姫に最も価値の高い宝石の名をつけた。
ルーナリシア。
エルレーン公国の歴史上、最も有名な姫君である。
豊かに波打つ黄金の髪と、群青色の中に金色が混じる不思議な瞳をしていた。この瞳は特別で、ヒトでありながら生まれつき『精霊』を視ることができた。
深窓の姫君ではなかったという。毎日のように野原を転げまわって、日に焼けて、よく笑った。けがれなき魂を持ち、世界にも、精霊たちにも愛された。
そして今も、吟遊詩人はうたう。
そのむかし、月のように美しい姫がいた。
身目麗しく、誰もが心惹かれたゆえに、求婚者がおしかけた。
しかし求婚者たちの本当の狙いは、大陸でもっとも精霊の祝福を受け、大地の恵みを享受するエルレーン公国を手に入れることだった。隣国レギオンをはじめとする他国は、姫を大公にするために、大公と正妃、後継ぎの公嗣の命を奪うだろう。
姫は憂えた。大公の相談役であった魔法使い『影の呪術師(ブルッホ・デ・ソンブラ)』に願い、親友であるエリゼール王国の王女ルイーゼと共に、身を清めて祠にこもり、祈りを捧げた。
やがて託宣が下りる。
一つの国にだけ精霊の恩寵が与えられることは妬み、嫉みのもととなる。
天秤を傾けないためにはエルレーン公国は代償を払わねばならない。
ルーナリシア公女はわが身を供物にと、精霊の国へ嫁ぐことを心にお決めになられた。反対する大公と正妃、兄が差し向けた追っ手を振り切って。
精霊に贈られた、誰も触れることのかなわない、純白のヴェールをかぶり、ひとり、『大地の深き穴』に赴き、身を投じたのだ。
残された人々は、その日を聖女ルーナリシアの記念日としたのである。
※
漆黒の魔法使いカルナックが差し伸べた、その手を取ったのは、末の姫、ルーナリシア公女。
まとっているのは、ごくシンプルな、昔ながらの神事に用いられてきた白い衣だ。
貴族や富裕層の子女では、年々、お披露目会で披露される正装は、素材もデザインもひたすら派手に、華美になっていく傾向があった。親たちの財、地位をはかる、わかりやすい目安にもなっていたのだ。
その風潮の中にあって、ルーナリシア公女の装束は、古式ゆかしく、ごてごてしたフリルやレース飾りもついていない白の長衣に、銀と黄金の光沢を持つ布を羽衣のように重ねて纏うデザインだった。
そして、幼い姫は頭部に純白のヴェールをまとっていた。顔は見えない。ヴェールを押さえるためのサークレットは、精霊の守護を象徴する白銀に輝いている。
そして、一言も発しない。
紹介などは父母と肉親の役目であるから。
会場に居合わせた者たちは思い浮かべる。
エルレーン公国の繁栄と安寧のためにわが身を神に、精霊にささげた、伝説のルーナリシア姫のことを。
「おめでとうございます、大公閣下!」
真っ先に我に返ったのは、先ほど、大広間で、大公の昔話を思わせぶりにささやいていた老貴族、カンバーランド卿である。
「当代の贄(にえ)姫がおられますれば、我が国のさらなる繁栄は約束されましたな」
「口を閉じなさい、この老害!」
言葉に重ねるように声を上げたのは、誰あろう、カンバーランド卿の、若い妻だった。
「わたくしの実家ともども、歴史あるカンバーランドを潰えさせるお積りでしたら、この場で離縁します!」
「なっ! バカな、家督こそ先だって息子に譲ったが、実権はわしのものなのだ。我が家ほど安泰な家はほかにあるまい! 大公の弱みを知る、わしだからこそ」
「黙れと言ってるのよ!」
若い妻は、不快そうに眉を寄せた。
燃えるような赤毛を高く結い上げ、濃い緑色のエスメラルダをふんだんに用いた髪飾りがチリチリと音を立てて揺れた。
「どうして今夜はそんなにお喋りなの。悪いものでも食べたんじゃないの」
そこまで言って、若妻は、はっと息をのんだ。
ある可能性に思い至ったのだ。
「まさか……あなた、ここで振る舞われた、あの酒を飲んでから……おかしいわ」
