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第一章 男の娘メイドと異世界の旅立ち編

ACT-10『もう、昔のお話です……』

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 澪の言う事は、正直な所とてもじゃないが信じ難い。
 だが、説得力が半端なく、また非常に的確な憶測を立てているのもまた事実だ。

 この世界は、俺が住んでいた世界と違う!

 受け入れがたい現実ではあるが、受け入れるしかない。
 卓也は、これからいったいどうすればいいのか、本気で悩み始めた。


「卓也~、お昼ごはん、何かリクエストある?」

「いや、食欲ない……」

「そう? 少しでも何か食べておいた方がいいわよ」

「ああ」

「じゃあ、準備だけしておくから、食べたくなったら声かけてね」

 パタタ、とスリッパの音を立てながら、澪が遠ざかっていく。
 卓也はベッドにごろんと横になりながら、虚無な気持ちでスマホの画面を見つめていた。

(うん? 待てよ。
 異世界に移動してるってのが本当だとして、なんでこの部屋は変化がないんだ?
 それに、どうして澪まで一緒について来るんだ?
 もし、俺だけが並行世界に移動するのなら、澪も居なくなってる筈じゃないのか?
 いったい、どういう理屈が働いてるんだ?)

 卓也は、益々頭が混乱して来たので、寝ることにした。


(ショックなことが続いたから、疲れてるのかな。
 そっとしておいた方がいいわね)

 何となく雰囲気を察した澪は、それ以上何も言わず、そっとしておくことにした。





  ■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■


 ACT-10『もう、昔のお話です……』




 夕方。
 コーヒーの香りが、寝ぼけた頭をすっきりさせる。
 卓也は、ぼさぼさの頭をぼりぼり掻きながら、メイド服姿の澪が淹れてくれたコーヒーを受け取った。

「――ボクも、同じことを考えていたのよね」

「やっぱり? どう考えても変だよね」

 卓也は、先程思い浮かんだ疑問を話し、澪の見解を尋ねた。

「多分だけどね、ボクは、このお部屋全体が異世界転移しているんじゃないかって思ってるの」

「この部屋って、この、俺が借りてるマンションの?」

「うん、そう。
 あなたと違う世界に居たボクが、一緒に異世界へ転移しているのも、これなら説明がつくじゃない」

「あ、そうか。確かに」

 澪の説明には、確かに説得力があった。
 澪は、卓也の父が存命である世界の住人で、既に父を失った卓也とは完全に住む世界を異としている。
 しかし今のこの世界は、卓也の父もおらず、更にロイエという物も存在していないらしい。
 となれば、澪は間違いなく、途中から転移に巻き込まれたことになる。
 であれば、彼の提示する「部屋丸ごとの転移」は、確かに納得に足る見解だろう。

 卓也は、あらゆる方面と可能性を考慮して状況分析が出来る澪の頭脳の明晰さに、あらためて感心した。

「でもさ、と言う事は、君が本来君を受け取る筈だった“神代卓也”は、この俺とは別に、違う世界で存在してるってことだよな?」

「そうなるわね」

「であれば、君はその“俺じゃない卓也”のところに行かなければならないんじゃないのか?」

「うん、確かにそうね。
 でも、それはもう不可能になっちゃったし……それに」

「それに?」

「前にも話したけど、ロイエは凄く辛い立場なの。
 なんせ“奴隷”だし。本来は、個人の自由で活動なんか許されない立場なんだわ」

「そうなのか。
 確かに、あの契約書とか読むと、なんだかギッチギチに決め事が成されてる感じしたもんな」

「でしょ? だから、ロイエという概念がない世界の方が、むしろ気が楽でいいの」

「そういうもんかねぇ――って、わっ!」

「んふっ♪」

 突然、澪が卓也の上に乗っかってきた。
 首に両腕をかけ、顔をぎりぎりまで近付ける。
 現実離れした美しさを誇る顔を間近に、卓也は表情を強張らせた。

「な、ま、またぁ!」

「だってぇ、卓也が好き過ぎるなんだもん♪」

「だ、だから、俺は男とそういう関係になる趣味はないって!
 そういう趣味がある方の卓也とやればいいじゃないか!」

「ええ~、そんな事言っちゃやだぁ。
 ボクは、今ここにいる卓也のことを、愛してるんだからぁ」

「つか、なんでいきなりそうなるんだぁ! 俺なんかの何処が」

「すっごく、優しいところ☆」

「あぐ……」

「あとね、ボクのことを目一杯褒めてくれるところ」

「……」

「こんな風にしてても、ボクのことを払い落とそうとしないでしょ?」

「そ、そりゃあ、危ないから」

「そういうところが大好きなの。
 契約者の神代卓也じゃなくて、今ここで、ボクを抱っこしてくれてるあなたが好きなの」

「お、おう……」

 いくら男だとわかっていても、女の子のような外見、声、仕草で真正面から言われると、さすがに照れる。
 いつしか卓也の手は、澪の腰を優しく支えていた。

「あのね、卓也」

「な、何さ?」

「ボクはロイエだから、あなたにウソをつく事が出来ないの。
 許されないことなの」

「そ、そういうもの?」

「そうよ? ボク達はそういう風に教育されているの。
 だから、ボクの言ってる事は、そのまま信じて欲しい」

「あ、ああ、それはわかった」

「だからね、聞いて」

「うん?」

 澪は、卓也にぎゅっと抱きつくと、耳元で静かに囁いた。
 吐息が、耳にあたる。

「ボク、これからもずっと、あなたと一緒に居たい。
 たとえ、別な世界を行き来することになっても」

「あ、ああ」

「だから、離さないで。
 本当に、ボクを、あなただけのものにして欲しい」

「……」



『私を、貴方だけのものにして――』


 誰かの声が、澪の囁きに重なる。
 


「ね、だから」

「ゴメン」

 急に、卓也は澪を引き剥がした。

「え? ど、どうしたの?」

「コーヒー、ありがとう。
 美味しかったよ」

「え? うん」

「風呂、入ってくる」

「あ~ん、もう!」

 逃げるように風呂場に飛び込んだ卓也は、冷たいシャワーを頭にぶっかけた。

(くそ、なんでまだ思い出すかな~……腹が立つ!)



