86400秒のプレゼント

五月七日 外

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86400秒のプレゼント 下

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 ましろと付き合い始めてから、一年と少し経っていた。
 ましろと初めて出会った教室は空き教室らしく、今でもましろとの待ち合わせはあの何もない教室だ。
 大学きっての自慢らしい桜並木の美しい坂道を登っていると、今までの思い出が頭の中に蘇ってきた。
 
 ある日は、遊園地に行きたがるましろを連れて一日中遊び倒した。
 幽霊とかホラー系が苦手なことを知った。

 ある日は、俺のレポート作成を手伝ってもらった。
 勉強が得意なことを知った。

 ある日は、嫌がるましろと一緒に海に行った。
 泳ぎが苦手なことを知った。スイカ割りが楽しかったと言っていた。

 ある日は、図書館でただ読書した。
 本好きなことを知った。ましろが薦めてくれた本は俺には難しかった。
      
 ある日は、雪合戦をした。  
 寒がりなことを知った。雪を食べたら汚いと怒られた。

 それ以外にも色んなことをした。
 色んなことを知った。

 実は、ましろが一つ年上だったこと。その時は、「中身は十六才で止まってますから、わたしにとって一城さんは年上の彼氏さんです」と笑っていた。

 今の体質になる前は、頭に腫瘍ができてずっと入院していたこと。腫瘍は治ったけど後遺症として今の体質になったことを聞いた。その時は、「辛いこともありますけど、自由に動けるので楽しいですよ」と少し強がっていた。

 恋人らしいイベントもした。
 クリスマスも年越しも、バレンタインも一緒に過ごした。
 未だにキスは、あのときしてくれたほっぺのキスしかないが、次のステップはゆっくり待とうと思った。  

 この一年間は楽しかった。
 幸せだった。
 もちろん辛いこともたくさんあった。

 ある日は、死にたくない、まだ消えたくないと泣きつくことがあった。
 明日が来てしまえば、今自分が感じたことも考えていることもきれいさっぱり忘れて無くなってしまうのが怖いと、自分が生きたという痕跡が一つも残らないのが怖いと泣いていた。
 
 ある日は、ましろから怖いと言われた。
 自分のことを自分以上に知っている俺のことが怖いと言われた。
 そのとき初めてましろの抱える恐怖の大きさを知った。
 
 ある日は、ましろが記憶を無くす瞬間を目の当たりにした。
 その時だけは、目の前のましろが別人に見えてしまった。

 他にも、数えてしまえばきりがないほど互いに傷付けたし傷付いた。辛くて、悲しくてたまらないときもあった。
 それでも俺はましろのことを好きで好きでたまらなかった。
 だって、辛かったことも悲しかったことも傷付けあったことも、楽しかったことも嬉しかったことも幸せだったことも、そのすべての経験はましろがくれたもので、ましろと過ごした時間はかけがえのない宝物になっていたのだから。
 
 坂道を登り終え、数分。
 ましろといつも待ち合わせている教室の前に着いた。
 一度、深い深呼吸をする。鞄の中に、あるものが入っているのを確認してから中に入った。

「えっと……一城さんであってますよね?」

 俺の顔を見た瞬間、そんな初対面みたいな反応を示すのは、愛しの彼女であるましろだ。

「うん、合ってるよ」

 ましろと会ってからすることが二つある。
 一つは、俺が「一城さん」であることの確認。ましろは、毎日記憶がリセットされる。どれだけ同じ時間を過ごそうと、次の日になってしまえば「一城さんっぽい人」になるのだ。だから、「一城さんっぽい人」から「一城さん」に変えてもらうために確認が必要になる。
 疑い深いときは、学生証を確認することもあるが、どうやら今日はそこまでせずとも信じてくれるようだ。

「もしかして、日誌読んだ?」
「あっ、はい。朝からついさっきまでずっと読んでしまってて……それで、その……」

 言ってる途中で、ましろの顔がどんどん赤く染まっていく。
 それを気にせず俺は口を開いた。
 なんたって三百回以上もしてきたのだ。今さら恥ずかしいことなんてあるはずがない。
 
「ましろちゃんのことが好きで好きでたまりません。どうか、俺と付き合って下さい」
「はい、お願いします……でも本当に、出会ってすぐに告白するんですね」
「まあ、日課だからね」