急に、周囲のざわめきが、一気に耳に飛び込んでくる。
これまで聞こえていなかったわけではない。意識の外にあっただけだ。
老貴族の悪い噂。
それぞれの人々の、醜い本音。思惑。
自分たちに向けられた、明確な非難が。
突然、笑い声がし、拍手をするものがあった。
「面白い出し物だった」
笑ったのは、ルーナリシア姫の手を握っている、漆黒の魔法使い、カルナックだった。
「ほとほと、よく口が滑る老人だ。カンバーランドはやはり、やらかすと思っていた。ヒトなど、どうしようもなく愚かで、それでいて愛おしいものだな。それなりに、だが」
片手をあげ、合図をした。
すると、数人の護衛が駆け付けて来た。魔導士協会から派遣されている者たちで、魔法に加えて荒事にも長けている屈強そうな人材揃いだ。
「旧家のご老体。あなたが今宵、口にした内容は全て記録している。私は大いに興味があるのだが。なぜ、エルレーン公国大公には暗闇を苦手とする性質があると、それは大公の若いころに起こった事件に起因すると知っているのかな? 厳重な緘口令を敷いていたのに」
「そんなもの、誰でも知って……」
「ないわー」
彼の若妻が、肩をすくめた。
「知りえる可能性のあった者の記憶は全て潰した。念入りに改ざんしたのよ。それでもなお漏れがあったとしたら……それはねぇ」
妻の美しい顔が、侮蔑の色に染まった。
「つまり、クロなの。昔も今も、あなたは犯人側だってこと!」
「な……」
反駁しようと、口をあけ。
ふと、カンバーランド卿は、違和感を覚えた。
「……おまえは、誰だ?」
長年連れ添った妻は、半年前に、病で先立った。
後妻も愛人も、羽振りが悪くなった彼のもとから、全て逃げ出したではないか。
では、これは……妻だと思い込んでいたが、この……燃えるような赤毛に、鋭い緑の目をした女は、誰だ?
「あまりいじめてやるな、エメラルド。水に落ちた犬だか泥船だか、よく覚えていないが、すでに地に落ちたものを叩くでない。ヒトというものは情け心というものがあるのだろう? わたしには理解できないが」
長い黒髪をした青年が、笑った。
傍らにいるルーナリシア姫に、老人の意識が向く。
(まだだ! まだ逃げられる、人質をとれば! 他に代えがたき、この姫を!)
「姫を人質にするだと? 愚か者」
カルナックが、パン、と手を打ち合わせた。
ルーナリシア姫に伸ばそうとした老人の右腕が、すとんと落ちた。
切り口から血の一滴もこぼれないまま。そして苦痛もないままに。
奇妙に現実感のない光景だ。
ルーナリシア公女はヴェールをあげた。
顔があらわになる。
ヴェールの下にあったのは、銀色の髪をした、幼い少女だった。
淡い水色に透き通った目が、虫けらでも見るかのように冷ややかに、人々を見据えた。
「ヒトに名乗る名はありません。私はただの精霊、『生命の長(オロ・ムラト)』です。姿変えなど本意ではありませんでしたが、確かに効果はありました。穢れなき魂の主を害そうとするとは、恐ろしいこと。『求める声に応え、我は来た』愚かなる者の筆頭、ヒト族が勝手に定めた、貴族なるものたちよ。我々が大公家に肩入れしていると思っているのでしょうね」
「ふ、不公平だ! なぜ大公家だけが精霊に愛される」
老人は言葉を吐き出した。
「もちろん、その資格があるからに決まっている。五百年前に精霊に嫁いだルーナリシア公女のことを、伝説にすぎないとでも?」
少女の弾劾を受け、どよめきが起こった。
周囲がざわめく。
悪口が、嘲笑が、老カンバーランド卿の耳を打つ。
貴族など似たり寄ったり、彼が失脚するのを喜び、なおも、いずれ大公を退けて、わが手に力を握ろうとしない者などいるものか。欲のあるのが人間だ。
正妃の子であるルーナリシアを押さえ、息子のどれか、または孫に娶せよう。
まだ……ひっくり返せる……!
