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ライバルは強し

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 翌日の放課後。
 僕は再び、旧図書館へと向かっていた。
 別に、今日も本の片付けを手伝うなんて約束していないのだから、来る必要性はない。ただ、昨日のやり取りの流れを省みるに、何となく暗黙のルールで約束しているような気がしているし、これまた何となく手伝いをした方がいい気がしていた。どこかのタイミングで四条に確認でもできれば良かったが一組の僕と六組の四条ではクラスが遠すぎて接点がこれっぽっちもなかった。……おいそこ。クラスが同じでも接点無さそうとか言うな!いやまあ、たぶんそうなんだけどさ。それはちょっと悲しいじゃん……。
 
「……ん?気のせいか……」

 芸術棟の廊下を歩いていると、不意に背後から人の気配がした。
 慌てて振り返ってもそこには誰もいない。
 霊感なんてものないはずなのに、今日はやけにそういった感覚に襲われる回数が多かった。
 昼休みに鷲崎に聞いたときは「それって自意識過剰なんじゃないの?」と作戦遂行できずにいたことから半ギレでそんなことを言われたし「今日はファミレスで作戦会議だから。さっさと四条さんに聞いてくること。いい?」だなんてちゃっかり、用件だけは置いていっていた。
 ちなみに赤羽は聞きもしないのに「覚醒めざめだな」などとよくわからないことを言っていた。霊感少女もの?にでもハマったのだろう。下敷きも巫女さんキャラに新調していたし、随分と分かりやすいやつだ。

「……まあ、疲れているのかね」

 旧図書館の前について、意味もなく呟く。
 最近どうにも独り言が増えつつある気がする。クラスでは赤羽と鷲崎くらいしか話さないし、赤羽のはどうしようもない内容で、鷲崎との会話は作戦のことばかりだ。まともな会話を求めて独り言が増えているのだろうか。だとしたらもう末期な気もするんだけどね……。
 一度だけ深呼吸をしてから中に入る。
 すると、そこには昨日と変わらぬ四条の姿と少し背の低くなった本の山があった。昨日あれだけ頑張ったというのに、片付けないといけない量はまだまだだ。
 昨日のやり遂げた感覚と目に映る現実とのギャップに嫌気を覚えながら、驚いた表情を浮かべる四条に向けて手を挙げる。

「なんかあんまり片付いてないな」
「そ……そうですね」

 四条は僕の言葉に返事をすると、パタリと本を閉じてから静かに立ち上がる。
 その表情は未だ驚きに満ちたままだ。宝石のような青い瞳はゆらゆら揺れている。

「どうしたの?」
「いえ……その、今日も来てくれるとは思っていなかったものだから。約束もしてないのに……」

 次第に小さくなっていく彼女の言葉で理解した。
 
「あー……確かにしてないけど、まあ、なんとなく?さすがにこのままさようならだと気持ち悪いし、何より一人でこれは大変だろ?」
「そうですか……ありがとうございます」
「まあ、困ったときはお互い様ってことで」

 言いながら、通学鞄を机の上に置く。中身は弁当箱くらいなのでスカスカだ。カタンと、軽い音だけが置いた瞬間に鳴った。
 それが合図になったか、そこから四条と二人して作業を開始した。

「……」
「……」

 二度目の片付けも基本的な時間を支配しているのは沈黙だ。
 四条の方から何かを語ることはない。あるのは手が届かないときに、手伝ってくれという業務連絡の一言や二言。
 うわさで聞いた通りただの人間に興味なんて無いようだった。
 
「あの……」

 しばらく時間が経った後。
 同じ本の山を片付けているときに、突然鷲崎から声をかけられた。
 なに?と意味をこめて視線を送る。
 
「名前は……お名前はなんていうんですか?」

 予想外の質問に危うく本を落としそうになる。なんとか体勢を立て直しながら四条の方を見直す。
 そこに特には恥じらいの様子はなく、ただ聞いてみたという感じだった。
 普通に考えてみれば、名も知らないような男子と片付けをしているなんてあり得ないが、四条はこのあたりをようやく気にしたのだろう。
 随分と遅い自己紹介タイムだ。
 と、赤羽と話すことが多くなってきたからだろうか、普通に名乗るつもりが、ふとワードが降りてきた。

「まあ、人に名を訊ねるときは自分から名乗るもんだろ?」

 ーーキリッ。
 笑みを浮かべて降りてきたワードを言った。人生で一度は言ってみたい言葉の中でも十本の指に入る言葉だ。言ってみて、とても気持ちが良かった。

「そうですか……なら別に大丈夫です」

 そう言って、プイとそっぽを向いてしまう四条。
 それだけはまずかった。言いたい言葉を言えたのはいいが、自己紹介すらできないのは、作戦的に色々とアウトだった。
 慌てて訂正するべく四条の方へと回り込む。

「ああっ!うそうそ!!二年一組の龍泉寺竜郎太です。よろしくね!」
「あら、冗談のつもりだったのに……ごめんなさい」

 その冗談わかりにくすぎんだよ!!めちゃくちゃ焦っただろうがーい!!
 なんていう、心の叫びをなんとか内に抑えておく。
 そこまで表情の変わらないお姫様の冗談は、それはもう分かりにくかった。
 ちょっと疑心暗鬼に陥りそうな僕を差し置いて、四条は素っ気ない自己紹介を始める。

「私は二年六組の四条夏海です。よろしく竜郎太」

 僕のやり方を真似て言うそれは大した情報を提示しない。
 そんなことは、うちの学校に通っている人なら誰でも知っている。接点のまるでない僕でさえ、今された自己紹介以上の情報を持っているだろう。
 けれど、それは彼女があまりに有名すぎたため知っているだけで、別に四条の方から教えてもらったわけではない。
 彼女の所属と名前は、本来なら、今のやり取りで初めて知り得るはずの情報だ。
 だからだろうか。
 
「よろしく」

 そう返事をしながら手を前に差し出してしまったのは。

「……」
「……」

 本日、二度目の沈黙は痛かった。
 空で固まる僕の手は一人寂しく漂う。
 四条はそんな僕の右手を不思議そうに見つめると、一度、本の山へと視線を戻したあと、再び僕の方へと視線を戻した。
 どうかしたの?……と、意味をこめて。

「えーと、なに。こういうときは握手するのかなぁーなんて思っちゃって……」
 
 居心地の悪さから、思ったことを正直に述べる。……なんか急に昔の中二心がぁ!なんでアイツらしょっちゅう握手するんだよー!!てか何で僕はそれを四条とやろうとしてんのー!?……などと、心の中は大荒れだ。 

「……って、ないよね!ないない!普通そんな……のおぉぉう!?」

 そんな最中、最後まで言い切るよりも前に、僕の右手に柔らかな感覚が襲う。
 その衝撃に口ごもってしまい、言葉は途切れた。

「てっきり、竜郎太は何かの約束をしているのかと思った」

 ふにふにと優しく握られるその何とも言えない感触に僕の頭はフリーズしていた。
 だから、彼女が勘違いしていたことにすぐ気付けなかった。

「でも……そういうことなら構わない」
「お、おう」

 握手を交わす。
 何気ないその行為に意味を見いだすのは、かつての僕なのだろうか。それとも……
 その答えを導く前に握手は終わる。
 その後は、四条にとって自己紹介という用も済んだのだろう。特に会話もなく片付けは進んでいった。

「……」
「……」

 三度訪れた沈黙はそこまで居心地悪くない。
 本を棚に戻す四条を見ながらふと思う。
 二年六組の四条夏海。
 うわさは数あれど。
 その日、初めて僕は四条と知り合いになれた気がした。
 

 
 
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