 ────告白をする。
 それがましろに会ってからすることの二つ目だ。
 今日はすんなりオッケーを貰えたが、貰えないときは本当に貰えない。1日に十回も振られたことだってあるし、それこそ1日費やしてようやく付き合えた日だってあった。

「えっと……それでは不束者ですが、よろしくお願いします」
「こちらこそ、お願いします」

 互いにペコリと頭を下げる。すると、どこか可笑しくて二人でクスクス笑った。

「今日はデートをするんですか?」
「そうだなぁ、ましろちゃんはデートしたい?」
「わたしは、そうですね……一城さんとお話をしてみたいです」
「うん、わかった。けど、その前にましろちゃんにプレゼントがあるんだ」
「プレゼントですか?」

 キョトンとしたましろに、鞄の中から取り出した大きな封筒を渡す。
 開けてもいいですか?と視線で問われたので、小さく頷いた。
 封筒から出てきたのは、紐を通した数百枚の紙。そこには、ぎっしりと文字が書かれていた。

「これは……何かの原稿用紙ですか?」
「うん。ましろちゃん小説好きかなぁって思ってさ……知り合いの小説家から貰って来たんだ」
「わたし、原稿用紙で小説を読むの初めてです……いいんですか、読んでも?」
「もちろん」

 小説を読みたくて仕方がないといった顔のましろを見てしまえば、断る理由などない。
 快く承諾すると、ましろは一人、本の世界へと旅立った。
 
「なんだか、この主人公一城さんみたいですね」
 
 ましろが小説を読み初めてから数分。 
 一旦、読む手を止めてそう言ってきた。

「ん、そうなの?俺も読もうかな」
「はい。でもわたしが読んでからにしてくださいね」
「うん、ましろちゃんへのプレゼントだから俺はその後でいいよ」

 それからどれくらいの時間が経っただろうか。
 再び、ましろの読む手が止まった。
 その手は小さく震え、大きな瞳には涙が溜まっている。

「いち……じょう……さん……」
「ん?」
「こ、の……小説って」

 涙を堪えているせいか、声がつまり、言葉にならない言葉でましろは何かを伝えようとしていた。
 それに対し、俺はあくまで知らない振りを続ける。
 答えを言うのは簡単だ。
 けれど、ましろに答えを出してもらわないと意味がない。
 だからましろの言葉を待ち続けた。
 
「この……小説って、わたしの……わたしと一城さんの、お話……です、よね?」 

 その言葉に小さく頷く。

「もしかして、一城さんが?」
「うん、俺が書いた」
「どうして、こんなお話を……」

 ましろの言葉が詰まる。そして俺を見つめる、その目は責めるように鋭く冷たいものになっていた。
 小説の内容は、過去のましろと俺の思い出がベースになっている。一度気づいてしまえば、エピソードのすべてが俺とましろの過去の話だとわかるだろう。
 そして、1日で記憶が消えてしまうましろにとってこれほど残酷な内容の小説は世の中にはないはずだ。 

「俺さ……ましろちゃんのこと大好きだし、これから先どれだけ辛いことがあっても、ましろちゃんと一緒にいれて幸せだって、声を大にして言える自信がある。けど、一つだけ不安があったんだ」
「不安……ですか」
「そう。俺って、ましろちゃんのこと幸せにできてるのかなって……そういう不安がずっとあったんだ」

 きっかけは、ましろが死にたくないと泣いていたことだ。あの日、俺はそのまま、ましろを助けることも出来ずに1日を終えてしまったのだ。できたことと言えば、ましろが眠りにつくまで一緒にいたことくらいだ。
 あのときに感じた無力感は、絶望感はとんでもないものだった。その感情が心のどこかで、ずっとくすぶっていた何かに不安という形をつけた。
 どれだけ好きでも、どれだけその人のことを愛していても俺にはましろのことを救えないのだから。
 それから、頭の隅の方ではいつも、死んでしまったましろを救える方法がないか考え続けていた。
 
「それでさ……俺は、思ったんだ。今まで死んでしまった過去のましろをなんとか救いたい。今日死ぬことに怯えている今のましろを救いたいって」
「それで、この小説ですか」

 ましろの言葉には珍しくトゲがあった。
 それもそのはずだ。
 俺がわざわざ小説にしてまで過去の話をましろに読ませた理由を言っていない今は、ただましろを傷付けるだけの小説なのだから。
 