次の瞬間、老人は意識を刈り取られて床に横倒しになった。
「今、逃げようとしている者は全て捕らえろ!」
カルナックの声が響いた。
※
「待たせたねシア姫」
隠し扉をあけて、中に入る、カルナックとフィリクス。
「ううん、へいき」
控室でじっと待っていたルーナリシア姫は、顔を上げて、にっこりと笑った。
「そうか。もう大丈夫だ。ここに来ていた悪い人は捕まえたからね」
「シア知ってたよ。とーる兄さまが……精霊石の兄さまが、教えてくれたの」
ブレスレットをした左手を持ち上げる。
はめ込まれている石が、透き通った青い光を浮かべていた。
「そうか。それは良かった」
兄のフィリクスが、シア姫を抱き上げた。
もう妹は安全だと頬がゆるむ。
しかし、そのとき、カルナックの表情は引き締まった。
「フィリクス」
「は? はい! 何か異変が?」
「ああ、あちらの会場にな。だが、なんとかなる。しばらく、連絡はとれなくなるようだ」
「はい? い、今まで、連絡取れてたんですか!?」
大公の宮殿とラゼル家は、騎竜の足でも半時はかかる距離がある。
「当たり前のことを聞くな」
フィリクスの驚きを、カルナックの影武者をつとめている大精霊グラウケーは、さらりと受け流す。
「向こうでも、また別の老人が面倒を起こした。あれは狂信者だな。だが、我々も用意はある。この国の膿を出してしまうのに、いい機会だ。そんな情けない顔をするな、フィリクス。カルナックなら、心配することはない」
「はい……」
うなだれるフィリクス。
「元気がないのは、向こうに立ち会えないことかな。無理だろう。同じ日にお披露目だったんだからな」
大精霊にしては砕けた言い方だった。
「胸を張ってカルナックに成果を報告したいだろう、坊や? がんばって、きっちり片づけるんだな」
「はい!」
フィリクスは頭を振った。
意識を切り替える。
大公家のことは、次期大公である自分が、責任をもって対処するのだ。
※
同日に大公家とラゼル家にて起こった二つの事件は、のちにすり合わせ、外国の勢力によるエルレーン公国を狙った破壊工作だと断定された。
これにより、事件は魔導士協会預かりの極秘案件となった。
ルーナリシアは月晶石という宝石の名前であり、この大陸エナンデリアにおいて最も貴く高価な宝石である。
※ 地球名・adámas(ダイヤモンド) ※
今から五百年ほど前のこと。
エルレーン大公と正妃は仲睦まじく、正妃との間には跡取りの公嗣フィリクスをもうけていた。
その妹として生を受けた、その姫は、生まれたときから、きらきらと輝く美しい目を開いて、明るい笑い声をあげた。すると、姫の周囲に『精霊』が集まってきて、光の粉を降らせた。
吉兆である。
大公は喜び、姫に最も価値の高い宝石の名をつけた。
ルーナリシア。
エルレーン公国の歴史上、最も有名な姫君である。
豊かに波打つ黄金の髪と、群青色の中に金色が混じる不思議な瞳をしていた。この瞳は特別で、ヒトでありながら生まれつき『精霊』を視ることができた。
深窓の姫君ではなかったという。毎日のように野原を転げまわって、日に焼けて、よく笑った。けがれなき魂を持ち、世界にも、精霊たちにも愛された。
そして今も、吟遊詩人はうたう。
そのむかし、月のように美しい姫がいた。
身目麗しく、誰もが心惹かれたゆえに、求婚者がおしかけた。
しかし求婚者たちの本当の狙いは、大陸でもっとも精霊の祝福を受け、大地の恵みを享受するエルレーン公国を手に入れることだった。隣国レギオンをはじめとする他国は、姫を大公にするために、大公と正妃、後継ぎの公嗣の命を奪うだろう。
姫は憂えた。大公の相談役であった魔法使い『影の呪術師(ブルッホ・デ・ソンブラ)』に願い、親友であるエリゼール王国の王女ルイーゼと共に、身を清めて祠にこもり、祈りを捧げた。
やがて託宣が下りる。
一つの国にだけ精霊の恩寵が与えられることは妬み、嫉みのもととなる。
天秤を傾けないためにはエルレーン公国は代償を払わねばならない。
ルーナリシア公女はわが身を供物にと、精霊の国へ嫁ぐことを心にお決めになられた。反対する大公と正妃、兄が差し向けた追っ手を振り切って。