「う~ん、どうやったら、卓也をもっとその気にさせられるのだろうか。
 その謎を追い、澪はアマゾンの奥地まで飛ばねばならないだろうか?」

 訳のわからない独り言を呟きながら、コーヒーカップを片付ける。
 ふと、食器棚の中を見て、手を止めた。

(独身男性が一人で揃えた食器類、じゃないわよね、明らかに)

 澪は、自身に与えられた神代卓也のデータを思い返してみた。
 だが、彼の知る卓也のデータは……

(女はとっかえひっかえ、根っからの遊び人。
 その上、女に飽きたから男も試してみたいとか、そんな人なんだよねえ)

 今風呂に入っている卓也とは、全く異なる属性だ。
 澪は初対面の時点で、この差異に気付き意識してはいたが、それでも、この部屋の各所に残る“女性の痕跡”には首を傾げるしかなかった。

(でも、あの卓也が、女性を家に住まわせるなんてこと、出来そうに思えないんだけどなあ)

 洗い終えたコーヒーカップを食器拭きで綺麗に拭き、食器棚に戻そうとする。
 その時、澪は、奥の方に何かを見つけた。

(あれ? これは……)

 食器棚の奥には、まるで隠すように、小さなペアのマグカップが置かれていた。
 それぞれのカップには、名前がプリントされている。
 一つには「たくや」とひらがなで、そしてもう一つには――

「ゆう……か?」

 澪は、眉間に皺を寄せた。
 



 風呂から上がった卓也は、ドライヤーで髪を乾かすと、澪の用意してくれたジャージをまとい、リビングに戻る。
 すると、そこにはソファに腰掛け、何故かこちらを睨んでいる澪の姿があった。

「どうしたの?」

「卓也、お話があります」

「何その、これからお説教しますみたいな雰囲気?!」

「いいから、ここに座ってください」

「は、はい」

 少し厳しめな口調で指示され、卓也は、訳もわからず言う通りにする。
 しばしの間を置いて、澪は、わざわざ口で「ギロッ!」と効果音を付けてから睨んだ。

「ゆうかさん、って誰?」

「え」

「寝起きの時にも言ってた名前よね?」

「……」

「昔、ここに住んでいた人?」

「ああ」

「卓也の、奥さん?」

「違う、そんなんじゃない」

「じゃあ」

「詮索しないで欲しいんだけど」

「あう」

 不貞腐れたような顔で、上目遣いで睨む。
 どことなく子供っぽい仕草に、澪は少し困った顔をする。

「一応の確認なんだけど。
 ボクが来る前からここに住んでいたとか、そういうのは」

「違うったら!!」

 突然、大声で怒鳴る。
 その迫力に、澪は思わずビビった。

「そ、そんな大声出さないでよ~」

「君が、聞いて欲しくないことをずけずけと尋ねてくるからだ」

「いや、あのね?」

「優花の事は、もう関係ない!
 君も、もう二度と触れないでくれ」

「わかったわ。
 じゃあ、これだけは教えて」

「何だよ?」

「その人、たまたま外出していて、そのまんま弾き出されてる状態……というわけではないわね?」

「……」

 澪の質問に、卓也は我に返った。
 そうだ、澪は心配していたのだ。
 この部屋の住人で、異世界転移に弾かれ、元の世界に置き去りにされているのでは、と。
 
 卓也は、急に恥ずかしくなって、俯きながら変な唸り声を立てた。

「まあ、だいたい検討は付いてるからいいんだけど」

「優花は――」

 聞き取れるかどうかぎりぎりの音量で、卓也が呟き始める。

「卓也、言いたくないなら、無理には――」

「いや、いいんだ。
 吐き出したいから」

「う、うん……ねえ、傍に行った方がいい?」

「いや、そこで」

「……」

 卓也は、今にも消え入りそうな声で、ぼそぼそと話し始めた。

「優花ってのは、俺の彼女“だった”女の名前なんだ」

「うん」

「大学の時に付き合い始めて、結婚まで約束してた。
 結構、付き合いも長かった」

「おお」

「それで、式を挙げる前に一緒に住もうって、このマンションに引っ越してきたんだ」

「そ、それで?」

「うん、それで……でも、うん」

「なんか、あったのね」

 心配そうに尋ねる澪の顔を見る事が、何故か出来ない。
 だが卓也は、思い切るように、続く言葉をはっきりと口に出した。

「結婚、したんだ」

「え? そうなの?」

「他の男と」

「――えっ?!」

 ドン! と鈍い音を立て、床を叩く。
 卓也の肩は、震えていた。


「ある日、朝に起きたら、部屋に誰も居なかったんだ。
 置き手紙があって――同じ会社の男と結婚することが決まったから、もうここに住めないって……」

「な、何よそれぇ!!」

 澪は、思わず激昂して立ち上がった。


 スカートの中で、ぷるん、と何かが震えた。



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