「少し話しがずれるけど、ましろちゃんさ……一番好きな小説ってなに?」
「そんなの……」 

 本のタイトルを言おうとしたときに、ましろの口が止まった。
 別に、タイトルが記憶から消えている訳ではない。
 俺がなんでこんな質問をしたのか、その意味を理解したから固まったのだ。

「実は前に聞いたことがあるから、俺はましろちゃんが一番好きな小説がなにかは知ってるんだ。それで、その小説っていつ読んだか覚えてる?」
「それは……」

 今度の質問にましろは答えられない。
 先の質問と違って、ましろが知るはずがないのだ。
 だって、ましろが一番好きだという小説は、ましろと図書館でデートしたときに初めて読んだのだから。
 
「俺がこのことに気付いたのは一週間くらい前だったかな……ましろちゃんって、記憶が1日で消えるのに俺のレポート手伝えるくらいに頭がいいし、薦めてくれた物理の本は十六才で読むには難しすぎたんだよ。だから、思ったんだ。もしかしたら、本で得た知識とか小説の内容は消えずに、ましろちゃんの記憶の中に残るんじゃないかって」
「それじゃあ、一城さんが過去の話を小説に書いたのは」
「こうすれば昔のことも忘れずにいられるかもって……そうすれば、今まで死んでいったましろが少しは救われるかもしれない。今のましろが生きてたって証拠を残せるかもしれない……そうすれば、死の恐怖が和らぐかもしれない。そう思ったんだ」

 ここ一週間はずっと小説を書いていた。眠たい目を無理やりこじ開けて、必死に小説を書いた。
 さすがに、一年分もの思い出は完全には覚えていない。忘れる前にましろとの思い出をできるだけ細かく小説にするために、とにかく書き続けた。
 そうして、なんとか今日に間に合わせたのだ。

「ましろちゃん」

 名前を呼ぶと、ましろはピクリと肩を震わせ反応した。

「今日が何の日か知ってる?」
「……わたしの誕生日」

 去年は、答えられなかった自分の誕生日。
 それを戸惑いながらだったが、ましろはしっかりとそう答えた。

「ましろちゃん、誕生日おめでとう」
「こんなに嬉しい誕生日は、初めてです。素敵なプレゼントをありがとうございます」

 それは完全に不意討ちだった。
 ましろの顔が近づいてきたかと思うと、一歩分の距離を詰めたましろがキスをしてきたのだ。
 あまりに一瞬のことで、触れたかか触れてないか分からなかったが、唇に残る柔らかな感触が確かにキスをしたことを教えていた。

「これは、その……プレゼントのお返しです」
「はは、困ったなぁ……またプレゼントを貰っちまったよ」
「え、またって……わたしプレゼントなんてあげてますか?」
「うん、あげてるよ。すごいプレゼントを」
「え、何をですか?」
「そうだなー……ましろちゃんは1日が何秒か知ってる?」

 いつの日か、ましろに聞かれた質問をする。
 すると、ましろは計算をするまでもなく答えた。

「86400秒です」
「そう。86400秒だ。それを俺はましろちゃんと出会うまで無駄に使ってきた。時間なんて無限にあって、1日の有り難みなんて考えたこともなければ感じることもなかった。けど、ましろちゃんと出会ってからは、毎日が宝物になってた」
「わたしも、今この瞬間が宝物です」
「だから、俺はすごいプレゼントをましろちゃんから貰ってたんだよ」

 時間は無限になんてない。時間には限りがあって、本来ならとても大切なものだ。無駄にしていい時間なんて、1秒たりともない。    
 悪人も善人も、赤ん坊も老人も、みな平等に86400秒という時間を神様からもらい生きている。
 そのもらった時間を無駄にしてしまうのか、宝物に変えるのかはその人の自由だが、せっかくもらったのだ。どうせなら、宝物にした方がいい。

 ましろは、俺が貰った86400秒を無駄なものからすべて宝物に変えてくれた。それはとてもすごいことで、そんな人と一緒にいられることはとても幸せなことだ。
 ましろは、俺に86400秒のプレゼントを与えてくれたのだ。
 この感謝をましろに伝えたいが、いきなり「86400秒のプレゼントをありがとう」と言っても伝わらないだろう。
 だから、俺はましろがくれたプレゼントの凄さを伝えるために、一つだけ質問をした。
 
「ましろちゃんは、86400秒のプレゼントって知ってる?」
 
 
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