精霊に贈られた、誰も触れることのかなわない、純白のヴェールをかぶり、ひとり、『大地の深き穴』に赴き、身を投じたのだ。
残された人々は、その日を聖女ルーナリシアの記念日としたのである。
※
漆黒の魔法使いカルナックが差し伸べた、その手を取ったのは、末の姫、ルーナリシア公女。
まとっているのは、ごくシンプルな、昔ながらの神事に用いられてきた白い衣だ。
貴族や富裕層の子女では、年々、お披露目会で披露される正装は、素材もデザインもひたすら派手に、華美になっていく傾向があった。親たちの財、地位をはかる、わかりやすい目安にもなっていたのだ。
その風潮の中にあって、ルーナリシア公女の装束は、古式ゆかしく、ごてごてしたフリルやレース飾りもついていない白の長衣に、銀と黄金の光沢を持つ布を羽衣のように重ねて纏うデザインだった。
そして、幼い姫は頭部に純白のヴェールをまとっていた。顔は見えない。ヴェールを押さえるためのサークレットは、精霊の守護を象徴する白銀に輝いている。
そして、一言も発しない。
紹介などは父母と肉親の役目であるから。
会場に居合わせた者たちは思い浮かべる。
エルレーン公国の繁栄と安寧のためにわが身を神に、精霊にささげた、伝説のルーナリシア姫のことを。
「おめでとうございます、大公閣下!」
真っ先に我に返ったのは、先ほど、大広間で、大公の昔話を思わせぶりにささやいていた老貴族、カンバーランド卿である。
「当代の贄(にえ)姫がおられますれば、我が国のさらなる繁栄は約束されましたな」
「口を閉じなさい、この老害!」
言葉に重ねるように声を上げたのは、誰あろう、カンバーランド卿の、若い妻だった。
「わたくしの実家ともども、歴史あるカンバーランドを潰えさせるお積りでしたら、この場で離縁します!」
「なっ! バカな、家督こそ先だって息子に譲ったが、実権はわしのものなのだ。我が家ほど安泰な家はほかにあるまい! 大公の弱みを知る、わしだからこそ」
「黙れと言ってるのよ!」
若い妻は、不快そうに眉を寄せた。
燃えるような赤毛を高く結い上げ、濃い緑色のエスメラルダをふんだんに用いた髪飾りがチリチリと音を立てて揺れた。
「どうして今夜はそんなにお喋りなの。悪いものでも食べたんじゃないの」
そこまで言って、若妻は、はっと息をのんだ。
ある可能性に思い至ったのだ。
「まさか……あなた、ここで振る舞われた、あの酒を飲んでから……おかしいわ」
急に、周囲のざわめきが、一気に耳に飛び込んでくる。
これまで聞こえていなかったわけではない。意識の外にあっただけだ。
老貴族の悪い噂。
それぞれの人々の、醜い本音。思惑。
自分たちに向けられた、明確な非難が。
突然、笑い声がし、拍手をするものがあった。
「面白い出し物だった」
笑ったのは、ルーナリシア姫の手を握っている、漆黒の魔法使い、カルナックだった。
「ほとほと、よく口が滑る老人だ。カンバーランドはやはり、やらかすと思っていた。ヒトなど、どうしようもなく愚かで、それでいて愛おしいものだな。それなりに、だが」
片手をあげ、合図をした。
すると、数人の護衛が駆け付けて来た。魔導士協会から派遣されている者たちで、魔法に加えて荒事にも長けている屈強そうな人材揃いだ。
「旧家のご老体。あなたが今宵、口にした内容は全て記録している。私は大いに興味があるのだが。なぜ、エルレーン公国大公には暗闇を苦手とする性質があると、それは大公の若いころに起こった事件に起因すると知っているのかな? 厳重な緘口令を敷いていたのに」
「そんなもの、誰でも知って……」
「ないわー」
彼の若妻が、肩をすくめた。
「知りえる可能性のあった者の記憶は全て潰した。念入りに改ざんしたのよ。それでもなお漏れがあったとしたら……それはねぇ」
妻の美しい顔が、侮蔑の色に染まった。
「つまり、クロなの。昔も今も、あなたは犯人側だってこと!」
「な……」
反駁しようと、口をあけ。
ふと、カンバーランド卿は、違和感を覚えた。
「……おまえは、誰だ?」
長年連れ添った妻は、半年前に、病で先立った。
後妻も愛人も、羽振りが悪くなった彼のもとから、全て逃げ出したではないか。
では、これは……妻だと思い込んでいたが、この……燃えるような赤毛に、鋭い緑の目をした女は、誰だ?
「あまりいじめてやるな、エメラルド。水に落ちた犬だか泥船だか、よく覚えていないが、すでに地に落ちたものを叩くでない。ヒトというものは情け心というものがあるのだろう? わたしには理解できないが」
長い黒髪をした青年が、笑った。
傍らにいるルーナリシア姫に、老人の意識が向く。
(まだだ! まだ逃げられる、人質をとれば! 他に代えがたき、この姫を!)
「姫を人質にするだと? 愚か者」
カルナックが、パン、と手を打ち合わせた。
ルーナリシア姫に伸ばそうとした老人の右腕が、すとんと落ちた。
切り口から血の一滴もこぼれないまま。そして苦痛もないままに。
奇妙に現実感のない光景だ。
ルーナリシア公女はヴェールをあげた。
顔があらわになる。
ヴェールの下にあったのは、銀色の髪をした、幼い少女だった。
淡い水色に透き通った目が、虫けらでも見るかのように冷ややかに、人々を見据えた。
「ヒトに名乗る名はありません。私はただの精霊、『生命の長(オロ・ムラト)』です。姿変えなど本意ではありませんでしたが、確かに効果はありました。穢れなき魂の主を害そうとするとは、恐ろしいこと。『求める声に応え、我は来た』愚かなる者の筆頭、ヒト族が勝手に定めた、貴族なるものたちよ。我々が大公家に肩入れしていると思っているのでしょうね」
「ふ、不公平だ! なぜ大公家だけが精霊に愛される」
老人は言葉を吐き出した。
「もちろん、その資格があるからに決まっている。五百年前に精霊に嫁いだルーナリシア公女のことを、伝説にすぎないとでも?」
少女の弾劾を受け、どよめきが起こった。
周囲がざわめく。
悪口が、嘲笑が、老カンバーランド卿の耳を打つ。
貴族など似たり寄ったり、彼が失脚するのを喜び、なおも、いずれ大公を退けて、わが手に力を握ろうとしない者などいるものか。欲のあるのが人間だ。
正妃の子であるルーナリシアを押さえ、息子のどれか、または孫に娶せよう。
まだ……ひっくり返せる……!
次の瞬間、老人は意識を刈り取られて床に横倒しになった。
「今、逃げようとしている者は全て捕らえろ!」
カルナックの声が響いた。
※
「待たせたねシア姫」
隠し扉をあけて、中に入る、カルナックとフィリクス。
「ううん、へいき」
控室でじっと待っていたルーナリシア姫は、顔を上げて、にっこりと笑った。
「そうか。もう大丈夫だ。ここに来ていた悪い人は捕まえたからね」
「シア知ってたよ。とーる兄さまが……精霊石の兄さまが、教えてくれたの」
ブレスレットをした左手を持ち上げる。
はめ込まれている石が、透き通った青い光を浮かべていた。
「そうか。それは良かった」
兄のフィリクスが、シア姫を抱き上げた。
もう妹は安全だと頬がゆるむ。
しかし、そのとき、カルナックの表情は引き締まった。
「フィリクス」
「は? はい! 何か異変が?」
「ああ、あちらの会場にな。だが、なんとかなる。しばらく、連絡はとれなくなるようだ」
「はい? い、今まで、連絡取れてたんですか!?」
大公の宮殿とラゼル家は、騎竜の足でも半時はかかる距離がある。
「当たり前のことを聞くな」
フィリクスの驚きを、カルナックの影武者をつとめている大精霊グラウケーは、さらりと受け流す。
「向こうでも、また別の老人が面倒を起こした。あれは狂信者だな。だが、我々も用意はある。この国の膿を出してしまうのに、いい機会だ。そんな情けない顔をするな、フィリクス。カルナックなら、心配することはない」
「はい……」
うなだれるフィリクス。
「元気がないのは、向こうに立ち会えないことかな。無理だろう。同じ日にお披露目だったんだからな」
大精霊にしては砕けた言い方だった。
「胸を張ってカルナックに成果を報告したいだろう、坊や? がんばって、きっちり片づけるんだな」
「はい!」
フィリクスは頭を振った。
意識を切り替える。
大公家のことは、次期大公である自分が、責任をもって対処するのだ。
※
同日に大公家とラゼル家にて起こった二つの事件は、のちにすり合わせ、外国の勢力によるエルレーン公国を狙った破壊工作だと断定された。
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